二部 第三章 十二月二十一日
【黒百合の殺人鬼】が現れてから十八日が経った。未だにコランダムとベリルによる見回りは続いているが、コランダムが『フラワーショップ・リリー』へと訪れる回数は見回りを含めても激減していた。
「お仕事が忙しいのかしら……」
リリーは、店の奥の作業台で最近仕入れた季節外れの向日葵のドライフラワーをラッピング用の袋に詰めながら呟いた。
「そう言えば、【薬瓶の芸術家】と【悪魔の殉教者】の事件数が増えているのよね……」
リリーは既に詰め終えたドライフラワー袋の傍に置いてあった新聞の見出しを軽く目を通した。そこには【薬瓶の芸術家】と【悪魔の殉教者】の引き起こした事件が読み手の不安を煽るように記されていた。
「少し、刺激しすぎたかしら……?」
リリーはそんな独り言を漏らしながらドライフラワーを袋に詰め終えた。完成したドライフラワーの袋の口を近くにあったリボンで結び、販売用のカゴに入れながらリリーは再度視線を新聞に落とした。
「子供の行方不明多発。【悪魔の殉教者】による犯行か……」
作業を行う手を止めず、リリーは新聞の内容を呟くように読み上げると、ピタリと作業していた手が止まった。リリーは読み上げた記事の内容に僅かな胸騒ぎを覚えた。
(嫌な予感がするわね……)
リリーは胸の奥に感じる僅かな胸騒ぎが現実のものにならないことを祈りながら、新聞から目を逸らした。
「あら……」
リリーは店の外から人の気配を感じると、作業部屋を出た。静かに息を潜め、耳を澄ませた。入口の扉の向こうから男性の話し声が聞こえた。
「結局ここなんですね!?分かってましたけど!」
「俺にとって気分転換に来るのがここなんだよ」
(刑事さん……!)
リリーは扉の向こうにいる人物達がコランダムとベリルの声だと分かると、先程の胸騒ぎを忘れて胸を高鳴らせた。
「せっかくなら、近くにできたコーヒーハウスとかにしましょうよ~……」
「勤務中だぞ」
(早く、扉を開けて……入ってこないかしら……)
リリーは数日ぶりに高鳴った胸の鼓動を落ち着かせるために、近くにあったバケツを手に取った。すると、チリリンと軽やかな呼び鈴の音が店内に鳴り響いた。
バケツを持ってすぐにコランダム達が来店したため、出迎える形となってしまったリリーは焦りを誤魔化すように微笑みかけた。
「あら、刑事さん。あとベリルさん……だったかしら」
「はい、ベリル・アクアです」
コランダムのことで頭の中がいっぱいであったリリーは存在を忘れていたベリルに少し罪悪感を覚えた。
「ごめんなさいね……」
リリーは申し訳なさそうに微笑みながらベリルに謝罪の言葉を述べた。
「いえ」
ベリルは特に気にしていないような素振りで微笑みかけた。
「……あら、刑事さん。服が汚れているわね……」
ベリルから視線を外し、コランダムを見たリリーは手に持っていたバケツを置くと、コランダムに歩み寄った。コランダムのコートやシャツ、ジャケットに何かをぶつけられたような汚れが目立っていた。
「実は来る途中で被害者遺族の方にトマトを……」
「ベリル」
リリーに事情を説明するベリルをコランダムは静止した。二人の会話のやり取りから全てを察したリリーはポケットから白いハンカチを取り出した。
(お気に入りだけど……刑事さんのためだものね……)
リリーはハンカチを汚してしまうことへの躊躇いを抑えて、ハンカチを水で軽く濡らして汚れているところに当てた。ハンカチに服の汚れが少しずつ染み込んでいった。
「酷いことをするわね……悪いのは刑事さんじゃないのに……」
そう話しながらリリーは、コランダムの服がこれ以上酷いシミにならないようにハンカチを当て続けた。
「そのハンカチ……素敵ですね」
「ふふっ、刑事さんが誕生日にくれたのよ」
ベリルがハンカチに反応したのが嬉しかったリリーはハンカチを開いて見せた。少しだけトマトの汚れが目立つものの、ハンカチは白く、『L.F.』という文字と白百合の刺繍が施されていた。リリーは幸せそうに微笑みながら、ハンカチを受け取った日の出来事を思い返した。
