番外編 第一章 黒百合の殺人鬼
【黒百合の殺人鬼】が逮捕されてから数日が経過し、犯人であるリリー・フリティラリアの尋問が行われた。担当する刑事は、犯人逮捕に最も貢献した刑事、コランダム・ラトラナジュが担当することとなった。冷ややかな空気が漂う尋問室には、既に刑務官の案内を受けたリリーが座っていた。彼女は静かにコランダムの到着を待っていた。そうして三十分が経過した頃、鉄の扉が重苦しい音を立てて開かれると、コランダムが姿を現した。
「遅れてすまない」
コランダムはリリーに短くそう告げると、テーブルを挟んで向かい側の椅子に座った。
「平気よ。私は刑事さんとは違って時間はいくらでもあるもの」
リリーはいつものようにコランダムを出迎えて見せるが、その黒い瞳には以前のように光が宿っていないのが見てとれた。
「……そうか」
コランダムは少し目を伏せ、事件ファイルと濃い青色の手帳を取り出し、テーブルの上に置かれたペンを握った。
「……今日は、君について教えて欲しい」
「……私について……?」
「あぁ。君が初めて見た色について……教えてもらえるか?」
リリーは思い返すように静かに目を閉じた。
「……これは、とある貧民街で生まれた少女の話よ」
まるで本の御伽噺を読み聞かせるように話すリリーの声は優しく包み込むようであった。コランダムは握っていたペンをそっと持ち直すと、ペン先を手帳に落とした。
幼い少女には、世界がモノクロに映っているのが当たり前であった。母親のような女性に手を引かれながら、グルコン・フィールドという名の貧民街を訪れた。
「ママ……?」
「ごめんなさいね、リリー……。ママは少しだけ用事を済ませるから、ここでママが戻ってくるのを待っててくれる?」
「うん、分かった……」
女性の優しい微笑みを受け取った幼いリリーは、女性の言葉に頷くしかなかった。
「……じゃあ、良い子で待っててね」
震える声でリリーにそう告げ、女性はその場を後にした。肩を小さく丸めて歩く女性の背中を、リリーは生涯をかけて忘れることはできなかった。
リリーは待った。
二時間後、喉が乾き始めた。
「ママ……遅いな……」
数時間後、体が空腹を訴え始めた。辺りは暗くなり始め、冷たい風がリリーの体を冷やした。
「……まだ、かな……?」
凍える体を丸めて、リリーはその場に座り込んだ。女性が戻ってくる気配はなかった。
更に数時間後、辺りはすっかり暗くなった。肌寒かった空気は更に冷気を増し、リリーの体は震え始めた。
「ママ……ママ……」
震える声で暗闇に呼び掛けてみるが、返ってくるのは冷たい風の音だけであった。リリーは立ち上がり、女性の背中を追うように歩み始めた。
「ママ……ママ……」
女性に何度も呼び掛けながら歩き続けた。しかし、返事も景色にも変化はなかった。
「ぅ……ひっく……」
歩きながら小さな嗚咽を漏らすが、リリーの頬を濡らす涙は溢れなかった。
「あれ……?」
足を止め、再度自分の目元を確認した。しかし、乾燥した肌に触れただけで、自分の感情を表すためのものに触れることはできなかった。困惑を隠せないまま、リリーはその場に立ち尽くした。
「こんばんは、お嬢ちゃん」
「お、おじさん……誰……?」
猫撫で声で呼び掛けられたリリーは声のする方へと振り向いた。そこには、自分よりも二回り程体格の大きい男が立っていた。
「こんな時間にお散歩かな?ママとはぐれちゃったのかな?」
「あの、えっと……」
男は口ごもるリリーの肩を強く掴んだ。
「い、いたっ……」
「分かった!ママに捨てられちゃったんだねぇ~」
「す、捨てられ……?」
リリーの中で何かにヒビが入った。
「そうそう。要らないってされちゃったんだよ」
「要らない……?」
リリーは男を見上げたまま、頭の中で何度も男が放った言葉を反響させた。
「可哀想にねぇ~……」
