第6話:再生数が落ちたので、紫式部の土俵『絵合』で勝負を挑んでみた結果www
「——危機よ。これは我がチャンネル開設以来、最大の緊急事態だわ……!」
放課後の国語準備室。
高級デザイナーズチェアではなく、学校のパイプ椅子に浅く腰掛けた清原諾子が、ノートPCの動画アナリティクス画面を凝視しながら、鬼気迫る表情で爪を噛んでいた。
「……何が危機なのですか、諾子さん。あなたの投稿している『バズ塾講師の毒舌古典講座』の再生数が、少し落ちた程度のことでしょう?」
教卓で採点作業をしていた私——式部紫乃は、温かいお茶をすすりながら冷ややかに鼻で笑った。
「『少し』ですって!? 直近のショート動画の再生数が、目標の10万回から3万回に落ち込んでいるのよ!?アルゴリズムの変更かしら……それとも読者(視聴者)が私の毒舌に慣れて飽きてきたの……!? このままでは案件(企業案件)が減って、私のタワマンのローンが払えなくなっちゃうじゃない!!」
「自業自得です。元より虚飾のバズに頼った生活など、長続きするはずがありません。地道に教壇に立ち、薄給に耐えて生徒と向き合う私を見習いなさい」
「うっさいわね!! 勝ち組の私があなたに見習う要素なんて1ミリもないわよ!!」
諾子はバシッと机を叩いて立ち上がると、ニヤリと底意地の悪い、けれど必死な笑みを浮かべて私を指さした。
「……決めたわ。次の企画は、あなたを完全に巻き込んだ『ガチンコ対決第2弾』よ!! 前回のカルタ動画がバズったんだから、今回も対決モノで再生数を跳ね返して見せるわ!!」
「お断りします。私はあなたの動画の集金道具ではありません」
「フフッ……逃げるの、紫乃ちゃん? 今回はね、あなたの“本拠地”で戦ってあげようと思ってるのに?」
「……私の、本拠地……?」
私が不審そうに眉をひそめると、諾子は鞄から二冊の豪華な絵絵巻(の復刻版資料)をバサリとテーブルに広げた。
「そうよ! 『源氏物語』第17帖——『絵合』よ!!」
「……っ!?」
私はハッと息をのんだ。
『絵合』——それは、私が執筆した『源氏物語』の中でも、最も雅で、最も知的な文化バトルを描いた屈指の名名章段。
宮廷の権力闘争(藤原氏内部の権力争い)を背景に、梅壺の女御(冷泉帝の後宮)と権中納言の女御(朱雀院の姫君)が、それぞれ持ち寄った素晴らしい「絵(絵巻物)」の美しさと解釈の深さを競い合った、平安時代の最高峰のプレゼンバトル(絵画コンテスト)である。
「あなたの得意分野でしょ? 持ち寄った絵(イラストや作品)の価値と表現力を、和歌とプレゼンで競い合うバトル! これなら文系読者も受験生も大歓喜間違いなしよ! 題して『【平安頂点決戦】紫式部vs清少納言! 現代の絵合でガチ喧嘩してみた!』!!」
「……ふん、企みは浅はかですが」
私は眼鏡(伊達)の位置を静かに直した。
「『絵合』の真髄を語るにおいて、作者である私以上に相応しい人間が存在するはずもありません。いいでしょう、諾子さん。あなたの浅薄なプレゼンなど、私の言葉の刃で完膚なきまでに叩き伏せて差し上げます!」
「言ったわね! 勝った方が今回の動画の収益(案件料)を独占、負けた方は相手の言うことを一目聞き入れること!!」
「望むところです!!」
【バチバチバチッ……!!】
準備室に再び、激しい火花が散った。
企画を聞きつけた落ちこぼれ3人組(歩実、由奈、怜)が、審判兼撮影スタッフとして準備室に駆けつけた。
「すごーい! 『絵合』って、平安時代のイラストプレゼン大会みたいなものなんだね!」歩実が興味津々で絵巻物を覗き込む。
「……はい」理系男子の怜がノートを開いた。「共通テストの古典でも、当時の文化・物語の構造理解として出題されやすい重要章段です。登場人物たちが『昔の絵(古絵)』と『現代の絵(今絵)』のどちらが優れているかを競い合い、最終的に光源氏の持ち出した『須磨の絵日記』が圧倒的感動を呼んで勝利する……という、物語の伏線回収が見事な場面ですね」
「よく勉強しているわね、怜くん!」
諾子がドヤ顔でカメラをセットした。
「ルールは簡単! 私と紫乃ちゃんが、それぞれ現代の『エモいイラスト/絵巻物』を持ち寄り、その作品の美しさと背景のドラマをプレゼンする! 審査員は……」
「——おや、みなさん揃って何をしているんですか?」
ガラリとドアが開き、夕陽の光を浴びて光先生が現れた。
相変わらずの国宝級の美貌。爽やかな笑顔。
「ひ……っ!? ひ、ひひひひ光様……じゃなくて光先生!?」一瞬で私の思考回路がショートした。
「実は生徒の穂波さんから聞きまして。『絵合のプレゼンバトル』をするそうですね。よろしければ僕が『審査員(判定人)』を務めましょうか? 平安の絵合でも、権中納言(藤原伊周など)や貴族たちが判定人を務めていましたから」
光先生が、極上の微笑みを浮かべて審判席(教卓)に腰掛けた。
「……ッ!!???」
(ま、待ってください……!! 光様(理想の推し)が審査員……!? ということは、私のプレゼンを、私の言葉を、光様が至近距離で真剣な眼差しで見つめてくださるということですかーっ!??)
私の脳内でアラートが暴走し、顔面が朱に染まる。
諾子がニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべた。
(ふふん……推しの前でプレゼンなんて、紫乃ちゃんがまともに喋れるわけないじゃない! 勝ち確定(消化試合)だわ!)