リリーとコランダムが出会い、しばらく経った頃、コランダムがリリーに問いかけた。
「リリー、誕生日はいつなんだ?」
「え?」
コランダムの唐突過ぎる問いに、リリーはきょとんとした表情でコランダムを見た。
「君の生まれた日が知りたいんだが……」
「そうね……名前と同じで生まれた日も分からないのよね。今まで考えたこともなかったし……」
リリーの言葉にコランダムは罪悪感から目を伏せた。コランダムの様子を見たリリーは何かを探すように店の中を見渡した。
「……刑事さん、名前と同じように私が勝手に決めても良いかしら?」
リリーはそう言うと、近くのバケツに生けてある白百合を一輪手に取った。
「七月二十四日……。勝手に決めて良いならその日にしましょう?」
そう言葉を続けると、リリーはコランダムに白百合を手渡した。
「分かった。七月二十四日に何か贈ろう」
「楽しみにしてるわね。刑事さん」
コランダムはリリーの手渡した白百合を受け取ると、優しく微笑んだ。その年の七月二十四日、コランダムはリリーにハンカチをプレゼントした。ハンカチは白く、『L.F.』と白百合の刺繍が施されていた。
初めて誕生日プレゼントを贈られた日の事を思い出したリリーは、嬉しそうに目を細めた。
「へぇ~コランダム先輩も隅に置けない男ですね」
「ベリル」
まじまじとハンカチを見て話すベリルの言葉にコランダムは咳払いをしながら睨んだ。
「こわっ」
ベリルは次軽口を叩けば殴られるのを察し、コランダムから少し距離を取った。すると、チリリンと軽やかな呼び鈴の音が店内に鳴り響いた。店の中へと入る足音と同時にリリーは崇拝するような視線を僅かに感じた。
(……この視線は彼ね)
リリーはハンカチを丁寧にしまうと、来店した客を出迎えに向かった。そこには、
「いらっしゃいませ」
出迎えた優しくリリーに微笑みかける青年が立っていた。
「あら、アナス先生じゃない」
「こんにちは、リリーさん」
リリーがアナスの名前を呼ぶと、アナスは嬉しそうに微笑んで挨拶をした。そして、店内をゆっくりと舐め回すように見回してコランダム達を見つけ、ピタリと動きを止めた。
「……おや、お客さんが居たのか」
「えぇ、店の常連で刑事のコランダムさんとその後輩のベリルさんよ」
「刑事さんだったのか!これは、お邪魔してしまったな……。僕はアナス・ヘリアン。ローレイル校で初等部の教師をしていて、リリーさんとは古い友人なんだ」
アナスは自己紹介を簡単に済ませると、人懐っこい笑みを浮かべて右手を差し出した。しかし、その笑顔の奥に微かに感じる歪な感情をリリーは見逃すことは無かった。
(アナス先生、余計なことをしないと良いけど……)
リリーは口を閉ざしたまま、アナスを見つめた。
「あ、あぁ……よろしく頼む」
コランダムはアナスの勢いに圧倒されかのように、差し出された手を握る。すると、アナスはブンブンと上下に手を振った。
「よろしくお願いいたしますね、コランダム刑事!」
明るく笑うアナスに痛いほど腕を振られ、コランダムは痛みと困惑で顔を歪ませた。
「アナス先生」
リリーは薄く微笑むと、アナスの腕にそっと手を置いた。
「刑事さんが痛がっているわ。やめて差し上げて?」
リリーはアナスに優しくも冷たい声音で話しかけた。手を置いていたアナスの腕に少しだけ力を入れ、身長差によって見上げる形となった瞳には静かな怒りと殺意が込められていた。
「えっ!?すいません!」
アナスはリリーから向けられた確かな殺意に身の危険を感じ、咄嗟に身を引くと頭をペコペコと下げた。驚いたようにリリーを見るベリルがリリーの視界の端に映った。
(あら……いけない。殺気が漏れていたのかしら)
ベリルの反応を見たリリーは、少し呆れたようにため息を吐き出し、アナスを叱っているように誤魔化して見せた。
「もう……。それで、アナス先生?今日はどうしたの?」
「実は校舎の傍にある花壇の調子が悪くて……花が中々育たないんだ。花に詳しいリリーさんなら何か知っているかなと思って」