そう言う男は、言葉とは裏腹にどこか楽しげであった。そして、何か思いついたかのような顔をすると、リリーの肩を強く掴んだ。
「い、いたい……っ」
「そうだ、おじさんと一緒に来ない?大丈夫。ママみたいに捨てたりせずに大事に使ってあげるから」
「な、なに言ってるの……?い、痛いよ……っ」
リリーは男に掴まれた肩を振りほどくために必死に身を捩らせた。
「暴れんなよ!!」
男の怒鳴り声と頬への衝撃。すぐにジンジンとした痛みと共に熱が頬に伝わった。
「い、いたい……」
「ったく……これだからガキは……」
男は口汚く言葉を吐くと、リリーの服に手をかけた。
(……駄目だ、これ……)
リリーの頭の中にそんな言葉が響くと同時に、リリーはその場にあった石で男の右目を殴りつけた。そして、短い男の悲鳴が聞こえるよりも先に、リリーは左目を石で殴りつけた。
「クソガキ!!」
男は拳を振りかざすが、目の見えていない男の拳はリリーに容易に避けられた。拳を大きく振りかざした反動で、男の重心が前へとずれるのを確認したリリーは、肩と腕の付け根をめがけて石を振りかざした。
「ぐぁっ!!」
リリーの打撃を受けた男は地面へと倒れ込んだ。
「どうにか……しないと……」
リリーは自分に言い聞かせるように呟くと、倒れた男の上に跨がり、何度も何度も男の後頭部を殴りつけた。最初は鈍かった音が少しずつ粘度のある音に変化した頃、リリーは男が動かなくなっていることに気が付いた。
「……私……」
石を手放し、自分の両手を見つめると真っ赤に染まっていた。月明かりに照らされた赤は何より輝いて見えた。
「……綺麗……」
そう呟いたリリーの口元は僅かに緩んでいた。
リリーは語り終えると、ふぅっと息を吐いた。
「……それが、君の見た最初の色なのか?」
コランダムは確認するように問いかけた。
「えぇ、そうよ。……あぁ、この場合、最初の殺人も罪に問われるのかしら?」
「裁判次第だが……男は君に危害を与えようとしていたから、正当防衛になる可能性が高いだろう」
「あら、そうなのね」
コランダムはリリーの話を聞いた後、小さく息を溢した。
「他に聞きたいことはある?刑事さんにならなんだって答えるわ」
「……じゃあ、リリー。ロサ・ポリアンテスとアナス・へリアンとはどういう経緯で出会ったんだ?」
「ロサ先生とアナス先生?二人とも、私が人を殺している時に居合わせたのよ」
リリーは少し不満げな表情を見せながら、頬杖をついた。
「……殺害現場に二人が?」
「同じ場所ではないけれど……二人ともあまり良い出会い方はしていないわ」
「聞かせてくれないか?」
真っ直ぐリリーを見つめるコランダムの表情をじっくりと眺めると、リリーは小さく息を吐いた。
「なんだって答えると言ったばかりだものね……。じゃあ、ロサ先生から順に話していくわね」
リリーは頬杖を止め、背筋を伸ばすと二人の殺人鬼に出会うまでのことを話し始めた。
【薬瓶の芸術家】と呼ばれた男との出会いは、リリーが【黒百合の殺人鬼】と呼ばれるより少し前の出来事。月の光が酷く明るくヘイヴンに降り注いでいた夜のことであった。
「おやおや、随分と派手に殺しましたね」
リリーは静かに声のする方へと振り返ると白衣姿の男がそこに立っていた。
「……誰?」
「おっと、これは失礼いたしました。私は、ロサ・ポリアンテス。巷では【薬瓶の芸術家】という名前で呼ばれています」
自分の胸に手を当て、綺麗に頭を下げて挨拶をするロサに、リリーは不気味さを覚えた。
「……【薬瓶の芸術家】。あぁ、最近よく聞く単語だわ」
「貴方のような人に知ってもらえてるなんて、光栄ですね」
胡散臭い笑顔を貼り付けているロサを鼻で笑い、リリーはその場を後にしようと背を向けた。
「貴方の名前を伺ってもよろしいですか?」
「……必要かしら?」
「では、勝手に呼ばせて頂きます。フリティラリアさん?」
