第三十三話 忌まわしい過去
街を少し東に行くと沼があった。
不気味な木々が生えた、昼でも薄暗いうっそうとしたまるでその場所自体が、生きているような居心地の悪い沼だ。
そこからさらに東に行くと小さな集落があった。
村には特に決まった名前がなく、村民も街の人々も『沼地の村』と、そう呼んでいるらしい。
不気味な沼の周りは常にぬかるんでおり、踏み間違えると沼にはまってしまいそうだ。
プレータはここから出てくると言うことだが、今のところその気配は感じられなかった。
悲鳴が聞こえた。
それも男女を問わず複数の悲鳴だ。
東にある沼地の村からだった。
桔梗と睡蓮はすぐさま駆け出した。
しばらく駆けて沼地の村に着くと、桔梗と睡蓮は目を疑った。
この世のものとは思えない生き物が村を襲撃しているのだ。
プレータだ――
村民たちは襲われていた。
尖った耳まで裂けた口から生える、無数の牙に噛みつかれたり、大きな手の先にある鋭い爪で引っかかれたり、村民は悲鳴を上げながらただ逃げ惑うばかりだ。
プレータは骸骨に青黒い皮膚を貼り付けたような体躯で、腰には薄汚れた布を巻いており、下腹だけ妙に膨らんでいる。
尖った頭部には、抜け損なった老化している髪がまばら残っており、脚は止まっていても動いていてもヒザが常に曲がっていた。
細い身体に似合わず動きは俊敏で、跳躍力もあった。
桔梗と睡蓮は小石を生成して、それらを荒削りの円錐形にすると、プレータに浴びせかけた。
数こそ居たが、小石が数粒当たればプレータはその場に倒れ、動かなくなった。
特に頭部が弱点らしく、命中すれば一撃で倒すことができた。
二匹はプレータの群れの中に入り、村民をかばうように盾となり、プレータの頭部を中心に小石を飛ばした。
しばらくするとプレータの多くは倒れ、残りは沼の方へと去って行った。
まず桔梗と睡蓮は村を一回りすると、怪我人の状態を調べ重症者を優先して癒やしの術を施していった。
霊力が切れかかると、勝手に家に入り食べ物を手当たり次第口にした。
夕刻が迫る頃には全ての村民の治癒が終了した。
その場に座り込んだ二匹に、村民たちはヒザを付いて手を合わせた。
「お救い下さりありがとうございます」
村長がさらに山盛りの食事を持ってきた。
お世辞にも豊かとは言えない食事であったが、村民たちの気持ちが嬉しかった。
桔梗と睡蓮は食事を平らげると、沼へと去って行った。
その後ろ姿を村民たちは、見えなくなるまで手を合わせ続けた。
「早くなんとかしないといかんべ」
桔梗は沼を覗き込んだ。
「今夜もう一度来てみるベ」
桔梗と睡蓮は夕食をたらふく食べると、二つの皿に残った料理を移した。
それを咥えて沼へと向かった。
沼から少し離れたところに料理を置くと、沼の縁に立って目を凝らした。
夜半、数体のプレータが沼から現れた。小石で頭部を貫き撃退する。
背後で嫌な気配がした。
湿地に足を取られたものの、二匹は左右に飛び退いた。
髭面の男が顔を歪めて、湿地に剣を突き立てていた。
「貴様らは絶対に許さん!」
男は剣を杖代わりに歩くと、桔梗に近づき剣を引き抜き、狂ったようにそれを振り回した。
剣の重さに身体を持って行かれた男は、そのまま沼に落ちた。
もがけばもがくほど沈んでゆく。
「おい、助けてくれ、頼むから助けてくれ」
男は桔梗と睡蓮に懇願した。
ここで助ければまた付け狙われるだろうし、そもそも危険過ぎて沼には入れない。
「放っとくベ」
桔梗は呆れた。
「自業自得だべ」
睡蓮も助ける気はない。
「おまえたち人助けが好きなんだろう。助けてくれ、じゃないと罰が当たるぞ」
男はひたすら懇願する。
再びプレータが出てきた。先程より多い。
男は湿った音に振り向き半狂乱になるも、身体は沈むばかりだ。
二匹は小石でプレータの頭部を狙う。
プレータは湧き出るかのように次から次へと出てきた。
あまりの多さに小石が追いつかない。
「助けてくれー!」
絶叫をあげる男の頭にプレータが噛みつく。
別のプレータは腕に噛みついた。
剣を振っていた男の手からそれが落ちて沼へと沈んでいく。
男は徐々に喰われていった。
むごい光景に目を閉じながらも、今度は石礫の雨を浴びせた。
プレータは後退したが、数は増えていく。
「あの作戦で行くベ」
桔梗の合図で睡蓮は料理に走った。
桔梗は石礫の雨でプレータを押し留める。
「済んだべ」
今度は睡蓮が石礫の雨を浴びせかけ、桔梗が料理を食べに走った。
桔梗と睡蓮は石礫の雨を吐き出しながら、両手をかかげた。
沼の上空に大きな岩が生成され始めた。
「スイ、行け」
「んだ」
「次、キキョ」
「分かっただ」
二匹は交互に料理を食べながら、大きな岩を生成しつつ石礫の雨でプレータを足止めした。
髭面の男の姿はもうない。
沼の上空には巨大な岩が形成された。
沼よりも二回りは大きな岩だ。
桔梗と睡蓮は同時に両手を振り下ろした。
大きな音と共に岩の蓋は、プレータを押し潰し沼全体は覆い隠された。
湿地の泥水が飛び散る。細い木々もなぎ倒された。
沼に丸ごと大岩で蓋をしたのだ。
大きな音に、沼地の村人や街からも人が集まっていた。
桔梗と睡蓮は浄土の術を行使した。
その場に座り手を合わす。
岩からモヤが湧き出した。
プレータの魂ではなかった。
沼に眠る魂の主の記憶が流れ込んでくる。
百年ほど前である。
大飢饉がこの辺りを襲った。
ほんのわずかな稔りを、ある男が盗賊を雇い全て奪っていった。
それを他の村や町で売りさばく。
細々と稔るたびそれを繰り返していた。
男は豊かになった。
食べるものがない村人たちは飢えから凶暴になり、殺し合うようになった。
死体は全てこの沼に捨てられた。
そしてある日、男が提案した。
殺した人間を食べてしまおうと……
男は雇った盗賊に適当な人物を殺させて、死体を解体し、村人たちに売った。
売れない骨や皮などはこの沼に捨てたのだ。
その時の村がミンポワーテの街、そして人の肉を口にしなかったものは、裏切り者として、沼地の村に住まわされた。
もちろんその頃住んでいたミンポワーテの住人は、ほとんどいない。
その時、財を築いた男は、現クマール商会の初代会長だ。
手広く商売をしている、ミンポワーテの街の顔であり、商業の父とも呼ばれているのが、クマール商会だ。
私兵は盗賊の子孫に当たる。
桔梗と睡蓮は身震いした。
モヤは一筋の煙となって天へと昇っていった。
二匹は定められた文言を唱えた。
ミンポワーテの街の住民も沼地の村人も、ヒザを付いて手を合わせていた。
皆何かしら事情を知っているのかもしれない……




