第一章 十二月三日
【十二月三日。晴れ。私のお店の近くで殺人事件が起きたの。刑事さんにいっぱい事件について聞かれたわ。私のことが心配だったみたい。心配そうに見つめる刑事さんを見てたら嬉しくなって笑っちゃった】
ヘイヴンという都市は、犯罪が絶えず起こる犯罪都市であった。ヘイヴンの警察が取り締まったものだけでも窃盗や強盗、詐欺、強姦、人身売買、臓器売買、違法薬物の密売などが発生しており、他の都市の人間からはヘイヴンの事件簿は法令書物よりも分厚いと言われていた。
「またお前は、犯人を殴ったのか!これで何回目だ!」
ヘイヴン市警の刑事部特別捜査班のオフィスに班長の怒号が鳴り響く。資料整理や報告書の作成をしていた刑事たちは、誰もが思わず手を止めて中央にある班長のデスクに注目を集めた。班長の目の前には金色の髪と赤色の瞳を持つ長身の男が不服そうに班長を見下ろしていた。
「聞いているのか!コランダム!」
「聞いていますよ、班長」
コランダムは鬼の形相の班長を相手に表情一つ変えずに返事をした。その態度が班長にとっては逆効果だったのか、班長はぷるぷると弛んだ頬の肉を震わせたかと思うと、バンッとデスクを叩き、コランダムを睨み上げた。
「お前のせいで治安維持局の人間に手柄を奪われ、治安維持局の奴らからヘイヴン市警は散々な言われようだ!殴られた犯人も窃盗犯だ。ヘイヴンでは日常的な軽犯罪だろう?お前は、犯罪の軽重関わらずに犯人を殴るが、そもそも何故犯人を毎度殴る?」
「犯人の様子が反省していないと判断し、世の中に戻された時には再犯の恐れがあると判断しました」
コランダムの話に班長は呆れ果てたかのように深いため息を吐くと、額に太い親指を当てた。
「まったく、お前というやつは……。それでは犯人が逆上して、真実を言わなくなってしまうだろう?」
班長の言葉に理解を覚えつつも、コランダムは腑に落ちなかった。
「もういい。戻って別の捜査に当たれ」
「分かりました」
班長に一礼をすると、コランダムは自分のデスクに戻った。
「また班長に大目玉食らいましたね。コランダム先輩?」
コランダムがデスクに戻り、自分に割り振られた捜査の資料を手に取った。すると、コランダムよりも若いグレーの髪と青緑の瞳を持つ男がコランダムに歩み寄り、声をかけた。
「ベリルか」
コランダムは後輩のベリル・アクアをちらりと見ると目線を戻し、捜査資料に目を通す。
「聞きましたよ。先輩が殴った窃盗犯は、被害者が大切にしていた祖母の形見であるペンダントを盗んだ上に、捕まった時には既に売り払われてたらしいじゃないですか。ペンダントの行方は掴めないし、被害者が報われないから殴った、そうですよね?」
捜査資料を読み続けているコランダムにベリルは、事の経緯をすらすらと話した。コランダムはふっと息をつくと、捜査資料を静かに置き、手元にあった黒いファイルでベリルの頭を叩いた。
「いった?!」
「ゴシップを集めている暇があるなら、事件の情報を集めろ」
自分の頭を押さえて痛がるベリルを一瞥した後に、コランダムは椅子に掛けたベージュ色のコートを手に取った。
「あれ、どこか出るんですか?俺も一緒に行きたいです!」
「聞き込み調査だ。ベリル、お前はそのファイルと資料室の事件ファイルから過去の事件を洗い出せ」
「過去の事件って……それはまたどうして……?」
コランダムが渡したファイルに目を通しながら、ベリルは不思議そうに彼に尋ねた。ファイルに記載された事件の内容は殺人事件。早朝、貧民街、グルコン・フィールド街で殺されている男性を近隣住民が発見したと書かれていた。そして、その事件の備考欄を見たベリルの顔が青くなった。
「……遺体の傍に一輪の黒百合。先輩これって……!」
