第4話:平安歌人本人が小倉百人一首でリアルガチバトルしてみた結果www
「——ちょっと紫乃ちゃん。あなた、いつまで教卓の前で光先生の残像に向かってニヤニヤしてるわけ?」
放課後の国語準備室。
私——式部紫乃は、昨日光先生が立っていたあたりの空間を見つめながら、「ふふ……『式部先生の教え方はステキだ』……ふふふ……」と余韻に浸っていた。
「……ハッ! 誰がニヤニヤですか! 私はただ、明日の授業計画を熟考していただけで侍り……じゃなくて、いただけです!」
「侍りが出ちゃってる時点でアウトなのよ」
ソファで最新のゲーミングノートPCを開いていた清原諾子が、呆れ果てたように画面から目を離した。
「それよりさ、進学塾の配信チャンネルで新しい企画動画を撮りたいのよね。『現役高校教師(紫式部)vs カリスマ塾講師(清少納言)』のガチンコ対決企画。やっぱり学校の放課後といえば……あれでしょ?」
諾子がニヤリと不敵な笑みを浮かべ、鞄から重厚な桐の箱を取り出した。
「……それは、小倉百人一首のカルタ……?」
「そう! 現代の高校生も国語の授業でやらされる、平安カルタよ! 1,000年前の娯楽であり、現代では『競技かるた』として畳の上の格闘技と呼ばれているスポーツ。ねえ紫乃ちゃん、どっちが本物の『平安の頂点』か、はっきりさせようじゃない?」
「ふん……面白いですね」
私は腕を組み、冷ややかな笑みを返した。
「和歌の詠み手としても、百人一首に選ばれた歌人としても、私の方が格上であることは歴史が証明しておりますが? 諾子さんのような浅はかな『バズ狙い』のカルタなど、私の相手ではありません」
「あはは! 言ってくれるじゃない!! 現代のプロゲーマーのクリック速度(CPS)がなんだってのよ? 本場の後宮で鍛え上げられた私たちの『取り札(下の句)への反応速度』を見せてあげようじゃない!!」
こうして、準備室の床に畳状のマットが敷かれ、準備室のドアが少しだけ開けられた(※通りかかった生徒たちに見せるため)。
たまたま補講の質問に来ていた落ちこぼれ3人組(歩実、由奈、怜)が、ドアの隙間から覗き込み、ノリノリで動画撮影を始めた諾子のスマホ画面を注視した。
「えっ……あの2人、何始めるの……? カルタ……?」歩実がヒソヒソ声で呟く。
「……待ってください」理系男子の怜がメガネの位置を直した。「あの2人の構え……プロの競技かるた選手どころのフォームじゃありません。物理的な威圧感が異常です……!」
「それでは……読手はスマホの自動読み上げアプリにお任せするわね」
諾子が静かに目を閉じ、畳の上に指先をすっと置いた。その空気感が、一瞬で張り詰めた戦場へと変貌する。
「……私の歌、第62番『夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よにあふさかの 関はゆるさじ』が出たら、遠慮なく畳ごと叩き割らせていただくわ」
「ふ……私の第57番『めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに くもがくれにし 夜半の月かな』が出た瞬間、あなたの札ごと吹き飛ばして差し上げます」
【バチバチバチッ……!!】
2人の視線から、文字通り雷撃のような火花が散る。
『——ぬはこころ(ぬは心も狂ひぬべし)……』
読み上げアプリが、上の句を詠み始めた——その、初音の「ぬ」の音が空気を振動させた、まさにコンマ一ミリ秒以下の瞬間だった。
ドドンッッ!!!!
爆音とともに、準備室の空気が激しく破裂した。
「きゃああっ!?」歩実が悲鳴を上げる。
畳の上にあった札が一瞬にして数枚、強烈な衝撃波によって壁まで弾け飛んだ。
見れば、紫乃の手が床の札を完璧に押さえ込んでいた。
「なっ……『ぬ』の1音だけで取った……!? 一字決まり(『ぬ』で始まる歌は『ぬは心も〜』の1枚しかない)を、音波が鼓膜に達した瞬間に反応したの!? 現代のネトゲの最速クリック(0.1秒)より早いわよ!?」由奈(SNS依存)がスマホの画面を二度見して叫ぶ。
「フッ……浅いですね、諾子さん」
私は取った札(下の句:『あくがれそひし くもゐのそら』)を指で挟み、冷酷に言い放った。
「私が自分の生まれた時代で、どれほど歌を詠み、カルタの素養を磨いてきたと思っているのですか? あなたのその派手な散財癖で鍛えられた指先など、私の歴史(1,000年)の重みには勝てません」
「〜〜〜〜ッ!! まだ1枚目でしょ!! 調子に乗らないで紫乃ちゃん!! 次!!」
『——夜をこめて(夜をこめて 鳥のそらねは〜)……』
「「っ!!!」」
『よ』の音が聞こえた瞬間——
バッッ!!!!!
