↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/55

第32話 婚約者の仇

 ◇◇◇


「ルーファウス王子が亡くなったというのはどういうことですか!」


 怒声とともにバルニア侯爵執務室の扉が勢いよく押し開かれ、その勢いのままに金糸の髪を振り乱した少女が飛び込んできた。

 彼女の傍では、止めようとしながらも振り払われてしまったのであろう侍女が、怯えるような表情で必死に主へと頭を下げている。

 大きく肩で息をするアルテアをリヴァンが窘めるより先に、彼女の父リカルドが動揺もなく娘を叱った。


「落ち着きなさい、アルテア。ノックもなしに当主の執務室に立ち入るものではないぞ」


 しかしなおも、普段なら父の言うことは素直に聞くアルテアがこればかりは聞けないと食い下がる。


「落ち着いていられるわけないではありませんか! 王子が暗殺されただなんて──」

「そのような大声で不用意なことを口にするな!」


 空気を震わせるような圧を持った父の声に、アルテアの小さな肩がビクリと跳ねる。気の強い我侭お嬢様でも、やはり厳格たる当主の一喝に立ち向かうことはできない。


「何事にも動じず、冷静に事にあたるが上に立つ人間に課せられた責務であると、いつも教えていただろう。今がそのときであると知りなさい」


 何も返すことができなくなったアルテアは唇を噛み締め、悔しそうにドレスの布地を握りしめた。


「……お嬢様。リカルド様は、後できちんとお嬢様にも伝えようとされていたのです。今はお部屋にお戻りください」


 婚約者の突然の訃報に感情の行き場がなく、どうすれば良いのか分からないのだろう。リヴァンに肩を抱かれて促されてもなお、アルテアはその場から一歩も動こうとはしない。

 ルーファウス王子のことは酷評していたが、その人柄については彼女も好意的に思っていたようにリヴァンには見えていた。

 婚約が成立し、バルニアに帰ってからの彼女は、ローディア国の歴史や文化を書物で学び、元々得意だった舞踏にも磨きをかけ、前向きに輿入れの準備を進めていたのだ。

 それがふいになったと知らされ、「あぁそうですか」と彼女が受け入れられるはずもない。


「……誰が、なぜ王子を……。何かの間違いでございましょう……」


 震える声で怒りと希薄な望みを紡ぐ娘に、リカルドは仕方ないとばかりに息を吐いた。


「今その話をしていたところだ。報せは王宮からの鳩で届いた。ローディア国王陛下の判があったゆえ、誤報であることは考えにくい。賊が何者であるかについては、今のお前に話すつもりはない」

「お父様……!」


 背を向ける父に追い縋ろうとするアルテアをリヴァンが止める。

 主の手にぐしゃりと握り潰された小さな書面に、彼女が知りたがっていることが記されていることを知っていたからだ。


「ローディア国王陛下は、我々バルニアに賊を追い、それを討つことをご依頼なさったのだ。冷静さを欠いた今のお前に、賊の正体を明かすわけにはいかん」

「……バルニア騎士団が、王子の仇(かたき)を……?」


 潤んだ瞳が父親からリヴァンへと移される。

 答えを乞う懸命な眼差しにリヴァンが小さく頷いた。


「婚約者様の仇は、私が必ず討ちます。ですから今は……」

「…………」


 何か言おうと開きかけた小さな口が逡巡の後に閉じられた。

 代わりに震える手がリヴァンの手に重なる。その手をそっと握りしめ、リヴァンは腰をかがめて目線を合わせると、穏やかな口調で彼女を諭した。


「さぁ、お嬢様。貴女を気遣う侍女を困らせてはいけません。お部屋へ」


 リヴァンに視線で促され、困り果てた様子だった侍女がハッとしてアルテアの肩を抱き寄せた。これ以上は何も答えてはもらえないと察したアルテアは涙を堪えて俯き、ようやく踵を返す。

 礼を言うように会釈する侍女に小さな頷きを返すと、リヴァンは執務室の扉へと向かい、先に扉を開けてやった。


「しばらくお嬢様の傍にいてやってくれ。他に仕事があるのなら、侍女長には私から伝えておく」

「承知いたしました。お心遣い、感謝いたします」


 俯いたままのアルテアと彼女の肩を抱く侍女を見送ると、リヴァンはそっと扉を閉め、大きく息を吐き出した。

 二人の気配が扉の前から去ったことを確認し、未だ背を向けたまま窓の外を眺める主へと向き直る。


「先にローディア国へ向かわれますか?」

「いや……」


 振り返ったリカルドが、統率者らしい低く重い声で指示を出す。


「兵を挙げろ、リヴァン。精鋭を二十人だ。私も出る。ローディア国へは、賊の首を手土産とするとしよう」

「リカルド様も出られるのですか?」

 

 主自ら出陣するという言葉に、リヴァンが目を見開く。バルニア騎士団の頂点に立つのは領主リカルドだが、バルニア再興以降、彼が前線に立つことはほとんどなかった。

 軍資金の運用などを主とするその職務を「お飾り団長」などと揶揄する同僚騎士を、リヴァンも幾度か叩き伏せたことがある。


「娘の婚約者を殺されているのだ。私自ら出るのが筋であろう」


 わずかに口角を吊り上げ、眼光を妖しく滾らせる。

 その表情は、久方ぶりの前線を愉しみにしているかのようにも見えた。その心中も分からぬままに「不謹慎ですよ」と言うこともできず、リヴァンは代わりの懸念を口にする。

 

「しかし、二十人のみでは……」


 そのうちの数人がリカルドの護衛につくと考えると、賊を討つには少々心許ないように思える。

 ただアルテアの護衛をすれば良かった前回とは事情が異なる。今回の賊は慢心できる相手ではない。その上で、見つけたときは絶対に逃がすわけにはいかないのだ。

 

「相手が相手だからな。今回の件に関しては下手に人数を増やすより、質で選ぶ方が良い。お前がいれば十人でも構わんが、万が一のため、賊を囲めるだけの人数は欲しい」

「承知しました。ならば後方支援の弓兵も連れていきましょう。残る騎士をまとめるために副団長は置いていきます」


 努めて冷静に返すが、リヴァンも今回の凶報に本心では動揺していた。宴の主賓としてあの王宮に招かれたときは、周囲に不穏な空気などは感じられなかった。

 むしろ、ローディア国王の賢君ぶりを表すように、穏やかで和やかな空気が満ち、王宮に仕える臣下や侍従たち皆が王を慕っていた。そのような場所で、王位継承権すら低かった第三王子が殺害されたという。


 ──それも、王子とは親しそうに見えていたあの男の手によって。

 

「リヴァン」

「はい」

「賊を見つけ、奴が王子殺害を認めたそのときは──遠慮は無用。全力で狩れ」


 主の端的な命令に、黒狼と呼ばれる男の、研ぎ澄まされた刃のような眼光が煌めく。そこにもはや動揺や迷いはなく、ただ獲物を追う獣の鋭さだけがそこに残った。

 

「御意」


 殺害された王子は極めて純朴で、誠実な男であった。自身が愛しているのだろう侍女に向ける眼差しは柔らかく、為政者には到底向かない優しさを備えていた。

 アルテアにとっては頼りなく思えたであろうが、彼女はきっと、そんな王子を支えて生きていく未来を思い、この二か月間努力していたはずなのだ。


 兄として見送るはずだった少女の涙を思い、黒狼はただ静かに、怒りの炎を燃やしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。