リリーはアナスの言葉に眉を潜めた。
(……捕まえた子供達の管理が上手くいかないって話かしら。刑事さん達も居るんだし、もう少し隠して欲しいわ……。アナス先生って、そういうところが雑になるのよね……)
リリーはアナスの露骨過ぎる発言に呆れつつも、アナスの相談を聞くことにした。
「そうね~……。花壇で育てている花の名前を聞いていいかしら」
花の名前を事前に用意していなかったのか、アナスは困った顔をした後に店内を見渡してベリルの隣に置いてあった鉢植えの花を指さした。
「あぁ、ビオラね」
「そう!それだ!名前をすっかり忘れてしまったから焦ったよ。子供たちの名前を忘れることは無いんだけどね……」
恥ずかしそうに照れたように笑うアナスは、そう話しながら頬をかいた。
「それにしても、ビオラのような丈夫な花の元気が無いなんて珍しいわね」
「毎日水や肥料はあげてるんだけど……」
花の話を交えつつ、リリーはアナスの相談を聞き出すと考え込むような仕草を見せた。
(ご飯もちゃんとあげているけど、儀式の日まで保たない子達が多く居て困っているのね……恐らく恐怖によるストレスで心が保たないのね……)
リリーは思いついたように顔を上げて見せると口を開いた。
「多分それね。ビオラの肥料や水をあげすぎちゃうと、どんな花も弱ってしまうのよ?子供たちだって構い過ぎると嫌がられる。それと同じよ」
「なるほど……。ありがとう、リリーさん。今度からは肥料や水の量を減らしてみるよ」
「えぇ。もし、それでも元気にならなかったら相談に来てちょうだい?」
アナスはリリーの言葉に頷くと、お礼を述べて店を後にした。店の扉がパタンと閉じた後も、リリーは少しの間だけ扉を見つめた。
(警告はしたわよ……アナス先生)
扉の向こうからアナスの高らかな笑い声が聞こえて来たような気がしたリリーは、憂鬱そうに目を伏せた。
アナスが店を退店した後、リリーは憂鬱な気分を吹き飛ばすように、くるりとコランダム達に体を向けた。
「せっかく来てもらったのに、ごめんなさいね。ベリルさん、刑事さん」
「構わないさ。花についても詳しいんだな」
「えぇ、少しだけね。刑事さん、花にはそれぞれのメッセージが秘められているのよ?」
リリーはコランダムと話しながら慣れた手つきで紅茶を淹れた。
「メッセージ?」
「えぇ。例えば、ビオラなら『忠実』や『誠実』、『信頼』、『物思い』、『少女の恋』、そして『私のことを想ってください』っていうメッセージがあって、花言葉っていうのよ」
紅茶を淹れ終えたリリーは、コランダムとベリルに話しながら紅茶を手渡した。
「じゃあ、ハンカチの白百合はどんな花言葉があるんですか?」
ベリルはへぇと相槌を打ち、紅茶を一口飲んだ後にリリーに問いかけた。
(そう言えば、ハンカチの百合は白百合だったのね……。プレゼントが嬉しくて気付かなかったわ……)
ベリルの言葉を聞き、リリーはハンカチにある百合の刺繍が白百合であることに初めて気が付いた。そして、本で読んだ白百合の花言葉を思い出しながらベリルの問いに答えた。
「白百合は『清浄』、『ピュア』、『尊厳』、『純潔』、『堂々たる美』……だったかしら」
「まるで、リリーさんみたいな花ですね!」
「ベリルさんったら、お世辞が上手ね」
リリーはくすくすと楽しそうに肩を震わせ笑った。すると、ふとコランダムの居る方向から視線を感じた。ちらりとリリーが視線をコランダムに送ると、何か考え事をするような表情を浮かべていた。
(刑事さん、きっと黒百合の花言葉がなんなのか、気になっているのね……)
【黒百合の殺人鬼】が現場に残すという黒百合は、彼女にとってコランダムへのメッセージそのものだった。
『黒百合の花言葉はどういうメッセージがあるのか分かるか?リリー』
リリーの頭の中にいたコランダムが囁いた。ぞくりとする感覚と耳に響く鼓動、緊張か興奮か分からない息苦しさの全てがリリーの気分を心地よくさせた。
(刑事さん、聞いて……?貴方が尋ねたら、私は何だって答えるわ……!)
