第10話:『アジェンダ』って仏教用語ですか!? 〜横文字マウント英語教師と平安歌人の全面戦争〜
「——ちょっと、式部先生? 今回の補講のアジェンダ、リソース的にフィジビリティ低くない?」
放課後の職員室。
私の耳元に、鼓膜を逆撫でするような甲高い声と、聞き慣れない異国の呪文が降ってきた。
振り返ると、そこに立っていたのは新堂 麗良先生。
ジパング高校の正規雇用教員であり、英語科の主任を務める女性教師だった。完璧に巻かれた巻き髪をかき上げ、胸元を少し開けたシャツにブランド物のジャケット。自称・帰国子女のエリート感全開で、非常勤講師である私を見下ろしている。
「あの……し、しんどう先生? あじぇんだ……ふぃじびりてぃ……とは、一体どのような仏教用語で侍りましょうか……?」
私が机の上で採点ペンを握ったまま困惑すると、麗良先生はわざとらしく「オーマイガー」と額に手を当ててため息をついた。
「ハァ……これだからノンレギュラー(非正規)のジャパニーズ・トラディショナルな先生は困るのよね。アジェンダは『議題』、フィジビリティは『実現可能性』よ。言わなくてもコンセンサス取れてると思ったのに」
(……言わなくても分かるなら、最初から日本語で話しなさいよ……!)
私のこめかみに青筋がピキリと浮かぶ。
だが麗良先生のマウントは止まらない。
「式部先生が教えてるあの落ちこぼれスリー(3人組)、この前の模試も古典以外はクライシスなスコアじゃない。英語なんて壊滅的よ? 私のグローバルでスマートなメソッドなら、感覚でサクッとシナジー生み出せるのに。まあ、薄給の非常勤じゃ生徒のモチベーションをエンパワーメントするのは難しいかしらね?」
ネチネチと身分差と手取りを突いてくる麗良先生。
平安の宮廷でも、身分を鼻にかけた受領の娘たちがこんな嫌味を言っていたのを思い出す。
その時だった。
「——おや、新堂先生、式部先生。おふたりで熱心にディスカッションですか?」
職員室の入り口から、夕陽の後光を背負って光先生が現れた。
その場にいるすべての女性教員の視線を一瞬で奪う、爽やかな笑顔と国宝級の美貌。
「ひ……っ! ひ、ひひひひ光先生……っ!?」
私の心臓が爆音で跳ね上がる。
すかさず麗良先生が、あからさまに声のトーンをワントーン上げて光先生へ駆け寄った。
「あ、ヒカル先生〜! ちょうどよかった! ネクスト・ウィークの校内ミーティングのプライオリティについて、ヒカル先生とブレスト(ブレインストーミング)したいと思ってたんですよ〜♡」
(なっ……!! 光様のパーソナルスペースに、あの不自然な横文字女がズケズケと……!!)
私の胸の奥で、嫉妬と憤怒の炎がメラメラと燃え上がった。
平安時代、光源氏の周りに群がる無粋な女たちを見た時と同じ、強烈な不快感!
「……新堂先生」
私は机を両手でバシッと叩き、すっくと立ち上がった。
「式部先生……?」光先生が驚いて私を見る。
私は眼鏡のブリッジを押し上げ、麗良先生を真っ直ぐに睨み据えた。
「先ほどから伺っていれば……アジェンダだのフィジビリティだの、無駄に異国の横文字を混ぜて己を賢げに見せかけるその所業……『いとすさまじき(極めて興ざめな)』ことにございます!!」
「は、はぁ!? すさまじき!?」
「真に言葉を愛し、知性を磨く者であれば、己の母国語の美しさを疎かにして軽薄なカタカナ語に逃げることなどあり得ません! 日本語の豊かさを軽視し、薄っぺらな横文字で生徒や同僚を煙に巻くその態度、文学の作者として断じて見過ごせません!!」
職員室が静まり返る。
私の気迫に、麗良先生が一瞬気圧されたように後ずさった。
「な、何よ偉そうに……! じゃあ何!? 古典しか教えられないあなたに、私の英語の指導より生徒の点数を伸ばせるっていうの!?」
「——言ったわね、その言葉」
ガラリと職員室のドアが開き、もう一人の女が乱入してきた。
ハイブランドのサングラスを胸元にかけ、プラスチック製の使い捨てカップを手にもった清原諾子だった。
「ちょっと、誰よあなた!? 部外者は立ち入り禁止よ!」と叫ぶ麗良先生を、諾子は冷ややかな目線で一瞥した。
「失礼ね、私はこの学校の特別進学アドバイザーよ。……それにしても先生、さっきから聞いてたけど、その使い古されたビジネス英語マウント、現代のZ世代から見たら『痛いおばさん構文』としてSNSで即ブロックされる対象よ?」
「な、なんですって!?」
諾子はニヤリと笑い、私の隣に立った。
「いい度胸じゃない。紫乃ちゃん、受けて立ちなさい! 英語の長文読解なんてね、フィーリングで解くものじゃないのよ。私たちの『古典文法アルゴリズム(主語特定・敬語ベクトル解析・SVOC)』を応用すれば、英語の長文なんて秒で解けるってことを、この横文字先生に教えてあげようじゃない!」
「ええ……! 望むところです、諾子さん!」
英語科主任・新堂麗良 vs 平安歌人タッグ(紫式部&清少納言)。
放課後の職員室に、かつてないバチバチの火花が散った。
……だが。
「……あ」
隣でその様子を優しく見つめていた光先生が、ふっと目を細めて私に微笑みかけた。
「式部先生。自分の言葉に強い誇りを持っている先生の姿……やっぱり、とても凛々しくて素敵ですね」
光先生の、至近距離からの極上イケボ&眩しすぎる笑顔。
「……っ!!???」
私の脳内CPUが、誇らしさから一瞬で大炎上を起こした。
「あ……あ……っ!」
「式部先生?」
「ひ、光様に……『凛々しくて素敵』とエンパワーメント(※覚えたての横文字)されてしまい侍り……っ! 私の心臓のフィジビリティが限界突破で……『あやし! ありがたし! オーマイガー!』ぐふっ!!(※尊さのあまり職員室のゴミ箱に頭から突っ込んで自爆)」
「ちょっ、紫乃ちゃん!! 敵の横文字使って自爆しないでちょうだいーーーっ!!」
職員室中に響き渡る諾子のツッコミと、頭からゴミ箱に突き刺さる私の姿。
新堂麗良先生が「……オーマイガー」と完全にドン引きする中、新たな英語バトルへの幕が上がったのだった。(第11話へつづく)




