第三十七話 終幕
半日はとっくに過ぎたというのに、桔梗が目を覚ます様子はなかった。
急いで掘り返すと、土にまみれた小さな子狐が、月明かりに照らされて静かに眠っていた。
ひっくり返してみると尻尾は一本消えていて、三本になっていた。
睡蓮は焦る。
前回は半日ほどで目を覚ましたし、自分もそうだったと言う。
小さな身体を揺さぶると、首がかくかくと動く。
「どうしただ? もう目を覚ますべさ。酒を用意して貰うべか?」
「もう生き返らないよ」
背後から聞こえた声に飛び退き、身を低く構え尻をかかげ尻尾を逆立て威嚇した。
「おまえたちには毒を盛った。人間共と呑気に酒盛りなんかしてるから、気付かないのさ」
右目の下にホクロのある女は、睡蓮を見据えた。
「どういうことだべ」
「酒に混ぜて鬼の血を飲ませたのさ。ヤクシャの血さ。今頃、闇の中でヤクシャに尻尾を渡して、目覚めないと泣いていることだろうさ」
「わだすの中にもいるだか、ヤクシャ」
「ああいるね」
「キキョの中にいるのと同じだか」
「ヤクシャは一人しか存在しない」
「なら、わだすも死んでヤクシャを倒しに行くだ」
妲は声を出して笑った。
「その間におまえたちの胸にナイフを刺して、死に続けさせてやるよ。最後の一本になった尻尾、その命が尽きるまで」
睡蓮は奥歯を鳴らした。
「何でこんなことするだ」
「言ったろう、目障りなんだよ」
言い終えた途端、妲の指先から放たれた電撃に睡蓮は打たれ、転がった。
立ち上がりざまに、石礫の雨を浴びせたが身軽に避けられ、両手の先から放たれた電撃に弾き飛ばされた。
おぼつかない足取りで逃げ回りながら、大きな火球を生成しようとするが、霊格の違いか妲の方が早く攻撃を仕掛けてきて、火球はあらぬ方向へ飛んで行く。
霊力を消耗するばかりだった。
睡蓮は痛みと悲しみで涙を流す。
桔梗がいてくれたら、と。
かろうじて小石を一撃かすめることができたが、その何倍も反撃を喰らった。
大技は全て避けられる。
霊力が、枯渇してゆくのを肌身で感じた。
睡蓮は桔梗の元へ走ると、尻尾を一本握った。
「うーわーっ!」
尻尾を引っ張り始めた。
妲は攻撃の手を止めた。
「己は何をしているのか」
「キキョに尻尾をやるだ。次は帰ってこれるだ」
尻尾を両手で引っ張った。
「そんなことで生き返ると誰が言った。アミターユスか」
「ぐーわーっ!」
尻尾の付け根がみりみりと音を立てる。
「わだすが信じてる!」
ブチッ、音と共に尻尾がちぎれた。
「キャインーッ!」
睡蓮は悲鳴を上げて涙を浮かべた。
尻尾の付け根から血が流れる。
「己はバカか。間抜けか。そんな物で生き返るはずはなかろう」
「生き返る! キキョはわだすを見捨てない」
睡蓮はちぎれた尻尾を、血糊で桔梗の尻尾の根元に付けた。
「あとはおめさんとわだすが、キキョが目覚めるまでやり合うだけだ」
睡蓮はフラフラと妲に立ち向かっていった。
桔梗は闇の中にいた。
尻尾を寄越せというので、闇から伸びた細く長い腕の先に付いた大きな掌に尻尾を乗せたが、現世に戻れず闇の中に囚われたままだ。
「尻尾を寄越せ」
桔梗の手に尻尾が一本握られていた。
キンモクセイの香りがした。睡蓮の尻尾だ。
血が付いているのを見て、悟った。
「これは親友の大切な尻尾だ。おめなんかにくれてやる分けにはいかねえ」
闇の中から腕が二本出てきた。
「尻尾を寄越せ」
桔梗は特大の火球を生成して、腕と腕の間に放った。
呻き声と共に闇から不気味な姿の鬼が現れた。
