第五話 スイレン
チングルマやイワカガミも開花し、間もなく初夏を迎えようかという頃が訪れても、少女は畑仕事の合間に森へと桔梗や睡蓮に会いに来た。
キノコも木の実もすっかり数を減らしていたが、二匹は少女のためにそれらを集めて回った。
少女の左手が桔梗、右手が睡蓮の遊び相手となっていた。
並んで歩くときも川辺で座る位置も、左が桔梗で右が睡蓮となっており、不思議とそれが落ち着いた。
少女を小高い丘まで見送ると、必ず二匹は別れの挨拶をした。
コーン、コーン。「したっけ、また明日」
その後は川辺で団子になり転がり回った。相変わらずお腹はいつも空かせていたが、それでもたまにだが、少女がパンを持ってきてくれた。
桔梗と睡蓮の毎日は充実していた。
薬草の甲斐あってか、二匹の母も調子がよくなってきている。
それでも朝の狩りについて行くのは、勉強にもなるし何より母と並んで森を探索するのが心地よかったからだ。
しばらくして、少女が姿を見せなくなった。
桔梗と睡蓮は二匹で楽しく遊んでいたが、どんなに持っても森にこない少女が心配になってきた。
「あの人間なにしてるベ」
知るはずがないと分かっていて、桔梗は甘噛みを止めて突然、睡蓮に訪ねる。
現実を知るのが怖かった二匹は、あえて少女のことは口にしなかった。
睡蓮が桔梗の肩から口を離す。
「心配だべさ」
「村さ行ってみるベ」
桔梗と睡蓮は立ち上がると、村へ出掛けた。
道中二匹は言葉を交わすことはなく、いつの間にか地面を蹴り森の中を疾走していた。
小高い丘に着くと息を整えながら村を一望し、その様子に違和感を覚えた。
家の前にも畑にも村人がいないのだ。
駆け足で少女の家に向かい戸を引っ掻いた。
少しの間を置いて老婆が出てきた。
「ひさしいね」
老婆は酷くやつれていた。二匹は老婆の横をすり抜け少女のベッドへ向かった。
眠っている少女も、やはり頬がこけていた。
老婆が二匹を抱え耳元でささやく。
「なにかあげたいんだけど」
そう言って桔梗と睡蓮に、パンくずの散らかった空っぽの戸棚を見せた。
「ここのところ雨不足で、行商さんと交換する野菜も採れず、食べるものがないんだよ。ごめんなさいね」
そして二匹を床に降ろした。
「悪いね」
奥から出てきた老人もやつれていた。
この二人の瞳の精気のなさ、気力のなさを飢えに耐えてきた桔梗と睡蓮は、身をもって知っている。
二匹は少女を見やり表に出て行くと畑を見て回った。どの野菜や果実も、枯れてはいないものの葉は萎れており、実を付けてはいなかった。
家を数軒覗いて見たが、どの人もやはり精気がなくやつれていた。
「食べるものがないんだべさ」
睡蓮は村を見渡した。
「おらたちで餌を捕ってきてやるベ」
「んだ、村の人間全員に餌がいき渡るようにするだ」
「いっぱい捕らんとなんねえだ。おらたち二匹で頑張って狩るだ。狩って狩って狩りまくるだ」
「んだ。たくさん狩るだ。『ありがとう』って言われるべさ」
桔梗と睡蓮は固い決意をして森へと駆け出した。
獣臭のしない桔梗と睡蓮は、身体が小さいことを覗けば、狩りに向いている。
最初の獲物はウサギだった。
それもかなり大きい。
まずは睡蓮が先回りをして茂みに潜む。
桔梗は身を低く構え忍び足でウサギに近づく。
ほぼ真後ろまで来て、後ろ脚で地面を蹴り一気にうさぎの背中を駆け上がった。
まるで岩山をよじ登るようだ。
ウサギは飛び跳ねだした。
振り落とされないように爪を立ててしがみつき、桔梗は首元に噛みついた。
すかさず睡蓮も飛び出し反対の首元に噛みつく。
二匹を振り回しながら跳ね続けるウサギの首に、桔梗と睡蓮は犬歯でしがみついた。
頸動脈を捉えた二匹の前歯が力強く食い込む。
肉を食い破りさらにかみ続けると、血管が弾ける感触を得た。
十メートル程走るとウサギは地面を滑るように伏した。
ウサギが突っ伏した拍子に、桔梗と睡蓮は前方に投げ出されたが、すぐに姿勢を戻しウサギに駆け寄ると死亡を確認した。
