第七章 十二月三十日
【十二月三十日。雨。私ね、ずっと悩んでいたの。人殺しの私が刑事さんと一緒になれるようになるにはどうしたら良いのかしらって。だから、決めたの。きっとロサ先生は刑事さんに私の事を教えてくれるはずだから、伝えようと思うの】
ロサを逮捕した翌日、コランダムはロサの元へ訪れた。理由はただ一つ、リリーの居場所を聞くためだった。ロサを逮捕してすぐ、コランダムはもう一度『フラワーショップ・リリー』へと足を運び、リリーの帰りを待った。しかし、彼女が店に姿を現すことは無かった。
「おやおや、これはこれはコランダム刑事」
「ロサ・ポリアンテス……お前に聞きたいことがある」
「リリーさんの居場所でしょう?知っていますよ」
ロサはコランダムが訪れてくる理由を知っていたかのように答えた。
「彼女は『フラワーショップ・リリー』には居ませんよ。万が一、貴方以外の刑事に見つかり、捕まってしまうのは彼女の気持ちにも反してしまうでしょうし、私のアトリエで貴方を待つことに同意してもらいました」
「お前のアトリエだと……?」
コランダムは首を傾げた。【薬瓶の芸術家】を逮捕した時に班長は、ロサの住んでいた場所、勤務先であったノハルト総合病院、隣のエヤフィヤ教会などの全ての場所に特別捜査班の刑事を向かわせたのだ。
「えぇ、秘密基地みたいなものです。小さい頃に森や公園に作りませんでしたか?」
「……どこにあるんだ」
「言いませんよ。ここには刑事が多いですから」
ロサは鉄格子越しに楽しそうに目を光らせながら話した。コランダムは軽く舌打ちをした後、牢屋に配置された刑務官に席を外すように指示を出した。
「……これで満足か?」
「仕事が早いですね。念のために紙とペンをもらえますか?」
「要求が多いな……」
コランダムは胸ポケットにしまっていた濃い青色の手帳を取り出した。手帳は少しだけ赤褐色のシミがついていた。取り出した手帳を見て、コランダムは目を細めた。その手帳の隅には『B.A.』のイニシャルが書かれていた。
コランダムがロサのいる牢屋へと訪れる一時間前のことだった。
「コランダム」
班長はロサの元へ歩くコランダムを呼び止めた。振り返ったコランダムに濃い青色の手帳を差し出した。
「ロサ・ポリアンテスの証言からベリルの首から下の遺体と持ち物が見つかってな。遺体と多くの遺品は遺族の元に送ったが、手帳くらいは形見としてお前が持っていろ」
「班長……」
コランダムは手帳を受け取るとじっと見つめた。少しだけ付いた赤褐色のシミと隅に書かれた『B.A.』というイニシャルが目に入ると、コランダムの視界が僅かに揺れた。
「遺族には許可は得ているから気にするな。それに、お前はまだやることがあるみたいだしな、連れて行ってやれ」
「……分かりました」
班長の言葉に頷くコランダムは、一度目を閉じて、はぁっと息を吐くと上を向いた。コランダムは、手帳を胸ポケットにしまった。
「次は【黒百合の殺人鬼】を追うのか?」
「はい、ロサ・ポリアンテスが何か知っているようなので」
「そうか」
班長はコランダムの言葉をじっくりと受け入れた。そして、コランダムの背中をバシッと叩いた。
「いった!?」
「行ってこい」
まっすぐコランダムを見つめる班長にコランダムは大きく返事をした。
「はいっ!!」
コランダムは班長に一礼すると、ロサの元へと足を進めた。
コランダムは、濃い青色の手帳から紙を一枚破り、ペンを取り出した。
「良い手帳ですね」
コランダムはロサの言葉に眉をひそめながらも、紙とペンをロサに手渡した。受け取ったロサはサラサラとアトリエへの地図を書き出した。
「どうぞ」
ロサは書き出した地図をコランダムに手渡した。
「……ダイヤさんやベリル、アナスを殺したことを後悔しているか?」
