第37話 暗殺未遂の犯人(後)
「…………か、け?」
マルディアスの脳裏に、数時間前に王太子が吐いた呪詛のような言葉が蘇る。
『おのれルーファウス! よもや兄に謀略を巡らす程にまで欲に誑かされたか!』
あの言葉を聞いたとき、マルディアスは愕然とした。王太子の命を狙ったのは第三王子ルーファウスである──と、王太子はそう確信し、周囲の人間にもそれを知らしめんとしたことに。
王宮内の派閥争いを耳にしていた王太子は疑心暗鬼になり、その最中に自身が毒を受けたことで、信じていた弟に裏切られたと思い込んだ。
だからこそ、王太子の命は絶対に救わなくてはならない。命が助かり、精神的にも落ち着いた状態で話せば、彼は現状をきちんと理解し、冷静に判断できる人物だ。
今、この瞬間まで、マルディアスはそう信じていたのである。
──否。信じさせられていた、と言うべきか。
(……誰だ。あのとき、部屋にいた人間は……太子の言葉を聞いた人間は……。扉は? 侍女が頻繁に出入りしていたが、あの瞬間はどうであった……?)
思考を駆け巡らせるマルディアスに、王太子は笑みを浮かべたまま続けた。
「この耳飾りには、古き大魔導士による精霊の祝福が込められている。……いや、込められていた、と言う方が正しいな。石が変質しているのであれば、その効果は切れているであろうからな」
「精霊の祝福……」
「宮廷魔術師たるお前であれば、その知見くらいはあろう」
精霊の祝福は魔術ではなく、魔法でもない。
この世の理の一部であり、人非ざる精霊や妖精に愛された魔導士にのみ扱える、加護の奇跡。祝福を与えられたものは、どのような厄災からも救われる、ただ一度のみの命の加護を得るという。
魔力さえあれば修行次第で会得できる魔術に比べ、魔法に必要とされるのは才能のみ。珍しくはあるがそれでも多く存在する魔術師に対し、魔導士の数は非常に少ない。
その中でも、今や御伽噺も同然の人非ざるものたちを視認し、言葉を交わせる魔導士というのは、片手で足りるか足りないかという数しか存在しないと言われていた。
「この耳飾りに込められた祝福は、本来は私に与えられたものではない。どこかの子供に与えられた祝福を、欲深き魔術師が抜き取り、この石に移したのだ。それを輿入れ前の母上が手に入れ、その後生まれた私に与えた。精霊の祝福は、魂が完成する前の幼子にしか与えられぬというからな。母上としては、後付けの奇跡でも効果があるのかは懐疑的であったが、耳飾りを装着した私の全身が温かい光に包まれたとき、祝福が私を認めたと確信したそうだ」
か細い声でありながらも、王太子は饒舌に語った。まるで成功した悪戯の種明かしでもするかのように、得意げに、嬉々として──。
「私は自分が死なぬと確信していたが、お前は私を救うために尽力してくれていたようだな。それも含めての奇跡だったのやもしれぬ。深甚なる謝意を申そう。お前の心の内が、如何なるものであろうと……な」
「殿下……。そのために、貴方の傍女は死にましたぞ……」
王太子の傍女が命を落としたという報せは早い段階で届いていた。王太子と同じく嘔吐と下血を繰り返し、症状は王太子よりも重かったらしい。最後には大量の血を吐いて死んだという。
しかし、その痛ましい最期を聞いてなお、王太子は眉一つ動かさずに言葉を返す。
「そうか。あれは私に仕え、私のために尽くし、私を支えるための存在だった。大義に殉じたことは本望であろう」
「……っ」
その言葉と思考は、何も特別なことではない。
全ての臣下や侍従、民草は国のためにあり、その頂に王がいる。
王太子はその後を継ぐ者なのだ。王族に仕える者が王族のために死ぬことは当然の責務であり、口惜しく思うことはあれど悲しむべきことではない。
これが頂に立つ者の思考であり、己も他者もただの人であろうという第三王子の方が異質なのだ。
(こういうところなんだよな、あの小僧に足りねぇのは……)
己の求めるもののために、時には非情に徹する冷酷さと貪欲さ。それを持ち合わせた上で、何を求めるのか。
そこに王たる者の素質が問われる、とマルディアスは考えていた。
王太子はそれを持っていた。己の王位を揺るがぬものとするために、王宮内のこれ以上の分裂を防ぐために、血を分けた弟と、己の傍女を切り捨てる決断を取ったのだ。
「……感服致しますな。大層な気概でいらっしゃる……」
精霊の祝福を所持する王太子は、一度限りではあれど自分が命を落とすことはないと分かっていた。そしてそれを利用し、自ら毒に倒れることで、その罪を弟ルーファウスに着せる算段だったのだ。
しかしそれを問い詰めたとて、意味などない。
「マルディアス。お前が昔からルーファウスに肩入れしていることは分かっていた。だからこそ、お前はあいつを王位に就かせようとはせぬだろう。お前は敵には回らぬと、私は信じていたぞ」
持ち直したわずかな体力がそこで尽きたのか、あるいは語るに満足したのか、王太子は瞼を閉じ、眠りに落ちた。
小さな寝息と梟の鳴き声だけが響く静かな部屋で、マルディアスは固く拳を握りしめる。
(俺が王太子の命を救うためにここに留まることも、計算のうちだったわけか。精霊の祝福を所持していてなお、そこにさらなる保険をかけるために……)
噛み締めた奥歯が、軋む音を立てる。
無邪気に自分を信じた少年と少女の、幼さを残した笑みが脳裏に浮かぶ。
「利用するに足るなんて信頼はなぁ……いらねぇんだよ」
既に王太子の手の者は行動を起こしているだろう。
そしておそらく、いや──確実に、ルーファウスがそれに抵抗を示すことはない。
ならば自分ができることは一つしかない。
決意を固めた壮年の魔術師は踵を返し、王太子の部屋を後にした。
次の更新は火曜日です。