「それでは、先行は私から行くわね!」
諾子が自信満々に一枚の現代イラスト(SNSで大バズり中の新進気鋭のイラストレーターによる、美しくも切ない『春はあけぼの』の現代解釈アート)を掲げた。
「見てちょうだい! これが現代の『今絵』よ! 桜舞い散る黎明の空、紫がかった雲の細くたなびく様を、現代のデジタルアートの色彩美で完璧に表現しているわ! 『春はあけぼの』の真意である“瞬間の美”を、言葉を超えて一瞬で脳に届ける……これぞ至高のアートよ!!」
「おおおーっ!! 諾子お姉ちゃんすごーい!! 超エモい!!」歩実と由奈が歓声を上げる。
光先生も深く頷いた。「素晴らしい視点ですね、清原先生。『枕草子』の空間美が現代のアートと完璧に融合している」
「フフン、でしょう!?」諾子がドヤ顔で私を煽る。
「さあ、次は紫乃ちゃんの番よ! 私のこの『現代のエモアート』を超えるプレゼンができるかしら!?」
私はすっと立ち上がった。
心臓は早鐘のように打ち鳴っている。光先生の視線が、真っ直ぐに私を射抜いている。
(落ち着くのです……! 私は『絵合』を描いた作者……! 画面の表面的な美しさ(今絵)に惑わされてはなりません……! 真のアートとは、その奥にある『人間の情念と歴史(古絵)』が織りなすドラマなのですから……!)
私は鞄から、古びた一冊の和綴じ本——私が書き残した『源氏物語・須磨の巻』の挿絵模写を取り出した。
「……諾子さん。あなたの提示した絵は、確かに美しく、現代的です。……ですが、それは『一瞬の視覚的快楽』に過ぎません」
私の声から、ポンコツな震えが消えた。
1,000年の時を超えて文学を紡いできた、本物の「作者」の情熱が、言葉に宿る。
「絵合における真の勝利とは、絵の上手拙さにあらず。その絵に込められた『描き手の孤独、葛藤、そして血の滲むような生き様』が、観る者の心をいかに揺さぶるかにあります! 『源氏物語』において光源氏が持ち出した『須磨の絵』が満場一致で勝利したのは、それが単なる風景画ではなく、流罪の地で孤独と絶望に耐えながら彼自身が描き留めた『魂の記録』だったからです!!」
私の眼差しが、審査員席の光先生をとらえた。
「絵とは、言葉で語り尽くせぬ人間の『寂しさ』や『愛おしさ』を不滅の形に留める術。表面的なバズや色彩の派手さに逃げず、描かれた人物の背後にある『人生の重み』を感じ取ることこそが……真の鑑賞であり、『絵合』の真髄にございます!!」
静寂。
準備室の空気が、私の言葉の熱量によって静まり返った。
「……すごい」理系男子の怜が息をのむ。「単なるアート比較じゃない……『作品の背景にある文脈を読む』という、国語の最深部の読解ロジックを提示している……!」
「うわぁ……式部先生、なんか鳥肌立った……!」歩実と由奈も感動で目をうるませている。
そして——審査員の光先生が、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳には、深い感動と感銘の色が浮かんでいた。
「……見事です、式部先生」
光先生が、静かに拍手を送った。
「絵の奥にある『描き手の生き様や感情』までをも言葉で救い上げる……あなたのその言葉の深さに、僕は今、深く心を打たれました。判定は——式部先生の勝利です」
「……っ!!」
勝った。
作者としての誇りと、言葉の情熱が、光先生の心に届いたのだ!!
「やった……やったわ紫乃ちゃん!!」
諾子も思わず(負けたことを忘れて)テンションを上げて駆け寄ってきた。
「今のプレゼン、完璧だったわよ!! これ動画にしたら絶対に爆バズりするわ!! さすがは紫式部ね!!」
生徒たちからも「式部先生おめでとうーっ!」と大歓声が上がる。
……だが。
勝負が決まり、緊張の糸が切れた、まさにその瞬間だった。
光先生が、すっと私の方へ一歩踏み出し、私の手を両手で優しく包み込んだ。
「式部先生。先生のような素晴らしい感性を持った方と出会えて、僕は本当に幸せです。……これからも、僕に色々な世界を教えていただけますか?」
光先生の、国宝級の極上スマイル。
至近距離で包まれる、温かい手の感触。
甘い香水の香り。
「……あ」
私の脳内の全ヒューズが、一瞬で物理的に吹き飛んだ。
(ひ……光様が……私の手を……『幸せ』……『これからも』……ッ!?)
感情のキャパシティが限界を破り、私の顔面が計測不能なほど真っ赤に沸騰する。
「あ……あ……っ!」
「式部先生?」
「あやし……ありがたし……いと……いと、あはれに侍り……っ!! 『あくがれそひし くもゐのそら(※魂が体から抜け出して空へ飛んでいきそうです)』ーーーーっ!! ぐはっ!!(※尊さのあまり目を開けたまま泡を吹いて自爆)」
ドッシーン!!!!
私はそのまま、教卓の前に盛大に卒倒(自爆)したのだった。
「ちょっと紫乃ちゃん格好良く勝った直後に白目剥いて倒れないでちょうだいーーーっ!!」
「あははは!! 式部先生、限界オタクの自爆だーーーっ!!」
夕暮れの学校に、最高の爆笑と大歓声が響き渡っていた。
そしてその夜——諾子が投稿した動画『【神回】紫式部vs清少納言のプレゼン対決で、紫式部が推しの手握られて尊死した結果www』は、見事に100万回再生(爆バズり)を達成したのだった。
(第7話へつづく)