地図を受け取ったコランダムはロサに問いかけた。ロサは不思議そうにコランダムを見つめて答えた。
「何故ですか……?」
「殺さなければ、お前が喪失と虚無に陥ることは無かっただろ?」
コランダムの言葉を聞いたロサは、ふっと吹き出すと牢屋全体に響くほどの高笑いをして見せた。コランダムは高笑いするロサを静かに見ていた。
「いやぁ……失礼しました。あまりに平和ボケな質問でしたので」
コランダムの発言がロサにとって余程面白く感じたのか、ロサの目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「後悔しているか、という質問に対する返答ですが、後悔はしていませんよ。ダイヤさんを作品にしないなんて選択肢はどこにもありません」
(本当に後悔が無いようだな……)
楽しそうに微笑んだロサを見たコランダムは悲しそうに目を伏せた。喪失と虚無を抱いたきっかけが殺人であるなら、殺人そのものへの罪悪感が芽生えたのではないか、と少し期待していたコランダムは静かにショックを受けた。
「そうか……分かった。じゃあな」
短くそう残すとコランダムはロサのいる牢を離れた。
ロサが書いた地図を頼りにコランダムはノハルト総合病院の裏に隠された小さな小屋へと向かった。
「待っていたわ、刑事さん」
「リリー……」
コランダムはリリーとの再開に息を飲んだ。リリーはいつもと変わらない笑顔を浮かべてコランダムを見た。
「刑事さん。私ね、ずっとずっと悩んでいたのよ?」
「悩んでいた?」
「えぇ。刑事さんはね、私が【黒百合の殺人鬼】だって知ったらきっと、私を止めようとすると思ったもの」
リリーの言葉にコランダムの心臓はドクンと脈打った。
「でもね、私は人を殺すことを止められないの。刑事さん、貴方の望むようなレディにはなれなかったの……」
リリーは悲しげに言葉を続けた。その表情は胸の奥に秘めた痛みが滲んでいた。コランダムはリリーの悲しそうな顔に胸が締め付けられ、今にも泣きそうなリリーの涙を拭うために思わず手を伸ばした。
「だから、悩んでいたのよ……?刑事さん、貴方とずっと一緒にいるためにはどうしたら良いのかしらって……」
コランダムがリリーに指し伸ばしていた手がピタリと止まる。指先から少しずつ感じた冷たさが全身に回るのを感じた。
「っ……!?」
コランダムは咄嗟に伸ばした手を引っ込め、半歩後ろに体を引いた。
(なんだ、この違和感は……)
コランダムはリリーを見つめた。リリーは変わらず微笑んでいた。右手にナイフを持った状態で。
(ナイフ……!!)
コランダムはナイフを察知すると、今度は一歩後ろに体を引いた。顔のすれすれをナイフの刃が通った。
「あら……避けられるのね。流石刑事さんだわ」
リリーは振り上げていたナイフをゆっくりと下ろすと静かにそう話した。
「リリー……」
「私ね、分かったの。私と刑事さんは一緒にはいられないって。だってそうでしょう?人々を守るために動く刑事さんは花屋のリリーが好きなだけで、【黒百合の殺人鬼】が好きなわけじゃないもの」
コランダムはリリーに言葉を返すことができなかった。
「だから、刑事さん。選んでちょうだい?花屋のリリーのために【黒百合の殺人鬼】を殺すか、【黒百合の殺人鬼】の被害者の一人になるか、をね」
そう言うとリリーはナイフの刃をコランダムに向けた。
「リリー、俺は……!」
リリーと争いたくないコランダムは訪れた静寂を破り、目の前の少女を説得しようと試みた。しかし、静寂を破ったことでリリーのナイフは躊躇無くコランダムの急所をめがけて飛んできた。
「っ……!」
コランダムは飛んできたリリーのナイフを避けたが、刃が顔の脇を掠めた。しかし、リリーはナイフの刃の向きを変えるとコランダムの顔を狙って、ナイフを横に振った。
(まずい……!)
