第五章 十二月二十八日
【十二月二十八日。晴れのち曇り。刑事さんに想いを伝えて三日経ったんだけど……驚かせすぎちゃったのかしら?刑事さんは全然来てくれなくなったの……。プレゼントが気に入らなかったのかしら】
事件から二十五日、リリーの告白から三日が経過した。二十五日の夜にコランダムはベリルの頭部を刑事部に持ち帰った後すぐに重要参考人として捕まり、取り調べを受けた。しかし、コランダムが『フラワーショップ・リリー』に向かうのを見た者やベリルがロサと歩いて行くのを見た者の証言によってコランダムは解放された。
「……ロサ・ポリアンテスが行方不明?」
「あぁ」
コランダムが取り調べから解放された後に、班長はコランダムを自分のデスクに呼び出してベリルが殺されてからロサが行方を眩ませたことを伝えた。
「お前が取り調べを受けている間、同日にベリルと歩いていたのが目撃されたロサ・ポリアンテスに話を聞くように刑事をノハルト総合病院に向かわせた。だが、既にロサ・ポリアンテスは姿を眩ませ、連絡も取れていないそうだ」
班長はコランダムの前に担当した刑事が書いた報告書を手渡した。
「……どうして俺が、この事件の担当を?」
コランダムの問いかけに班長は眉間に皺を寄せた。
「……担当していた刑事が遺体で見つかったんだ」
「……え?」
「遺体の傍には黒百合が添えられてあったそうだ。他の刑事達は、【黒百合の殺人鬼】や【薬瓶の芸術家】、【悪魔の殉教者】はお前の管轄だと言って捜査を避ける始末でな」
そう話すと班長は椅子から立ち上がり、コランダムの肩に手を置いた。コランダムは静かに目を閉じた。真っ暗になったコランダムだけの空間に、グレーの髪と青緑の瞳を持つ男が現れた。青緑色の瞳はコランダムをじっと見ていた。
(選択は……一つしかないようだな)
コランダムはゆっくりと目を開けると、微笑んだ。その微笑みは、とても穏やかで温かなものだった。
「……了解しました。この事件は俺が担当します」
コランダムは班長を真っ直ぐに見つめると答えた。
「……大丈夫なのか?お前はベリルを失ってすぐなんだぞ」
コランダムのルビーのように決意に燃え上がる赤い瞳を見た班長はその決意を確認するようにコランダムを見た。
「問題ありません。必ず奴らを捕まえてみせます」
「……分かった。殺人鬼関連の話は全てお前に回すように伝えておく」
「ありがとうございます」
コランダムは一礼をすると、班長のデスクから立ち去った。
コランダムは刑事部を後にすると、ヘイヴン市警の建物から出た。建物の前には貧しい見た目の少年が新聞を販売していた。
「新聞、銅貨一枚でいかがですか?」
少年はコランダムにそう声をかける。
「一部頂こう」
コランダムは、少年に銀貨を五枚手渡した。
「お、お客さん、多すぎるよ……!」
「情報は相応の価値がある。その分は払わせてくれ」
慌てて銀貨を返そうとする少年の頭をコランダムは優しく撫でた。少年はしばらく考えるように手の中にある銀貨を見つめた後に、コランダムを見上げた。
「あ、ありがとうございます……!」
「気にするな」
コランダムが少年の頭をもう一度軽く撫でるとその場を去った。
「ありがとう~!!」
少年はその場を去るコランダムの後ろ姿に大声で感謝を伝えた。コランダムは背後で響く少年の声を聞きながら、リリーと初めて出会った日のことを思い出した。
「そこの刑事さん、お花はいかが?」
初めて出会った時、リリーは事件終わりのコランダムにそう声をかけた。その時のリリーは店を初めて間もなかったのか、服も髪もボロボロであった。しかし、自分に向けたその笑顔はその時から優しく美しかった。
「……花を買うような男に見えるかい?」
コランダムが自虐的に笑うと、リリーは不思議そうにコランダムを見つめた後にぷっと吹き出し、クスクスと小さな肩を震わせて笑った。
「確かに、お花を買う人には見えないかもしれないわね」
コランダムは自分よりも若い見た目の女性に笑われ、少しむっとした表情を見せた。リリーはそんなコランダムを楽しそうに見つめ、続けて話した。