長い首に付いたトカゲのような顔、大きな黒い目、裂けた口に生える鋭い牙、ヤギのような角、長い胴体に付いた太い脚、そして棘の付いた尾。全身はうろこ状のもので覆われていた。
鬼は、ヤクシャは、口を大きく開けると炎を吹いた。
桔梗は後方へ飛び退き、再び巨大な火球を放った。
ヤクシャは燃え上がりながら、長い手で桔梗を払う。巨大な岩を生成しながら桔梗が高くジャンプすると、大きな掌がすぐ下で風を切った。
着地するとすぐさま巨大な岩を放った。
岩は頭部で砕け散り、ヤクシャはよろめいた。
小さな円錐の石を無数に生成し飛ばそうとすると、ヤクシャの背後から尾が飛んできて跳ね飛ばされた。
血しぶきを上げ転がりながら次の攻撃のために、石を生成していると、ヤクシャが炎を吐いてきた。
桔梗は攻撃をよけながら、大きな岩、大きな火球、大きな雷球を生成し、ヤクシャに放つもいずれも直撃しない。
ヤクシャはこれまでにないほどの大口を開けて、炎を吐いてきた。
桔梗は炎へ駆けてゆき前転でヤクシャの懐に飛び込むと、巨大な円盤状の石を高速回転させて、ヤクシャの腹を切り裂いた。
黒い血が吹き出す。
ヤクシャは腹を押さえながらうめいた。
棘の付いた尾がキキョの頭上から襲ってくる。
桔梗は踏み込んで石の円盤で尾を切り落とした。
切り落とされた尾は、蠢きながら闇に消えていった。
姿勢を低くして力を貯め込むと、苦しむヤクシャの首に飛びつき、石の円盤を放った。
ヤクシャの首が落ち、切断面から黒い血が柱のように吹きだした。
闇はヤクシャごと薄氷が割れるように、砕け散った。
青い空と白い雲が眩しい。
「あなたの、あなた方のおかげで、天界は元の姿を取り戻すことができました」
アミターユスがいた。
「おらの尻尾はあいつにとられただ。スイのくれた……」
桔梗は涙で声を詰まらせた。
「この尻尾でもまたスイに会えるべか」
「もちろんです。安心しなさい、あなたたちは固い友情で結ばれているのですから」
「あの女、妲は何でおらたちに意地悪するだ」
「それぞれに考えというものがあります。妲には妲の、妲を導くものにはそれの考えがあるのです。それらを簡単に推し量ることはできません。だから、あなたたちは楽しく生きればいいのです。そして楽しく生きるには。今なにをすればいいのか考えて行動すればいいのですよ」
「なにを……」
「あなたたちはいいキツネです。妲もキツネです」
「妲は人間でないべか」
「そうです。妲もまた彼女を導く存在、アスラの教えを自分なりに考えて、幸せに生きようとしているのです」
アミターユスはヒザを落とした。
「沼地の村の村民たちはお金を得た時に、感謝しましたね。それはお金にではなく、わたしが気に掛けていたことに感謝していましたね」
桔梗の頭を撫でる。
「一方クマールはお金を失った時、これから困った人々を助けられなくなったことより、お金そのものに執着しました。己を顧みず、自己の欲に囚われたのです」
アミターユスは睡蓮の尻尾を受け取ると、立ち上がった。
「どちらが正しいかは自分で判断するのです。そして、あなたたちはどうすれば楽しく生きられるか、それだけを考えればいいのですよ。さあ、行きなさい、親友が待っています」
桔梗は意識を失った。
睡蓮は満身創痍だった。
霊力も尽き果て天誅五行が放てない。
せめて最後は桔梗と一緒にいたかった。
妲の後ろの土に開いた穴を見る。
「よく頑張ったよ。そんな小さい身体で、たった尻尾の三、四本でここまで来れたんだ」
