第三十六話 脱走
小さな窓から覗くと、戸の前には槍を持った私兵が二人立っていた。
桔梗と睡蓮が気絶する程度の電撃を放つと私兵が倒れ、開いたドアからダルシャナとヒーラが顔を出した。
二人の前に飛び降りて、先導して歩く。
治療院のそばには、治療して貰おうと数人が道で野宿をしていて心苦しかったが、尻尾が四本になったら出ていくと決めていたので、目を閉じて辛抱した。
桔梗と睡蓮は身を低く構え、足音を消して細い路地を選んで歩いた。
その後ろから革袋を抱えたダルシャナとヒーラが付いて行く。
特に警戒する必要はなさそうだが、それでも慎重に歩を進めた。
街を出て先を急ごうとすると、ヤクタラ村はそっちじゃない、とダルシャナとヒーラが言った。
「追っ手を掛けられた時、匂いを誤魔化すだ。こっちに逃げたように見せとくだ」
桔梗は二人に説明した。
夜道をひたすら走った。
私兵の一人が戸の横で二人倒れているのを見付け、中に入ってみると高額硬貨、食材に一部の食器、料理などがなくなっていることに気付いた。
すぐさま会長宅に向かい、ダンラジに報告した。
「何! 箱ごとか! 金は全部か」
「中身だけです。残っている金は少額硬貨が幾らか……」
「すぐにビカシュを呼べ。治療院に来いと」
治療院で空になった箱を見て、ダンラジはヒザを落とした。
「どうやって持ち出した。世話係は何をやってた」
「世話係の姿が見当たりません。やはり不思議な力が使えたのでは」
「一体どんな力だ!」
尻尾が四本になって新しく使えるようになった神通力は、天空箱の術と言い、肉球から吸収した物質を、天界にある無限の大きさを持つ特別な箱に時間を止めた状態で入れることができ、任意で取り出すことが出来るという術だ。
二匹は天空箱に全ての硬貨を送ったのだ。
これはアミターユスのちょっとした悪戯めいたことであり、二匹への助言でもあった。
業は自分に返るものだと、クマールに教える機会だとのことだった。
ただし尻尾の数が条件を満たしていない場合は、取り出せなくなる。
だから、お気に入りの椀と麻布の財布は入れなかった。
ダンラジは私兵と犬を出すよう命じた。
どんなことをしても探し出せと。
随分走った所で水の流れる音が聞こえた。
その方向へ向かうことにした。
川に着くと川辺ギリギリの所で集めた木々に、火焔行で火を点けて簡単な調理をして食べながら、休息をとった。
休息を取り終えると、桔梗は道路の方向へ、睡蓮は川を渡りその先へ、身体を地面にこすり付けて匂いを残すと、全く同じ経路で食事をした場所に戻ってきた。
遠くで犬の吠える声が聞こえ始めた。
全員で、川まで飛んで足跡も匂いも残さないようにした。
川は人間の腰下まであった。
冷たいが幸い歩けないほど流れは速くない。
ダルシャナとヒーラは歩き、桔梗と睡蓮は泳いだ。
走ってきた道を今度は川の中を遡上しようというのだ。
ダンラジは治療院のベッドに座り、苛立たしげに脚を揺らした。
「あれが見つからねばクマール商会は終わりだ。いや終わりどころでは済まん。役人に金を借りてるんだぞ」
「はあ、ですから申し上げたのです」
ビカシュは額の汗を拭う。
「先祖が苦労して築きあげたクマール商会を――」
飢饉を利用してわずかな収穫物を暴力で搾取し、人肉を売りさばき儲けた金で成り上がったのが、クマール商会だ。
アミターユスの言う業とは時を超えたものなのかも知れない。
随分遡上したところで、林の向こうから人の話し声と犬の気配を感じた。
ダルシャナとヒーラは肩まで水に浸かり、桔梗と睡蓮は支えてもらいながら耳と鼻だけを出して、水に潜った。
気配は川へと近づいてくる。
「全く反応してないぞ」
男の声がした。