「お花を買うような人に見えないけれど、綺麗な瞳を持つ素敵な男性だってことは分かるわよ?」
「なっ……!」
コランダムは咄嗟にリリーから視線を逸らした。
「ふふっ、見た目よりも可愛い反応を見せるのね」
「……からかわないでくれ」
「あら、ごめんなさい」
楽しそうに話すリリーの言葉はとても心地よくコランダムの耳をくすぐった。
「君の名前は?」
名前を聞かれたリリーは少し悲しそうな顔をして目を伏せた。その様子を不思議に思ったコランダムは首を傾げた。
「……ごめんなさい。私は孤児だから名前が無いの」
「っ!!すまない、無神経なことをした」
コランダムはリリーの言葉を理解した瞬間に頭を深々と下げた。
「え、あ、大丈夫よ?ちゃんとした名前は無いけれど、私が勝手につけた名前で良いかしら……?」
頭を深々と下げるコランダムの頭の上からリリーは不安そうに問いかけた。
「名前に正しいも間違いもない。君の名前を教えてもらえるかい?」
コランダムはゆっくりと頭を上げると、不安そうなリリーにそう話した。リリーはコランダムの言葉に目を驚いたように見開くと、嬉しそうに微笑んで口を開いた。
「私の名前は、リリー。リリー・フリティラリアっていうの」
「綺麗な名前だな、リリー。俺はコランダムだ。コランダム・ラトラナジュだ」
コランダムがリリーとの出会いを思い出しながら向かった先は、ローレイル校だった。コランダムは大きく深呼吸をし、気を引き締めた後に校門近くで警備をしている警備員に声をかけた。
「ヘイヴン市警の者だ。初等部のアナス・ヘリアン先生とお話したいのですが……」
「アナス先生ですか?確認してみますね」
警備員の男がそう言うと、内線を繋いで連絡を取った。
(アナス・ヘリアンは、リリーとは昔から知り合いだと言っていた。何か知っているはずだ……)
「お待たせしました」
コランダムの前にライトブラウンの髪と琥珀色の瞳を持つ男、アナスが現れた。コランダムはアナスに軽く会釈による挨拶をした後に口を開いた。
「突然すみません。リリーさんについてのお話をお聞かせ願えますか?」
「リリーさんについて、ですか?構いませんよ」
アナスはどこか嬉しそうに頷くとコランダムを校内へ案内した。コランダムは校内を見渡しながら歩いた。そんなコランダムの様子を見たアナスは口角を上げたまま、コランダムに尋ねた。
「懐かしいですか?」
「え?」
突然のアナスの問いに驚いたような表情を見せるコランダムを気にすることなくアナスは言葉を続けた。
「ローレイル校はヘイヴン内の名家のご子息、ご令嬢が入学してきます。コランダム刑事、貴方も我が校の卒業生ですよね?」
「……ご存知でしたか」
「まぁ……リリーさんのお店で出会った後から貴方について僕なりに調べたんですよ。なんでも、ラトラナジュ家は優秀な刑事の家系だとか」
コランダムは、アナスの口から出た『ラトラナジュ家』の名前が出た途端に頬がピクリと反応した。
「……俺は、落ちこぼれですよ」
「そうなんですか?リリーさんの話を聞く限りだとそんな風に思えませんが……」
アナスはそう話しながら、部屋のドアを開けた。木製の椅子とテーブルがあるだけの簡易的な部屋であった。
「本来は生徒の相談を聞くための部屋なんですが、コランダム刑事と話すためにご用意しました」
「……ご用意?」
コランダムはアナスの言葉に眉をひそめた。コランダムはローレイル校に来ることをアナスに事前に連絡していなかったのだ。
「えぇ、リリーさんのことを知りたくなって訪れると思っていましたから」
コランダムはごくりと生唾を飲んだ。アナスはそのまま部屋の中へ入って椅子に座った。
「さぁ、リリーさんについてお話しましょうか」
コランダムは誘い込まれるように部屋の中へと歩みを進めた。静かに閉まった扉の音は、これから起こる嵐の予兆のようであった。
