↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/15

第2話:作品のコミカライズ妄想で血吐く作者と、落ちこぼれにデレる元・宮廷のカリスマ

「……諾子さん。現代の『コミック』という媒体は、一体どのような構造になっているのですか?」


放課後の公立ジパング高校、誰もいない国語準備室。

パイプ椅子に浅く腰掛けた私――式部紫乃(しきぶ しの)は、教卓の上に広げられた一冊の少女漫画と、自身の執筆した『源氏物語』(の現代語訳本)を交互に見比べながら、深刻な顔で頭を抱えていた。


「はぁ? 何よ突然。私、これから進学塾の配信動画の編集作業があるんだけど」


放課後の校舎に私服――ハイブランドのシアーシャツにワイドパンツという、およそ高校の校舎には似合わない出で立ちで不法侵入(?)してきた清原諾子(きよはら なぎこ)は、爪をヤスリで整えながら心底ウザそうに私を見下ろした。


「いいから教えなさい! 現代の生徒たちが読んでいる『漫画』というものは、文章ではなく“絵”と“吹き出し”で物語を追うのでしょう? もし……もし私の『源氏物語』が現代でコミック化されるなどという事態になったら……!」


私はゴクリと唾を呑み込み、顔を青くさせた。


「私の……私の血を吐くような繊細な心理描写や、情景の美しさを表現した和歌、登場人物たちの細やかな心の機微が……『きゅん♡』とか『ズキッ……』とかいう、わずか二文字の擬音(オノマトペ)と集中線だけで処理されてしまうのではないですか!? 『光源氏の美貌』などという国宝級の概念が、キラキラした効果音とトーンで表現できるわけがないでしょう!!」


「……あのさぁ、紫乃ちゃん」


諾子は呆れ果てたように溜息をついた。


「コミックを舐めないでちょうだい。絵があるからこそ、1000年前の複雑な人間関係が現代の高校生にも一瞬で伝わるんでしょ? むしろあなたのあの無駄に長い地の文を、コマ割りと表情だけで魅せる漫画家さんの画力に感謝すべきじゃない? 私の『枕草子』なんて、現代で可愛いイラスト付きのコミックエッセイになって大人気なんだから」


「コミックエッセイ……っ! あなたの日常の愚痴や自慢話がコミカライズされるのは結構ですが、私の源氏物語は文学の最高峰です! もし……もし漫画化されて、光源氏が『俺、お前のこと……嫌いじゃないぜ』などと現代の軽薄なイケメン台詞を喋らされたら、私はショックで二度目の死を迎えます!!」


「誰もしないわよ、そんなキャラ崩壊!! っていうか、誰もあなたにコミカライズのオファーなんて出してないでしょうが!! 何を一人で勝手に脳内妄想して血吐いてるのよ!!」


諾子のツッコミが準備室に虚しく響く。

私は机に突っ伏し、「……でも、もし少女漫画風の光様が……『お前は俺の専属執筆者だ』とか言って顎クイしてきたら……」と、自分の都合の良い脳内妄想の泥沼にハマり込んでいた。


その時だった。


カツン、カツン、と静かな足音が廊下から近づいてきた。


「失礼します。式部先生、明日の国語総合のプリント、印刷が終わりましたので――」


ガラリとドアが開く。

そこに立っていたのは、夕暮れの斜光を背に受け、まるで後光を背負っているかのように爽やかな笑みを浮かべた男性教諭――特命講師の光(ひかる)先生だった。


容姿端麗、文武両道、物腰柔らかで生徒からも保護者からも絶大な人気を誇る、ジパング高校のカリスマ的教師。

そして私にとって彼は――自分が血を吐く思いで理想を詰め込んで書き上げた『源氏物語』の主人公・光源氏の面影をそのまま現代に受肉させたような、究極の推しであり、初恋の体現者であった。


(……ッ!!???)


私の思考回路が、一瞬で音を立てて全断絶した。


(ひ、ひひひひ、光様……ッ!? いや光先生!? なぜなぜなぜ今ここに!? 印刷!? 印刷をわざわざ私のために!?)


