第22話 腹を括れ(前)
◇◇◇
舞踏会前に衣装を着替えるという名目であったため、ルーファウスの衣装は先ほどまでよりも、やや煌びやかなものとなった。
着替えの介助が終わり、リズリアは部屋の扉を開けて彼を促す。
しかし、先に出ようとしたルーファウスの足がピタリと止まる。何だろうかとリズリアも廊下に目を向けると、扉の真正面の壁に寄り掛かり、腕を組んで立っているマルディアスがそこにいた。
「何か用だったか?」
止めた足を再び運ばせ、ルーファウスが廊下に出る。
リズリアもそのあとに続くと、マルディアスはおもむろに口を開いた。
「割り切りなされよ、殿下。あの男は敵に回すべきではない」
「……そんなことか。分かっている。本当に……食えない男だ」
マルディアスはちらりとリズリアを一瞥してから、言葉を続ける。
「此度の縁談によって、あの男は自国と同盟国、両方の王族と親族関係を結ぶことになります。ただでさえ国内最強の軍事力を持つというのに、その発言力はこれまでよりも遥かに強まる。一侯爵が力を持ち過ぎることをあちらの王家が快く思うはずもないというのに……豪胆な男です」
「……そうだな」
「え? で、でも、縁談を持ち出した奥方は王女さまなんですよね?」
思わず口を挟んだリズリアを咎めることもなく、マルディアスが答える。
「だからこそ、だ。奥方は実家である王家よりも、夫の利を取った。……それほどまでに、バルニア侯爵は王女の心を掴んでいるということだ」
「奥方が侯爵の傀儡であるようにも見えなかったな……」
呟くルーファウスにマルディアスは頷く。
「奥方もまた、人の上に立つ器の持ち主でしょう。夫に心底惚れ込んでいるのか、夫につく方が得策と踏んでいるのかは測りかねますがね」
ルーファウスは大きく息を吐き出すと、爪が食い込みそうなほどに拳を握りしめた。
「いずれにせよ、この縁談は破棄できるようなものではない。国王陛下に直談判したのだから、あちらとしても引っ込めるつもりなどないだろう」
「百害あって一利なしですからな」
二人の会話を聞きながら、リズリアはふと首を傾げた。
「最初からそのつもりだったなら、なぜ御息女をお連れにならなかったのでしょう?」
「ん?」
振り返るルーファウス。
「舞踏会の予定もあるのですから、最初から縁談を結ぶおつもりがあったのなら、御息女をお連れになっていた方が話が早いのではありませんか? あ。晩餐会にいらっしゃらなかっただけで、舞踏会には参加されるとか?」
素直な疑問を口にするリズリアに、マルディアスが答える。
「いや、舞踏会からの参加貴族は確かにヴァールヴィーク側にも多くいるが、バルニア侯爵の娘の名はなかったはずだ。舞踏会は見合いや出会いの場でもある。縁談の話が露骨過ぎるものにならぬよう、敢えて連れてこなかったのかもしれんな」
「縁談は、あくまでも話の流れで自然とまとまった、という体にするためか。……他の国内貴族と娘を接触させないため、ということもありそうだな」
「御両親があれなら、御息女も美人そうですもんねぇ……」
三者三様に唸り、数秒の沈黙が落ちる。
もしこの場に通りがかる者がいたならば、ある意味では親子のような、家族のような光景に見えたことだろう。
最初に気を取り直して顔を上げたのは、やはり年長者であるマルディアスだった。
「まぁ、そういうことですので。妃になられる侯爵令嬢の扱いには気をつけなされ。あの夫妻の娘であるならば、王族が傍女に手をつけることを口うるさく言うような女でもありますまいが……粗雑にはできませぬぞ」
「…………」
ルーファウスは顔も上げず、何も答えなかった。彼がリズリア以外の女を抱きたくないと漏らしたのはつい先ほどのことだ。マルディアスがそれを聞いているはずもないが、考えていることはお見通しということなのだろうか。
たとえ魔力譲渡のためという名目であったとしても、傍女を日々抱いておきながら妃に手をつけないわけにはいかない。それは王族の血を繋ぐという大義を背負う妃への侮辱に他ならない。
(侯爵令嬢の方も……会ったこともない、顔も知らない人と結婚して夫婦にならなきゃいけないわけだよね? あっちはあっちで、好きな人とかいないのかな……)
マルディアスが再度ルーファウスに言葉をかけようとしていたとき、リズリアはついそれを口にしていた。
「意に添わぬ相手と身体を繋がなければならないのは、王族や貴族も、娼婦と同じなんですね……」
ぽろりと零れた言葉。それを受け、オリーブの瞳がまん丸に見開かれ、その隣では白髭の顎が外れんばかりにあんぐりと開かれる。
そして何の邪気もなく紡がれたその言葉にルーファウスの肩が小さく震え始め、マルディアスの肩も違う意味でわなわなと震え始めた。




