第15話 交わりと霊獣
◇◇◇
生まれて初めて、人肌を心地いいと思った。
汗ばむ肌も、荒く乱れる吐息も、寝台の軋みも、その全てが己の一部として混ざり合うようで、嬉しかった。
熱情の滲む声が幾度となく降ってくる。
「リズ……、好きだ……愛してる……」
真っ直ぐな言葉を紡がれるたびに、胸の奥底に温かさが広がっていく。
「殿下……」
「名前で……呼んでくれ」
「……ルー……ファウス、さま……っ」
ほんの数カ月前までは想像できなかった感情だ。ただ生きることに必死だった頃は、身体はおろか、心まで満たしてくれる存在に巡り会えるなんて夢にも思わなかった。
(これが……欲しいってことなんだ)
本当に欲張りになってしまったものだと思う。
手放したくないものができてしまった。
彼は王子で、リズリアは元娼婦の傍女に過ぎないというのに──。
やがて、これまでで最も強烈に濃く大量の魔力が流れ込み、全身に広がっていく感覚が駆け抜けた。腹の中では霊獣ノクスレアがそれに齧りつき、さらに勢いよく引きずり出すような気配を感じる。
今まで以上のご馳走ではしゃいでいるのだろうか。
かと思った途端、ルーファウスが力尽きたように倒れ込み、リズリアは慌てて彼の顔を覗き込んだ。
「あ……だ、大丈夫ですか? い、今……すっごい魔力が……。食べ過ぎちゃいましたか!?」
「……っはぁ……いや、確かに凄まじく持っていかれたが……問題ない。むしろ、それにけろりとしているお前の方が怖い。どれだけ魔力耐性高いんだ……」
「こ、怖い!?」
「普通の非魔術師は濃い魔力を当てられるだけでダメージを受けるものなんだぞ……」
狼狽するリズリアの頬を撫でると、ルーファウスは「ふっ」と笑みを浮かべ、触れるだけの口づけを落とした。
それがあまりに優しくて、全身の力が抜け、瞼が重くなってくる。前の仕事では一晩に幾人も相手にしていたというのに、感じ方一つ違うだけでこれほどまでに体力を使うとは──。
しかし腹の底に覚えた違和感に、リズリアは視線を上げた。
「あの……殿下」
「……名前で呼べと言った」
拗ねたような顔でオリーブの瞳が見下ろす。
どうやら今までのクセで「殿下」と呼んだことが気に入らないらしい。仕方ないので言い直してやることにする。
「……ルーファウスさま」
「二人のときは敬称もいらない」
「ですが……」
ためらうリズリアの頬をむにっとつまむルーファウス。
「今の俺とお前は、王子と傍女じゃない。……霊獣ノクスレアのことさえ愛称で呼んでるくせに」
独占欲が強いのか、負けているようで気に入らないのかはよく分からないが、ルーファウスはつまんだ頬をふにふにと伸ばしながら小さく唇を尖らせている。
(王子と傍女じゃないなら、何だろう……)
彼はリズリアを「愛している」と言ってくれたが、この関係の呼び名は分からない。たとえ互いの想いがどんなものであっても、下賤の身である上に子を宿せないと分かっているリズリアは、彼の妃には絶対になれないのだ。
(……まぁ、いっか。今は気にしなくても。別に妃になりたいわけじゃないし)
深く考えることをやめたリズリアは、とりあえず今は彼の小さな望みを叶えることにした。
「……ルゥ?」
「……何だ?」
気に入ったらしい。表情こそは仏頂面ながらにも、ブンブンと揺れる尻尾が見えそうな空気を醸し出している。
(……なんか……急激に可愛いな、この人)
先ほどまでとはややズレた愛おしさを覚えながら、リズリアはようやく本題を口にした。
「お腹のとこ……ちょうど、ノクちゃんの気配がするところが、なんだか変なんです。いつもの食後じゃないというか……」
「変……? 痛いのか? 俺の魔力のせいか?」
ルーファウスの表情が一変する。
今までの口づけによる譲渡の何倍もの魔力を流し込んでしまっていたせいで、リズリアの身体に異変が起きていると思ったようだ。
だが、そうではないとリズリアは首を振る。
