第36話 暗殺未遂の犯人(前)
◇◇◇
王太子が毒に倒れてから、十時間ほどの時が経とうかという頃。
夜も更け、窓の外からは梟の鳴き声が聞こえてくる。それに混ざる微かな寝息に、マルディアスは安堵のため息をついた。
(小康状態……といったところか。術が効いたのは幸いだったな)
寝台の傍に運んでおいた椅子に腰を落とし、緊張と肩の力が緩んでいく。
マルディアスは一縷の望みをかけ、王太子の身体に自身の術を施していた。現在王太子は一命を取り留め、静かな眠りについている。一時間程前に容体が落ち着いたため、今王太子の私室にいるのはマルディアスだけだ。
マルディアスの持つ魔術は己の肉体強化だった。それは筋力だけに留まらず、肉体の持つ回復力や臓器の機能に対しても効果を持つ。過去にはその力により他者の傷を回復させた経験もあったが、それを施せたのは魔術師に対してだけであった。
魔術師であるならば、全身を巡る魔力によって、多少なりとも肉体は守られている。だが、非魔術師はそうではない。魔力による保護がない肉体に術を行使した際に、どのような結果になるのかはマルディアスにとっても未知数だったのだ。
毒によって各臓器が破壊されないよう強化し、体外への排出機能を高めた上で、術をそこに留める。己の体内であれば容易であるそれを他者の体内で行うのは、非常に繊細な魔力操作とそれに伴う凄まじい集中力が必要だった。
(相手が魔術師なら、本人の魔力操作である程度何とかなるんだが……。非魔術師はそれができねぇからな……)
なぜ非魔術師に対してその経験がなかったかといえば、単純にリスクを冒してまで他人を助けようと思ったこと自体が今までなかったからである。
ルーファウスの過剰魔力がそうであるように、場合によっては相手の肉体を破壊してしまう可能性さえあるそれを、王太子に施すことは賭けでしかなかった。
失敗したらその場で逃げようとさえ考えていた。
命を救おうとした結果、自分が死罪になってはたまったものではない。
自分の命を懸けてでも次期国王を救う、などという崇高な精神は最初から持ち合わせていない。
(とりあえずは逃げなくて良さそうだな。はー……二度とやりたくねぇ)
これで朝まで容体が安定していれば一安心だろう。自分も少し寝ようかと椅子の背もたれに背を預けたそのとき、王太子の瞼がゆっくりと開かれた。
「マルディアス……か?」
「太子! 気づかれましたか!」
小さく掠れた声に慌てて立ち上がる。
王太子の顔色は相変わらず血色が薄く青白いが、わずかばかりの生気が戻っているように感じられる。
「ご気分は如何ですか?」
「……悪くはないが、全身が重く動かせん。今……何時だ?」
「まだ夜中にございます。何時間も吐いておられたのですから、お疲れなのでしょう。私がおりますゆえ、今はお休みください」
会話もしっかりしている。余程のことがない限り、王太子はもう大丈夫だろう。明朝には王に吉報を届けられる。
そう考えながら王太子の汗をタオルで拭っていると、掠れた声がさらに問いかけた。
「私の……耳飾りはどうなっている?」
「耳飾りでございますか?」
唐突な問いにマルディアスの視線が王太子の耳元へ移動する。そこには金の飾りと白い靄が入ったような黒い宝石がぶら下がっていた。
「外したりはしておりませんが……」
「色や形は? どのような様相になっている?」
「色……?」
そこでふと、マルディアスは気がついた。王太子が常に装着していた耳飾りの宝石は、古くから魔除けの効果を持つと言われている瑠璃だったように思う。
実際に瑠璃だったのかは確認していなかったが、星の浮かぶ夜空を思わせるような、金色混じりの群青色であったはずなのだ。
それがいつの間にか、白い雲の流れる闇夜のような黒い宝石に変わっていた。
「色は黒……で、ございますね。黒水晶のようにも見えます」
「そうか……」
マルディアスの答えに王太子は力なく、しかし満足そうな笑みを浮かべる。
そして言葉を零し落とすように、続けた。
「私は賭けに、勝ったようだな」
──どくん、と。心臓が大きく一跳ねした。