その場を後にしようと歩み始めた足を止め、リリーは再度ロサの方へと体を向けた。
「……フリティラリア?」
「花の学名ですよ。正式名称は、フリティラリア・カムチャトケンシス。一般的には黒百合と呼ばれています。その黒い髪と黒い瞳を持ち、危険な雰囲気を漂わせている貴方にはピッタリな呼び名だと思いまして」
先程と全く変わらない表情を見せて話すロサに、リリーは呆れたようなため息を小さく吐くと、口を開いた。
「私はリリーよ。フリティラリアじゃないわ」
「そうでしたか。では、リリーさん。またお会いできる日を楽しみにしておきます」
ロサはリリーを見送るように胸に手を当て、綺麗にお辞儀をした。リリーは、そんなロサのお辞儀を見て、眉間にシワを寄せて呟いた。
「……本当に嫌な人」
静かな沈黙の中に、コランダムが書き記すペンの音だけが響いた。カリッという音を合図にペンを置くと、コランダムは複雑な表情を浮かべてリリーを見つめた。
「……つまり、君のフリティラリアという名前はロサ・ポリアンテスがつけたということか?」
「最終的にはそうなるわね」
「どうして、そう名乗ることにしたんだ?」
コランダムの問いに対して、リリーは嬉しそうに微笑んだ。その表情は美しくありながら、どこか危険な雰囲気を纏っていた。その笑みに、コランダムは喉をゴクリと鳴らした。
「それは、内緒にしておくわね?」
「なっ……」
「だって、刑事さんの質問に答えきれていないもの。ロサ先生とアナス先生の二人の出会いについて知りたいんでしょう?」
そう話すと、リリーは人差し指を立てて自分の唇にそっと当てた。
「確かにそうだが……。リリー、フリティラリアという名前についての話は、君を知るために必要な話のようにも思える」
「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。でも、ごめんなさい?私、綺麗に順序を立てて話さないと気になってしまうの」
「……分かった、続けてもらえるか?」
胸に微かに感じる違和感を覚えながらも、コランダムは静かに頷いた。そんなコランダムの様子を愛おしそうに見ていたリリーは、光を通すことない黒い瞳を少しだけ細めた。
「ありがとう、刑事さん。じゃあ、続けるわね?」
リリーはそう話すと、【悪魔の殉教者】と呼ばれていた男との出会いについて語り始めた。昔はグルコン・フィールドではなく、ローレイル校の旧校舎を主な活動場所としていたこと、学校荒らしを殺した時にアナスと出会ったこと、そして、殺そうとしたらアナスが笑っていたこと……。その全てをリリーは思い出話でもするように話した。
「なるほど……」
吐息混じりに吐き出した言葉と共に、そっとペンを置いた。
(リリーのことを知ろうとしたはずが……謎が増えたように感じる……)
コランダムは眉間にシワを寄せた。
「聞きたいことは聞けたかしら?」
微笑みながら問いかけるリリーにコランダムは小さく首を横に振った。
「……いいや、君を理解するにはまだ足りないらしい。時間も、言葉も」
リリーはクスクスと肩を揺らして笑った。
「まだ刑事さんが私から目が離せないってことにしておくわね?」
「……君には敵わないな」
コランダムはそう告げると、手帳を音を立てて閉じた。
「次はロサ先生とお話するのかしら?」
「あぁ。ヤツにも聞きたいことが山のようにある」
コランダムはそう言うと、ペンと手帳を素早くしまい、椅子から腰を離した。
「そう。頑張ってね、刑事さん」
「あぁ、また話そう」
リリーは、部屋を後にするコランダムの背中を恋人のように見送った。鉄の扉がガシャンと音を立てて閉まると、尋問室の中は突然静寂に包まれた。
「また話そう……ね……。ふふっ、またがあるなんて……」
リリーはコランダムの最後に残した言葉の余韻を噛み締めながら、静かな尋問室で牢へ戻るよう告げられる時を待った。