口の周りを血まみれにして、桔梗と睡蓮は顔を見合わせた。
「おらたちやっただ」桔梗は喜んだ。
「わだすたち二匹でやったべさ」睡蓮も嬉しそうだった。
「他の狐たちよりまつ毛も長いし、身体もちっこいけど、普通にキツネだべ」
桔梗の紫の瞳が滲む。
「額に花模様あるし、目の色もあんちゃたちとは違うけど、一人前だべさ」
睡蓮の桃色の瞳も滲んだ。
桔梗と睡蓮は同じようにもう一匹ウサギを捕まえると、それぞれ村へと引きずっていった。
少女の家の戸口で爪の音がして、コン、コン、と鳴き声がした。
何もあげるものがないと、老婆は不憫に思いながらも戸を開けた。
すると口を血塗れにした。小さな子狐の後ろにウサギが二匹置かれていた。
老婆はしばし呆然としたがなんとか口を開いた。
「あなたたちが捕ってきたのかい」
桔梗と睡蓮は言葉が分からず鳴くのみだった。
「私たちにくれるのかい」
老婆は涙を流した。
これは紀元百年頃の夢物語である。
この村カンナンは天竺の北部にあり、とても貧しい。
働き盛りの人手は首都に近い街へと出稼ぎに行っている。
日頃村にいるのは、老人と子供たちか病気がちな人くらいだ。
老人たちは畑仕事を、子供たちはその手伝いや、キノコ狩り、木の実拾い、薬草摘みくらいだった。
そうして得たものを不定期にくる行商に、色々と交換しいてもらうのだ。
狩りをできる者などいないのだ。
老婆はその場にヒザを落として、桔梗と睡蓮に掌を合わせた。
「御狐様どうもありがとうございます。本当にありがとうございます。ありがたく頂戴させて頂きます」
桔梗と睡蓮に言葉の意味は分からなかった。『ありがとう』以外は……
二匹は再び森に駆けて行った。
次の獲物は水鳥だった。
人間は大きいのだから、大きな獲物を狙わねばならないと、道すがら二匹は話し合っていた。
大きな水鳥に背後から近づく。
二匹とも小さいからどんな浅瀬の獲物を狙うにしても、基本的に犬掻きだ。
小さいから視界に入っても見過ごされやすいのは、利点である。
二匹並んで水音を立てないよう慎重に泳ぎ、獲物の背後に取り付くと桔梗は潜り睡蓮の足場となる。
睡蓮は桔梗の背を後ろ脚で蹴って、尾から駆け上がり水鳥の首へと食らい付く。
桔梗はそのまま潜ると、獲物の脚に噛みついた。
水鳥は大きく翼を広げ羽ばたき、二匹に噛みつかれたまま飛び立った。
桔梗は痛みに耐える水鳥の脚に翻弄される。
睡蓮は犬歯で首に食らい付き頸動脈を探った。
どんどん高度が上がっていく。
狐は木登りが得意である。
桔梗は口と四本脚の爪を器用に使い、脚部から胴体をよじ登り翼の根元に飛びついた
翼に振り回されながらも踏ん張る。
失速した水鳥の高度が落ちてゆく。
動く水鳥の首から動脈を見つけきれず、焦った睡蓮は肉ごと噛みちぎると、そのまま落ちて水面に叩き付けられた。
桔梗は鳥の上腕にあたる部分を咥えなおし、そこを力任せに噛みちぎった。
翼の勢いで大きく高く飛ばされ、桔梗は池に落下した。
水鳥もしばらくすると高度を落としはじめ、やがて水面に激突した。
二匹は痛みなどそっちのけで、獲物に向かって泳いだ。
仕留めたことを確認すると水鳥の背中で大の字になり、二匹は呼吸を整える。
「やったべ」桔梗が荒い息で短く言った。
「んだ」睡蓮はさらに短く答えた。
一足先に落ち着いた桔梗が立ち上がり、辺りを見回すと一点を見て呟いた。
「見るベスイレン」
「何だべ」睡蓮も立ち上がった。
桔梗は前脚で方向を示す。
「見てみれ。あれがスイレンだべさ」
桔梗の前脚が指す方向には、大きな葉が幾つも浮かびその間から伸びた茎の先に、半球状に花弁が開く花が咲いていた。
睡蓮は見とれた。
「綺麗だべ……」
「言ったとおりだべ、おめの額の模様と同じ形で目の色と同じ色だべ」
「んだ……」睡蓮は少し考えて「こういう時つかうべか」
「何だべ」桔梗は花に見とれる睡蓮を見た。
「キキョウ……ありがとう」睡蓮は一粒の輝きに溢れた涙を流した。
桔梗の胸が熱くなった。
言い知れない喜びに満たされた。




