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第7話:古都の土産は『枕草子』だらけ!? 〜千年のトラウマとツンデレな近江道中〜

「——見て頂戴紫乃ちゃん! どこを見渡しても『いとをかし』! 右を向いても『春はあけぼの』! 京都の観光産業は、実質的に私のセンスで回っていると言っても過言ではないわね!」


京都駅の改札を抜けた瞬間、清原諾子がスタイリッシュな紫の柄トップスとタイトパンツの裾をなびかせ、八条口の喧騒の中で堂々と胸を張った。


秋の特別フィールドワーク。生徒たちの古典・日本史教材研究および「現地リサーチ」と称して、私たちは新幹線で千年の都・京都へとやってきていた。


「……ハァ。相変わらず図々しい自己主張ですね、諾子さん」


シックなカーディガンを羽織り、落ち着いたインナーカラーのボブヘアを揺らしながら、私——式部紫乃は深々と溜息をついた。

だが、諾子の言うこともあながち大げさではないのが悔しいところだ。

駅構内の生八ツ橋のパッケージ、抹茶スイーツのPOP、観光案内のパンフレット……そこかしこに『枕草子』の冒頭文や「いとをかし」という文字が躍っている。


「本当、現代の京都って商売上手ねぇ。ほら、この老舗の看板だって紫乃ちゃんの作品の名前も使われてるじゃない? 感謝しなさいよね!」


テラス席で和風スイーツと緑茶を嗜みつつ、タブレット端末をサクサクと操作する諾子。バズ塾講師らしく、すでにSNS用の写真と動画を撮影して投稿を済ませているようだ。


「……私の作品が親しまれているのは結構ですが、このような商業主義的なバズり方に諸手(もろて)を挙げて喜ぶ気にはなれません」


私はアナログなレザーのノートに万年筆で静かにペンを走らせ、窓の外の街並みを見つめた。


「……それに。京都(平安京)は……私にとって、あまり明るい思い出ばかりの場所ではありませんから」


ポツリと漏れ出た私の言葉に、タブレットを操作していた諾子の手が、ピタリと止まった。


カフェをあとにした私たちは、まず教育現場のリサーチも兼ねて、稲荷信仰の総本宮である伏見稲荷大社へと足を運んだ。


朱色の千本鳥居が立ち並ぶ参道は、現代の国内外からの観光客で溢れかえっている。


「うわぁ……すごい賑わいね! ほら紫乃ちゃん、ここよここ! 私の『枕草子』第158段【うねびの山の〜(稲荷に詣ででたるに)】の場面よ!」


諾子がテンションを上げて鳥居の坂道を指さした。


「息を切らしながら『あぁ、苦しい、早く上の社に辿り着きたい』ってゼーゼー登ってたら、後から来た元気な参拝客にサッサと追い抜かされて悔しかったのよねぇ! 1,000年前も今も、この坂のキツさは変わらないわ!」


「……あなたは昔から賑やかな行事や参拝が好きでしたからね」


「そうよ! 参拝ついでにすれ違う男たちの服装をチェックしたり、エモい和歌を詠んだりするのが最高に楽しかったんじゃない! 紫乃ちゃんも、ほら! もう少し楽しそうな顔をしなさいよ!」


「……」


私は朱色の鳥居を見上げながら、そっと視線を落とした。


1,000年前の京都。

華やかな後宮の文化。だがその裏側にあったのは、藤原氏の凄惨な派閥争い、権力闘争、女同士のドロドロしたマウント合戦。そして何より、最愛の夫・藤原宣孝(のぶたか)とのあまりにも早い死別……。

