第六章 十二月二十九日
【十二月二十九日。曇り。昨日、アナス先生のお部屋に行ったら、アナス先生ったら刑事さんをいじめていたのよ?私、許せなかったからアナス先生にお仕置きしたの。だって、私の大切な人をいじめるなんてあり得ない!そうでしょう?】
【悪魔の殉教者】の一方的な攻撃を受けて気を失ってしまったコランダムは、【悪魔の殉教者】が死んだという報告を信じきれずにいた。
「アナス・ヘリアンが……死んだ?」
困惑を隠せないコランダムは、班長の言葉を復唱した。
「あぁ。お前を発見した時にはとっくに死んでいたと聞いている」
班長はコランダムの言葉に頷く。コランダムは気を失う直前の記憶を必死に思い出した。金槌を持って襲い掛かるアナス、錆びた鉄の香り、枯れた向日葵、壁に掛けられたリリーの写真、泣きながら助けを求める子供達。子供達のことを思い出したコランダムはハッとなり、顔を上げると班長に問いかけた。
「檻にいた子供たちは……?」
「檻にいた子達は無事だった。……檻の外の子達は、遺体を綺麗にするための処理を施した後で遺族に届けることで話は済ませた」
「そうですか……」
子供達が生きていたことへの安堵と助けられなかった子供達への罪悪感が同時に込み上げてくる。下唇を噛みしめてわなわな震えるコランダムをチラリと見て班長は口を開いた。
「今まで好き勝手していた殺人鬼から子供達を守った。……胸を張れ、コランダム」
「はい……」
班長の言葉がコランダムの胸の奥の何かをじんわりと温めた。しかし、コランダムは頭の中でアナスが死んだという話がどうしても引っ掛かり、班長に問いかけた。
「アナス・ヘリアンの死因は……?」
「銃で脳天に一発。銃はコランダム、お前が所持していた銃だということが弾の形状と一発分の弾が無くなっていた銃から分かった」
コランダムは班長の言葉に耳を疑い、眉間に皺を寄せた。
「……俺はアナス・ヘリアンの襲撃を受けていて、銃を撃てるような状態ではありませんでした」
「あぁ。使われた武器はお前の物だが、殺したのはお前ではない」
班長はそう話すと、一枚のメッセージカードをコランダムに手渡した。
「っ……!」
そのメッセージカードは、ダイヤの事件とベリルの事件で使われたものと同じものであった。
【異端者】
メッセージカードにはその一言が書かれていた。
「異端者……」
コランダムはメッセージカードに書かれた言葉に【悪魔の殉教者】と呼ばれていたアナスへの侮辱と皮肉が込められているように感じた。
「ダイヤさんの事件とベリルの事件、二つの事件で使用されたのと全く同じメッセージカードが使われたことで、【薬瓶の芸術家】が【悪魔の殉教者】と揉めた末に殺したんじゃないか、と言われているが……コランダム、現場にいたお前はどう思う?」
コランダムは現場で起きた出来事をもう一度振り返った。金槌を持って襲い掛かるアナス、錆びた鉄の香り、枯れた向日葵、壁に掛けられたリリーの写真、泣きながら助けを求める子供達……。そして、聞き覚えのある女性の声。
『……アナス』
コランダムは脳内で響いた女性の声にぞわりと背筋に冷たいものを感じた。
「コランダム?」
「い、いえ、何も……」
コランダムは事実を隠すように目線を下に向けた。
(何故あの場にリリーはいたんだ……?)
コランダムの様子を見ていた班長は大きく深いため息を吐いた。
「とにかく、引き続き捜査ができそうならそうしろ」
班長はそう告げるとその場を後にした。
「……確かめよう」
コランダムはそう呟くと、荷物をまとめてそのまま病室を後にした。
「まったく、あいつは……」
病室を立ち去るコランダムを横目に班長はフンと鼻を鳴らした。
コランダムの体はアナスの攻撃を受けてから時間は経っていなかった。一歩一歩歩みを進める度に体が悲鳴をあげ、コランダムは痛みで顔を歪ませた。しかし、彼の胸の奥にある何かが彼を突き動かしていた。軋む体を引きずりながらコランダムが向かった場所は、貧民街グルコン・フィールドであった。コランダムはふぅっと息を吐くと、『フラワーショップ・リリー』の扉を押し開けて中に入った。チリリンと軽やかな呼び鈴が店内に響き渡った。コランダムは店内をぐるりと見渡すがリリーの姿は見当たらなかった。
(店の奥か……?)