コランダムはナイフを避けるために体を後ろに仰け反らせた。リリーはそれを分かっていたかのように距離を詰めてそのままコランダムを押し倒した。
「本当に……刑事さんったら優しいんだから……」
馬乗りになったリリーは寂しそうに呟いて、ナイフをコランダムの胸に突き立てた。後は突き立てたナイフを押し出すだけとなった状況で、コランダムは静かにリリーに語りかけた。
「リリー……俺は君にずっと聞きたかったことがあるんだ……」
「何かしら?」
リリーはピタリとナイフの刃を止めると、コランダムの声に耳を傾けた。
「どうして、人を殺すんだ……?」
コランダムはずっと聞きたかったのだ。リリーが告白をした十二月二十五日の夜から、ずっと。
(リリーやアナス、ロサ……殺しをすること以外はどこにでもいる、普通の人のはずなんだ……)
コランダムはそう思い、リリーを見上げる。リリーは静かに答えた。
「私ね、生まれつき色が見えないの」
「え……?」
「昔から世界がモノクロだったの。色の濃淡で区別がつくようになって、生活に支障はそんなになかったわ。まぁ、元々グルコン・フィールドなんて綺麗な街じゃなかったんだけど……。でもね、ずっと気になってたのよ。皆の言う赤、青、黄色、緑……どんな色なんだろう?どのくらい綺麗なのかって……」
コランダムは目を見開いた。リリーの目が色を映さないことを知ったのは初めてであった。そして、コランダムは気付いた。リリーからの話題で色についての話がほとんどなかったことに。
「初めて人を殺した時に初めて色が見えたのよ。本当に綺麗で……感動して泣いちゃったのを覚えているわ」
コランダムは背筋が凍りつく。
「初めて、見えた色……?」
「えぇ、とっても綺麗な赤色よ」
嬉しそうに話すリリーにコランダムは言葉を詰まらせた。
「色が初めて見えた時に初めて私は生きていることを実感したの。生命に燃える赤は私を生かしてくれるの」
「赤色は他にもあるはずだ。人を殺す必要なんて……」
リリーはコランダムの言葉によって先程まで見せていた嬉しそうな顔から、寂しそうな表情を見せた。
「人の血以外の赤はね……一つの例外を除いて全部見えないの」
「一つの例外……?」
「貴方の赤い瞳の赤よ」
コランダムは思考が固まった。
『お花を買うような人に見えないけれど、綺麗な瞳を持つ素敵な男性だってことは分かるわよ?』
あの時、愛おしそうに自分を見ていたリリーの表情が言葉と共に思い浮かんだ。
(あの時の言葉は……俺の瞳の色が見えたから言えたのか……?)
コランダムは苦しそうに顔を歪めた。リリーはコランダムの頬に触れた。
「刑事さん、そんな顔をしないで……?貴方の瞳を見ている時だけ……ほんの少しの間だけ、人殺し以外で私は生を実感できたの」
優しくて甘いリリーの言葉にコランダムは酔いそうになった。リリーの甘い言葉を振り払うように、コランダムは首を横に振り、突き立てられたナイフの刃を掴んだ。
「あら……」
刃を掴んだことで熱く赤い血がコランダムの手を伝った。このままでは体格差で力負けしてしまうはずなのに、リリーはコランダムの様子をじっと見つめていた。
「……俺は、君が好きだ」
コランダムはずっと詰まらせていた言葉を押し出すように言葉を紡いだ。
「だから、君が告白をしてくれたあの夜から……ずっと考えていた。君を止めるためにはどうすれば良いのかを……」
「……そう」
「だが、それが……君を傷付けていた。俺が正しくあろうとすると……君はいつも悲しそうにしていた」
リリーは目を見開いた。コランダムの瞳がリリーの瞳には赤く鋭く輝いて映っていた。その輝く赤い瞳は色が見えないリリーにとって見惚れるには十分だった。リリーがコランダムの瞳に見惚れている間の僅かな隙をコランダムは見逃さなかった。その一瞬の隙を突くように、ぐっと力を入れてそのままリリーを押し倒した。
