第三章 十二月二十一日
【十二月二十一日。晴れのち曇り。アナス先生がお店に来たわ。花壇のお花が育たないから困っているんですって。子供を教育するのは得意なのに……。少し変な感じね。そういえば、最近行方不明になる子供が増えたみたい……】
事件から十八日が経った。しかし、コランダムは【黒百合の殺人鬼】についての情報は未だ掴めていなかった。日を重ねるごとにコランダムの中では【黒百合の殺人鬼】を見つけられないことでリリーに何かあるのではないかという焦りと手がかりを一つも見つけられない自分への苛立ちが募っていた。
「今回も【悪魔の殉教者】か……」
コランダムはオフィスであまり美味しくないコーヒーを一口啜りながら、報告書に目を通して呟いた。【薬瓶の芸術家】による殺人事件だけでなく【悪魔の殉教者】による殺人事件も最近は頻発していた。まるで【黒百合の殺人鬼】が事件を起こしたことを喜び、称賛でもするようだった。
「ふざけやがって……」
自分を嘲笑うように、殺人鬼は殺人という行為を楽しみ、被害者を増やしていく。
『無力なお前たちじゃ、自分達を捕まえられない』
そんなメッセージを送っているかのように【黒百合の殺人鬼】による殺人事件以降の殺人は増えていた。
【悪魔の殉教者】
それは、【黒百合の殺人鬼】、【薬瓶の芸術家】と同様にヘイヴンに潜む殺人鬼の一人だった。主に子供を中心とした殺人が多く、殺害方法は残虐だ。被害者を何度も鈍器のようなもので殴って殺害した後に、神に供物や生贄を捧げるように被害者の遺体に花を握らせた状態で発見させるのだ。それが【悪魔の殉教者】と呼ばれている由縁であり、他の二人の殺人鬼との相違点であった。
「コランダム先輩……また、子供の行方不明事件です」
ベリルは悔しそうな表情を浮かべながら報告書をコランダムに手渡した。
「まずいな……これで五人目。間違いなくヤツの仕業だな」
「となると、行方不明の子供たちは……」
コランダムとベリルはそう話すと、悔しそうな表情を浮かべたまま俯いて沈黙した。【悪魔の殉教者】の被害者は基本的には一人ではないのだ。神に捧げる供物が食品だけで済まないように【悪魔の殉教者】が生贄とする子供も一人に収まらない。
『ヘイヴンで行方不明になった子供の命は諦めろ』
【悪魔の殉教者】が現れて以降、ヘイヴンの人々の間では、そう言われるようになった。
「……外に出るか」
沈黙を破るようにコランダムはベリルにそう声をかけた。ここのところ二人は、【黒百合の殺人鬼】と【薬瓶の芸術家】の事件に追われ、精神的にも肉体的にも休めていない状態だった。ベリルはコランダムの言葉に頷くとグレーの上着を手にした。コランダムもベリルが頷いたのを確認すると、ベージュ色の自分の上着を羽織り、オフィスを後にした。
コランダムとベリルがヘイヴン市警の建物から出てきた瞬間の出来事だった。
ベチャッ
コランダムの顔に真っ赤なトマトが投げつけられた。
「コランダム先輩!」
心配してベリルがコランダムの元へと駆け寄る。コランダムは、ベリルに大丈夫だという風に手を挙げて見せると、投げられたトマトを払い落としてトマトが投げられた方向に目を向けた。そこには、少し太った女性が涙で顔を歪め、鬼の形相でコランダムを見て叫んだ。
「返せ……!私の子供を返せ!」
怒りに満ちた女性の瞳の奥に深い悲しみがあるのをコランダムは感じると何も言わずに静かに頭を下げた。
「っ……!役立たず!無能!」
コランダムの行動が予想外だったのか、女性は少し狼狽えた様子を見せるが、すぐにコランダムに罵声を浴びせた。コランダムは何も言わず、頭の上から浴びせられる女性の罵声を受け止め続けた。女性は何度も何度もコランダムに対して罵声を浴びせ続けるが、次第に声は震えて力を失っていった。
「私の子……返してよ……」
その言葉を絞り出すと、女性はその場で膝から崩れ落ち、泣き始めた。
「先輩……」
「……行くぞ。俺の役目は終えた」
コランダムはゆっくりと頭を上げると、女性に再度頭を深々と下げて、その場を立ち去った。ベリルは呆然とその光景を見た後に慌ててコランダムの後を追った。
「良いんですか?女性をあのままにして」
ベリルは追いついたコランダムに問いかけると、コランダムは歩みを止めることなく答えた。
