第三十二話 鬼畜の復習
朦朧とする意識の中、桔梗は睡蓮を、睡蓮は桔梗を気に掛けた。
そんな中、声が聞こえた気がした。
「大丈夫ですか、御狐様。すぐに手当ができるところへお連れします」
二匹の身体はふわりと持ち上げられた。
目を覚ますと大きなベッドに二匹並んで寝かされていた。
桔梗と睡蓮は慌てて椀と財布を探した。
横の小さなテーブルに置いているのを見て、安心するとベッドに伏せた。
「何があったべ」
桔梗は睡蓮を見た。
「分かんねえ、すごく痛かっただ」
睡蓮も桔梗に顔を向けた。
「あのメス何で襲ってきたべ」
「わだすら知らんうちに恨みでも買ったべか」
二匹は妲について色々と考えを巡らせた。
そこへ男が入ってきた。
「目を覚まされましたか。よかった」
胸を撫で下ろしたのは、トラの子育てをしたアグレタ村で脚を失い、脇腹に怪我を負っていた村長の息子エジンバであった。
二匹の癒やしの術の甲斐あって、すっかり調子はよさそうだ。
「アグレタで採れた野菜を、ここミンポワーテの街で売ろうと馬車を走らせていたところ、あなた方が倒れているのを見かけ、街役人をしているチャンド様のお宅にお連れしました」
エジンバの後ろに立っていた男が会釈した。
「こちらがチャンド様でございます」
二匹はコンと鳴いた。
「やはり言葉が分かるのですね」
チャンドは感心した様子だ。
「エジンバさんの怪我も治したとか」
再びコンと鳴いた。
「ええ、片脚がなく脇はえぐれておりましたが、見ての通りでございます。ただ、お腹が空くのか治療中は、食事を切らしてはならないようなのです」
「噂によると、化け猫退治もなさったとか」
コンと鳴いた。
チャンドは言いにくそうに言葉を繋げた。
「実は困ったことがありまして……村にほど近い沼からプレータが出るのです。プレータというのは鬼の一種でして、人を襲い喰らうのです」
チャンドは広げた指を曲げ、口を大きく開いて見せた。
「以前は沼の近くでしか見かけませんでしたが、最近は小さな村や町の中にまで現れることもありまして。手の回る範囲はお金を支払って、クマール商会の私兵にお願いしているのですが……根本的にどうにかなりませんでしょうか」
桔梗と睡蓮は顔を見合わせたあと、コンと鳴いた。
それを聞いたチャンドは心底安心した様子だった。
食事の席でチャンドは訊いてきた。
「報酬は何がよろしいでしょうか。素晴らしいお椀もお持ちですし、財布も持っておられるようなので」
チャンドは二匹の機嫌を損ねないか気にするようで、慌てて言葉を足した。
「もちろんミンポワーテ滞在中は食事とお酒を用意しますし、寝床も自由に使って頂いて構いません」
桔梗は財布から硬貨を咥えて出した。
「お金でございますね。承知しました。充分と言えるかどうか分かりませんが、用意させて頂きます」
二匹はまず街を散策した。
「大きな町だべ。道も広いべ」
桔梗は見回した。
「これまで見てきた村や町よりどれくらい大きいべ」
「あの料理店さ入ってみるべ」
二匹は大きな料理店に入っていった。
桔梗と睡蓮が役人の所で厚遇されている特別な子ギツネで、御狐様と呼ばれ数々の奇跡を起こしてきた、ということは既に街中に知られていた。
店に入り椀を脱ぐとすぐに酒が注がれた。
出てくる料理は二匹の舌を満足させる物ばかりだった。
満足した桔梗と睡蓮はほろ酔いで町を散歩した。
「最後に出てきたイノシシ肉、旨かったべ。あれがバディータの言ってた料理だべな」
水牛肉の煮込みを食べた桔梗は満足そうだ。
「最後のはヒツジの肉だべ、それに料理は出て来たもん全部料理って言う食べ物だべ」
水牛肉の煮込みを食べた睡蓮はさらっと言った。
「あれはイノシシだべ。それに料理は美味しい食べ物を料理って言うべさ」
「違うべヒツジだべ、香りと食感がヒツジだべ。料理はお店で出てくると料理って言うべさ」
「味覚音痴、イノシシだべ。バディータの話聞いてたべか」
「み、み、味覚音痴だと。わだすが味覚音痴だと。キキョこそバディータの話聞いてただか」
二匹は立ち止まって言い争っていた。
「いいべ、これからは一匹で旅するべ」
桔梗はそっぽを向いた。
「わだすだって一匹の方が気楽でいいべ」
睡蓮もそっぽを向いた。
そのままその場でそっぽを向いたままじっとしていたが、桔梗が半歩進んだ途端睡蓮はスタスタと歩いて行った。
――あー。スイの奴本当に行っただ。もう知らね――
桔梗は反対方向へ歩いて行った。
――キキョの方が味覚音痴だべ。爪の大きい虫は大きいより小さい方が美味しいのに、いつも大きい方を食べてるだ。わだすの味覚は敏感だべ。さっきの肉は絶対にヒツジだ――