「……油断しちゃったわね」
自分がコランダムの力に押し負け、押し倒されたことを認識したリリーは、そう呟くと静かにナイフから手を離した。
「刑事さん、私は人殺しを止められないわ」
「あぁ……」
コランダムはナイフを持ち変えた。自分の血によって生まれたぬるりとした感覚に手を滑らせてしまいそうになるのを抑え、ナイフの柄をしっかりと握った。リリーは何かを悟ったかのように口を開いた。
「きっと、ここで見逃せば人殺しをするわ」
「そうだな」
淡々と続いていく二人の会話は小屋の中で静かに鳴り響いた。
「ロサ先生にベリルさんを殺すように言ったのは私よ」
「知っている」
リリーは優しく微笑みながらコランダムを見上げていた。まるで恋人に話すように。
「他にもいっぱい人を殺したの」
「分かっている」
コランダムは静かに悲しい表情を浮かべてリリーを見下ろしていた。どうしようもない状況を嘆くように。
「ねぇ、刑事さん。お願いがあるの」
「なんだ?」
「私を殺してくれないかしら?」
コランダムは表情を変えることなく、リリーを見下ろしたままナイフを振り上げた。その赤い瞳から一筋の涙が零れた。リリーは嬉しそうに微笑む。全てを受け入れるように両手を広げた。
「愛しているわ、刑事さん」
「俺もだ」
嬉しそうな表情のまま、リリーは瞳を閉ざした。コランダムは勢い良くナイフを振り下ろした。
コランダムの振り下ろしたナイフは、リリーに刺さることはなかった。リリーはゆっくりと目を開けると、ナイフは自分の顔の真横に刺さっていた。
「……俺と一緒に行こう、リリー」
コランダムは静かにそう告げるとリリーの両手に手錠をかけた。
「本当に優しい人ね。刑事さん」
リリーが自分を優しいと表現する意図をコランダムはよく理解していた。ふっと自虐的に微笑んだコランダムを見たリリーは話を続けた。
「……でも、貴方に捕まるっていうのも悪くないものね」
リリーはそう続けた後、コランダムが自分にかけた手錠にキスを落とした。そんなリリーをコランダムは黙って見つめた。
「……君には聞きたいことが山積みだ」
そう言ってコランダムはリリーの手を取るとゆっくりと立たせた。
「なんでも話すわ。でも、刑事さん以外は嫌よ?浮気者って思われたくないもの」
立ち上がったリリーはコランダムの言葉に頷いた。
「分かった。できる限り、俺が君の話を聞こう」
「できる限りなのね……。刑事さんだけと話したのだけど……」
「そこまでは約束できない」
互いの言葉は、罪と手錠の間で、それでも甘く絡み合っていった。小屋を出る直前にコランダムはリリーに問いかけた。
「君は……なんで黒百合を事件現場に残していたんだ?」
「刑事さんに私を見つけてもらうためよ」
「俺に……?」
コランダムは首を傾げた。黒百合以外の手がかりの無かったリリーの殺人に、何故自分がリリーに辿り着くことができるのかコランダムは理解ができなかった。
「きっと、刑事さんは私が黒百合を残すのには何かしらのメッセージがあると分かってくれると思っていたもの」
そう話すとリリーは歩みを進めた。
「メッセージ……?」
「えぇ。ロサ先生のメッセージカードみたいなものよ」
「ロサ・ポリアンテスのメッセージカードみたいな……」
コランダムはリリーの話を聞いて、考えるように顎に手を添えた。
『刑事さん、花にはそれぞれのメッセージが秘められているのよ?』
コランダムはリリーが花言葉について話していたことを思い出した。
「黒百合は挑発じゃなかった……ということか?」
「まぁ、失礼ね」
コランダムの言葉にリリーは少し頬を膨らませて返した。