「こう寒いんじゃあ川には入らんのだろう」
気配が遠ざかっていった。
再び遡上を開始した。
空が白み始め、太陽が昇った。
川から上がることにした。
ダルシャナとヒーラにそれぞれ抱かれ、浄化の術を使った。
成功するかどうか分からなかったが、自分たちだけではなく接するものも浄化できるようだ。
二匹だけでなく二人の衣類や身体もすっかり乾いた。
歩いていると道に出た。
追っ手の気配は全くない。
桔梗と睡蓮はダルシャナとヒーラに別れの挨拶をした。
二人は二匹を抱きしめて涙すると、自分たちの旅を始めた。
手を振る二人に桔梗と睡蓮は鳴いた。
「したっけー」
二匹は反対方向、ミンポワーテの街に向かって歩き出した。
見つかりにくいよう林の中を歩いた。
作戦が上手くいったのか、こちらには追っ手はいないようだ。
半日ほど歩くと目的の村があった。
沼地の村だ。
村の外周を回り追っ手がいないのを確かめると、村へと入っていった。
村人は桔梗と睡蓮を歓迎した。
見ると村人のほとんどは霊力が高いようで、二匹の言葉が通じそうだった。
村長が来て心配そうに気遣う。
「街の方ではまだあなた方を探しているようです。どこかへ隠れるか、こんな所でよろしければかくまわせて頂きますが」
「村の家長全員に大きな桶を持ってくるように言ってけろ」
桔梗の言葉に村長は耳を疑ったが、すぐに納得し家長に桶を持って集まるよう声を掛けた。
桔梗と睡蓮は桶を持った家長を並ばせ、肉球から桶一杯の硬貨を出した。
皆驚いてどういうことかと聞いてくるので、桔梗は説明した。
「アミターユスにこうしてくれと頼まれただ」
「アミターユス様が、でございますか」
長老は目を丸くした。
「んだ、この村の人間は昔からいい人間だ。高潔な魂に供え物してやりたいって言ってただ。だから代わりにおらたちが頼まれたべ」
村人たちはヒザを付き空に向かって手を合わせた。
桔梗と睡蓮は空に浮かぶ雲を見上げた。
「やっぱりあそこにいるべか、アミターユス」
桔梗はポカンと口を開けた。
「あの上は平になってるべか、住んでるのはアミターユスだけだべか」
睡蓮も口を開けた。
「行ってみてえだな、あの上」
「光る場所、月さ行ったあとに行くベ」
睡蓮は嬉しそうに桔梗を見た。
村長は祝いの席を設けたいと言いだしたので、甘えることにした。
テーブルが出され料理が並べられる。
桔梗と睡蓮が椀を脱ぐと、杓子で酒が注がれた。
料理は質素だが味付けがよく、どれも美味しかった。
何杯目かの酒を呑み終えた時、右目の下にホクロのある女が、ぼろ布を羽織り被った頭巾越しに声を掛けてきた。
「どうぞ」
と、片口鉢から酒を注いできたのだ。
賑やかな中とはいえ、なんとなく聞き覚えのある声だったので、振り向いてみたが既に女の姿はなかった。
酒は今まで飲んでいたものとは違い、上質なものだ。
桔梗も睡蓮も舌が進んだ。
たらふく飲み食いしたあと、村の外れを散歩していた。
「我の酒は旨かったか」
背後に妲が立っていた。
手には既にナイフ状の石が生成されていた。
咄嗟に戦闘態勢をとろうとしたが、妲の手から放たれたナイフは桔梗の心臓を貫いた。
「キキョ」
睡蓮は桔梗を抱きかかえる。
目を吊り上げて妲を見るとそこに姿はなかった。
睡蓮が桔梗に駆け寄った時には息を引き取っていた。
尻尾を代償に生き返ると分かっていても、やはり辛かった。
――わだすも死んで、お揃いにするだ――
偶然二匹を見付けた村人は、皆に声を掛けて集めると経を読み上げ、桔梗を土の中に埋めた。
睡蓮はその上で丸くなり、広がる林を見つめた。
やっぱり涙は流れるものなんだな、と思い桔梗の眠る土の上に涙を落とした。