睡蓮がなれない街を歩いていると、人混みに紛れ背後から脚を引きずる男が近づいてきた。
男は睡蓮を抱え路地に連れ込むと、素早く口輪をはめ、手足に厚手の革の袋を被せられ、鉄の箱に投げ込まれた。
睡蓮は天誅五行も神通力も使えないまま、箱に揺られた。
夜まで散歩して時間を潰した桔梗は、役人の家で食卓を覗いて睡蓮がいないことに寂しさを覚えた。
――まあ、好きにすればいいだ。おらはおらで好きにするだ――
しかし、ベッドで寝てるかもしれない。そう思うと尻尾が揺れた。
睡蓮はベッドにもいなかった。
なんだか無性に腹が立ってきた。
――こんな時間までほっつき歩くなんて、だらしないだ。襲われでもしたらどうするだ。襲われでも…… ――
桔梗はにわかに不安になったが、食卓に用意された食事に口を付けた。
鉄の箱の口が開いたかと思うと、睡蓮は乱暴に鉄格子の狭い檻に投げ込まれた。
宿か何かの一室のようだ。
土の塗り壁に四角く開けられた窓。
そしてベッドが一つ置いてあるだけだった。
鉄格子の檻の前に座ったのは、シャクトラーナ村でウリ坊を殺しまくっていた髭面の男だった。
「よくも俺の家族を台無しにしてくれたな。おまえにはたっぷり苦しんで貰うぞ」
男は怒りに燃えた目で睡蓮を睨み付けた。
ナイフを手にすると、にやけ顔で鉄格子の間から突き刺した。
睡蓮は狭い折の中、切っ先を避ける。
次に桶に汲んだ水を上から駆ける。
身体がびしょ濡れになるが、身体の向きを変え、鼻の先から尻尾の先まで身体を振り、水滴を髭面の男にかけた。
髭面の男は怒り狂って壁を何度も蹴った。
戸を叩く音がした。
「何かあったのか」
不機嫌そうな声が聞こえた。
「何でもありません。虫がいたもので、申し訳ございません」
足音が去ったのを確認すると、男は声を押し殺した。
「おまえのせいで怒られちまっただろうが、絶対に許さねえ」
睡蓮は半乾きの身体を、浄化の術で綺麗に乾かした。
浄化の術は瞬時に身体を清潔な状態にする術だ。
ナイフを手に再び格子の間から切っ先を睡蓮に向けた。
味気ない食事を終えた桔梗はベッドで伏せた。
――何やってるだ。いつもスイは心配かけるだ……食べもんも酒も全然美味しくなかっただ。何であんなこと言ってしまっただ。あれはヒツジ肉だったかも知れねえべ、料理はお店で出てきたもん全部、料理って言うのかも知れねえべ。おら、間違ったこと言ってたかもしれね――
桔梗は立ち上がると窓から飛びだした。
「スイに謝るべさ」
ナイフを避けながら睡蓮は涙を浮かべた。
――わだすは一匹では何もできないだ。わだすにはキキョが必要だべさ。光るしとも言ってただ二匹でがんばれって。肉がイノシシでもヒツジでも構わないべ。キキョがいれば何でも美味しいべさ。キキョと歩くから楽しいべさ。キキョと見る景色だから綺麗だべさ。キキョは親友だべさ。岩よりも硬く海よりも深い絆で結ばれてるはずだったべ。わだすのバカ――
髭面の男がナイフの柄を二本の指ではさみ、睡蓮の上にぶら下げた。
「一刺しくらいで死んでくれるなよ」
追い込まれて逃げ場をなくした睡蓮は、檻の隅で丸くなって震えた。
男の顔がいやらしく歪む。
二本の指を広げた。
激しい勢いで石礫が落下するナイフを弾き飛ばした。
窓辺に立つ桔梗を見て、泣いた。
それは恐怖からの解放ではなく、睡蓮に会えた喜びの涙だ。
男は怯えた。
「もう返すところだったんだ。傷つける気なんて毛頭ない。本当だ信じてくれ」
桔梗の口には細く尖った石が生成されていた。
「謝る謝るよ。もう二度とこんなことはしない。仏に誓う。俺は信心深いんだ。死んだ家族を大事にしてたのを見ても分かるだろ」
細く尖った石に小さな棘が無数に生えた。
開けて逃げだそうと男が戸を開けた時、石は男の太股に穴を空けて貫通した。
声を上げて転げ回る男を放って置いて、桔梗は睡蓮の入れられた檻に近づいた。
「スイ下がってるべ」
そう言うと円盤状の石を生成して高速回転させながら、鉄格子を切った。
睡蓮は飛びだしてくると桔梗に抱きついた。
匂いを頼りにここまで来た桔梗も、睡蓮に抱きついて涙を浮かべる。
革の袋と口輪を外すと、互いに謝罪し合った。
二匹とも窓から飛びだし、役人の家のベッドで伏せた。
「あれはヒツジ肉だったかも知れねえべ」
桔梗が言うと睡蓮は桔梗を見た。
「イノシシに違いねえだ」
「おめと食べるとどっちでもいいべさ。なんでも旨いべさ」
二匹は身を寄せて寝息を立てた。