リリーは声に出してコランダムに伝えたい気持ちを抑え込み、尋ねてくるのを心待ちにしていた。しかし、コランダムは考え直したように首を横に振った。
(残念ね……)
リリーは心の中で少し悲しげに微笑んだ。先程まで荒れる波のようであった何かが少しずつ静まり返ってしまうのを感じた。その静けさを振り払うように、リリーはカレンダーに視線を向けた。
(今日が十二月二十一日だから、事件から十八日が経ったのね……。何か新しい事件でも起こした方が良いのかしら?そろそろクリスマスだし、刑事さんにプレゼント……)
カレンダーに記載された十二月二十五日、クリスマスの日付を見たリリーは何かを思いついたように目を見開いた。
(そうじゃない、もうすぐでクリスマスだわ……!)
そう考えたリリーは、くるりとコランダムの方へと体を向けて声をかけた。
「そうだ、刑事さん。十二月二十五日、予定はあるかしら?」
「いや、無いが……」
コランダムはいきなり自分に振られた話に少しだけ反応が遅れつつも、そう答えた。
「なら、良かったわ。実は刑事さんにとっておきのプレゼントを用意しているの。お店に来てもらえる?」
「え?あ、あぁ、分かった……」
ポカンとしたコランダムの頭がリリーの言葉の処理を終えたのか、みるみるうちに表情を変えていくのを見届けた後に、リリーは窓の外を確認した。
「あら、いけない!雨が降っているわ!お二人とも、傘は持っているかしら?」
リリーは二人にそう尋ねると、コランダムはガタンと来客用の椅子から立ち上がって答えた。
「だ、大丈夫だ。行くぞ、ベリル」
「え!?先輩!?」
コランダムは、雨の中へと飛び込むように走りだした。
「あ!ちょっ!!……リリーさん、すいません。失礼しました」
ベリルはリリーに一礼すると、コランダムの名前を叫びながら、彼の背中を追いかけていった。
「あらあら、行っちゃったわ……」
リリーは雨の中濡れながら走り去る二人の背中を見送りながら呟いた。そして、店に誘った時のコランダムの反応を思い出して口角を上げた。
「プレゼント、気に入ってくれるかしら……?」
リリーは当日のコランダムに思いをはせながら、静かに店の扉を閉めた。
コランダムとベリルが店を退店した後、リリーは店の奥の作業部屋へと足を運んだ。外で奏でられる雨音を楽しみながら、日記とペンを手に取ると今日の出来事を記した。
【十二月二十一日。晴れのち曇り。アナス先生がお店に来たわ。花壇のお花が育たないから困っているんですって。子供を教育するのは得意なのに……。少し変な感じね。そういえば、最近行方不明になる子供が増えたみたい……】
記し終えたリリーはペンを置いて、出来事を思い返すように日記を読み返した。すると、リリーは自分の記した日記の内容に誤りがあることに気が付いた。
「あら、雨が降っているのに天気を晴れのち曇りにしてしまったわ……」
そう呟いてペンを手に取ると、チリリンという呼び鈴の音が聞こえた。手に取ったペンを置いて、リリーは店に来店した人物を出迎えた。
「あら、やっと来たのね。ロサ先生」
「お待たせしました」
リリーは妖しく微笑むロサを無視して本題に入った。
「取引をしましょう。好きな人に最高のプレゼントを用意したいの」
ロサはリリーの言葉に目を見開いた。リリーの言葉の意味を理解したロサはグニャリと口角を曲げた。
「えぇ、もちろん。喜んで」
リリーの誘いに頷くと、ロサは来客用の椅子に腰かけた。
「始めましょうか」
ロサの言葉を合図に、リリーとロサは取引を始めた。『フラワーショップ・リリー』の中での会話は雨音によって掻き消されてしまった。




