第33話 王宮事変(前)
◇◇◇
時は少し遡り、バルニアに第三王子訃報の伝達が届く数日前──。
王宮内に立ち込める異様な空気をマルディアスは感じていた。それまではただ平穏が満ちていたはずのそこは、一カ月ほど前から確実に変わり始めていた。
初めこそは水面に小さな砂粒を落とした程度だったそれは、徐々に波紋を広げるように周囲へと伝播し、短い期間に王宮内の家臣たちを二分するにまで至っている。
「まずいな……。このままでは上位貴族にまでこの動きが広がってしまうぞ……」
王宮内に密かに放っていた使い魔による監視の目を覗きながら、マルディアスは自室で独りごちる。
この一カ月、王宮内で密かに囁かれていたのは、次なる国王はルーファウス第三王子が相応しいのではないかという話題だった。
その発端は当然ながら、彼とバルニア侯爵令嬢アルテア・ドラッカールとの縁談である。
件の令嬢はヴァールヴィーク国王陛下の正統なる血を継ぐ孫娘だ。実際に彼女の姿を目の当たりにした家臣は、その美しさと堂々たる立ち振る舞い、そして高い知性と思慮深さに圧倒されたという。
これでまだ歳若い少女であるというのだ。このまま成長すれば、親善の宴で頂の血を引く圧倒的存在感を見せつけた母親、ヴィオラ・ドラッカールを超えるのではないか。
彼女こそが王妃の座に就くに相応しく、また、彼女を妃に迎えるルーファウス第三王子こそが次なる王に相応しい。
家臣たちの中に、そんなことを囁く者が現れ始めたのである。そこには当然、第三王子のぶっきらぼうながらも飾らない人柄も大きく影響していた。
元々家臣たちにもよく気遣いを見せてくれていたが、一年と少し前にとある侍女を傍女として迎え入れてからは、気難しさが薄れ、気質が一層丸くなったように思える。
彼はきっと民を愛し、導く賢君となるのではないか。
そのような声を聞きながら、マルディアスは呆れてしまった。
(あのガキのどこが頂に相応しいってんだ。自分たちに都合のいい解釈しやがって……)
数年間マルディアスに師事していた少年は、気難しいところはあれど素直な性格をしていた。マルディアスとしては王族どころか、魔術師にさえ向かないと思ったものだ。
まだ彼が幼かった時分に、揶揄うつもりで「月の満ちる雨の夜に、畑に種を蒔くと子が生まれる」などと適当な嘘を吹き込んだところ、するりと信じてしまった。
その上、「なるほど。満ちたる月は強い力を放つというが、それが命の宿る儀式であるのだな」と、輝かしい目を向けられてしまったことを今でも鮮明に覚えている。
いくら月が満ちていようとも雨の夜にそれは見えなかろうと、嘘をついたマルディアス自身でも思っていたというのに──。
その後の釈明に非常に苦労したことは苦い思い出だ。
(このままでは王太子派と第三王子派で諍いが起きちまう……。本人にその気は毛頭ないってのに、勝手なもんだぜ)
白い顎髭を撫でながらマルディアスは天井を仰ぐ。
現在、王宮内の家臣たちは嫡男であり帝王学も仕込まれている王太子派と、本人の人気と婚約者の格が高い第三王子派に分かれている。幼い頃から病弱でほとんど自室から出てこない第二王子は話題にも上がらない。
国王陛下がそれに気づいていないはずもなく、世継ぎは王太子であると公言しているが、陰の囁きは止められなかった。
三年前に婚姻しながらも、未だ王太子夫妻に子が生まれていないこともまた、その要因の一つだった。
王としてもルーファウスを王位にはつかせたくないはずだ。
万が一にもそのようなことになれば、バルニア侯爵は王妃の父ということになり、自国においてさらに力を持ち、こちらに対してもそれなりに発言権を持つようになってしまうだろう。
(……まさか、こうなることまで予見してあの男は娘を差し出したのか?)
マルディアスは届いたばかりの荷に手をかざし、わずかに魔力をこめた。
一見するとただの質素な木箱に思えるそれには、術による鍵がかけられており、事前に記録された魔力を持つ者以外には開けられないようになっている。
マルディアスの魔力を受けた木箱は淡い光を放ち、カチリと小さな音を立ててその蓋を開いた。
中には真白い、これまた質素なローブが収められている。マルディアスが知り合いの魔術師に依頼し、それなりの金を払って手に入れた魔術礼装だ。
(いずれ必要になるかと思って取り寄せておいたが……違う理由で使うことになるやもしれんな。宮廷魔術師は稼ぎのいい仕事だったんだがなぁ……)
マルディアスは白い礼装を手に取ると、これから起こり得ることを想定しながら深く息をつく。
──私室の扉を激しく叩く音が響いたのは、そんなときだった。
「マルディアス様! いらっしゃいますか!? マルディアス様!」
切羽詰まった様子で呼ぶ女性の声。自分が連れてきた娼婦上がりの侍女以外、碌に顔も名前も覚えていないマルディアスには、それが誰の声なのかは分からなかった。
少なくとも、マルディアスを「オジサン」と呼ぶ、あの小生意気な元少女娼婦の声ではない。
「何事だ?」
扉を開けて応対すると、うっすら見覚えのある程度の侍女が青い顔をしてそこに立っていた。確か、傍女とは違うが王太子担当の侍女だったはずである。
「あ、あの……す、すぐに……すぐに、いらしてください……」
侍女はかなり動揺している様子で、唇が震え、先ほどの大声が嘘のような掠れた声を絞り出した。
「落ち着け。何があった?」
両肩を掴まれ、ビクリと身体を跳ねさせた侍女は懸命に続ける。
「……お、王太子様が……」
「太子がどうした?」
「王太子様が……毒を盛られ、倒れられました!」
「──っ!?」
その不吉な報せを聞いた瞬間、マルディアスの脳裏に浮かんだのは「やられた!」であった。