「おめさんはわだすには、わだすたちには勝てねえべ」
妲は背後の恐ろしい熱量に恐怖した。
穴から半身を乗り出した桔梗が、超巨大な火球を生成していた。
「あり得ない」
「わだすたちは岩よりも硬く海よりも深い絆で結ばれてるだ」
桔梗は火球を放った。
妲は燃え上がり煙になると、九つの尻尾を持つ狐となって、悲鳴を上げながら炎の尾を引いて逃げていった。
桔梗は睡蓮に駆け寄り、尾の付け根を舐めた。
「スイのおかげでまた会えただ」
「わだすも会いたかっただキキョ」
二匹で並んで満月を見ていると、睡蓮はいつの間にか眠っていた。
尻尾の付け根の痛みに顔を歪めながら、浅い眠りを繰り返していると、ひやりとした感触に目を覚ました。
振り向くと噛んだ薬草を傷口に張り付けていたのだ。その後ろには薬草の山があった。
「どうしただ、その薬草」
睡蓮は弱々しくも驚いた。
「山からとってきただ」
「山なんてどこにあるだ」
睡蓮は見回した。
「ちょっと歩いたらあっただ」
桔梗も無理して元気に振る舞っているのが分かる。
「ちょっと歩いたらって……その量は二足歩行でないと運べないべ」
見渡す限り山などない。
「これくらいの距離なら大丈夫だ」
桔梗はこまめに薬草を取り替えた。
「もういいべ、ここに来てけろ」
睡蓮は自分の隣を叩いた。
桔梗は睡蓮の横に伏せ、互いの肩に手を乗せて、寄り添い、尻尾を絡めた。
「綺麗な月だべ、森を出た夜もこんな月だったべ」
「んだな、あそこへ行くべ…………わだす、霊力が尽きたべさ」
「おらもだ……」
「二足歩行するからだ」
睡蓮は笑った。
「もっと色んな世界見てみたかったべさ」
「海って穴を見にいきたかっただ」
「海は穴だべか」
「深いって言うから穴じゃないべか」
「見てみたかったな」
二匹の尻尾の先が石になった。
「短い間だったけど、他のキツネより幸せだったべさ」
桔梗は睡蓮に頬を寄せた。
「んだな、産まれてきてよかったな」
二匹の身体がどんどん石になってゆく。
「おめさんと、もっと旅がしたかっただ。美味しいもん食べたかっただ」
「おらもおめと色んな経験したかっただ、酒さもっと呑みたかっただ」
言い終わると、桔梗と睡蓮は月を見上げたまま、鼻の先まで石になった。
磨き上げた大理石のような石像になり、一粒ずつ涙を流した。
沼地の村人たちにより、小さいながら立派な石造りの社が建てられ、桔梗と睡蓮の石像はその中に納められた。
石像の前には麻布製の財布と、それぞれの椀が置かれ欠かさず酒が注がれた。
月日が経ち社の風化が進んでも、桔梗と睡蓮の石像が朽ちることはなく、いつまでも磨きたてのようだったという。
椀と財布も劣化することはなかったらしい。
夢か現か、夢の現か、現の夢ならさぞよかった。
椀を被った小さな子ギツネが、三本の尻尾を揺らしながら道を歩いている。
「キキョ、尻尾が九本になると人間になれるべか」
「そうならなってみてえな、スイ」
「人間になれたらなにをしてえ?」
「……海っていう穴見に行きてえな。おめは?」
「……あの光る場所、月さ行ってみてえ。あと爪の大きい虫、恥ずかしい思いせずに注文してえ」
「人間にならんでも出来ることばっかりだべ」
桔梗と睡蓮は今でも夢の中で旅を続けているのかもしれない。
それは現実かも知れないが、いずれにしても、きっと楽しい旅に違いない。
九尾に憧れて、三本の尻尾、スリーテイルズを揺らしながら、真っ直ぐな道を唯々歩いて行く……
スリーテイルズ 完