「あの女性が欲しいのは寄り添いじゃない。償いだ。殺人鬼たちを捕まえられない俺たちのな」
「ですが、俺たちは必死に……」
「ベリル。悔しいのであれば、一刻も早い捜査の進展だ。それ以外に彼女を含めた被害者遺族たちの気持ちが晴れることはないし、俺たちの償いが終わることはない」
コランダムは、ベリルの腑に落ちないような顔を見て、ふっと微笑むとベリルの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「うわっ!?」
(まだ若いな……)
驚いた表情で自分を見るベリルを撫でる手を離すとコランダムは歩みを進めた。
「ちょっと待ってくださいよ!コランダム先輩!」
ベリルは、先へ先へと進んでいくコランダムに置いて行かれないように追いかけた。
コランダムの向かった場所は『フラワーショップ・リリー』だった。
「結局ここなんですね!?分かってましたけど!」
「俺にとって気分転換に来るのがここなんだよ」
「せっかくなら、近くにできたコーヒーハウスとかにしましょうよ~……」
「勤務中だぞ」
ベリルの嘆きを聞き流しながら、いつものように店の扉を開く。チリリンと軽やかな呼び鈴の音が店内に鳴り響くと、バケツを持ったリリーが出迎えた。
「あら、刑事さん。あとベリルさん……だったかしら」
「はい、ベリル・アクアです」
リリーはごめんなさいね、と話しながらベリルに微笑みかけた。
「……あら、刑事さん。服が汚れているわね……」
リリーは手に持っていたバケツを置くと、コランダムに歩み寄った。
「実は来る途中で被害者遺族の方にトマトを……」
「ベリル」
リリーに事情を説明するベリルをコランダムは静止すると、リリーはポケットから白いハンカチを取り出して、水で軽く濡らして汚れているところに当てた。
「酷いことをするわね……悪いのは刑事さんじゃないのに……」
そう話しながらリリーは、シミにならないようにハンカチを当て続けた。
「そのハンカチ……素敵ですね」
「ふふっ、刑事さんが誕生日にくれたのよ」
ベリルがハンカチに反応したのが嬉しかったのか、リリーはハンカチを開いて見せた。先程汚れを拭っていたために、少し汚れがついているがハンカチは白く、『L.F.』という文字と白百合の刺繍が施されていた。
「へぇ~コランダム先輩も隅に置けない男ですね」
「ベリル」
まじまじとハンカチを見て話すベリルの言葉にコランダムは咳払いをしながら睨んだ。
「こわっ」
ベリルは次軽口を叩けば殴られるのを察し、コランダムから少し距離を取った。すると、チリリンと軽やかな呼び鈴の音が店内に鳴り響いた。
「いらっしゃいませ」
リリーはハンカチを丁寧にしまうと、来店した客を出迎えに向かった。リリーの目の前にはライトブラウンの髪と琥珀色の瞳を持つ青年が立っていた。
「あら、アナス先生じゃない」
「こんにちは、リリーさん」
アナスと呼ばれた男は、リリーに優しく微笑みかけると、店内をゆっくりと見回してコランダム達に目が止まる。
「・・・おや、お客さんが居たのか」
「えぇ、店の常連で刑事のコランダムさんとその後輩のベリルさんよ」
「刑事さんだったのか!これは、お邪魔してしまったな……。僕はアナス・ヘリアン。ローレイル校で初等部の教師をしていて、リリーさんとは古い友人なんだ」
アナスは自己紹介を簡単に済ませると、人懐っこい笑みを浮かべて右手を差し出した。
「あ、あぁ……よろしく頼む」
コランダムはアナスの勢いに圧倒され、差し出された手を握るとアナスはブンブンと上下に手を振った。
「よろしくお願いいたしますね、コランダム刑事!」
明るく笑うアナスに痛いほど腕を振られ、コランダムは痛みと困惑で顔を歪ませた。
「アナス先生」
リリーは薄く微笑むと、アナスの腕にそっと手を置いた。
「刑事さんが痛がっているわ。やめて差し上げて?」
「えっ!?すいません!」
リリーの言葉にアナスは驚くような表情を見せた後に悲しそうな顔になり、ペコペコと頭を下げた。
「もう……。それで、アナス先生?今日はどうしたの?」
「実は校舎の傍にある花壇の調子が悪くて……花が中々育たないんだ。花に詳しいリリーさんなら何か知っているかなと思って」
「そうね~……。花壇で育てている花の名前を聞いていいかしら」
