二部 第五章 十二月二十八日
事件から二十五日、リリーの告白から三日が経過した。その三日間、コランダムは『フラワーショップ・リリー』に姿を現すことは無かった。
【十二月二十八日。晴れのち曇り。刑事さんに想いを伝えて三日経ったんだけど……驚かせすぎちゃったのかしら?刑事さんは全然来てくれなくなったの……。プレゼントが気に入らなかったのかしら】
日記にはそう記したのを思い出しながら、花の肥料を買い足すために外出していたリリーは困ったように呟いた。
「驚かせすぎたのかしら……?」
新聞を毎日買っているが、中々コランダムとベリルにまつわる情報は無かった。
(警察内部の情報って中々公にならないのよね……。流石に刑事殺しは隠しきれないと思うけど……)
リリーはそんなことを考えながら、グルコン・フィールドに続く路地に入ろうとして足を止めた。そこには、貧しい見た目の少年が新聞販売を行っていた。少年はリリーを見つけると、駆け寄って新聞を差し出した。
「新聞、銅貨一枚でいかがですか?」
少年の新聞を差し出す姿が花屋を始めた頃の自分と重なったリリーは、優しく微笑んだ。
「一部、頂こうかしら」
リリーの言葉を聞いた少年は、きらきらと目を輝かせながら頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「はい。銅貨一枚ね」
リリーは少年に銅貨を一枚手渡した。少年はたった一枚の銅貨を大事そうに袋に入れた。その様子を見たリリーは、少年に続けてこう話した。
「こんな薄汚いところだと中々売れないでしょう?ヘイヴン市警辺りだと人が多いはずだから、そこまで行くと良いわ」
「そ、そうなの?」
「えぇ。ここだと助けを呼べないもの。ヘイヴン市警前は、下手に悪さできないからオススメよ」
リリーは自分よりも少し背の低い少年の頭を優しく撫でた。
「わ、分かった!行ってみるよ!」
「えぇ」
リリーは、元気よく返事をして走り去る少年の背中を見届けた。リリーは少年を見届けた後、グルコン・フィールドへと続く路地へと足を進めた。コツコツと歩みを進めると、道が開け、『フラワーショップ・リリー』と書かれた看板を飾った建物が現れた。リリーは店の中へと入り、花の肥料の入った袋を作業台に置くと、少年から買った新聞を広げた。
「刑事殺し、【黒百合の殺人鬼】と【薬瓶の芸術家】によるものか……。ベリルさん、ダイヤさんの元へいけたのね。後は……あぁ、そういえば、店の近くにいた虫を殺したわね……」
リリーは新聞に書かれている情報を目でなぞるように追いかけて読み上げた。
「……事件当時からロサ・ポリアンテスが行方を眩ませた。犯人はロサ・ポリアンテスか……」
リリーは新聞の続きを読み上げると目を細めた。そして、静かに息を吐くと新聞を折り畳んだ。
「ロサ先生、派手にやったものね……」
そんなリリーの呟きに誘われるように店の呼び鈴がチリリンと鳴り響いた。リリーは店の奥の部屋から出ると、静かに客を出迎えた。入口付近にはいつもの白衣姿ではなく、スーツ姿で佇むロサの姿があった。
「あら、ロサ先生。いらっしゃい」
「こんにちは、リリーさん」
リリーとロサは普段と何も変わらない挨拶を交わした。
「新聞、見たわ。随分有名になったのね」
リリーがそう言うと、ロサは普段と変わらない仮面のような笑みを浮かべながら返した。
「そうですが。お恥ずかしいことに、少しはしゃぎ過ぎたようです」
「満足したかしら?」
リリーのロサの心を見透かすような問いに、ロサの頬がピクリと反応した。そして、何かを察したように下を向いた。
「貴方には敵いませんね、リリーさん」
そう告げると、ロサはすっと表情の仮面を取り外して顔を上げた。仮面の下に眠った、ロサのリリーの言葉に対する殺意に満ちた表情が現れると、リリーは楽しそうに微笑んだ。
「……良い表情するじゃない、ロサ先生」
リリーの楽しむような様子を見たロサは、外した仮面をもう一度着けると、小さくため息を吐いた。
「からかうのはもう止めてください。今日はあの異端者の元に出向く日でしょう?」
「アナス先生があんなに自身に満ち溢れているんですもの。予定は無いんだし、顔だけでも出さなきゃ」
そう言うと、リリーは身支度を軽く整えた。
