第34話 王宮事変(後)
(先手を打たれた! 狙われるのはルーファウス殿下だとばかり……!)
王宮内は二分していたが、第三王子派の家臣たちは決して過激な行動に出るほどの勢いはなかった。むしろ王太子派の家臣たちの方が、王太子夫妻になかなか子ができないこともあり、太子の王位を揺るがす存在としてルーファウスの存在を危ぶんでいたのだ。
ゆえにマルディアスは、王太子派の動きが怪しいものになる気配があれば、ルーファウスを一時的にでも逃がそうと考えていた。
「太子はどこにいる!? 容態は!?」
「べ、別の者が宮廷医を呼び……自室に運ばれました……。お命は取り留めておられますが、嘔吐と下血が酷く……」
「……分かった。すぐに向かう」
状態が芳しくなく、宮廷医だけでは不安だったがために、魔術師であるマルディアスを呼びに来たのだろう。
だが、了承はしたものの、マルディアスは毒物を扱うような魔術師ではなく、自身は別として他者の回復術にも長けてはいなかった。たとえ長けていたとしても、傷や病ならともかく、毒物となると、体内の毒素を排出しなければどうすることもできない。
小走りにも近い早足で王太子の私室へと向かいながら、マルディアスは苛立ちのままにガリガリと頭を掻いた。
(王太子を死なせるわけにはいかん……! だが、どうする? 毒を扱う術師を探して間に合うか……!?)
答えは否であると、経験に基づいた直感が告げている。
たまたま毒物を扱えるようなニッチな魔術師が、たまたまローディア付近に滞在していた──そんな奇跡のような確率を信じられるほど、マルディアスは楽観的な人間ではない。
それにしても、誰が王太子に毒など盛ったのか。第三王子派の家臣たちの中に、それほどまでにルーファウスの即位を熱望するような人間がいただろうか──。
あるいは、まさか──。
(間者でも紛れていたのか? よもやバルニア侯爵が、己の娘を王妃にするために王太子の命を狙ったということではあるまいな。……いや、さすがにそれは時期が早過ぎる。あの男ならば、少なくとも娘が妃として正式に嫁ぐまでは、そのような行動は取らないはずだ)
自身の考えを否定しながらも、マルディアスはそれが一番可能性の高いことなのではないかという思いが拭えなかった。
何らかの理由で間者との意思疎通に齟齬が生じたとしたら。
そのために計画が早まってしまい、王太子の命が狙われたのだとしたら──。
(……いや、いやいや。やはり違和感がある。策略家のバルニア侯爵がそのようなミスを犯すはずがない。同盟を結んだばかりの国の王太子暗殺などという大罪を、機を誤るような小物に任せるなど……)
ルーファウス第三王子自身が王太子を亡き者にしようとした、などという可能性は砂粒程にもないとマルディアスは考えていた。
国の頂に立ち、自らが民草を導いていく──そのような野望はあの王子には微塵もない。
万が一にもそのような不幸があったなら、彼は王家の人間として迷うことなくその立場を受け入れるだろう。だが、自らがそこに大望を抱くような人間ではない。
(やはり、家臣の誰かが勝手な行動を取ったとしか思えん。……誰だ? ルーファウス殿下が王に即位したとき、その利を最大限に得られるのは……)
思考を駆け巡らせながら王太子の私室にたどり着くと、ちょうどシーツを抱えた侍女が飛び出してきた。そのシーツから、そして開いた扉から、何とも言えない悪臭が漂ってくる。
ぶつかりかけた侍女が謝罪しながら走り去るのを見送り、入れ違いに中へと入ると、マルディアスはその惨憺たる光景に思わず眉を顰めた。
王太子は寝台に横たわりながらも侍女の一人に身体を支えられ、差し出される浅い器に嘔吐を繰り返している。その下半身には薄手の布が被せられ、臀部の位置には丸めたシーツが備えられていた。マルディアスを呼びに来た侍女の発言からその理由が察せられる。
王位継承権第一位の王族として耐えがたい恥辱であろうが、それを言っていられる状態ではない。
部屋の中は吐瀉物と排泄物と血の臭いが立ち込め、王太子の命の危機であるという状況も相まって、まさに地獄のような空気になっていた。
そこでふと、マルディアスは気づく。
(王太子の傍女がいない……?)
部屋の中には、嘔吐する王太子を支えたり、シーツを替えたりと慌ただしく動き回る侍女が三人と宮廷医。その侍女も、替えのシーツを持ってきた別の侍女と入れ替わり立ち替わり動き回っているが、その中に、常に王太子の傍についていた侍女がいない。
妃がいないのは、毒物の正体が分からぬうちは部屋に近づくことを禁じられているからだろうと推察できる。仮に毒物が周囲にまで広がるようなものであれば、妃の身も危うくなるからだ。
他の王家の人間も同様に、王太子の部屋には近づいてはいないようだった。
侍女の一役職に過ぎない傍女にそのような配慮がされることはない。にも関わらず彼女がいないということは──。
(傍女もやられたか……。太子の毒味をしていたなら当然だな。だが、その上で太子がこの状態だということは、毒は遅行性のものであったということか……)
傍女の持つ役割の中には、主である王子の毒見役も含まれる。王太子が食したものは傍女が先に食しているはずなのだ。
王太子の危機であるこのときに、端女たる傍女が碌な手当を受けられるはずもない。可哀想だが、彼女の方は助からないだろう。
よしんば助かったとしても、主の身を守れなかったことで結局は死罪に処される。彼女の方もまた被害者であり、理不尽にも思えることではあるが、王族に仕えるというのはそういうことなのだ。
心中で憐れみの祈りを手向けながら、マルディアスは思い至る。
これまでが平穏な時代であったために忘れがちであったが、それはあの魔力を喰う霊獣を宿した、娼婦上がりの傍女にも同じ危険性があるということだ。
彼女の身に何かあったとき、魔力過多なルーファウスの身にも危機が及ぶ。亡骸から霊獣を取り出し、再度捕獲すれば良いが、ただ純粋に彼女を愛する彼にそのような所業は耐えられないだろう。
「マルディアス殿! 手を貸してくれ!」
魔術師の存在に気がついた宮廷医が声を上げ、思考が遮られる。
(……そうだ。今はとにかく、王太子を救わねば……)
頭を切り替えようと寝台に駆け寄ったマルディアスは、わずかばかりに顔を上げた王太子の目に、己の認識を改めることとなった。
国王陛下とよく似ていた青い瞳は昏く澱み、憎しみにも似た業火が燃え滾っている。その視線は、懸命に介抱していた侍女でも宮廷医でもなく、今まさに駆けつけたマルディアスでもなく、その間の空虚を彷徨う。
朦朧としながらも意識を失うこともできず、どこに誰がいるのかも分かってはいないのだろう。
それでもなお、血色を失い、乾いた唇を震わせながら、頂の嫡男は力の限り怒りの声を振り上げた。
「おのれルーファウス! よもや兄に謀略を巡らす程にまで欲に誑かされたか! お前は……お前だけは、斯様な所業にその手を汚したりはせぬと信じていたのだぞ!」
不倶戴天の呪詛のように吐き出されたその言葉に、マルディアスはようやく本当の事態を理解し、そして──自身がこの場を離れることができなくなったことを心の底から悔やんだ。
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