第30話 侯爵令嬢と騎士(前)
◇◇◇
ローディア国を去る馬車の中。
王家の面々との食事会も滞りなく済ませ、書面を取り交わし、ルーファウス・アルバルト・ローレンシア第三王子とバルニア侯爵令嬢アルテア・ドラッカールの婚約が正式に決まった。
これで今回の彼女の大役が、無事に果たされたのだ。
──だというのに、当のアルテア・ドラッカールは憮然とした表情で馬車の小窓から外を眺めていた。
そんな彼女の隣で、護衛騎士のリヴァン・スカルデが気まずい思いで困惑している。
我の強い彼女は、幼い頃から機嫌を損ねると宥めるのに苦労するのだ。
最近では随分成長していたはずで、事実、ローディア王宮においての彼女の立ち振る舞いは、リヴァンの目から見てもほぼ完璧だったはずである。
それが王家の者たちと別れ、馬車が出立した途端にむすっとした表情に切り替わり、もう数時間この状態が続いている。
(どうするべきであろうか……。土産に持たされた品の中で、何かお嬢様の気を引けるようなものはあっただろうか……)
菓子か、果実水か、あるいはバルニアでは珍しい魔鉱石を用いた装飾品か。どれを差し出せば気を紛らわせられるだろうかと懸命に考えるが、どれも望みは薄いように思える。
その顔立ちの良さから、バルニア領内において令嬢たちから絶大な人気を得る若き剣の天才も、女心には疎かった。
(こんなときに、リカルド様のような話術が自分にもあればと思うが……)
どう足掻いても自分には主のような器用な立ち回りはできそうにない。しかし放っておくと、さらに彼女の機嫌が悪くなってしまうこともリヴァンは経験から知っている。
戦場で策の選択を迫られるときよりも緊迫した心持ちの中、アルテアが揃えていた両脚を不意にだらしなく投げ出し、それを交互にぱたぱたと揺らし始めた。
「……はしたないですよ、お嬢様」
一応諫めてはみるものの、アルテアはさらに唇を尖らせ、年相応──いや、それ以上に幼い表情を見せる。
「いいじゃない。ここには私と貴方しかいないんですもの」
ふと小窓の外を見ると、どうやら馬車は王都を抜けたようだった。
最低限我慢していたのだろうが、それでもまだローディア国内である。魔術師を内包する国ではどこに目があるか分かったものではない。
リヴァンとしてはもう少し我慢してほしかったが、彼女が言うことを聞いてくれる気がしなかった。
彼女の父、リカルド・ドラッカールは知る由もないが、アルテアが子供のような一面を見せるのは、極めて近しい関係の人間に対してだけである。だからこそ、同じ馬車に乗るのを指名されたのはリヴァンだけだった。
「あーぁ。お父様が『縁談の相手はとても良い御仁だ』とおっしゃるから期待していたのに……がっかりだったわ」
ぱたぱたさせていた脚を止め、アルテアは頬を膨らませる。
「ルーファウス王子は御父上の見込んだ通り、誠実なお人柄であったでしょう。何かご不満な点でもあったのですか?」
「だからこそよ!」
食い気味に言い放つアルテア。彼女の声は両親譲りでよく通る声質であるため、走る馬車の中といえど声量は抑えてほしいところだ。
しかしリヴァンがそれを指摘するより先に、アルテアは怒り心頭といった様子で続ける。
「私は彼を試すつもりで貴方への恋情を打ち明けたのです! だというのに……何ですか、あの王族らしからぬ純朴さは! 彼が将来、頂に立つ太子でなくて良かったと心から思いますわ!」
「お、お嬢様……。それはさすがに不敬な……。あと、お声が大き……」
「いいえ、言わせていただきます! 時には狡く、時には冷酷に、切り棄てるべきものは切り棄て、多を救うために少を犠牲にするだけの覚悟を持つが、為政者というものにありましょう! 情が深いのは結構ですけれど、あのように性根の優しい素直さでそれが務まると思いますか! 私は彼がお父様のような方であることを期待しておりましたのに! 国とは言わずとも、彼はいずれは王宮を出て、公爵家当主として己が領地を治めねばならぬ身の上なのですよ!?」
褒めているのか貶しているのかよく分からない文句を言い連ねたアルテアは、大きく息を吐き出した。
「……つまりお嬢様は、ルーファウス王子が良い人柄であるからこそ気に入らないと?」
荷物の中から果実水の入った瓶を取り出すと、リヴァンは木栓を外し、毒味のためにまずは自分が一口飲んでから彼女に差し出してやった。この瓶も魔導具らしく、中はよく冷えている。
本当は行儀のためにも杯に注いでやりたいところだが、残念ながら杯は持っていなかった。
「何が一番気に入らないって……」
受け取った瓶に口を付け、グイグイと仰いだアルテアは喉が冷えたことで少しは落ち着いたらしかった。今度は小さく言葉を続けた。
「あの方は……リヴァン、貴方に少し、似ていたんですもの」
「私にですか? お嬢様、それこそ不敬な物言いですよ。尊き王族の方を私などと並べては……」
「貴方はどうしてそうも卑屈になられるのですか! 私はお人柄が似ていると言ったのです! そこに身分は関係ございません!」
アルテアは一度は落ち着いた口調を先ほどよりもさらに荒げると、じわりと涙目になってしまった。
(まずい……泣く……! なぜだ! どこに泣くところがあった!? 言い方が厳しかったか!?)
騎士道教育の賜物か、あるいは元々の性質か──女の涙に弱いリヴァンは、おろおろと狼狽えながらハンカチでアルテアの涙を拭おうとした。
しかしそれも、彼女の手にパシッと無下に払われてしまう。
「あ、貴方は……貴方にとっての私は、子供で、主の娘で……それ以上でも以下でもないのでしょうけれど……」
「お嬢様……」
「私にとっての貴方は、兄であり、お慕いする方なのです……。私の大切な方を、貴方自身が卑下しないでくださいませ……」
(卑下するも何も、私は貧民の生まれなのだが……)
さすがにそれを口にするほどリヴァンは空気の読めない男ではなかった。
それでも、実力主義のバルニアでのし上がり、騎士として男爵の爵位を得たものの、自分は下民の人間であるという意識は拭えない。
騎士団の中でも自分より身分の高い者は大勢いるが、そこは部下として割り切ることにしている。だが、それ以外の高貴な身の上の者たちに対しては、話は別なのだ。
特に主一家や、王侯貴族に対しては絶対的に敬うべき存在であるという認識でいる。
(まぁ、だからといって、私の考えでお嬢様を傷つけていいことにはならないよな……)
アルテアはいよいよベソをかき始めた。その小さな頭に手を置き、仕方ないとばかりに撫でてやる。
今度は払われなかった。
しかしぎゅっと眉をしかめ、口元をへの字に曲げたその姿は、数時間前まで他国の王族と渡り合っていた少女にはとても見えない。
「すみません、お嬢様。私の自覚が足りず、傷つけてしまいましたね」
「…………ぐすっ」
「誤解してほしくはないのですが、お嬢様のお気持ちは嬉しいのです。ドラッカール家の方々が私を家族同然に扱ってくださることも、両親を亡くした私にはありがたい幸福でした」
「……貴方は、私たちを家族だとは思ってくださらなかったじゃないですか」
「……そ、のような、コトは……」
「そんなに言い淀むことがございますか。手も止まっています」
暗に「もっと撫でろ」と言うお嬢様。リヴァンは彼女が幼かった頃を思い出しながら「はいはい」と撫でる手を再開してやった。