慌てるようにコランダムを見るベリルに、コランダムは静かに頷いて見せると告げた。
「ヤツが……【黒百合の殺人鬼】がまた現れたようだ」
その言葉は普段冷静なコランダムの言葉とは違い、緊張感と怒り、そしてどこか憎しみを孕んでいた。
【黒百合の殺人鬼】
それは、ヘイヴンという都市に潜んだ三人の殺人鬼の中の一人だ。現場の目撃情報も事件の痕跡も一切残ることはなく、遺体の傍には被害者を弔うように一輪の黒百合を添えられることから呼ばれるようになった名であった。しかし、ある日から突然姿を消し、ここ最近は【黒百合の殺人鬼】関連の殺人は起きていなかった。
「それがどうして今になって……!」
コランダムは、事件の現場となった貧民街、グルコン・フィールド街へ急ぎながら、呟いた。彼の頭の中には、貧民街でひっそりと花屋を営む黒髪の少女の顔が浮かんでいた。事件の現場近くの花屋、『フラワーショップ・リリー』の看板が掲げられた店へと到着すると、少し荒くなった息を整えて入店する。チリリンと軽やかな呼び鈴の音が店内に鳴り響く。すると、店の奥から綺麗で長い黒髪と吸い込まれるような黒い瞳を持つ少女が現れた。
「あら、刑事さん。いらしたのね」
少女はコランダムを見て柔らかな表情を浮かべながら、コランダムを歓迎した。
「リリー」
リリー・フリティラリア。貧民街で小さな花屋を営んでおり、コランダムが通っている店の店主であった。
「今日は朝からいっぱいの刑事さんが来たのよ。なんでも、近くで殺人事件が起きたの。だから、いっぱいお話してたんだけど、もしかしたら刑事さんも来るかもって思っていたのよね」
ふふっと嬉しそうに話しているリリーを心配そうに見つめたコランダムは口を開いた。
「笑っている場合じゃないだろう?ここの近くで起きたんだ。君が狙われていたかもしれないんだぞ?リリー」
近くにあった来店客用の椅子に腰を掛けながらコランダムが漏らす言葉を、リリーは微笑みながら受け止めて紅茶を淹れた。店に飾られた花と紅茶の香りが混ざり合い、コランダムの気分を落ち着かせていく。
「殺人事件が起きたのは怖いけれど、私は平気よ?」
リリーは、そう言いながら、紅茶の入ったカップをコランダムに手渡した。
「何故平気なんだ?」
受け取った紅茶を一口飲むとコランダムはリリーに問いかけた。冬の寒さで冷え切った体を紅茶の熱がじんわりと温めていくのを感じた。
「だって私には、刑事さんが居るもの」
リリーの言葉に驚いたように目を見開くと、コランダムは紅茶による温かさではない熱を感じ、思わずリリーから顔をそらした。
「ふふっ、可愛い人」
自分よりも歳が下である少女の良いようにされて不服な自分と心地よい気持ちになっている自分に戸惑いつつも、コランダムはリリーの店に訪れた目的である話題に移ることにした。
「今回の殺人事件について、話を伺っても良いか?」
コランダムの真剣な顔に、リリーは微笑む表情を維持しながらも目を伏せた。リリーは今回の事件の第一発見者であった。
「えっと……。いつも通り開店準備に向けて色々支度をしていたの。お店の中の掃除が終わって、外に花を出そうと思ってお店を出たら人が血まみれで倒れていたの……」
リリーは思い出すように顎に手を当てながら事件発見時の様子を話した。その手は僅かに震えていて、当時の恐怖がコランダムにも感じ取れた。
(きっとリリーは、平気なフリをしているだけで、相当怖かったのだろう……)
コランダムはそう考えると、そっとリリーの震える手を優しく包み込んだ。黒く澄んだような美しい瞳が揺れたかと思うと、リリーはコランダムの意図をくみ取ったのか、嬉しそうに微笑んだ。
「刑事さんってば……本当に優しいのね」
「誰だって、殺人を目の当たりにしたら恐怖に震えるさ。無理に取り繕う必要はない」