花の名前を覚えていなかったのか、アナスは困った顔をした後に店内を見渡してベリルの隣置いてあった鉢植えの花を指さした。
「あぁ、ビオラね」
「そう!それだ!名前をすっかり忘れてしまったから焦ったよ。子供たちの名前を忘れることは無いんだけどね……」
恥ずかしそうに照れたように笑うアナスは、そう話しながら頬をかいた。
「それにしても、ビオラのような丈夫な花の元気が無いなんて珍しいわね」
「毎日水や肥料はあげてるんだけど・・・」
アナスの言葉に聞いて、思いついたように顔を上げた。
「多分それね。ビオラの肥料や水をあげすぎちゃうと、どんな花も弱ってしまうのよ?子供たちだって構い過ぎると嫌がられる。それと同じよ」
「なるほど……。ありがとう、リリーさん。今度からは肥料や水の量を減らしてみるよ」
「えぇ。もし、それでも元気にならなかったら相談に来てちょうだい?」
アナスはリリーの言葉に頷くと、お礼を述べて店を後にした。アナスはふと振り返り、『フラワーショップ・リリー』の看板を見上げる。
「綺麗に咲いたら一番に貴方に見せよう。楽しみに待っていて下さいね……?リリーさん?」
そう呟くアナスの琥珀色の瞳は、妖しく輝いた。その輝きを際立たせるかのように、晴れていたグルコン・フィールド街の空は灰色の雲に包まれ始めた。
「おっと、降る前に教室へ戻らないと」
雨雲に気が付いたアナスは足早に店を後にした。
アナスが店を退店した後、リリーはくるりとコランダム達に体を向けた。
「せっかく来てもらったのに、ごめんなさいね。ベリルさん、刑事さん」
「構わないさ。花についても詳しいんだな」
「えぇ、少しだけね。刑事さん、花にはそれぞれのメッセージが秘められているのよ?」
リリーは話しながら慣れた手つきで紅茶を淹れた。
「メッセージ?」
「えぇ。例えば、ビオラなら『忠実』や『誠実』、『信頼』、『物思い』、『少女の恋』、そして『私のことを想ってください』っていうメッセージがあって、花言葉っていうのよ」
紅茶を淹れ終えたリリーは、コランダムとベリルに話しながら紅茶を手渡した。
「じゃあ、ハンカチの白百合はどんな花言葉があるんですか?」
ベリルはへぇと相槌を打ち、紅茶を一口飲んだ後にリリーに問いかけた。
「白百合は『清浄』、『ピュア』、『尊厳』、『純潔』、『堂々たる美』……だったかしら」
「まるで、リリーさんみたいな花ですね!」
「ベリルさんったら、お世辞が上手ね」
楽しそうに話すリリーとベリルを微笑ましそうに眺めながらコランダムは紅茶を一口、口に含んだ。その瞬間にコランダムの頭の中にある考えが過った。
(黒百合の花言葉は……?)
近くに居たリリーにティーカップをソーサーの上に静かに置き、コランダムの頭の中に過った考えを、黒百合の花言葉を聞こうとした言葉をそのまま紅茶と一緒に飲み込んだ。
(ヤツのことで怯えるリリーに聞くのは止めておこう……)
コランダムは事件後の聞き込みの時にリリーが見せた震えた両手を思い出し、考えを改めた。
「そうだ、刑事さん。十二月二十五日、予定はあるかしら?」
「いや、無いが……」
コランダムはいきなり自分に振られた話に少しだけ反応が遅れつつも、そう答えた。
「なら、良かったわ。実は刑事さんにとっておきのプレゼントを用意しているの。お店に来てもらえる?」
「え?あ、あぁ、分かった……」
今まで自分が来るのが当たり前となっていたコランダムは、リリーに『店に来て欲しい』と誘われるのは、出会って初めての出来事であった。後でからかおうと企んでいるベリルの視線が気にならない程に、コランダムの心音はうるさく高鳴っていた。
「あら、いけない!雨が降っているわ!お二人とも、傘は持っているかしら?」
雨音が聞こえ外を確認したリリーは二人にそう尋ねた。
「だ、大丈夫だ。行くぞ、ベリル」
「え!?先輩!?」
コランダムはあまり回らなくなった思考回路の中、雨の中を走りだした。後ろから自分を呼びながら追いかけてくるベリルの声を無視しながら。
「あらあら、行っちゃったわ……」
リリーは雨の中濡れながら走り去る二人の背中を見送りながら呟いた。そして、店に誘った時のコランダムの反応を思い出して口角を上げた。
「プレゼント、気に入ってくれるかしら……?」
リリーは当日のコランダムに思いをはせながら、静かに店の扉を閉めた。




