第二十六話 二匹の願い
昼過ぎにポツリポツリと降り出した雨は、いつもの料理店に着く頃には、すっかり本降りになっていた。
バディータは半分濡れて狭い軒下に座っていた。
桔梗と睡蓮は、鼻の先から尻尾の先までを振ると、雨水を払った。
コンと鳴けばバディータは笑顔で両手を広げる。
膝の上に乗ると二匹を擦り、抱きしめて頬ずりをして、椀も脱がせ手でその大きさや形を確かめるように触り、頭を撫でた。
硬貨を渡すと指先でその柄を確かめる。
「これなら頂けるわ」
そう言うと二枚の硬貨を胸元にしまい、本日のおすすめを、楽しそうに話して聞かせた。
「本日のおすすめはキジ肝をクミンとコリアンダーで炒めたものよ。臭みがなくてすごく美味しいの」
桔梗と睡蓮に硬貨の価値など分かるはずもなく、咥え出した硬貨を渡すだけなのだが、高額硬貨の時もあれば少額硬貨の時もあった。
バディータは少額硬貨の時には喜んで受け取るが、高額硬貨となると酷く恐縮した。
二匹が店内に入ると、いらっしゃいませ、と給仕が言う。
すっかり常連になっていた。
料理と酒に舌鼓を打ち終えると、だいたい夕刻を過ぎていた。
ほろ酔いで店を出ると、バディータの父親が道の向こうで待っている。
「さっさと来い」
手を前に出し道を渡るバディータを、父親は腕組みをして待ち、来ると細い腕を掴んで乱暴に家まで連れて行った。
桔梗と睡蓮はバディータの家の近くまで行くが、家の中から聞こえてくる父親や兄弟たちの怒声に耐えきれず、その場を離れた。
バディータは二匹から受け取った硬貨を、決して手放すことはしなかった。
やんだ雨の中、無力感にさいなまれ河原へと向かう。
「おらたち何もしてやれないベ」
桔梗は水溜まりを避ける。
「今のわだすたちは、癒やしの術が使えねえし、人間の言葉が喋れんから口出せないべさ」
睡蓮は水溜まりに前脚を浸けてしまい、気持ち悪そうに振り泥水を落とす。
「明日は変わったことしねえべか」
桔梗は気分を変えようとした。
「んだな、気分転換だべ」
河原に生える木陰に乾いた場所を見付けると、そこで一夜を明かした。
その日桔梗と睡蓮は一羽の水鳥を狩りで仕留めた。
それを肉屋で換金せず、前歯で狂ったように羽をむしった。
薄焼きパンに焼いた肉を挟んだ料理を売っている屋台に出向くと、咥えた小枝の先に肉を焼いている火を移した。
店の女房が驚いているのを尻目に、火が消えないよう慎重にその小枝を咥えたまま河原まで戻った。
河原に着くと束ねておいた枝に火の付いた小枝投げ込む。
火が燃えさかってくると、太い枝に刺した水鳥をその火にかざす。
水鳥に刺さった太い枝の両端をそれぞれ咥え、座って焼けるのを待つのだ。
適当なところで器用に、鳥の刺さった太い枝をクルリと回す。
焼けたら回す。それを繰り返した。
鶏肉から油が滲み出た時は、桔梗と睡蓮の目は大きく丸くなった。
――何だべこれは――
――焼いてるのに水がベてきたべさ――
二匹は目で会話した。
いい匂いが漂っている。
やがて火が消え、水鳥を地面に置くと二匹は舌舐めずりをした。
「スイ、おらからいっていいだか」
「いいべさ、はらわたからいってけろ、キキョ」
桔梗は水鳥のはらわたに、かぶりついた。
水鳥を見つめ桔梗はしばらく口を動かして、飲み込んだ。
「周りは温かいけど、中は冷たいべ。おめはここいけ」
期待外れのようでがっかりしながら水鳥の胸を叩いた。
睡蓮は水鳥の胸にかぶりついた。
「周りは熱いけど、中は冷たいな。それに食感も違うべさ」
「味も全然違うべ」
「やっぱり獣の種類が違うべか」
「血の味だべ」
「でも、そのままよりは好きかもしれん」
「明日はもっと焼いてみるべか」
「んだな。人間はもっと焼いてるべ」
二匹は椀に汲んでおいた水を舐めた。
翌日はウサギだった。
枝はたっぷり用意されていた。
「火をもらいに行くべか」
桔梗が歩きだそうとすると、睡蓮が言いにくそうに口を開いた。
「皮はどうするべ」
「兄姉は食べてたべ」
「でも口に残るべさ」
「……もったいねえべ」
「でも美味しく食べたいべさ」
「剥ぐべか?」
「剥ぐべ!」
桔梗と睡蓮は皮を剥ぎだした。
すると内臓がこぼれ出てしまった。
「勿体ないべ」
桔梗は慌てて落ちた内臓を食べる。
「おめも喰え」
二匹は内臓を食べ終えると、ウサギを太い枝に刺し、まずは料理店に行き酒を椀に一杯持って帰り、それから屋台に火種を貰いに行った。
火を点けて太い枝の両端を咥えて座る。
前歯を器用に使い、ウサギをクルリクルリと回した。
火が消えると地面に置いた。
「今日はおめからいけ、スイ」
ウサギの胸に睡蓮はかぶりついて、目を閉じて味わった。
「昨日よりマシな気はするけど、やっぱり外と中の食感が違うべ」
桔梗もかぶりつき首を捻った。
「何が違うべか……やっぱり獣の種類だべか」
「血の味だべか?」
「明日は人間が作ったもん喰うべ」
「んだな」
二匹は酒に舌を伸ばし、調理を諦めた。
翌日、いつもの店に行き、バディータに硬貨を渡すと料理と酒を満喫した。
店から出てみると、父親に乱暴に手を引かれ、バディータは家に入るところだった。
家からはいつものように、罵声と怒号が聞こえた。
桔梗が呟いた。
「もう、この村でるベか」
「んだ」
睡蓮は短く答えた。
バディータの境遇に心を痛めた桔梗と睡蓮は、この町ヤクチャベを出ることにした。
途中、人だかりができていたので覗いて見ると、カドファンが説教をしていた。
その横でパドゥールが目を閉じて手を合わせ、何やら文言を唱えていた。
説教が終わると、観衆たちはカドファンの前に置かれた小箱にお金を入れたり、托鉢を持ってきたりしていた。
パドゥールはしばらくして目を開けると、桔梗と睡蓮に気づき、駆け寄ってきた。
二匹は咄嗟に威嚇態勢を取り、警戒音を鳴らした。
パドゥールはそんな二匹の前に膝を付くと、手を合わせ何かを語り始めた。
桔梗と睡蓮には何を言っているのか分からなかったが、パドゥールが以前とは違っていることは判断できた。
パドゥールはやがて大粒の涙を流し、声を詰まらせながらも二匹に語り続けた。
カドファンはパドゥールを諭し導くと言っていた。
睡蓮は光る人の言っていたことを考えていた。
生かす、殺す、それ以外の選択はないのか、と。
桔梗と睡蓮は、アベイの父親のことを思い出した。
人という獣は変われるのかもしれない……
二匹はパドゥールに前脚を合わせた。
パドゥールは号泣しその場に崩れた。
桔梗と睡蓮はその場をあとにした。
バディータの父親も、兄弟も変わってくれるのだろうか。
変わってほしい。
そう願いながら、ヤクチャベの町を出て行った。