脳内妄想の真っ最中に「本物」が現れたショックと、あまりの顔面の美しさに、私の心臓が爆ぜかけた。


「あ、式部先生? お疲れですか? 顔がものすごく赤いですが……」


光先生が心配そうに、すっと私の方へ一歩踏み出し、覗き込んでくる。


(近い近い近い近い近いです光様!! 距離感が光源氏!! 息ができない!! 語彙力が!! 私の1000年の言語能力が死ぬ!!)


「あ……っ、い、いと……っ!」


「え?」


「いと……いと、かたじけなさ過ぎて侍(はべ)り……ッ!(※大変恐縮でございます!の意)」


「は、はい……?」


光先生がポカンと首を傾げる。

限界を迎えた私の脳は、現代語の処理を完全に放棄し、平安時代の古文をダイレクトに口から噴射し始めていた。


「ぷ、プリント、忝(かたじけ)なく存じます!! あ、私はこれにて散(さん)じますればーっ!!」


「え、式部先生!? 散ずるってどこへ――」


私は印刷物の束を両手で引ったくるように受け取ると、教卓に膝を激しく強打しながら、脱兎のごとく廊下へ跳び開けて逃走した。


「痛っ……あうっ……光様……光様ぁぁぁ……ッ!!」


廊下の曲がり角まで全力疾走し、壁に背中を預けてズルズルと崩れ落ちる私。

胸の鼓動がうるさいくらいに高鳴り、顔からは火が出そうだった。


◇


……そして。


国語準備室のドアの隙間から、その一部始終を冷ややかな目で見届けていた女がいた。


「……ねえ、紫乃ちゃん」


低く、極上の煽りを含んだ声が頭上から降ってきた。

忍び足で追ってきた清原諾子が、スマホのカメラレンズを私に向けながら、ニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべて立ち尽くしていた。


「あなた……自分の書いた作品の主人公(のそっくりさん)にガチ恋して、挙動不審の不審者になって逃げ出したわね? 恥ずかしすぎて私が代わりに死にそうなんだけどwww」


「ノ、ノコササン……ッ!! いつの間に動画を……削除しなさい!! 今すぐその携帯端末を破壊しなさい!!」


「嫌よ~、これ最高の脅迫ネタ(カード)じゃない!『紫式部、推しの前で古文を吐いて逃走』ってタイトルトップに置いたら塾のチャンネル登録者数10万人行くわ!」


「〜〜〜〜ッ!! 諾子さん!! 1000年後の日記にあなたの悪口を20万文字追加しますよ!!!!」


「だから日記に書くなと言ってるでしょうが!!」


結局、私が赤っ恥をかいたまま準備室の後片付けをし、諾子が「じゃあね~、私はタワマンに帰って動画編集するから」と優雅に校門へ向かったのは、すっかり陽が落ちた18時過ぎのことだった。


◇


校門を出ようとした諾子の耳に、ふと校舎の裏手から声が聞こえた。


「う〜〜……やっぱり全然わかんないよぉ……。西暦1000年とか1008年とか、なんで昔の人はそんな細かい年に事件起こすのさぁ……」


「歩実ちゃん、泣かないで……。ほら、私のSNSのタイムラインで『年号の語呂合わせ』検索してみたから……」


「俺に……現代語訳の『登場人物の心情』を聞かないでくれ……。『問3:この時の主人公の切ない気持ちを選べ』って……切ないって何だ? 定義が曖昧すぎるだろ……」


昇降口の近くのベンチで、街灯の光を浴びながら頭を突き合わせている3人の高校生。

ジパング高校の落ちこぼれ3人組――穂波歩実、七瀬由奈、漣怜だった。


「……はぁ。紫乃ちゃんの生徒たちね」


諾子は呆れたように肩をすくめ、無視して通り過ぎようとした。


(私はバズ講師。ボランティアで高校生の補講につきあう義理なんてないわ。早く帰って動画を――)


