第8話:雛人形になりたくて美容院で『日本人形ヘア』を頼んだ作者の末路www
「——な、何ですかこれは……! なんと愛らしく、雅で、神聖な空間なのでしょう……!」
東京の大型百貨店、特設催事場。
生活用品の買い出しついでに立ち寄ったフロアで、私——式部紫乃は、足が縫い止められたように立ち尽くしていた。
視線の先にあるのは、朱塗りの豪華絢爛な七段飾り——現代の雛人形の展示コーナーだった。
十二単を模した美しい着物を召された男雛と女雛。三人官女に五人囃子。
平安の宮廷文化の粋を集めたようなそのミニチュアの世界に、私の胸は2026年に降臨して以来、最も激しく打ち震えていた。
「これぞ……これぞ私たちの生きた平安の美……! まさか1000年後の未来で、私たちの装束がこれほどまでに大切に愛でられ、受け継がれているとは……! ああ、愛おしや……『ひいなあそび』の伝統が、こんなにも美しい形で……!」
うっとりと頬を染め、ショーケースに張り付くように見惚れる私。
その隣で、スマホで限定コスメの在庫をチェックしていた清原諾子が、冷ややかな視線を向けてきた。
「紫乃ちゃん、ガラスに鼻の脂がつくから離れなさいよ。まあ、確かに現代の職人技も大したものだけどさ」
「諾子さん! この雛飾り、我がタワーマンションの六畳一間に一台お迎えすることはできないでしょうか!? これが部屋にあれば、1000年前の宮廷を思い出して執筆も生徒指導も百倍捗るのですが!!」
「無理に決まってるでしょ、薄給の非常勤講師が数十万円もする七段飾り買えるわけないでしょ。……それにね、紫乃ちゃん」
諾子はニヤリと、意地の悪い笑みを浮かべた。
「現代の雛人形にはね、恐ろしいジンクス(都市伝説)があるのよ」
「……じ、じんくす?」
「そう。『3月3日のひな祭りが終わったら、すぐに片付けないと——お嫁に行くのが遅れる(婚期を逃す)』っていう言い伝えよ」
「な……ッ!!???」
私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「す、すぐに片付けなければならない……!? 一年中、部屋に飾っておくことは許されないのですか!?」
「当たり前じゃない。だらしない娘に育たないようにっていう現代の教育的戒めよ。だから雛人形は、年に数週間しか日の目を見られないの」
「そ、そんな……! これほどまでに美しい人形たちが、一年の大半を暗いダンボール箱の中で過ごさねばならぬなど……あんまりです……! あまりにも『すさまじきもの(興ざめなもの)』ではありませんか……!!」
ショックのあまり膝から崩れ落ちる私。
(一年中、誰かに愛でられ、飾られ続ける存在であってほしいのに……!)
その時、私の限界を迎えた脳内に、恐るべき狂気のひらめきが走った。
(……待ちなさい。雛人形を部屋に置けないのならば……)
(私自身が、雛人形(日本人形)のような美貌の器になれば良いのでは……!?)
そうすれば、光先生の前でも常に雅な存在として一年中愛でていただけるはず……!