そう考えたコランダムは店の奥にある部屋へ向かおうとした時だった。店の奥から一人の男が現れた。ダークブラウンの髪と緑色の瞳を持ち、眼鏡をかけた白衣姿の男、行方を眩ませていたロサ・ポリアンテスであった。
「お前は……」
コランダムは鋭い目つきでロサを睨みつけるが、ロサは気にも留めていないのか、口角を上げたまま口を開いた。
「待っていましたよ。コランダム刑事」
「……リリーは?」
「リリーさんでしたら、今外出中でして。私は店番を頼まれたのでここにいるんですよ」
「……そうですか」
ロサに割く時間はないと判断したコランダムは店を後にしようとロサに背を向けた。コランダムの様子を見たロサは、表情を崩すことなく話し始めた。
「ダイヤさんとベリル刑事を手にかけたのは私です」
「……は?」
コランダムは予想外の自白に驚き、ロサの方を振り返った。そんなコランダムをロサは気にすることなく言葉を紡いだ。
「その他にも、多くの女性を殺しました。コランダム刑事、貴方と出会った病院の事件も私が引き起こしたものです」
「……どういうつもりだ」
ロサの自白の意図が掴めず、コランダムは問いかけた。ロサは楽しそうな表情でチューベローズを撫でた。
(よく見ると、ここには同じ花しか置いていないな……)
店の中に置かれている花は全てチューベローズに置き換えられており、店中が甘い香りで飽和していた。
「リリーさんは、私達を花で例える癖がありまして。チューベローズには『危険な快楽』、『危険な楽しみ』、『危険な関係』、そして『冒険』というものがあるそうです。リリーさんは私をチューベローズの花のような人だと話していました」
淡々と話すロサとチューベローズの甘ったるい香りがコランダムを刺激した。
(気持ち悪い……)
コランダムはロサの話を黙って聞きながら、胃から込み上げてきそうな嫌悪感を飲み込んだ。
「そういえば、あの狂人も花に例えられていましたね」
「あの狂人……?」
コランダムはロサに問いかけると、ロサはチューベローズを撫でる手を止め、花を手で握りつぶした。握りつぶされたチューベローズの花びらが地面にパラパラと落ちていった。
「貴方を殴った、品性も芸術性も欠けた異端者のことですよ。リリーさんは彼に向日葵を渡したようですが……」
コランダムはアナスの祭壇付近に飾られていた枯れた向日葵を思い出した。
(あれは、リリーから贈られた花だったのか……)
コランダムはリリーが花をアナスやロサに贈っていたことを知り、胸の奥で僅かに痛むものを感じた。
「まったく……リリーさんの何に感動したのか知りませんが、あの狂人、リリーさんを神だのなんだのと言っては次から次へと子供を殺して……。リリーさんに捧げる供物だと言っていましたが、全くあの教師が話していることは理解できませんね」
「仲間……じゃないのか」
「仲間?貴方達のような仲間意識は私達にはありませんよ。あるのは、利害の一致だけです。協力関係があるとするなら取引の中でのみ、でしょうね」
ロサはアナスと仲間だと思われていたことが相当嫌だったのか、吐き捨てるようにそう話した。
「アナスが殺された現場には、【薬瓶の芸術家】が残したと思われるメッセージカードが残されていた。……ロサ・ポリアンテス、お前が殺したのか?」
「えぇ、私が殺しました」
「これまでの【薬瓶の芸術家】は女性を狙った殺人しか起こしていなかった。しかし、ダイヤさん殺害事件以降のベリルとアナスは男性だ。……どうして二人を殺した」
平然と自分が殺したことを認めるロサに、コランダムはどうしようもない怒りを覚えた。
「リリーさんと取引をしたんです。リリーさんがダイヤ・ホープという最高級の素材を手に入れることへの協力をすること。私はリリーさんへの報酬として二人を殺害した。それだけですよ」
コランダムは言葉を詰まらせた。
「そんなことの為に……二人の命を奪ったのか……?」
コランダムは震える声でロサに問いかけた。コランダムの中で何かが音を立てて崩れていきそうになっていた。
「コランダム刑事、逆に問いますが……まだ貴方は、この年で命が平等に存在すると思っているのですか?」
ロサは先程までの笑顔から一変し、冷たい目でコランダムを見つめた。
「それは……」
「命は平等ではありません。だからこそ美しいのですよ?」
コランダムはロサの言葉の重さに耐えきれずに下を向いた。そんなコランダムにロサは一歩一歩歩み寄りながら、優しく甘く話しかけた。
「やめろ……!」
コランダムはロサの甘言を振り切るようにロサのいる方とは反対の方へ顔を向けた。
「貴方は私たちを理解できるはずです。じゃないと、誰よりも正義感が強い貴方がリリーさんに会って話に来ようだなんて思わない。応援を呼んで、私とリリーさんを逮捕しようとするはず。けれど、貴方は一人でここへ来たではありませんか」
コランダムはロサの甘い言葉が自分の頭の中に少しずつ染み込んでいくのを感じた。コランダムはそれを拒むようにロサから離れ、距離を稼いだ。ロサはまたゆっくりゆっくり距離を詰めていく。
(なんだ……これは……)
殺されるような脅威が無いはずのロサにコランダムは命とは別の何かを奪われそうな感覚を覚えた。
「震えないでください。私は貴方に理解してもらいたいのですよ。私の芸術性を、生命の美しさを……」