「行きましょう」
「彼の方向性には共感できませんがね……」
憂鬱そうにロサはそう漏らしながら、リリーをエスコートするように店の扉を開けた。アナスから受け取った招待状を片手に、リリーはロサを連れて店を後にした。
リリーとロサは招待状に記載されていた会場のローレイル校に到着した。リリーとロサは慣れた手つきで警備員の居る校舎を通り過ぎ、ほぼ廃校と化した旧ローレイル校の校舎へと足を運んだ。
「いつも通り、地下の、あの部屋ですかね」
「そうじゃないかしら。あそこにしか祭壇は置いていないもの」
リリーは旧校舎の塀にできた、人が一人通れるくらいの穴を見つけた。
「まだ残っているのね」
「旧校舎は取り壊される予定ですし、仕方ありませんよ」
そんな会話をしながら、穴を通り抜けると旧校舎の窓を割り、校舎内へと侵入した。
「……随分慣れていますね?」
ロサはリリーに不思議そうに問いかけた。
「まぁ、ロサ先生よりも多く儀式には参加しているし、元々ローレイル校の旧校舎は私が使っていた場所だもの」
「そうでしたか」
旧校舎の校庭に目を向けると、アナスと初めて出会った夜のことを思い出した。
リリーがまだローレイル校の旧校舎を使っていた頃の出来事であった。
「駄目じゃない、学校荒らしをするなんて」
リリーはそう話しながら、自分よりも一回り体格の大きな男の上に馬乗りになっていた。本来なら体格差で逆転できそうな状況でありながら、リリーの下にいる男の足首は深く切られ、両手にはナイフが突き刺さっており、声を出そうにも口にはボロボロのカーテンの布が詰められていた。
「~~~っ!!」
冷や汗か脂汗なのか分からない汗を流し、痛みに顔を歪めながら男は必死にリリーに命乞いをしていた。
「痛いのね……。でも、学校の備品を盗もうとする貴方が悪いのよ?それに、私も襲われかけたし……。仕返しされても文句はないわよね?」
リリーは男にそう話すと妖しく微笑んだ。そして、男の耳元で囁くように呟いた。
「少し名残惜しいけれど、お別れ」
リリーの言葉に男は目を見開いた。男の目に最期に映ったのは微笑みながら自分にナイフを振り下ろすリリーの姿であった。リリーは頸動脈にナイフを振り下ろすと、すぐに抜いた。まだ動いている鼓動に合わせてドクドクと赤い血が流れるのを見て、リリーの体に熱が入った。
「綺麗……っ!もっと!!」
リリーは声高らかにそう言うと、頸動脈以外にも血が噴き出す箇所を次から次へとナイフで突き刺していった。リリーに刺される度に血が溢れ、溢れた血がナイフを濡らし、振り上げる度に血液が宙を舞った。
「最高だわ……」
恍惚な表情を浮かべながら、リリーが月を見上げると視界の端に何かが茂みで動くのを察知した。
「誰?」
リリーはそう問いかけながら、またがっていた肉塊と化した男の体からおりると、一歩一歩ゆっくりと茂みに歩み寄った。
(普通なら恐怖で逃げ出すのに……動けなくなったのかしら?)
リリーは茂みから出てこない人の気配に違和感を覚えながら茂みを確認すると、血に濡れたリリーを見上げて固まる若い男が居た。
「こんばんは。警備員……というより巡回当番の先生かしら?災難ね」
リリーはそう言いながら、ナイフを振り上げた瞬間、若い男は、掠れた声で呟いた。
「綺麗だ……」
若い男の言葉にリリーは振り上げていたナイフを静かに下ろした。
(違和感が当たったわね……)
そう思いながら、口を閉ざしたままリリーは男を見下ろした。若い男は状況が飲み込めないのか、ただ静かにリリーを見上げていた。
「……貴方、名前は何て言うの?」
「あ、アナス・ヘリアンです……」
「そう。アナスね。覚えたわ」
リリーはそう言うと、アナスに背を向けた。その様子を見たアナスは慌てた様子でリリーを呼び止めた。
「あ、あの!」
「何?」
リリーは呼び止めたアナスの言葉に短く返事をすると、振り返った。先程まで向けていたアナスや殺された男に対するものとは比べ物にならない程に冷たいものであった。
「……見逃がしてくれるのですか?」
「あら、貴方無自覚なの?」
「え?」
リリーの言葉の意図が分からないと言った表情でアナスが首を傾げるのを見たリリーは小さくため息を吐いた。
「貴方、私と同類なんだもの。同類を血に染めても面白くないわ」