「……諾子さん。私、ちょっと行かねばならぬ場所ができました」
「はぁ? どこ行くのよ」
「美の神殿(美容院)です!!」
数十分後。モード系ファッション街の超人気ヘアサロン。
落ち着いたジャズが流れる洗練された店内に、目を血走らせた私が飛び込んできた。
「いらっしゃいませー! ご予約の式部様ですね? 本日はどのようなスタイルをご希望ですか?」
担当のカリスマ美容師(爽やか系イケメン)が、笑顔で話しかけてくれる。
私は鏡越しに美容師の目を真っ直ぐに見据え、覚悟を決めた声で告げた。
「——私を、『伝統的な日本人形』にしてください」
「……はい?」
美容師の手がピタリと止まった。
「日本人形……とおっしゃいますと?」
「ええ! あの漆黒の艶やかな髪! 額を綺麗に切り揃え、左右の髪を頬に沿わせるように流した、あの上品極まりない市松人形や雛人形のお姫様のような髪型です!! 雅で、どこか神秘的で、一年中床の間に飾っておきたくなるような完璧な日本人形にしていただきたいのです!!」
熱弁を振るう私。
美容師は数秒間、困惑したように目をパチパチとさせた後、ハサミを構えて冷静にツッコミを入れた。
「……えっと、要するに……『前髪ありのボブカット』でよろしいですか?」
「ぼ、ボブ……カット……!?」
「はい。今のトレンドだと、毛先をぷつっと切り揃えたボブに、インナーカラーで少し深みのあるアクセントを入れると、モード感が出てすごくお似合いだと思いますよ。日本人形っぽさも出つつ、現代的でオシャレになります」
「ボブ……西洋の響きですが……それで日本人形になれるのですね!?」
「はい、お任せください!」
一時間後。
「——いかがでしょうか?」
鏡の前に現れたのは……漆黒の艶髪をベースに、インナーにさりげなく雅な紫のニュアンスを忍ばせた、驚くほど知性的でスタイリッシュな最先端ボブカットの私だった。
「……こ、これは……」
(な、なんということでしょう……! 確かに雛人形のお姫様のような品格がありつつ、現代の洋服にも完璧に調和している……! 現代の髪結い職人の技術、恐るべし……!!)
「ありがとうございます!! かたじけなし……あ、いえ、大変気に入りました!!」
翌日。ジパング高校、放課後の国語準備室。
新しいボブヘアで出勤した私を、ソファで動画編集をしていた諾子が二度見した。
「……ちょっと紫乃ちゃん。あなた、急に髪切ってどうしたのよ? ……まあ、悔しいけど結構似合ってるじゃない。知的な非常勤講師っぽさが増したわね」
「ふふん……当然です! 私は昨日、現代の美容師によって『一年中飾っておきたくなる日本人形』へと進化を遂げたのですから!」
「何言ってるか全然意味が分からないんだけど」
そこへ——ガラリとドアが開いた。
「——失礼します、式部先生。明日のプリントの確認に……」
夕陽を浴びて現れたのは、愛しの光先生だった。
「ひ……っ! ひ、ひひひひ光先生……っ!?」
光先生は私を見るなり、パッと目を見開き、まじまじと私の顔を見つめた。
「……あ」
(見つめられている……! 光様が……私の新しい日本人形ボブを至近距離で凝視していらっしゃる……ッ!!)
私の心臓が爆音で跳ね上がる。
「式部先生、髪を切られたんですね」
光先生が、花がほころぶような極上の微笑みを浮かべた。
「すごく素敵です。まるで……伝統的な雛人形のお姫様のように上品で、とてもよくお似合いですよ」
「……ッ!!???」
(ひ……雛人形のお姫様……!? 通じた!? 私の意図が光様に完全に通じたーーーーーッ!!??)
歓喜と尊さのあまり、私の脳内CPUが物理的に焼き切れた。
「あ……あ……っ!」
「式部先生?」
「ひ、光様……っ! 私を……私をどうか、三月三日を過ぎても片付けずに……『年中無休で飾って』くださいませぇぇぇーーーっ!! ありがたし! いとほし! ぐふっ!!(尊さのあまり教卓に額を強打して自爆)」
「ええっ!? 年中無休で飾る!? 式部先生、大丈夫ですか!?」
パニックになる光先生。
そして準備室の床に、新しいボブヘアを振り乱して沈没する私。
「ぎゃはははは!! 『年中無休で飾って』ってどんなプロポーズよwww 雛人形のジンクス引きずりすぎでしょ!!」
諾子の爆笑とツッコミが、夕暮れの校舎に盛大に響き渡ったのだった。
(第9話へつづく)