コランダムはロサの指摘を受けて初めて自分が震えていることを知った。呼吸は荒く、手が震えていた。心臓の音が耳元でするように感じる程に高鳴っていた。
「素敵な表情ですね、コランダム刑事」
楽しそうに笑うロサはコランダムに手を伸ばした。
『あまり長くない私と約束して欲しいの。貴方は貴方の正義を貫いて』
コランダムの脳内にコランダムの母、ルビーが残した言葉が浮かんだ。
(……お母様……)
コランダムは静かに瞼を閉ざした。そして考えた。自分の中にある、コランダム・ラトラナジュという男の中にある正義について。その時間はゆったりと流れていった。
(……俺の正義は……)
コランダムは瞼を開き、真っ赤に燃えるルビーのように赤い瞳でロサを睨みつけ、ロサが伸ばした手を払いのけた。
「おや……」
ロサは意外そうにコランダムを見た。
「俺の正義を試すな。ロサ・ポリアンテス。……いや、【薬瓶の芸術家】」
真っ直ぐロサを見つめるコランダムにロサはぞくりと体を震わせた。
「貴方は……本当にやりにくい男ですね」
ロサはくいっと眼鏡をあげるとそう言ってニヤリと笑った。
「あのまま恐怖に呑み込まれていれば良かったんですけどね……」
「俺は俺の正義を貫く。もうお前の言葉は聞き入れない」
「そうですか……」
ロサはコランダムの言葉を聞き、深いため息を吐いた。そして静かにコランダムを見つめた。静かにコランダムを見つめるロサの目はどこか羨ましそうに見えた。ロサは目線を逸らし、チューベローズを見ると、考えるように目を伏せた。コランダムはそんなロサの姿を何もせずに、黙って見守った。コランダムが来た時危険で妖艶な雰囲気から穏やかで静かな雰囲気へと変わり、店内には妙に温かな沈黙が落ちた。
「コランダム刑事」
そんな穏やかな沈黙を破ったのはロサであった。コランダムは返事の代わりに、ロサを見つめ返した。
「……ゲームをしませんか?」
「ゲーム?」
「ルールは簡単です。私が質問することに正解したら貴方の勝ち、貴方が間違えたら私の勝ち。……シンプルでしょう?」
ロサはそう話すと微笑んだ。
「勝ったらどうなる」
「貴方が勝てば、私は大人しく貴方に捕まりましょう。しかし、私が勝ったら私がこの場を去る時に見逃してもらいます」
コランダムは少し考えた後にロサの提案に対して首を縦に振った。
「良いだろう。質問は?」
「今、この瞬間の私の胸にある感情は何か、です」
ロサが出した質問の内容にコランダムは眉をひそめた。そして考えるようにチューベローズを見つめた。甘い香りを放ち、美しい。しかし、どこか危険な雰囲気を纏っていた。
(本当に、この男の花みたいだ)
アナスの時とは全く違う狂気を持ち、人を人だと認識していないロサをリリーがチューベローズのような男だと例えるのに納得がいった。
(リリー、俺に花を贈るなら、君は何を贈るんだ……?)
ロサの質問の内容についての正解を考える時間であるはずなのに、コランダムはリリーのことが頭から離れなかった。
「別のことを考える余裕があるようですね、コランダム刑事?」
「答えはもう決まっているからな」
コランダムはそう話すと、ロサは眉間に皺を寄せた。
「……では、聞かせてもらえますか?」
ロサは質問内容を話した時から考えていた。自分の質問に対する正解を目の前の刑事が持ち合わせるはずがない、目の前の刑事は自分達のような殺人鬼の気持ちなんか理解すらできないはずだ、と。だからこそ、迷いのない瞳で自分を見つめているコランダムにロサは吐き気を覚えた。コランダムはふぅっと息を吐くと答えた。
「喪失と虚無だ」
「……理由は?」
「お前はダイヤさん殺害事件を終えてから、殺人を犯していない。それは、殺人を犯していないということではない。自らの欲求に忠実なものではないという話だ。ベリルやアナスはリリーとの取引上必要な殺人であって、お前がしたい殺人ではなかったはずだ。ダイヤさんを殺害した際のメッセージカードには『これまでで最高の傑作』だと書いていた。最高の傑作が生まれたことで、ダイヤさん以上のものを求めてしまったんじゃないか?」
コランダムは静かに淡々と話した。コランダムの話を聞いていたロサは少しずつ、少しずつ表情が崩れていった。その様子がコランダムはロサの質問に対する答えを持っていることを証明していた。しかし、コランダムは容赦なく言葉を紡いだ。
「だから、喪失と虚無だと答えた。ダイヤさんという最高の女性に出会ってしまったために、ダイヤさん以上の女性に出会わなければ自分の欲求を満たせないと分かってしまったからな」
「ははっ……そこまで、導き出しましたか……」
ロサは力が抜けたかのように、店内にあった来客用の椅子に腰かけた。
「……正解です。私は、ダイヤ・ホープという女性に出会い、作品にした。そのせいで他の女性を見ても創作への欲求が生まれなくなってしまいました」
コランダムは静かにロサに歩み寄る。
「……お前の芸術性が殺人以外に向いていたなら、何か違ったのかもしれないな」
そうコランダムは話しながら、ロサの手首に手錠をかけた。
「まったく……善人過ぎる考え方ですね」
コランダムの言葉に呆れるようにロサは話した。その表情はどこか穏やかで、何かに開放されたかのようだった。