「……僕が?」
アナスは困惑したような表情を見せた。
(本当に無自覚なのね……)
アナスの様子を見たリリーはそう思うと、話を続けた。
「私がナイフで貴方を刺そうとした時、貴方笑っていたのよ?こんな状況で」
「そうなんですか……?」
アナスは信じ切れないような表情でリリーを見つめた。
「信じるかどうかは勝手にして。でも、貴方が笑っていなかったら……貴方は今ここに居ないはずよ?」
リリーはそう言うと、アナスに背を向けてその場を後にした。
リリーは校庭を眺めながら、懐かしむように目を細めた。
「リリーさん?」
ロサの呼びかけによって現実に引き戻されたリリーは、旧校舎に来た本来の目的を思い出した。
「……ごめんなさい。昔のことを思い出していたの。さぁ、行きましょう」
そう言って旧校舎の校長室へと辿り着いた。リリーとロサは、校長室の扉を開けて中へと入った。歴代の校長の肖像画や当時の資料はそのままの状態で場所だけが朽ち果てているのが見て取れた。
「足元に気をつけてね、ロサ先生」
リリーはそう言うと、校長室の床を観察し始めた。
(確かここに……あったあった)
一枚だけ、僅かに色の違う床板を見つけたリリーは足で床板を押した。すると、ギギギという古びた板の擦れる音と共に、地下へと続く階段が現れた。階段の下には暗闇が広がっており、暗闇の奥から冷ややかな風が吹いていた。リリーとロサは口を閉ざしたまま、階段を下りていった。静かな階段を降りると廊下が現れた。廊下の奥にはリリー達が下りてきた階段とは別の階段が見えた。
「……気になっていましたが、この地下はどこに繋がっているんですか?」
「現在のローレイル校の生徒指導室……だったかしら。アナス先生が使うようになってからしばらく使っていないから、覚えていないわ」
「なるほど」
ロサとリリーが廊下を進んでいくと、薄明るい部屋が廊下を照らしていた。
(あそこね……)
リリーはそう思いながら一歩足を踏み出そうとした。
「邪魔しないでもらえますか!?」
廊下まで響いた怒鳴り声にリリーとロサは動きを止めた。
(アナス先生……?)
リリーは怒鳴り声の主がアナスのものだと気付くと様子を伺うように耳を済ませた。ガンッゴンッと何度も何度も何かを殴るような鈍い音が聞こえた。
「が、ぁっ……!」
殴られている相手と思われる声を聞いたリリーは目を見開いた。
(刑事さん……?)
コランダムがアナスに殴られている、という可能性が浮上した瞬間にリリーの中に黒い感情が渦巻いた。リリーは感情に任せて歩みを進めた。
「いい加減に、しろよ!!」
ガンッという音と共に、コランダムの短い嗚咽とドサッと倒れる音が聞こえた。
(もう……良いわよね)
リリーは何かを納得させるように祭壇のある部屋へと入った。そこには血の付いた金槌を片手に持つアナスと頭から血を流して倒れるコランダムの姿があった。
「……アナス」
リリーが静かにアナスの名前を呼ぶとアナスは目を輝かせてリリーを見た。
「やっと来てくれましたか!リリーさん!この刑事が儀式の邪魔をしてきまして……。ですが、ご安心を!いつも通り執り行いますので!」
リリーはアナスの言葉を無視して倒れているコランダムの傍に歩み寄ると、気を失っているコランダムを優しく撫でた。
(生きてはいるわね……)
まだ温かいコランダムに胸を撫で下ろすと、リリーは口を開いた。
「ロサ先生。取引の続きをしましょう」
リリーは、コランダムの腰から拳銃を引き抜くとロサに投げ渡した。
「……分かりました」
ロサはコランダムの拳銃に銃弾が入っているのを確認すると、銃口をアナスに向けた。
「……リリーさん?」
「やり過ぎたわね。アナス」
リリーは自分の方に視線を向けるアナスに冷たい視線を送った。
「理解しています。貴方なら、この状況を許すはずがないと……」
アナスは自分の胸に手を当て、そう話した。その表情は春風のように穏やかなもので、まさにリリーに与えられた死を受け入れる信者そのものであった。
「ですが……」
アナスはそう言葉を続けると表情は一変し、怒りに満ち溢れたものとなった。
「この男に!!この異端者に殺されるのだけは耐えられません!!せめて!!リリーさん!貴方のその血に染まった手で僕を殺してくださいよ!!」