ラトラナジュ家。それは代々優秀な刑事を輩出してきた家系であり、ラトラナジュの名前を持つ者は体術、学術、交友関係に優れた者が多く、強い正義感を持って人々を守り続けていた。次第に人々からは【ヘイヴンの秩序】と呼ばれ、慕われていた。そんな家系の四番目の息子として生まれたコランダムは、人々を守るために悪と奮闘する刑事になりたいと考えていた。そんなコランダムが高等部に進級してしばらくであった。
「お前は何をやっても駄目だな!!コランダム!!」
コランダムの父親の怒鳴り声が執務室中に響き渡る。
「……申し訳ありません」
コランダムは深々と頭を下げる。
「今回の学術試験、十位以下とは何事だ!体術も低かったと聞いている。それに交友関係も……!少しは自分の兄弟を見習ったらどうだ!!」
ローレイル校高等部の期末試験は、学術の他に体術や馬術といったものも含まれており、コランダムの実力はローレイル校では平均以上、ラトラナジュ家では最下位であった。
「もういい!お前には期待などしない!出ていけ!!」
コランダムの父親は吐き捨てるようにそう言うと、コランダムは一礼をして父親の執務室から出た。
「……クソジジイ」
コランダムは執務室のドアを閉めた後にボソリと呟いた。一刻も早く執務室から離れたかったコランダムは足早に廊下を歩いた。廊下の壁には上の兄弟達の賞状やトロフィーが飾られていた。
(息苦しい……)
賞状やトロフィーを横目に通り過ぎる時、コランダムは鬱陶しそうに目を細めた。歩いて向かった先は、コランダムの母がいる寝室であった。コンコンコンと三回ノックをすると扉の奥から優しくもか弱い女性の声が聞こえた。
「……はい」
「お母様、コランダムです」
「いらっしゃい」
優しくコランダムを歓迎する声を受けて、コランダムは静かに扉を開いた。そこには銀髪とコランダムと同じ赤い瞳を持つ女性がベッドで眠っていた。
「失礼します。お母様」
コランダムがそう言うと、母であるルビー・ラトラナジュのベッドの近くに椅子を置き、座った。
「……いつの間にか、こんなに大きくなっていたのね……」
嬉しそうに笑うルビーの手を優しく握った。ルビーはコランダムを出産した後、しばらくして病で倒れてしまい、ベッドで寝たきりになってしまった。
「可愛い私のコランダム。貴方は誰よりもラトラナジュ家の名に相応しい子よ」
ルビーの言葉にコランダムは悲しそうに微笑んで話した。
「……お母様、俺は落ちこぼれですよ。貴方の思うような息子ではありません」
コランダムの言葉にルビーは首をゆっくりと横に振った。
「そんなことないわ。貴方のその赤い瞳はいつも正義に燃えているもの。コランダム、まだ貴方は磨かれていないだけ」
ルビーはコランダムの手を取ると自分の小指とコランダムの小指を絡めた。
「あまり長くない私と約束して欲しいの。貴方は貴方の正義を貫いて」
「お母様……」
自分よりも弱い存在であるはずのルビーの赤い瞳は誰よりも強いものであるようにコランダムは感じた。コランダムはルビーの言葉は理解できなかった。だが、ここで約束をたがえてしまうと自分はこのまま変われないように感じた。
「……分かりました」
コランダムがルビーの言葉に頷くと、ルビーは嬉しそうに微笑んだ。この会話がルビーとコランダムの最期の会話となってしまった。ルビーの言葉はコランダムにとって鎖となっており、彼女の言葉の意味を未だに理解できないままであった。
ローレイル校の生徒相談室では、アナスとコランダムは向かい合って座っていた。
「リリーの事をどこまで知っているんだ?」
「全て……とでも言っておきましょうか」
「じゃあ、リリーが【黒百合の殺人鬼】であることも……?」
アナスはコランダムの問いに静かに頷いた。コランダムの手は怒りに震える。
「リリー……彼女はいつから殺人を……?」
「それは知りません。僕が知り合った時には既に彼女は一輪の美しい黒百合でしたから」
アナスはまるで初恋の女性のことを語るかのように恍惚な笑みを浮かべて話した。アナスの異常性に吐き気を覚えながら、コランダムは問いかける。
「何故……止めようと思わなかったのですか?」
「止める……?」
