第六話 絶望
来る日も来る日も朝から晩まで狩った獲物を、カンナン村まで運んだ。戸を引っ掻き、コン、コン、鳴くと老婆と老人、少女も顔を出せるようになっていた。
三人は正座をして手を合わせると、ありがとうございます御狐様、と桔梗と睡蓮にお辞儀をした。
やがて、戸を引っ掻く音と鳴き声がすると、村人たちが二匹の周りに集まり、手を合わせて、ありがとうございます。ありがたく頂戴させて頂きます、と言うようになっていった。
二匹は自分たち用に狩った最後の獲物も村に届け、川辺には苦労して見つけたわずかなキノコと木の実を持って行き、それを食べた。
腹は空いていたが心は満たされていた。
「今日も沢山獲ったべ」桔梗がキノコをかじる。
「わだすたち、狩りが上手くなっていってるだ」
「んだな、村の人間たちも調子を取り戻してるみたいだ」
「でも、最近は獲物を見つけにくいベ」
毎晩こんな会話をしながら、ここで寄り添い合って寝るのだ。そして朝が来たら再び狩りを始める。そんな毎日だった。
「キャインッ」
ある日なかなか見つからない獲物を探しながら森を徘徊していると、睡蓮が短い悲鳴を上げた。
「どうしただ」
桔梗が駆け寄ると、睡蓮の太股に毒蛇が噛みついていた。
怒りに狂った桔梗は毒蛇の頭に噛みつくと、睡蓮から引き剥がし蛇の胴体を前脚で押さえ、頭を食い千切り遠くへ吐き捨てた。
「大丈夫だか、すぐに手当てしてやるだ」
咄嗟に傷口を舐めようとしたが焦る気持ちを抑え、冷静に少女が噛まれた時のことを思いだす。
まずは傷口の周りを前脚の肉球で、体重をかけて圧迫した。
透明な液体が滲み出て血液が溢れてきた。
次にあの時少女が使った薬草を探し出して、それを噛み潰すと傷口に塗り込んだ。
それから赤い果実のなっている小低木を探し、その実を集めると睡蓮にたべさせた。
「食べてけろ」
睡蓮は口に放り込まれた果実を食べた。
「少し待っててけろ。必ずよくなっから。おらが治してみせるだ」
桔梗は辺りを駆け回りながら、手近な隠れ場所を探した。
入り口が小さく中の広い適当な大きさの木の洞を見つけ、そこに睡蓮を連れてくると奥に寝かせた。
寝かせるとすぐに薬草と赤い実を集め、日が暮れる前にとキノコと木の実も集め洞に戻った。
睡蓮は眠っていた。
息はしている、心音も聞こえる。
桔梗は薬草を交換すると果実を噛み潰し、前脚でそっと睡蓮の口を開け中に流し込んだ。
「スイレン起きてけろ。赤い実をのんでけろ」
睡蓮を前脚で揺らす。
瞼を閉じたまま睡蓮は喉を鳴らした。
「今のうちに何かたべてけろ。体力を付けるだ」
キノコと木の実を臼歯で砕き睡蓮に口移しで食べさせた。
「痛むか?」
「大丈夫だ、心配いらね」
睡蓮は弱々しく答えた。
「もっと食べてけろ」
噛み砕いたキノコと木の実を食べさせた。
「こんなもんしかねえだが。もっと食べれ」
「もういいべ……」
そう言うと睡蓮は寝てしまった。
桔梗は洞の入り口で丸くなり、辺りを警戒しながら夜を明かした。
少女は三日で回復したが、睡蓮とは体格が違うし今の彼女は連日の狩りで疲れ切っている上、ろくなものを口にしていない。
薬草を替え赤い果実を噛み潰して与えると、キノコと木の実も細かくして食べさせた。
「ちょっと出てくるベ。奥で隠れてれ」
桔梗は睡蓮に声を掛けると洞を出て行った。
森中を駆け足で探索するが、獲物が見つからない。
やっと見つけた獲物は、二匹でも狩った事のないとても大きな水鳥だった。
意を決して池に入っていく。
背後に近づくとその大きさがいっそう分かる。
足場がないため飛びつけない。桔梗は思いきって水鳥の尾に前脚をかけると、爪を立てて登っていった。