コランダムの言葉に静かにリリーは頷く。
「勤務中に花屋の店主とイチャイチャだなんて、良いご身分ですね~?コランダム先輩」
コランダムは、自分に語り掛けてくるのがベリルだと察知するとリリーの手を握っていた両手を離し、ベリルの方を振り返った。
「情報収集は終えたのか」
コランダムは表情一つ変えずに、いつもの調子でベリルに話しかけた。
「はい。やっぱり手がかりが無かったので、現場の店主に話でも~と思っていた矢先に先輩が店主とイチャイチャしていたので~」
ベリルは所々を強調して、少し嫌味を含めて話した。
「ここの店主、リリーは俺の行きつけの花屋なんだ。知り合いの店主だから親密に見えるのは当然だろう」
「あー、はいはい。そういうことにしておきます~」
ベリルはコランダムの言葉を受け流すと、リリーに微笑みかけた。
「初めまして。コランダム・ラトラナジュ先輩の後輩、刑事部特別捜査班のベリル・アクアです」
簡単に自己紹介を終えると、ベリルの自己紹介に応えるようにリリーも自己紹介を行う。
「初めまして、ベリルさん。『フラワーショップ・リリー』の店主、リリー・フリティラリアです」
「リリーさん、良ければコランダム先輩と一緒に事件についてお話しても?」
ベリルの言葉に頷くと、リリー少し不安そうに微笑みながら言葉を紡いだ。
「えぇ、もちろん。大した手がかりになるのか不安ですけど……」
そう言って、リリーは事件のことについて話し始めた。
事件発見当時、リリーは店の掃除を終えた後に店内に保管していた花を何種類かバケツに入れ、外に出そうと店の扉を開いた。
「……何かしら。この臭い」
店の扉を開くと、強烈な鉄錆のような臭いがした。
「近くで猫や犬が死んじゃったのかしら……?」
貧民街、グルコン・フィールド街はヘイヴンの中では治安が悪い方にあり、強盗や強姦などが絶えない場所でもあるが、貧しい人達が暮らす場所でもあった。そのため、飢えを凌ぐ為に犬や猫、ネズミ等の動物を殺して食べる人も一定数存在する。リリーは年齢の割には貧民街で花屋を営んで長いため、猫や犬の死体を片付けることには抵抗が無かった。リリーは、臭いがする方へ歩みを進めた。
「……え?」
リリーの目の前に広がったのは、石畳の地面に倒れ、冷たくなった男の姿であった。既に助からない程の血が流れており、足元に広がる血だまりが絨毯のように見えた瞬間、リリーは恐怖に呑み込まれた。
「黒……百合……?」
遺体の傍に妖しく咲いた黒百合は見る者を恐怖させ、魅了する力があるように見えた。
リリーは事件発見時の様子を語り終えた。そして、自分を落ち着かせるように静かに紅茶を一口飲んだ。
「……なるほど。事件当時、怪しい人は見かけませんでしたか?」
ベリルはリリーの話をメモしている手を止めて、リリーに問いかけた。
「……ごめんなさい、あの時はびっくりしちゃって……。でも、あの場には私以外いなかったと思うわ……」
「そうなんですね。お話してくれてありがとうございます」
リリーの話をメモし終えたベリルはパタンと手帖を閉じ、リリーに優しく微笑んだ。
「聞き取りはここまでにしておこう。話してくれてありがとう。必ず犯人を見つけ出す」
コランダムは、真っ直ぐにリリーを見つめて話した。そんなコランダムをリリーは眩しそうに目を細めて見つめた後に、頬を赤く染めて頷いた。
「ベリル。俺たちは刑事部に戻って調査を続けるぞ」
「はい、コランダム先輩」
コランダムとベリルは、もう一度事件について話してくれたリリーにお礼を伝えると、『フラワーショップ・リリー』を後にした。リリーは、店を後にする二人の背中が見えなくなるまで見送った後に呟く。
「……早く、見つけ出してね。刑事さん」




