第三十四話 三本目
役人の部屋で寝ていると、食事の匂いで睡蓮は目を覚ました。
桔梗を激しく揺する。
「食事だべさ、さっさと起きてけろ」
「昨日お尻が痒くてあまり眠れなかったべさ」
「わだすもだ、虫に刺されたべか」
睡蓮がお尻を掻いて目を丸くした。
「増えてるべ」
「何が増えただ」
「尻尾だべ。尻尾が三本になってるべ」
桔梗は飛び起きて尻尾を見た。
「本当だべ」
尻尾が三本になり、天誅五行のうちさらに火焔行が使えるようになった。
神通力も強化され、ある特定の人間、霊力の高い人間となら話ができる、念話の術も使えるようになった。
三本の尻尾を振りながら朝食を楽しんだ。
「こちらがお礼になりますがよろしいでしょうか」
チャンドは霊力が低いようで、話ができそうにないため、コンと泣いた。
チャンドは二匹の身体と変わりない大きさの革袋に、沢山の硬貨を詰め込んで二匹にくれた。
桔梗と睡蓮は首から提げた革袋を脚の間を通して、尻尾のうしろから引きずって、街を散策した。
街の住人は二匹を見ると手を合わせてきた。
「ありがとうございます」
心地よい響きだった。
街外れの草原で昼寝をすることにして、店で酒を一杯もらうと椀を咥えてそこへ足を運んだ。
草原で穏やかな風に吹かれ、酒を舐める。
睡蓮が顔を上げた。
「わだすたちはいつになったら成獣になれるだ」
「もう成獣になってもいい歳だべな」
「でも子ギツネだべさ」
「少しは大きくなってるべ」
「ほんの少しだべさ」
「いいべ、子ギツネでも。ちゃんとキツネだべ。狩りだって上手いだ」
二匹は再び酒を舐め始めた。
時はゆっくりと流れる。
二匹はいつの間にか寝息を立てて、夢の中へと誘われていった。
夢の中で二匹は一緒にいた。
無限とも思える青く広い世界に、表面が平らな雲が広がる。
目の前には光る人がいた。
穏やかに微笑みながら光る人は桔梗と睡蓮を見ていた。
二匹は座った。
「頑張っているようですね」
「どうして尻尾がまた増えただ」
桔梗は首を傾げた。
「善行を重ねてゆき、そして徳を積むのです」
「綺麗な女のしとが調子に乗るなって怒ってただ。尻尾のことでねえのか」
睡蓮が不安そうに訊く。
光る人はヒザを落とした。
「その女があなたたちに二度と会うな、と言えば会いませんか」
二匹とも激しく頭を振った。
「人の言葉には二種類あります。二種類しかありません。耳を貸すべき言葉と聞き流すべき言葉」
「どう聞き分けたらいいだ」
桔梗は身を乗りだした。
「その言葉を発する者がどう生きてきて、どう生きようとしているか、見て聞いて、同じ道を歩んでいるのなら耳を貸せばいいですね」
光る人は耳に手を当てた。
「そうでないなら、あなたたちのことをろくに知りもしないで言葉を発するならば、風の音くらいに思えばいいのです」
二匹は考えた……
「そういえばおめさんの名前知らねえだ。おめさんのこともよく知らねえだ。これは聞いてもいいだか」
桃眼で光る人を見た。
「いつも光るしとって呼んでるだ。暗い空の光る場所に住んでるだか」
紫眼に光る人が映った。
「わたしの名は、アミターユス。光る場所に……月に住んではいません。それとわたしの話を聞くかどうかは、あなたたちが判断するといいですよ」
アミターユスは二匹の頭を撫でた。
「わたしがどう生きてきて、どう生きようとしてるかは、あなたたちと同じではないでしょうか。人を照らし人を救うことに……そう、喜びを感じる者です」
「人を照らす……」
桔梗は考えた。
「昼に出てるもっと明るい光みたいにか」
「そう、もっと明るい光、太陽の如く人々の心を照らすのです」
アミターユスは桔梗に答えた。
「どうすれば出来るだべさ」
睡蓮が訊いた。
「あなたたちはもうやっていますね。だから、これからも二匹で楽しく生きればいいのですよ……そろそろ時間のようです」
アミターユスは桔梗と睡蓮の耳元に口を寄せささやくと、悪戯っぽく笑った。
桔梗と睡蓮は目を覚ました。
「あれは太陽って言うだか」
手でひさしを作り細めた目で、桔梗は太陽を見上げた。
睡蓮も同様に太陽を見上げた。
「わだすら知らねえことばっかりだな」
「んだ、アミターユスは月に住んでなかったべ」
気を落とす桔梗を睡蓮は見た。
「別の光るしとが住んでるかもしんねえべ」
「信じるべか」
「……かもしれん、って言っただ」
二匹がそんな会話をしていると、背後こら声が聞こえてきた。
「お邪魔をして申し訳ございません。わたくしめはクマール商会で勘定を任されております、ビカシュと申します。少しお話しがあるのですが、お暇はよろしいでしょうか」
桔梗と睡蓮は視線を交わして、コンと鳴いた。
にこやかな笑顔で人柄のよさそうな男、ビカシュは笑顔になった。
