第13話:令和の恋愛作法を履修した作者、推しの一言で天を仰ぐ
「――強引さ。今の殿方を射止める秘訣は、何にも増して“積極性”……と」
放課後の国語準備室。
西日の差し込む教卓で、私――式部紫乃は、現代の女性ファッション誌を聖典の如き眼光で見据えていた。
愛用のレザーノートには、万年筆の几帳面な筆跡で、
『草食男子には肉食の気概』
『パーソナルスペースを粉砕せよ』
といった血気迫るパワーワードがびっしりと連なっている。
「紫乃ちゃん、お願いだからその死んだ魚のような目で令和のモテ特集を精読しないでちょうだい」
ソファでくつろぐ清原諾子が、スタイラスペンを器用に回しながら、呆れ果てた顔でタブレットから視線を上げた。
「文化祭で『婚姻届を提出しましょう!』って絶叫自爆した前科をもう忘れたわけ? 現代の積極性っていうのはね、SNSの返信速度とか、カフェに誘う口実のスマートさを言うの。千年前の貴族よろしく求婚凸をキメることじゃないのよ」
「失礼な! 私は至って論理的に現代の恋愛戦術をインプットしているのです!」
バシィッ! と誌面を閉じ、私はすっくと立ち上がった。
「あなたのように裏で根回しをするような姑息な真似はいたしません。真正面から光先生の文学的嗜好をリサーチし、心の距離をゼロにしてみせます!」
「はいはい、壮大な自爆フラグ乙。……噂をすれば来たわよ」
からり、と引き戸が開いた。
現れたのは光先生。
夕暮れの斜光を背負ったその立ち姿は、令和の世にあってもなお光源氏の再臨と見紛うばかりの美しさである。
(ひ、光先生……っ! 怯んでは駄目です紫乃、令和の女は間合いを詰める……!)
私は雑誌の教えを忠実に遂行すべく、猛然とステップを踏み込んだ。
至近距離。相手のまつ毛の本数が数えられそうなゼロ距離射程である。
「し、式部先生!? あの……ずいぶん近いというか、息がかかる距離ですが……?」
たじろぐ光先生の退路を塞ぐように、私は鋭く問いを突きつけた。
「光先生! 単刀直入にお伺いいたします! 先生は……『源氏物語』と『枕草子』、殿方としてどちらをお好みに召されますかッ!?」
準備室の空気が一瞬で張り詰める。
背後で諾子が「うわぁ……」と両手で顔を覆う気配がした。
光先生はパチパチと瞬きを二度、三度。
それからいつもの人畜無害で穏やかな微笑みを浮かべ、人差し指をすっと顎に当てた。
「そうですね……どちらも名作ですが、僕個人の好みで言えば――『枕草子』でしょうか」
ごおおおおおおん……。
私の脳内で、比叡山延暦寺の巨大な鐘が乱打された。
「ま……まくらの……?」
みるみる血の気が引いていく私を横目に、諾子が「キタコレ」とばかりに口角を吊り上げる。
「やっぱり現代を生きる男には、私の『をかし』のリアリズムが刺さるのよね〜! 見なさい紫乃ちゃん、時代は枕草子よ!」
「な、なぜ……なぜ枕草子なのですか光先生ぇぇぇ……ッ!?」
涙目で食ってかかる私に、光先生はどこまでも爽やかに、夢見るような瞳で続けた。
「『枕草子』は、宮中の日常や人間味あふれる仕草がすごくリアルで、クスッと笑える親しみやすさがありますよね。千年前の観察眼がそのまま現代に通じているというか。……もちろん『源氏物語』も壮大で素晴らしい大傑作だと思いますよ? 人間のドロドロした業や情念、複雑な心理をあそこまで緻密に描き切るなんて、並大抵の人間には不可能です。だからこそ――」
光先生は憧憬を帯びた眼差しで、遠い空を見つめるように目を細めた。
「作者の紫式部さんは、きっと近寄りがたいほど高潔で、人を鋭く見抜く深い影を持った孤高の女性だったんだろうなと想像するんです。もし叶うなら……僕、紫式部さんご本人に直接お会いして、どんな思いであの長い物語を紡いだのか、じっくりお話ししてみたいんですよね」
――ご本人に、直接お会いしてみたい。
そのあまりにも無垢で、あまりにも残酷な憧憬の一撃が、私の脳天を直撃した。
(わ、私は……っ! 私はここにいるんですぅぅぅぅぅーーーッ!!!!)
喉元まで競り上がった魂の絶叫を、「神の掟(正体秘匿)」という見えない枷が容赦なく食い止める。
目の前!
あなたが会いたいと焦がれた紫式部本人は、いま目の前で令和のプチプラ服を着て、インナーカラーのボブ頭で、鼻水をすすりながらプルプル震えているこの女なんです――ッ!!
ショック、切なさ、そして推しから向けられた最大級の賛辞(尊さ)。
感情のトリプルパンチが脳内メモリの上限を軽々と焼き切った。
「し、式部先生……!? 目から大粒の涙が滝のように溢れていますよ!? ぼ、僕、何か気に障るような失礼を――」
「め、めぐり逢ひて……見しやそれとも……わかぬ間に……っ!」
「えっ、急な百人一首!?」
「ここにおわしまするぅぅぅ……! 我が身はすでに須磨の浦の藻屑と消え果て侍り……ありがたし……あやし……すさまじき……ぐふっ!!」
ドサリッ!!!!
私は教卓の脚をがっしりと抱き抱えたまま、白目を剥いて豪快に床へと沈没した。
「ちょっと紫乃ちゃん!! 念力で正体を伝えようとしながら気絶するんじゃないわよ!!」
諾子のキレッキレなツッコミだけが、茜色に染まる準備室に虚しく木霊していた。
(第14話へつづく)




