第二章 十二月十三日
【十二月十三日。曇り。ロサ先生がお店に来たわ。最近は病院でも人が亡くなることが多いみたい。患者さんの気持ちを和らげるためのお花が欲しいんですって。でも、刑事さんは彼が苦手みたい】
リリーの近くで殺人事件が起きてから十日が経った。事件の進捗はゼロに等しく、手がかりもリリーの証言と黒百合のみであった。
「……くそが」
コランダムは、何度目を通したか分からない過去の捜査資料をデスクに粗雑に放り投げると悪態をついた。
(次に狙われるのは現場近くに居た、リリーかもしれない……)
そう考えると、コランダムの頭の中に事件の現場が鮮明に映し出された。血まみれになって横たわるリリーの姿、その傍に嘲笑うかのように咲いた一輪の黒百合。
(一刻も早く、ヤツを見つけ出さなければ……っ!)
焦りと怒り、憎しみに拘束されながらもコランダムはまたリリーの店へと足を運んだ。いつもと同じように、『フラワーショップ・リリー』の前で身なりを軽く整え、店の扉を開く。チリリンと軽やかな呼び鈴の音が店内に鳴り響くが、リリーはコランダムの前に現れない。しかし、留守にしているような痕跡も見られなかった。普段の彼女であれば、あり得ない状況だった。コランダムの頭の中に嫌な想像が流れていく。
「っ……!リリー!いないのか!?」
不安と焦りから店内で声を荒げる。しかし、返事はない。コランダムは、もう一度リリーの名前を呼ぼうとした。
「……刑事さん?」
店の奥からリリーの声が聞こえた。彼女の無事を確認できたコランダムは胸を撫で下ろすと、安堵のため息を吐いた。
「リリー、居たなら返事をしてくれ。心臓に悪い……」
コランダムはそう話すと、来店者用の椅子に座り込んだ。
「ごめんなさい。実は、ロサ先生の依頼で花束を作っていたの。患者さんの不安を癒してあげたいんですって」
「ロサ先生……?」
コランダムは顔を上げ、リリーの方をもう一度見ると、リリーの隣にはダークブラウンの髪と緑色の瞳を持ち、眼鏡をかけた白衣姿の男が立っていた。
「こんにちは。病院の事件以来でしょうか、コランダム刑事」
そう言って軽く一礼をする男はロサ・ポリアンテス。ノハルト総合病院に勤める医師で、コランダムが苦手な人物であった。
「……奇遇ですね。ロサ先生」
コランダムは少し眉間にしわを寄せて、話した。
「あら、刑事さんとお知り合いなの?ロサ先生」
意外そうにロサに話を振るリリーの言葉にロサは頷くと口を開いた。
「病院で殺人事件が発生して、その時に特別捜査班であるコランダム刑事が捜査してくれていたんですよ」
「そうだったのね……。それなら、話して下さったら良かったのに」
「ロサ先生、あの事件の話を無関係のリリーに話すのは止めてもらえますか?」
コランダムは二人の会話を遮り、これ以上事件の話をしないようにするためにロサを睨みつけた。
「おっと……。これは失礼しました」
ロサはコランダムの睨みに動じることなく、降参とでも言うように両手を挙げるジェスチャーを見せた。コランダムは鼻を鳴らすと、リリーの方を向いた。
「事件の日から何か変わりはないか?」
「えぇ、刑事さんが警戒を続けてくれているおかげかしら。最近はチンピラに絡まれることも減ったのよ?」
リリーはクスクスと楽しそうに笑いながら話すと、何かを思い出したように店の奥へと姿を消した。
「リリー?」
「刑事さんが慌てて私を呼んでいたから、すっかり忘れていたわ!」
そう言いながらリリーは白い花の花束を持ってコランダムとロサの前に戻ってきた。
「ロサ先生、頼まれていた花束よ」
「とても美しい花ですね。花の名前を伺っても?」
「チューベローズよ。甘くて素敵な香りがするから患者さんの心も癒せると思うわ」
チューベローズの花束からはリリーの言う通り、甘い香りがした。しかし、コランダムはその甘さの中に何か危険なものが潜むような感覚を覚えた。
(まるで、この男のような花だな……)
コランダムはそう思うと、ロサと初めて出会った、病院の事件を思い出した。
【薬瓶の芸術家】
それは、【黒百合の殺人鬼】と同様にヘイヴンに潜む殺人鬼の一人。被害者が女性ばかりであることや殺害方法が薬物中心であることから、【黒百合の殺人鬼】とは別の人物だろうと推測されていた。
コランダムは、【薬瓶の芸術家】が現れたという知らせを受け、ノハルト総合病院へと足を運んだ。
「薬品臭いな……」
現場に到着すると、コランダムは険しい表情を浮かべて呟いた。現場となった病室には薬品の香りが広がっている。