私にとってこの京の街は、繊細すぎる心を擦り減らし、引きこもり、血を吐くような思いで『源氏物語』を執筆せざるを得なかった、「傷と孤独の街」でもあったのだ。


華やかに賑わう現代の京都の街並みを見つめれば見つめるほど、胸の奥に冷たい澱(おり)のようなものが溜まっていく。


「……紫乃ちゃん?」


「……いえ。なんでもありません。次の目的地へ行きましょう」


私は努めて平然を装い、歩き出した。

だが、そんな私の僅かな表情の陰りを——横にいる女が見逃すはずもなかった。


「……ちっ。相変わらず暗気で、見ていてイライラするわね」


伏見稲荷の参拝を終え、京都駅に戻ってきた夕刻。

新幹線のチケットを買う段になって、諾子が舌打ちをしながら私の腕をグイッと引っ張った。


「な、なんですか諾子さん!? 新幹線の改札はあちらですよ!?」


「東京直行はキャンセルよ! 乗り換えるわ!」


「はぁ!? 乗り換えるってどこへ——」


「黙ってついて来なさい!」


諾子に強引に連れ込まれたのは、湖西線の電車だった。

京都の市街地を抜け、電車は山をくぐり抜け、やがて右手に深く青い湖面——琵琶湖(近江の海)を映し出し始めた。


「……ここは、滋賀県(近江)……?」


私が目を見開くと、諾子はハイブランドのサングラスを頭にのせ、窓の外の湖面を見つめながら、フンと鼻を鳴らした。


「そうよ。近江(おうみ)よ。……あなた、昔、お父様(藤原為時)の任国である越前(福井)へ向かう途中で、この近江の景色を眺めて和歌を詠んでたでしょ?」


「……っ!」


『からもろみ 渡かへるの 山なれば ねにのみ泣きて 経るつきひかな』——。

住み慣れた京を離れ、見知らぬ北国へ旅立つ不安の中、この近江の滋賀の山々を眺めながら不安に押し潰されそうになっていた若き日の記憶。


「京の都が苦い思い出ばかりだって顔してるから、連れてきてあげたのよ」

諾子が肘を突き、ツンと横を向いた。


「それに……ここには『かるたの聖地』と呼ばれる近江神宮があるわ。先日の小倉百人一首対決で、光先生の神ボイスにやられて惨敗した不憫なあなたに、かるたの神様のご加護でも授かりに行こうと思ってね!」


「……ノコササン」


私は言葉を失った。


清少納言——清原諾子という女は、いつだってそうなのだ。

派手で、毒舌で、年上マウントばかり取ってくるが、その根底にあるのは「傷ついている者を放っておけない、恐ろしいほどの情の深さ」。

1,000年前、定子様の遺児たちに注いでいたあの深い愛情と優しさが、今、不器用な形で私に向けられている。


「……気遣い、ですか? あなたなりの」


「はぁ!? 気遣いなわけないでしょ馬鹿馬鹿しい!! 私はただ! 現代の百人一首の聖地巡礼をして動画のネタにしたかっただけよ! 勘違いしないでちょうだい!!」


真っ赤になってまくし立てる諾子。

そのツンデレすぎる側顔を見つめながら、私はフッと、本日初めて心からの笑みをこぼした。


「……フフ。ありがとうございます、諾子さん」


「〜〜〜〜ッ!! 笑うな気味が悪い!! ほら、着いたわよ、近江神宮!!」


夕陽が沈みかける朱塗りの美しい楼門——近江神宮。

小倉百人一首の第1番『秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ〜』を詠んだ天智天皇を祀る、競技かるたの聖地。


静謐な境内の空気を吸い込むと、京都の喧騒で固くなっていた胸のつかえが、すーっと解けていくのが分かった。


「……良い風ですね。京の都のドロドロとした泥沼とは違う、清らかな風です」


「でしょ? ほら、あそこの授与所で『かるた上達お守り』売ってるわよ。買いなさいよ紫乃ちゃん」


「ええ……買いましょう。自分用と……そして……」


私はお守りを手に取り、ポッと頬を朱に染めた。


「……光先生への、お土産として」


「……出たわね、推しへの貢ぎ物癖」諾子が呆れたように半目で私を見た。


翌日。東京・ジパング高校、放課後の国語準備室。


無事に東京へ帰還した私たちは、採点作業と補講の準備に戻っていた。


ガラリとドアが開く。


「——お帰りなさい、式部先生、清原先生。京都と近江の出張リサーチ、お疲れ様でした」


夕陽を背に受けて現れたのは、爽やかな笑みを浮かべた光先生だった。

相変わらずの国宝級の美貌。


「ひ……っ!? ひ、ひひひひ光様……じゃなくて光先生!?」一瞬で私の思考回路がショートした。


「穂波さんたちから聞きましたよ。近江神宮へ行かれたそうですね。かるたの聖地、僕も一度行ってみたいんです」


「ひ、光先生……っ! これを……これを光先生に……っ!」


私はガタガタと全身を震わせながら、近江神宮で買ってきた『かるた開運お守り』と、近江銘菓の和菓子が入った袋を両手で突き出した。


「えっ、僕にお土産ですか? ありがとうございます、式部先生」


光先生がすっと手を伸ばし、お守りを受け取った。

その際、光先生の温かい指先が、私の指にふんわりと触れた。


「……あ」


(触れ……ふ、触れ……っ! 光様の神聖な指先が私の指に接触し……近江の神様のご加護が光様と私の間に回路を形成し……ッ!!)


私の脳内メモリが、限界突破(クラッシュ)を起こした。


「い、いと……いと、かたじけなさ過ぎて……『からもろみ 渡かへるの 山なれば(※近江の山で泣き叫びたいほど尊いです)』ーーーーっ!! ぐはっ!!(尊さのあまり鼻血のイメージで自爆)」


ドッシーン!!!!


私は準備室の床へ、盛大に膝から崩れ落ちた(自爆)のだった。


「ちょっと紫乃ちゃん!! せっかく近江でいい雰囲気でトラウマ克服したのに、最後は推しの指が触れて過呼吸自爆で台無しにしないでちょうだいーーーっ!!」


「あははは!! 式部先生、本日も絶好調のポンコツ自爆だーーーっ!!(通りかかった歩実たちの爆笑)」


夕暮れの校舎に、最高のツッコミと爆笑がどこまでも響き渡っていた。


(第8話へつづく)

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