第11話 王子の拒絶(後)
(意外と偉い人だったんだよねぇ、オジサンって……)
失礼な心の声が聞こえてしまったのかは分からないが、マルディアスがちらりとリズリアに視線を向けた。何やらいやらしく唇の端を吊り上げ、白い顎髭を撫でる。
「……それにしても。下賤の娼婦の娘が、たった数カ月で見違えましたなぁ。鶏がらのような貧相な身体だったというに、肉もついたようで……。平々凡々な顔立ちではありますが、もう少し着飾れば貴族令嬢と遜色ない出で立ちにはなりましょう」
(その鶏がらを買って楽しんだの自分じゃん……)
値踏みする下卑た視線には慣れているので、リズリアは特に不快感を覚えたりはしない。しかしその視線を遮るように、ルーファウス王子がリズリアの前に立った。
「今さら惜しくなったとは言うまいな。こいつはもう俺の傍女だ。手を出すなよ」
「御冗談を。この娘の相手ができる魔術師は殿下以外におらんでしょう。……もっとも、殿下も未だに手を付けておらんと聞き及んでおりますが」
挑発的な言葉に王子の頬がカッと赤らむ。
今ならリズリアにも、この中年魔術師が王族に対し常に慇懃無礼な態度を取っていると分かるのだが、彼よりさらに下位の身であるリズリアには咎めることもできない。
「父上は俺に一任するとおっしゃったのだ。貴様には関係ない」
「関係ないとは……それこそ御冗談をおっしゃいますな。私が殿下の成長に気づかぬとでも?」
王子がギリッと歯噛みする。
確かにこの数カ月で少し背が伸びた気がするなぁとは、リズリアも思っていた。彼を見上げる首の角度が、初めの頃より少しばかりきつくなっていたのだ。
だが、マルディアスが言っているのはそういうことではないようだ。
「肉体の成長に伴い、魔力量も増加しておられるようですね」
「……器が育てば、魔力保有量も増える。そのように修行も積んでいる」
「確かに殿下の魔力保有量には、魔術師として長年研鑽を積んだ私でさえ驚嘆を禁じ得ませぬ。……それでも、延々と生成される量に耐えられるものではない。じきに、口づけだけの魔力譲渡では追いつかなくなりまするぞ」
──口づけだけでは追いつかなくなる。
その事実は、突き付けられたルーファウス王子本人よりも、リズリアの鼓動を大きく揺らした。追いつかなくなるということは、いずれ王子の肉体が自身の魔力によって破壊されてしまうということだ。
王子は既に自覚していたのだろう。特に動揺するでもなく言葉を返す。
「それを知らぬ俺ではない。それでも、この国の頂たる陛下が俺に一任すると仰せられたのだ。貴様が口を出す筋合いではない」
「小さき民草の覚悟に応えよと仰せられていたことも、お忘れではありますまいな?」
「……無論だ」
答えながら、王子はきつく拳を握りしめた。
「これが俺の我侭であることは承知している。……しかし」
次いで王子から放たれた言葉が、リズリアの胸に突き刺さる。
「それでも俺は、嫌なんだ……」
その言葉を聞いた瞬間のリズリアの表情を目にしたのは、彼女に背を向けていたルーファウス王子ではなく、マルディアスだった。刹那の動揺を見せた中年魔術師の瞳に、王子がその異変に気づく。
「あっ……」
振り向いた王子は、唇を震わせるリズリアを見て目を見開き、一瞬にして狼狽の色を見せ始めた。
「ち、違うぞ、リズリア! 今のは……」
「あっ! 私、お茶とおやつの準備に行かなくてはいけません! 殿下、剣術の師匠は厳しいお方なのですから、遅れないようにご注意くださいませ! それでは、マルディアス殿もごきげんよう!」
「ちょっ……!」
リズリアは自分でもよく噛まずにいられたなと思うほど、凄まじい早口でまくし立てた。そして制止しようとする王子の手を振り切り、踵を返して駆け出した。
咄嗟に追いかけようとする王子の腕を掴み、マルディアスがそれを制する。
「貴方はいずれ、次期王弟として王宮直轄の魔術騎士団を率いるお方。……だというのに、傍女一人のために、剣の修練を怠るおつもりですかな?」
「──っ!」
リズリアの背が遠く離れていく。
はらわたが煮えくり返るほど腹立たしいが、マルディアスの言うことの方が正しい。修練の時間が迫る中、ただの傍女であるリズリアを追うわけにはいかない。
「あれの方は私が対処致します。殿下はご自分のすべきことをなさってください」
「……分かった」
王子が悔しさを滲ませながら剣術の稽古場へ向かうと、マルディアスはその後ろ姿が見えなくなったところでくるりと踵を返した。
「はー……っ。なんだかんだで、ガキはガキか」
それは己の想い一つ満足に伝えられない王子に対してのものなのか、あるいは未だに己を下賤の身の上だと卑下して逃げた傍女に対してのものか──。
マルディアスは白髪の頭を掻きながら、自分が献上した少女が立ち去った方向へと足を向けた。
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