第二十八話 トラとの戦い
桔梗は心配した。
「このままだと村に着くベ」
睡蓮も心配した。
「んだ。酒と美味しいものが食べれんなるべ」
二匹はトラが通られそうにない樹木の密集した場所を選び、村へと先回りした。
村は静まりかえっていた。
四角く開けられた窓からは、不安にかられた人が覗いている。
トラの匂いはまだしていない。
キツネの狩りは待ち伏せと奇襲である。
さらに二匹の匂いはビャクダンとキンモクセイ。
獲物に見つかりにくい利点がある。
桔梗と睡蓮は二手に分かれて茂みに身を隠した。
二匹の心臓が激しく脈打つ。
相手は肉食獣であり、大きなトラだ。
キツネの成獣とは訳が違う。
しかも、子育てで気が立っている。
息を飲んでトラを待つ。
二匹の鼻に野獣の匂いが漂ってきた。
桔梗が喉を鳴らした時、ゆっくりとしなやかな動きで、トラが二匹の前を通り過ぎて行った。
我こそが自然の一部でこの世の全てだ、と言わんばかりに身体を波打たせて流れるように歩いて行く。
鼻を鳴らし、縄張りを侵したシェラパを探すため、一軒ずつ家を回る。
シェラパの匂いを覚えているようだった。
これまでも頻繁に縄張りを荒らし、呼び込んでいたのかもしれない。
桔梗と睡蓮は姿勢を低くして、静かに歩みよる。
トラの真後ろに着くと、足音を立てず早歩きで後ろ脚に近づき、二匹同時に飛びつきアキレス腱に犬歯を立てた。
トラの咆哮が村に響く。
トラの後ろ脚に振り回されながら、顎に力を入れる。
少なくとも走れなくなるまでの傷は与えないと、自分たちの命が危ない。
トラは座り込み、後ろ脚を持ち上げて口で二匹を引き剥がすため、噛みつこうとする。
どうすることもできない村人たちは窓から見ていた。
桔梗と睡蓮は恐怖で目が開けられない。
グサリという音と共にトラの前方に、三メートルのところに鍬が刺さった。
シェラパが投げた鍬だ。
もう一本の鍬を持ってシェラパは家の前に立っていた。
余計なことを! 二匹は間抜けな男に苛立った。
トラはシェラパに向かって走って行った。
シェラパは慌てて家に逃げ込んだ。
振り落とされた桔梗と睡蓮は逃げた。
「匂いを覚えられたべ」
桔梗は走りながら振り返る。
「どうするべさ」
「畑に潜るベ」
二匹は土を掘って中に潜ると、鼻と耳だけを出してその身を隠した。
トラは必要にシェラパの家を狙う。
戸が開かないと分かると、周りを回った。
しばらくして諦めたトラは、わずかに脚を引きずりながら森の方へ帰って行った。
桔梗と睡蓮は土から這い出すと、深呼吸した。
「命拾いしただ」
桔梗は土を払い落とした。
「死ぬかと思っただ。トラは見ただけで怖いベ」
睡蓮も土を払った。
村人たちは家から出てくると、一斉にシェラパの家を訪ねた。
「やっぱりあんたが連れてきたんだね。これまでもそうだったんだろう」
激しく戸を叩く。
しばらくしてシェラパが出てきた。
彼は村人たちをかき分けながら、地面に刺さった鍬を取りに行った。
「トラを連れてきたのは子ギツネたちだ」
「食べられたんじゃなかったのか」
「逃げ足が速いから、そう見えたんだ。それに助けてやっただろ」
「おまえが手をださきゃ、御狐様がトラにお灸を据えてくれてたんだよ」
「あんな小っちぇえ臆病者に、あのトラが殺せるわけないだろ」
「殺さなくたっていい、村にこなくなればいいんだ」
「駄目だ敵を取るんだ」
「できもしないこと言ってるんじゃないよ」
村人たちはシェラパに冷たい視線を送り、家へと戻っていった。
次に来たらどうするかを、桔梗と睡蓮が話し合っていると、シェラパがやってきた。
「この臆病者が、さっさと逃げ出しやがって」
唾を吐き捨て去って行った。
「どうするベ」
「わだすたち、匂い覚えられてるベ」
「桶さ借りてくるべか」
「でも、あの時と違って忍び寄る時、水の滴る音で気付かれるべ」
その場で座り込んだ。
そこへ村長がやってきて、こちらで休んでくださいと、家に迎え入れてくれた。
用意された酒と料理で体力を回復する。
その間も二匹は作戦を練った。
その結果、次来た時もシェラパの家に来るだろうから、その近くの土の中に隠れて待ち伏せすることとなった。
数日後シェラパが森に入っていったので、桔梗と睡蓮は家の近くで土の中に隠れ、耳と鼻だけを出して待機した。
桔梗と睡蓮の行動を見た村長は、何かあると感じ皆に家に入っておくよう指示を出した。