水鳥は翼を広げ、水面を蹴りながら羽ばたいて行く。
桔梗は背中に犬歯を立て爪でしがみ付こうとしたが、風圧で体が浮き上がり上手くとりつけない。
背中に犬歯だけでくっついた状態のまま、水鳥に振り回され空高く舞い上がって行った。
大きいはずの池が小さく見える。中央には沢山の睡蓮が咲いていた。
桔梗の目尻から流れる涙は、後方へと飛ばされてゆく。
――スイレンに栄養のあるもの食べさせてあげたいべ――
力尽きた桔梗は森の中へと落下していった。
木々の枝葉に激しく揉まれながら、地面に叩き付けられ意識を無くした。
目を覚ますと日は既に暮れていた。
起き上がると全身が痛くて、上手く歩くことができないが、骨が折れていないようである。
結局、洞には一本のキノコしか持って帰れなかった。
「大丈夫だか」
睡蓮は桔梗の言葉に反応しなかった。
慌てて近づいてみると、呼吸は浅く心音も弱い。
桔梗は前脚で揺するが反応が弱かった。
体温がとても高い。
桔梗は全身の痛みに耐えて川まで走った。
川で水を口に含むと今度は洞まで走り、睡蓮の口を前脚で開いて水を流し込んだ。
「飲んでけろ」
睡蓮は喉を鳴らした。
桔梗は何度もこれを繰り返した。川と洞を幾度も往復した。
桔梗は睡蓮にキノコや木の実を与え、川と洞を往復する。
落ち着くと洞の口で丸くなり辺りを警戒した。
――スイレンが居ねくなったら、おらはどうしたらいいだ。そんなの耐えられねえだ。考えたくもねえだ――
桔梗は走り出した。
森中を駆け回り、石をはぐったり木の根の隙間を覗いたりした。
月明かりに樹液の出ている木が照らされていた。
その木によじ登り樹液に顔を寄せた。
そこには居た――
樹液を舐める虫である。虫は簡単に捕れる上栄養価が高い。
群れる虫の一匹に開いた口を近づける……
洞に戻ると、睡蓮の口を開け前歯でそっと口に挟んだ虫を入れようとした。
何かを察した睡蓮の鮮やかな桃色の瞳が長いまつ毛越しに見えた。
「や! 止めてけろ!」
睡蓮は前脚で桔梗を押し返した。
「虫食べるくらいなら、わだす死んだ方がマシだ」
桔梗は虫を洞の外に吐き出して、洞の内側を狂ったように舐め回して舌に付いた『何か』をこそぎ落とした。
「おらだって虫は死ぬより嫌いだ! けんど、おかが栄養があるって言ってたから、我慢してここまで運んできただ」
「じゃあ、噛んで柔らかくしてけろ」
「……」
桔梗は慌てて洞を飛びだすと、嘔吐した。
「でも気持ちは嬉しいベさ。ありがとう、キキョ」
戻ってきた桔梗に睡蓮は弱々しいが嬉しそうに感謝した。
「キキョって何だべ」
「狩りのとき思っただ、少しでも短い方がよびやすいべさ。キキョはキキョウって名前だけど呼ぶときはキキョだべ」
「じゃあ、スイレンは。スイレだべか」
「何か違うベ」
「スイだべか」
「んだな」
「んじゃ、キキョとスイだべ」
久しぶりに二匹は会話らしいことをした。
洞の口で丸くなって警戒する桔梗の頬が濡れなかったのも、久しぶりのことだった。
雨が降った。
かなりの大雨でキノコ狩りにも行けない。
睡蓮の体温は相変わらず下がらなかった。
鮮やかな桃色の瞳を見ることのできる時間は、短くなる一方だった。
栄養を摂らせたくても、狩れる獲物もおらずキノコも一日がかりで一本採れればいい方だった。
木の実に至っては全く見かけなくなった。
睡蓮は起きている時はよく話すが、無理しているのは見ていて分かる。
桔梗の小さな胸は、今にも押しつぶされそうだった。
洞の口で丸くなり、雨に濡れる森を見ながら紫眼から次々と涙が流れた。