「あ! 諾子お姉ちゃん……じゃなくて、諾子先生!?」


歩実がパッと顔を上げ、諾子の姿を見つけて目を輝かせた。


「ちょっと、誰がお姉ちゃんよ。私は塾講師の――」


「諾子先生!! たすけてください!! 明日、紫乃先生の古典の抜き打ち小テストがあるんです!! これ落ちたら私たち、週末の部活も補講で潰れちゃうんです!!」


歩実がダダダッと駆け寄り、諾子の高級ブラウスの裾をすがりつくように掴んだ。

「歩実さん、失礼ですよ!」と制しようとする由奈と、「……先生、助けてくれ。心情理解のロジックを教えてほしい」と切実に頭を下げる憐。


「……ちょっと、離しなさいよ。服が高――」


払いのけようとした諾子の手が、ピタリと止まった。


すがってくる歩実の真っ直ぐで必死な瞳。

不器用だが一生懸命な子どもたちの姿。


その瞬間――諾子の脳裏に、強烈なフラッシュバックが駆け抜けた。


(……あ)


1000年前の、京都の宮廷。

早世した定子様が残された、幼い遺児たち――修子内親王や敦康親王。

母を失い、宮廷の政治闘争の渦中で不安に震えながら、自分にすがりついてきた幼い子どもたちの小さな手の温もり。


『なぎこ……あそんで……』

『なぎこ、どこにもいかないで……』


(……何よ、急に思い出させないでよ……)


胸の奥が、キュッと締め付けられるように痛む。

清少納言という女は、毒舌で派手好きに見えて、その実――「子ども」という存在に対して、恐ろしいほど情が深く、弱かった。


「……はぁ」


諾子は大きく溜息をつき、自らの額を押さえた。

そして、掴まれていた衣服のシワを丁寧に伸ばすと、フッと笑みを浮かべた。


「……しょうがないわね。特別に、カリスマ塾講師の私の超高額プライベートレッスンを、タダで受けさせてあげるわ」


「えっ……!? 本当!?」


「ただし!」


諾子は腰に手を当て、3人を見下ろすようにバシッと指をさした。


「ノリが悪いのは禁止! 勉強だと思わないで、現代のSNSのバズ構文だと思って覚えなさい! ほら、そこの暗記壊滅型の女の子! 西暦1000年に何があったか教えてあげるわ。『1000年、定子様が亡くなって私が絶望した年』って覚えなさい! 私の推しが死んだ悲劇の年よ! 忘れられるわけないでしょ!?」


「ええっ!? 推しが死んだ年!?」


「そうよ! そこから1年後の1001年に『枕草子』が完成! 1008年に紫乃ちゃんの『源氏物語』が評価された! ほら、推しの死(1000年)から1年、7年って連鎖させれば一発で暗記できるでしょ!?」


「すごーい!! 諾子お姉ちゃん、超わかりやすい!!」


「お姉ちゃん言うな! ……ほら、そこの理系男子! 心情理解が分からないなら、登場人物の敬語の向きを矢印でノートに書きなさい! 感情じゃなくて『誰が誰に頭を下げてるか』のベクトル解析よ!」


「ベクトル解析……! なるほど、それならロジックで解ける……!」


夜の校庭に、諾子のハキハキとした明るい声が響き渡る。

さっきまでの冷徹なビジネス講師の顔は消え、そこには完全に「頼れる面倒見の良いお姉さん」へと覚醒した清少納言の姿があった。


◇


……校舎の陰から、その様子をこっそり見つめていた人物がいた。

右膝に大きな湿布を貼った私――式部紫乃である。


(……諾子さん)


子どもたちに囲まれ、得意気に、けれどどこか愛おしそうに古典の楽しさを教えている彼女の横顔。

1000年前、後宮で幼い宮様たちをあやしていた時の、あの優しい眼差しと同じだった。


「……フフ。相変わらず、子どもには甘いのですから」


私は小さく微笑み、湿布の貼られた膝をさすりながら、静かに夜の校舎を後にした。


(第3話につづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。