アナスはピタッと動きを止めると、コランダムをこれまでにない程に鋭く睨みつけた。そして、バンッと机を乱暴に叩いた。琥珀色の瞳は爛々と光っており、彼が興奮していることを示していた。
「何故止める必要があるのですか?彼女の殺人はとても美しいのですよ!?まさに神の御業……!それを止めるなんて!!」
あり得ないとでも言うようにアナスは饒舌に話した。アナスの豹変具合に圧倒されたコランダムは、彼の言葉を黙って聞く以外の選択肢はなかった。
「あぁ……貴方は彼女の……リリーさんがどんな人であるのか知らないんでしたね」
アナスは納得したように呟くと、立ち上がって部屋の隅へ歩いた。そこには少し色の違う板があり、アナスはその板を押す。ギギギという音と共に壁が横にスライドすると、地下へ進むための階段が出現した。
「コランダム刑事、僕と同じリリーさんに魅了された者である貴方に見せて差し上げますよ」
アナスはそう言うと、階段を下りていった。コランダムはアナスの後を追うように階段を下りた。階段を下りていくと、錆びた鉄のような臭いがコランダムの鼻をくすぐった。
「これは……っ!!」
階段を下りた先には、行方不明となっていた子供達が体を縛られ、猿轡をされて檻の中に捕らえられていた。子供達の瞳は恐怖に塗り潰されており、助けを請うようにコランダムを見上げていた。
(子供達の人数が合わないな……)
コランダムは檻から目を逸らして辺りを見渡すと、壁に飾られたリリーの傍に血まみれになった子供が山積みにされていた。山積みにされた子供の他には花瓶がリリーの写真を中心に左右均一に置かれており、枯れた向日葵の花が飾られている。
「素敵な祭壇でしょう?」
そう言ってアナスは祭壇の前に立ち、コランダムに微笑みかけた。
「お前が【悪魔の殉教者】だったのか。アナス・ヘリアン……」
「そんな風に呼ばれていましたね。リリーさんを崇拝する身としては当然のことをしているだけなのですが……」
やれやれとでも言うような態度を見せるアナスは、祭壇に置かれた金槌を手に取った。すると檻の鍵を開けて、一人の少年を掴む。
「こんな風に……!」
「やめろ!!」
最悪な未来が見えたコランダムは少年を守るために駆け出した。アナスは喜々とした表情で容赦なく子供の頭部めがけて金槌を振り下ろす。ゴンッという鈍い音が薄暗い部屋に響く。
「ぐ、ぅ……!」
アナスの金槌から少年を守ったコランダムは背中に激痛を覚えた。苦痛の表情を浮かべ、嗚咽を漏らした。
「邪魔しないでもらえますか!?」
コランダムに信仰の邪魔をされたと感じたのか、アナスは怒りのままに金槌をコランダムめがけて何度も振り下ろした。ガンッゴンッと何度も何度も殴られる音が響く。
「が、ぁっ……!」
しかし、コランダムは何度殴られても、少年を抱きしめて離さなかった。その様子がアナスの怒りをヒートアップさせた。
「いい加減に、しろよ!!」
ガンッという音と共に、コランダムは背中ではなく頭を金槌で殴られた。短い嗚咽の後にコランダムの視界が揺れ、気がつくと倒れていた。
(まずい……このままでは……)
手を伸ばそうとするもコランダムの体は一ミリも動かなかった。コランダムの意識が少しずつ薄れていく。
(また俺は……守れないのか……)
薄れていく意識の中で、少年に近づいていくアナスの姿を見ながらコランダムは見ていることしかできなかった。
「……アナス」
薄れゆく意識の中、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
(リリー……?)
コランダムの意識は、そこで途切れてしまった。
コランダムはノハルト総合病院にて意識を取り戻した。
「……ここ、は……?」
「……起きたか、コランダム。しかし、【悪魔の殉教者】と遭遇するとはな……。運が良いのか、悪いのか分からんな」
コランダムが横になっているベッドの傍には班長が居た。コランダムは班長を見た後にガバッと起き上がった。
「ヤツは……【悪魔の殉教者】はどうなりましたか!?」
「……死んだよ」
コランダムは班長の言葉を聞き、その場で固まってしまった。