「実はこの街だけでなく近隣の村や町、いいえあなた方のお噂は遠くまで広まっております。近隣だけでは済まないでしょう。と言うのは、あなた方にそうした村や町で、病や怪我に苦しむ人々を救済して頂きたいのです」
ビカシュはヒザを付いて手を合わせた。
多くの人を救える。
善行を重ねるよい機会であった。
桔梗は考えて、財布から硬貨を咥えて出した。
ビカシュは慌てた。
「もちろん報酬はお支払いいたします。わたくしどもクマール商会は困っている人を救済できればいいのですから」
真っ直ぐな瞳で二匹を見るとビカシュは続けた。
「街役人から伺いました。食事は美味しいものを充分提供させて頂きます。ゆっくりお休み頂けるよう寝床も用意します。世話係もおつけします。どうか、困っている人々のためにもお受け頂けませんでしょうか」
桔梗と睡蓮は同時にコンと鳴いた。
治療院は既に建てられていた。
クマール商会本部の横に建てられた大きな治療院は、土壁で作られ漆喰で白く固められた、清潔感のある建物だ。
中に入るとまずベッドが二床置いてあり、椅子もいくつか並べてあった。
治療中に食事をするための小さなテーブルも用意されていた。
恐らく街役人のチャンドに色々と聞いたのだろう。
カーテンで仕切られた奥の部屋には食卓があった。
右が世話係の出入りする部屋で、左は二匹が休めるよう立派なベッドが置いてあった。
各所に小さな窓が開いており、採光も充分で部屋は明るい。
クマール商会への渡り廊下や他にも様々な部屋が有り、おそらくは貴族などをもてなす貴賓室や、遠方から来た者を泊めるための宿泊施設に使うのではないかと思われた。
桔梗と睡蓮が驚嘆しながら施設内を散策していると、クマール商会の会長ダンラジが勘定官のビカシュと世話係二人を連れてやってきた。
二人の世話係を見た二匹は、霊力の強い人間と言うのはこういう人間のことか、と思った。
「わたしはクマール商会の会長を務めさせて頂いております、ダンラジと申します。この度はわたし共のわがままを聞き入れてくださりありがとうございます。おかげさまで多くの方々を救うことができます。ビカシュからお聞き頂いていると思いますが、報酬は納得頂けるだけの額をご用意致します」
小太りで血色のいいダンラジは、小さなイノシシ位はありそうな箱に掛けてあった布をとった。
そこには高額硬貨が山積みになっていた。
「足りなければもっとご用意致します。治療費は世話係が全額この箱に入れてまいります。ほんの少しわたし共に頂ければ、残りは全て差し上げます」
そう言って先程と同じ大きさの空箱を掌で刺した。
続いてビカシュが世話係を紹介した。
「こちらが紫色の瞳をされた子狐様のお世話をさせて頂く、ダルシャナでございます」
「ダルシャナでございます。わたくしがお世話をさせて頂きます」
ダルシャナは桔梗に手を合わせた。
「こちらが桃色の瞳をされた子狐様のお世話をさせて頂く、ヒーラでございます」
ヒーラもダルシャナ同様に挨拶をした。
まず桔梗と睡蓮はダルシャナとヒーラに名乗った。
コンコンと鳴いているだけなのに、おらが桔梗だ。わだすが睡蓮だ。
と聞こえたことに二人は驚いた。
驚きはしたが、なぜか当然のこととして受け入れることができた。
「こちらがキキョウ様、こちらがスイレン様でございます」
二人の世話係は、ダンラジとビカシュに桔梗と睡蓮を紹介した。
なぜ分かる。怒ったようにダンラジは二人に問いただすが、世話係はなぜか分かるとしか言いようがなかった。
桔梗はダルシャナに伝えた。
ダルシャナは言いにくそうにダンラジに告げた。
「……御狐様は報酬が少なすぎるのではないかと」
ダンラジは目を丸くして硬貨の山に目を落とした。
ダルシャナは続けた。
「この……五倍は欲しいと……」
ダンラジとビカシュはしばらく顔を見合わせて、別室に消えた。
次に出てきた時、ダンラジは笑顔でうなずいた。
「それだけのことをしていただくのです。当然のことでした。大変失礼致しました」
ダンラジは顔を曇らせる。
「ただ、わたくし共商会の全財産になってしまいます。そこからお金の出し入れをさせて頂くことを許していただけますでしょうか」
「全然構わないとおっしゃっています」
次は睡蓮から伝えられたことをヒーラが告げた。
「いつまで続ければいいかと聞いておられます」
ダルシャナが伝える、桔梗の質問にダンラジは顎に手を当てる。
「最低でも三ヶ月、長ければ長いほど多くの困った方々をお救いすることができます」
「嫌になったらいつ出て行ってもいいのか、と」
ヒーラは睡蓮の言葉を告げた。
「もちろんでございます。お好きにしてください。わたくし共にあなた方を縛り付ける権利などございませんから」
そう言うと、会長のダンラジと勘定官のビカシュは、世話係を残して商会の方へ去って行った。