「うっ……!」
一緒に現場に来ていたベリルが被害者の遺体を見て、口元を押さえた。コランダムはベリルの様子を伺うように視線を送り、彼が外へ出たのを確認すると被害者を確認した。
「悪趣味な……」
そこには、まるで美術館に展示される像のように飾りつけられた女性の遺体が天井から吊るされていた。被害者の両腕は切断されており、切断面は驚く程に滑らかで、出血の際に出た血液は綺麗に拭い取られていた。肌は血を全て抜かれ青白く、瞳は意図的に開かれており、もう光の入らない瞳がコランダムを見下ろしていた。遺体を芸術作品のように飾りつけ、自分の殺人には芸術性があるとでも言うように被害者を晒しだす。それが【薬瓶の芸術家】と呼ばれている由縁だった。
「……被害者を下ろしてやってくれ」
近くに居た捜査員にコランダムは声をかけると、外へ出たベリルの元へと向かった。
「大丈夫か?」
「はい……すいません……」
蹲るベリルの背中を優しくさすると、ベリルは少し青白い顔をしながらも立ち上がった。
「……無理するなよ」
遺体を作品の道具のように扱われたような光景に犯人への嫌悪感と救えなかった被害者に対する罪悪感で吐き気がする刑事は少なくはない。実際、コランダムはベリル以外にも気分が悪くなって外へ駆け込む刑事を何人か見ていた。ベリルを気遣うコランダムの言葉に対して、ベリルは首を横に振って答えた。
「大丈夫です。見習いなりにも刑事なので……」
そう話すベリルの瞳には眩しいほどの決意の光が差し込んでいた。
(心配するだけ無駄だったか……)
コランダムはベリルの瞳を見て、ふっと笑うと背中を強く叩いた。
「いった!?」
「なら背筋を伸ばせ。聞き込みに行くぞ」
「!……はいっ!」
背中で感じるベリルの元気すぎる声にコランダムは心地よさを覚えた。
聞き込みを開始して、早三人目。未だに手がかりは見つからなかった。
「流石は都市で騒がれる殺人鬼の一人ですね……徹底している……」
ベリルは聞き込みのメモをペラペラ見返しながら呟いた。
「次は、被害者が事件当時に交際していた医者ですね。事前に用意された関係者リストに名前がありました。確か名前は……」
「ロサ・ポリアンテスです。刑事さん」
長丁場の聞き込みで項垂れているコランダムとベリルの前にダークブラウンの髪と緑色の瞳を持ち、眼鏡をかけた白衣姿の男、ロサ・ポリアンテスが立っていた。
「すいません。見苦しいところを……」
「あの【薬瓶の芸術家】の調査ですから、刑事さんが疲れてしまうのも仕方ないかと」
ロサは苦笑いを浮かべながら、頭を下げたコランダムにそう話した。
「詳しいんですね。【薬瓶の芸術家】について」
「えぇまぁ……ほら、新聞にも載る程度には有名でしょう?『医学的知識のある者の仕業か』とか。医者という立場だと……分かるでしょう?」
いきなり噛みつくような質問を投げたコランダムに困惑の表情を浮かべながらロサはそう答えた。
「それもそうですね。申し訳ない、疑り深い性格なもので」
「いえいえ、それが刑事さんのお仕事ですから」
再び謝罪するコランダムにロサはまた苦笑いを浮かべた。気まずい空気を察したベリルはコランダムに軽口を叩く。
「もぉ~コランダム先輩?次班長に大目玉食らったら、捜査外されますよ?」
「うるせぇ」
ロサは二人のその光景を見て微笑ましそうに笑った。ベリルの軽口のおかげで和らいだ雰囲気のまま、ベリルとコランダムは聞き込みを開始した。その後三十分に及ぶロサの聞き込みは無事に終了した。
「それでは失礼いたします。捜査、頑張ってくださいね」
ロサは一礼すると、部屋を後にした。
「今回もシロか……」
「にしても、疲れてませんか?最初から疑うような質問投げるなんて。先輩らしくないですよ」
ベリルの言葉にコランダムは用意されてから時間が経って冷え切ったコーヒーを飲むと答えた。
「会った瞬間に、嫌な感じがしたんだよ」
「え、何ですかそれ」
「俺にもよく分からん」
「はぁ!?本当に捜査から外れますよ!?」
聞き込みを終えて緊張の糸が切れた二人は、いつものように話していた。そんな二人の会話を聞き込みが終わったロサは閉めた扉越しに息を潜めて聞いていた。
「全く……やりにくい男だ」
そう呟くと、ロサは扉から離れてその場を後にした。ノハルト総合病院での殺人事件は決定的な手がかりは見つからず未解決事件として終わりを迎えた。その事件以降から【黒百合の殺人鬼】が再び現れる今に至るまで、【薬瓶の芸術家】は「作品」という名の被害者を増やしていた。