落雷のような音が響き、準備室のテーブルがガタガタと揺れた。
諾子の手が、私の手を上から完璧に抑え込み、札を畳ごと抉り取るように奪い取っていた。
「取ったぁぁぁ!! 私の第62番『夜をこめて〜』!! 下の句は『よにあふさかの 関はゆるさじ』!!」
「ぐっ……自分の歌が出た瞬間、威力が跳ね上がりましたね……ッ!」
「当たり前でしょ!! これはね、私が藤原行成様(※平安の天才達筆家)と深夜に交わした、最高にエモくて知的な和歌の贈答の歌なのよ!! 『鶏の泣き真似をして逢坂の関を開けようとしても、騙されませんよ』っていう超ハイセンスな返し!! 私の代表作を他人に取らせてたまるかーーーっ!!」
「あははは!! 諾子お姉ちゃんすごーい!! 札が壁に刺さってる!!」歩実が大爆笑しながら拍手する。
「……すごい」理系男子の怜が興奮気味にメモを取り始めた。「『よ』から始まる歌は百人一首に6枚ありますが、上の句の『よを〜』『よの〜』の識別を完璧に行い、決まり字『夜をこ』の時点で相手の動きを完全に封じ込めて打撃を与えている……! これが平安本物のアルゴリズム……!」
「まだまだ行きますよ!!」
私も負けじと前傾姿勢を深めた。
「私の第57番『めぐりあひて〜』は、久しぶりに再会した幼馴染と、ろくに話もできないまま月に隠れるように去ってしまった切なさを詠んだ、最高峰の叙情歌!! 下の句は『くもがくれにし 夜半の月かな』!! この歌だけは、絶対にあなたには渡しません!!」
「ハッ! 幼馴染への未練タラタラの歌なんて、私のバズ解法で秒で奪い取ってあげるわ!!」
「「来なさい!!」」
『——め(めぐりあひて〜)……』
「「せいやぁぁぁぁぁぁッ!!!!」」
ドカァァァァン!!!!
準備室の床から、凄まじい衝撃音が響き渡った。
『め』の一字決まり(百人一首で『め』から始まる歌は第57番の1枚のみ)に同時に反応したふたりの手が、音速を超えて交差する。
衝撃で準備室のプリントが舞い上がり、教卓の上が暴風に見舞われた。
「「取ったぁぁぁぁぁ!!」」
ふたりで同じ札の両端を掴み、バチバチと睨み合う。
「……放しなさい、諾子さん。私が0.001秒早かったはずです」
「はぁ!? 私の手が下に潜り込んでたでしょ!! 年上の私に譲りなさいよ!!」
「ハラスメントです!! 歴史的文学価値においても私の方が——」
「うっさいわね!! 私はバズ動画のためにこの1枚が絶対に欲しいの!!」
「「うおおおおおおっ!!!!(引っ張り合い)」」
ビリッ……!!!
静寂。
ふたりの手の中に残ったのは——綺麗に真ん中からふたつに破れた百人一首の札であった。
「「あ」」
静まり返る準備室。
崩れ落ちる私と諾子。
ドアの隙間から見ていた3人組。
「……あーあ。紫乃先生と諾子先生、自分の歌の札、破いちゃった……」あゆみが呆れ顔で呟く。
「……ですが、ものすごいデータが取れました」怜が満足そうにスマホの録画を止めた。「この超高速かるたバトル動画、SNSにアップしたら間違いなくミリオン再生行きますよ。『現代降臨した紫式部と清少納言がリアル百人一首でガチ喧嘩してみた』ってタイトルで」
「ちょっと待って、それ投稿したら私の塾のブランディングが——」と青ざめる諾子。
「……私の……私の大切な57番の歌が……(泣きそうになりながらテープで補修しようとする私)」
その時だった。
「——何を騒がしくしているんですか、おふたりとも?」
ガラリとドアが開き、光先生が姿を現した。
舞い散るプリントと、破れた札、そして床に突っ伏す私たちを見て、爽やかに首を傾げる。
「あ、光先生……っ! これは……これはその、古典の『競技かるた』の指導法を熟考して……侍り……っ!」
「あはは、式部先生は本当に古典に対して情熱的ですね。百人一首をそこまで熱く教えられるなんて、やっぱり素敵な先生です」
光先生が極上の微笑みを浮かべ、散らばった札を一枚拾い上げて私に手渡してくれた。
「あ……あ……っ!」
またしても私の脳内メモリが焼き切れた。
「ひ……光様の指が……札越しに触れ……『ありがたし』……『あやし』……ぐふっ!!(床に再沈没)」
「ちょっと紫乃ちゃん!! 決め顔で倒れないでちょうだい!!」
夕暮れの学校に、爆笑とツッコミがどこまでも響き渡っていたのだった。
(第5話へつづく)