言葉で殴るようにリリーに話すアナスをリリーは黙ったまま、ただアナスを眺めていた。閉じ込められた子供達の泣き声とアナスの洗い息だけが部屋の中で鳴り響いていた。
「……言いたいことは終わったの?」
「……え?」
リリーは静かな問いかけにアナスは気の抜けた声を漏らした。
「ロサ先生、お願いね」
リリーはそんなアナスを鼻で笑うと、ロサに指示を出した。リリーの指示を受けたロサは引き金を引いた。乾いた音がして、アナスの額が僅かに跳ねて倒れた。発砲の反動に耐え切れなかったのか、ロサは銃を床に落とし、手首を押さえた。そして、苦痛混じりの声でリリーに話しかけた。
「……取引は、これで完了ですね」
「えぇ」
リリーはアナスの死体を見つめながら、短くロサの言葉に頷いた。
「それにしても……アナスさんを私と取引してまで殺したかったのは意外ですね。アナスさんの言う通り、ご自分の手で殺しても良かったのではありませんか?」
「私に殺されたがっているのに私の手で殺すなんて、アナスが喜ぶだけじゃない。……そんな慈善活動なんて私はやってないわ」
冷たく言い放ったリリーにロサは返す言葉をなくした。
(だから、同類を殺しても面白くないの)
リリーはその言葉を頭の中で放つと、憂鬱な気分が胸の中に飽和した。リリーはもう一度倒れているアナスを見た。額からは赤い血を流しているが、血を見た時の高揚感や満足感は感じることは無かった。
「ロサ先生、メッセージカードってまだ持っているかしら?」
「えぇ、持っていますよ」
「一枚頂ける?」
「構いませんよ」
ロサはスーツジャケットのポケットから一枚のメッセージカードを取り出すと、リリーに手渡した。
「ありがとう」
リリーは祭壇に置かれていたペンを手に取ると、メッセージカードに言葉を記してアナスの方へと投げ捨てた。
「……【異端者】、ですか。中々酷いことを言いますね」
メッセージカードに記されていた内容を見たロサはくくくっと喉を鳴らして笑った。
「彼にはぴったりな言葉でしょう?」
リリーはそう言い残すと、足早にその場を後にした。
(……さようなら。アナス先生)
口に出すことは無く、リリーは心の中でアナスに別れを告げた。
「なんだ、さっきの銃声は!?」
「殺人鬼が暴れているのか!?」
生徒指導室へと続く階段の上から、大勢の人の声が聞こえた。
(他の教師か様子を見に来た警備員かは分からないけど、面倒なことになる前に学校から抜け出すべきね……)
リリーはそう思うとロサに視線を送った。ロサは静かに首を頷いた。二人は物音を立てないように静かに移動を行い、地下の廊下を抜け、旧校舎の校長室へと辿り着いた。
「ここはもう二度と使えないわね」
リリーは隠されていた階段の入り口を閉じながら、口を開いた。
「アナスの遺体や失踪した子供達が見つかれば、そうなるでしょうね。この後はどうするつもりですか?」
「店に戻るつもりだけど?」
「よろしければ、私のアトリエまで来ませんか?」
ロサはリリーにそう言うと、楽しそうに微笑んだ。
「何か、するつもりなの?」
楽しそうに微笑むロサを見つめながら、リリーはロサに問いかけた。
「私もコランダム刑事とお話がしたいんですよ。貴方もそうでしょう?リリーさん」
ロサの挑発をするような問いかけにリリーの頬はピクリと反応した。表情を崩さないようにしながら、リリーは話した。
「刑事さんに何かするつもりなら、話は聞かないけど?」
「大丈夫ですよ。さっきから言っているでしょう?お話がしたい、と」
ロサの言葉の真意を探れず、リリーは黙ったままロサを見ていた。ロサはリリーに歩み寄ると、リリーの顎を掬い上げて自分の顔を見上げさせた。
「最近貴方も分かりやすくなりましたね。あの刑事の影響でしょうか?」
「……離してもらえるかしら?」
それまで表情を崩さなかったリリーがロサを睨みつけると、ロサはすっとリリーから手を離し、一歩後ろへと身を引いた。
「そんな悪い話はしませんよ」
「……聞くだけ聞いてあげるわ」
「では、行きましょうか。私のアトリエへ」
そう言うと、ロサはリリーをエスコートするように手を差し伸べた。リリーは差し伸べられた手を払いのけて歩いた。ロサはやれやれとでも言うような仕草を見せながら、先に進むリリーの後を追った。




