第12話 宮廷魔術師の確認(前)
◇◇◇
ルーファウス王子の前から逃げ去ってしまったリズリアは王宮の裏庭で一人、膝を抱え、雑草をぶちぶちと引きちぎっていた。
(嫌だ、って言った……。久しぶりにハッキリ、嫌だって……)
絞り出すように震えた王子の声が、虚しく脳裏に木霊する。
胸の痛みが何なのかが分からない。
ルーファウス王子が自分を抱かないのは、多くの男に汚されてきた元娼婦だからではないと思っていた。
いや、最初こそはそうだったのだろうが、今はそうではないはずだ。
娼館に売られてから、初めてリズリアを人として扱ってくれたのは彼だ。金を得るための商品ではなく、欲を満たす道具でもなく、一人の人間として──。
(その上で『嫌だ』ってことは、キス以上のことは私とはしたくないってことだよね……)
他の姐さんたちが埋まっているからとあてがわれた客に、鶏がらのような子供は嫌だと拒まれたことも幾度となくある。そのたびに「嫌ならば仕方ない」とただ受け入れてきた。稼ぎが増えないことだけが残念だった。
だというのに──。
娼婦ではなく、一個人として拒まれることが、こんなにも傷つくことだとは思いもしなかった。
「はー……」
深くため息をつき、再び雑草を引きちぎり始める。
すると、背後から低い声が降ってきた。
「茶の準備をするんじゃなかったのか?」
「にゃあああああっ!」
全身を飛び上がらせて振り向くと、白髪に白い顎髭の中年魔術師がリズリアを見下ろしていた。
「……び、びっくりした……。オジ……マルディアス殿でしたか……。大変失礼を致しました……」
「少しはまともな言葉遣いができるようになったようだが、今さらお前に畏まられても気色悪いだけだ。気楽に話せ」
「……がんばって練習したのに」
唇を尖らせるリズリアへ、マルディアスは「いらんいらん」と言いながら手をひらひらさせた。そのまま無遠慮に隣に腰を下ろすので、なんとなくリズリアは一歩距離を空ける。
「何だぁ? 小生意気に距離取りやがって」
「……だってオジサン、やたら触るんだもん」
「オッサンに触られんのが嫌になったか? 立派に娼婦を卒業しているようだな。それとも……」
オッサンの自覚はあったらしい中年魔術師が、底意地の悪い笑みを浮かべる。
「ルーファウス殿下以外の男に触られんのが嫌になったか?」
「…………へ?」
からかうような笑みと口調のマルディアスに対し、リズリアはきょとんと首を傾げる。
「娼婦にとって身請け先の男は旦那様だろ? 俺は一応、お前を身請けした男なんだがな」
「でもそのあとルーファウス殿下に献上されてるんだから、今の私の主人はルーファウス殿下でしょう?」
「そういや、そうだな」
リズリアの言葉に気を悪くするでもなく、マルディアスは顎髭を撫でながらカラカラと楽しそうに笑った。
「……で? その主に拒まれたと思って、傷ついて逃げたのか? 傍女のくせに?」
「…………良くなかったよね。分かってる」
「分かってねぇから、わざわざ俺が来てやってんだろうが」
しゅんとして抱えた膝に顔をうずめるリズリアに、マルディアスが続ける。
「ルーファウス殿下はお前を嫌だって言ったわけじゃねぇさ」
「……でも」
「あの方は言葉は足りねぇが、良くも悪くも根が素直な人間だ。……王族には向かねぇぐらいにな」
わずかに顔を上げたリズリアは「む」と頬を膨らませ、眉間に皺を寄せながらマルディアスを睨めつける。
「不敬だよ、オジサン」
「そんな言葉も覚えたのかよ、めんどくせぇな。今に始まったことじゃねぇから気にすんな」
「オジサンも宮廷魔術師には向かないよね」
生意気だと言わんばかりにマルディアスがリズリアの脇腹を肘で小突いた。
「俺は殿下が生まれるよりずっと前から王宮に勤めてんだよ。殿下のことは赤ん坊の頃から知ってる。何考えてるかぐらい分かるさ」
「……じゃあ、教えてよ。殿下が『嫌だ』って言った理由」
「それは……あれだ。俺が言っていいことじゃあねぇなぁ……」
何しに来たんだ、このオッサン。──とでも言いたげに半眼になる小娘に、人生の大先輩である中年魔術師はフンと鼻を鳴らす。
この男はこの男で大人げない。
「俺はお前の方を確かめに来たんだよ」
「何を……」
問いかける言葉を言い切る間もなく、視界がぐるりと反転する。
背中に冷たい草地の感触が伝わるのと同時に両腕を頭上に絡め取られ、一瞬だけ見えた空の半分が、宮廷魔術師の見下ろす顔で塞がった。