シェラパが森に入って数刻後、激しい足音が聞こえた。
シェラパの匂いに混じってトラの匂いが漂う。
桔梗と睡蓮は背筋も凍るほど緊張した。
シェラパは手近な家の戸を叩いた。
「空けてくれ、トラがきたぞ。またあの子ギツネが呼びやがった」
片端から戸を叩き家に入れるよう頼んだが、トラとの距離が分からない以上、戸を開ける訳にはいかなかった。
諦めたシェラパは自宅へ走った。
何故すぐに自宅へ向かわなかったかというと、前回の襲撃で戸がかなり破損していたからだ。
匂いからしてトラは随分近くにいるようだった。
シェラパは桔梗と睡蓮を飛び越え、自宅に入った。
村人たちは窓から外の様子を伺う。
ゆっくりとしなるような動きでトラが現れた。
家々をまわってシェラパの匂いを探す。
子育てをするトラにとって、縄張りに頻繁に侵入するシェラパは脅威なのだ。
右後ろ脚を引きずっていた。傷は狩りにより悪化しているようだった。
桔梗と睡蓮は音で判断すると、次は左脚だ、と互いに確信した。
シェラパの家の前に来ると、トラは激しく戸を引っ掻き始めた。
その音に紛れてまずは桔梗が飛びだした。
間髪入れず睡蓮も飛びだす。
二匹はトラの左脚アキレス腱に食い付いた。
苦悶の叫びが村内に響き渡る。
二匹は振り回されながらも、犬歯を食い込ませた。
脚で踏ん張り頭を左右に振りしだく。
腱がミリミリと音を立てる。
トラは座り込み、脚に食らい付く二匹に牙を剥いた。
桔梗と睡蓮は襲いくる口を避けながら、頭を引いて腱を伸ばした。
トラは痛みで咆哮を上げた。
充分伸びたと感じた二匹は、トラの脚を離すと一目散に逃げて、充分な距離をとってから振り向いた。
トラに睨まれた桔梗と睡蓮は怯えながらも、威嚇態勢をとり、掲げた尻尾の毛を逆立てた。
にらみ合いは続きトラは両足を引きずりながら、森の方へ向かった。
窓から覗いていた村人たちは胸を撫でおろした。
桔梗と睡蓮はトラとの距離を保ちながら、後ろを着いて行った。
背後から風切り音がした。
二匹は振り返り、威嚇態勢で吠え立てた。
脚を痛めて逃げ遅れたトラの腹部に、鍬が刺さった。
トラは鍬を刺したまま、それを投げたシェラパの元へ走った。
シェラパは慌てて家に入り、戸を閉めた。
走った拍子に益々脚を痛めたトラはその場に伏せた。
桔梗と睡蓮は慎重の近づくと、トラの背中に乗り鍬を咥えて抜こうと試みた。
少しずつ鍬は抜けていき、完全に抜け落ちると傷口を舐めた。
「悪かったベ、ここまでするつもりはなかっただ」
桔梗が舐めながら謝る。
「森に帰れるべか」
睡蓮はトラを気遣った。
「あの男が来ると子供たちが落ち着かないのさ」
トラは苦しそうだった。口から血が出ている。
「分かるベ、おらたちが送って行くから森に帰るベ」
「当分の間は餌もわだすたちが調達するべさ」
トラは背中で傷を舐めている小さく奇妙な子ギツネを見て微笑んだ。
太く大きな脚はゆっくりと立ち上がると、森へと向かう。
背後で再び風切り音がした。
トラは激しく身体を揺すり、二匹を力任せに振り払った。
鍬はトラの背中に深々と突き刺ささり、ゆっくりと横倒しになった。
シェラパは歓喜した。
もう一本の鍬を拾うとトラに突き刺した。
桔梗と睡蓮は脚に噛みつき、止めさせようとしたが、鍬で払われ二匹とも深い傷を負った。
シェラパは何度もトラを突き、やがてその心臓は動きを止めた。
「やったーついにやったぞ。見てたか! 俺が、このトラ狩りのシェラパ様がついにトラを退治したぞ。安心しろ、これで村はもう安全だ」
傷を庇いながらも桔梗と睡蓮は、トラに歩みより手を合わせた。
それを見ていた村人たちもまた、全員出てきてトラに手を合わせた。
「そんな人殺しに手を合わせる必要なんてない」
手を合わせ終えた村長は、シェラパを睨み付けた。
「このトラは森へ帰ろうとしていた。背後から襲う卑怯者のどこがトラ狩りか、トラ狩りはこの御狐様だ」
村長は腹立たしげに言い捨てる。
「この村は昔からトラと共存してきた。それをおまえは破ったのだ。ノコノコ縄張りに入ってはトラを連れてきて、村中の若者を怪我人にしたり亡き者にしおって」
トラは森近くに埋められることとなった。
桔梗と睡蓮は、傷に薬草を塗られ包帯で巻かれた。
トラに怪我を負わせたことを、後悔していた。