「痛いとか苦しいとかじゃなくて。なんていうか、こう……今までは、ノクちゃんが流れてきた魔力をすぐに食べちゃってたんですけど、今はそれが塊になってるような……」
口づけのときは、ノクスレアは魔力が流し込まれるなりそれを食しているようだった。姿は当然見えないが、体内でそうしているのが、リズリアには気配で伝わっていた。
初めて身体を繋いだ今回も、大量の魔力が流れ込んだ直後はいつものように食べている気配がしていた。
何なら大歓喜でがつがつと喰らいついていたはずなのだ。
しかし途中からは、洪水のように全身に流れた魔力をノクスレアは食さず、それをどんどんかき集めていったのだ。まるで泥団子でも作るかのように、一つの塊として。
そしてその塊に絡まるようにしながら、自身の身体を使ってさらにぎゅうぎゅうと圧縮しているようだった。
「あぁ……そういうことか」
当人よりも不安げにリズリアの腹を撫でていたルーファウスだったが、それを聞くと納得したように安堵の息をついた。
「お前はノクスレアと共存していかなければならないのだから、きちんと説明しておくべきだったな」
「何かあるんですか?」
頷いたルーファウスはゆっくりと説明を始めた。
「霊獣ノクスレアの特性は、他者の魔力を食すだけではないんだ。奴は吸い上げた魔力を限界まで圧縮することができる。それこそ、人間の魔術師では不可能なほどにな」
「圧縮? なんのために?」
「本来なら、それを対象に向かって放つ。俺の攻撃魔術や、魔鉱石に溜めた魔力を放つものと同じだ」
傍女教育の傍ら、仕える主が魔術師だからと、リズリアにも魔術の知識が多少は与えられていた。魔鉱石とは確か、魔力を蓄積する性質を持つ鉱石のことだったとリズリアは記憶している。
リズリアと出会う前のルーファウスは、魔術の修練や魔鉱石に力を蓄積させることで余剰魔力を消費させていたという。
「圧縮して固めた魔力を放つ攻撃は、単純だからこそ強力で、破られにくい。並の結界術なら一点突破で貫けるしな。だがその威力は当然、術者の魔力量に比例するし、圧縮する技術も必要なんだ。霊獣ノクスレアはそれを本能で行う」
「え……ノクちゃん、これをどこかに放とうとしてるんですか?」
それは怖い。危ないからやめてほしい。顔をしかめるリズリアの下腹部に再び手のひらを這わせると、ルーファウスは「ん?」と首を傾げた。
「なんか……なんていうか、楽しそうにしているな、この霊獣」
「あっ、分かりますか? そうなんです! さっきからご機嫌に殿下……じゃなくて、ルゥの魔力をぎゅうぎゅうしてて……」
なぜ分かるのかと問われれば説明はしづらいが、満面の笑みで泥団子を固めていく子供と似たテンションがリズリアの腹部から伝わってくるのだ。
こんなテンションで圧縮したルーファウスの魔力を王宮に放たれてはたまったものではない。
「腹が減ったら少しずつ喰うつもりなんじゃないか? さすがに宿主の中にいながらノクスレアが放つことはできないと思うぞ」
「なぁんだ、そっかぁ。おやつにするつもりなんだ」
安堵したリズリアは気の抜けた笑みでルーファウスを見上げる。
「ルゥの魔力はあったかくて美味しいから、ノクちゃんも好きになってくれたのかもしれませんね」
「~~っ!」
リズリアの笑みと言葉が、圧縮した魔力砲と同等かそれ以上の威力でルーファウスの心臓を撃ち抜いた。「あ」だの、「な」だの、言葉にならない声を漏らし、褐色の頬が赤く染まり上がっていく。
「ルゥ?」
両手で顔を覆ったルーファウスが仰向けになり、天井を仰ぐ。力なく倒れていたはずの違うところもまた天井を向き始めていることに、リズリアは目を丸くして絶句した。
「……リズ。もう一回していいか?」
「へ……。あ、あの……まだ講義が残って……」
「今更だな。今日はもう全部サボりだ。魔力の放出が理由なら、ある程度は許されるさ」
悪戯小僧のような笑みを浮かべるルーファウスに、リズリアは明日の筋肉痛を覚悟した。




