第二十五話 盲目の少女
桔梗と睡蓮は午前中で狩りを切り上げた。
睡蓮の言っていたいい匂いのする場所へ、鼻を頼りに向かう。
「ここだべ」
睡蓮は一軒の店の前で止まった。
確かにいい匂いがする。
「ここなら酒があるかもしれん」
桔梗は舌舐めずりをした。
「爪の付いた虫いるべか」
二匹は興奮気味に話していると、声が聞こえた。
店先に十代半ばと思われる少女が椅子に座っているのだ。
「そこにいるのはキツネさん?」
少女の前に行ってみると彼女は目を閉じていた。
「まだ目が開いてないベ」
桔梗は少女を見上げる。
「結構大きいベ。もう少ししたら巣立ってもいいくらいだべ」
睡蓮も見上げた。
「ここへいらっしゃい」
少女は脚を叩いた。
二匹は太股に飛び乗った。
睡蓮は上体を起こし肉球で瞼を開こうとした。
少女は顔を背けた。
「わたし目が見えないの……」
「やっぱりまだ目が開いてないみたいだべ」
睡蓮が少女の顔を見つめる。
「遅いべ。アーレでも開いてたべ」
「病気かもしれん」
睡蓮の表情が不安そうになる。
「わだすらも発育不足だったべ。治してあげたいけど、神通力が使えんべ」
「あら? お椀を被ってるの」
桔梗と睡蓮の頭を触った少女がクスクスと笑う。
「それにとっても小さいのね」
少女は布に包んだ硬貨を見せた。
「わたしはバディータ、ここでこの店のお客様に今日のおすすめ料理を紹介して、お駄賃を頂いてるのよ。ってあなたたちには分からないわよね」
桔梗と睡蓮は広げた布に置いてある硬貨を見て、財布から一枚ずつ硬貨を取り出して置いた。
バディータはその硬貨を指先で触り驚いた。
「こんな高額硬貨頂けないわ」
二匹はピョンと飛び降りて店の中に入っていった。
バディータは急いで椅子の周りを探したが、手探りでは小さな子狐を見付けることはできなかった。
子狐のくれた硬貨を握りしめると、胸元に入れた。
二匹の入ってきた店内は、静まりかえった。
女性の給仕はかろうじて、いらっしゃい、と声を出せた。
桔梗と睡蓮は真ん中の丸いテーブルに、並んで座った。
左が桔梗で右が睡蓮だ。
丸いテーブルには二、三人の先客がいた。
客たちは、二匹が被っていた椀を脱いで、テーブルに置いたことに驚かされたが、胸元の麻袋から硬貨を出したのには、もっと驚かされた。
二匹は息を合わせ空中の二カ所を肉球で叩くと、それに合わせて二回コン、コンと鳴いた。
それを何度も続けた。
首をかしげる女性の給仕に、男性客の一人が声を掛けた。
「何か欲しいんじゃないのか」
桔梗と睡蓮は何度も空中を肉球で二カ所叩き、合わせて二回コン、コンと鳴いた。
もどかしくなった睡蓮は、テーブルの上に飛び乗ると、他の客が飲んでいる椀の匂いを嗅いで周り、一つの椀を前脚で指した。
コン、コンというリズムに合わせて、睡蓮は椀を二回指す。
「酒が欲しいんじゃないか」
男が言うと、二匹はけたたましく鳴いた。
店内が突然賑やかになる。
女性の給仕は椀に酒を注いだ。
桔梗と睡蓮は満足そうに酒を二杯飲み干すと、三杯目を注ぎにきた給仕を呼び止めた。
桔梗は、椀と椀の間に大きな円を描く。
睡蓮は、その中央でパクパクと口を動かして見せた。
「料理だね」給仕は拳で掌を叩いた。「料理が欲しいんだね。すぐに用意するよ」
二匹は顔を見合わせた。
「料理って何だべ」
桔梗は首を傾げる。
「わだすたちの知らない獣だべ」
しばらくすると、野菜と肉の炒め物が運ばれてきた。
「どうぞ召し上がれ」
二匹は料理の匂いを嗅いで、口に入れた。
桔梗は興奮した。
「旨いベ、旨いベ。血が違うべか。温かくて旨いベ」
「これも血が違うべか? 温かいのは火で炙ってるからだべ、この町にきてすぐ食べた巣の中にいた人間が、肉を火で炙ってたべ。美味しいべー」
興奮した睡蓮はよくしゃべった。
「この葉っぱみたいな部位も旨いベ」
桔梗は野菜を口にする。
「何の獣だべ、火で炙るとこうなるべか」
不意に料理の中にキノコが見えて、二匹の口が止まる。
「何でキノコが入ってるべ。キノコの生えた獣か」
睡蓮の背筋が震えた。
「たまたまキノコを食ってた時に狩られたべ」
自分に言い聞かせながら、桔梗はキノコを口にした。
「ん、旨い。ちゃんとキノコだべ。心配するなスイ、旨いキノコだべ」
睡蓮は料理を鼻で突き、キノコを探し出すとそれを口にした。
「んだ。美味しいキノコだべ。これも火で炙てるだかな」
「今度、火で炙ってみるべ」
「火がないべ」
「どこかで貰うべ」
二皿目の料理も桔梗と睡蓮はペロリと平らげた。
桔梗が真剣な眼差しになった。
「スイ、あれをやるべ」
「いやだべ!」
睡蓮は身を引いた勢いで椅子から落ちそうになる。
「食べたくないべか」
「食べたいべ。でもわだすじゃなくても。キキョがやれ」
「あれはおめにしか出来ねえだ。おめじゃなきゃ駄目なんだ」
桔梗の説得に折れた睡蓮は、テーブルの上に乗った。
店内の客たちの注目を浴び、睡蓮は赤面する。
両手を広げ、二足歩行できないため、折った後ろ脚を思い切り広げた。
「何かが欲しいんじゃないのか」
「なんだろうね」
給仕は不思議な格好で静止する睡蓮を見て、顎に手を当てた。
「蟹じゃないのか、沢蟹」
「あれが沢蟹?」
客たちの笑い声に、睡蓮の頭からはいつ火が出てもおかしくない。
給仕が訊いてきた。
「蟹が食べたいのかい」
蟹という言葉を知らない二匹はそのまま固まっている。
桔梗はうつむくばかりだった。
「とりあえず沢蟹出してやんなよ。違ってたら俺たちが食べるよ」
その言葉で沢蟹を調理することになったのだが、状況が分からない二匹はそのままの体勢を維持した。
しばらくして出てきた沢蟹を揚げた料理は、二匹を大興奮させた。
睡蓮の恥じらいも吹き飛んで、テーブルにのったまま食い付いた。
店内は愉快な雰囲気に包まれた。
酒と料理を楽しんだ二匹が店を出てバディータを探すと、彼女は向かいの家へと手探りで、道路を渡るところだった。
「さっさと来い」
父親らしき男が苛立たしげに叫んだ。
バディータはつまずきそうになりながらも、早歩きで父親の元へ急いだ。
たどり着くと父親は乱暴に手を引っ張った。
「少しは稼げたのか」
「いつもくらいです」
父親は近くの家にバディータを引いて入っていった。
桔梗と睡蓮はその家の窓に飛び乗ると中を覗いた。
「今日の稼ぎを出せ」
父親は硬貨の入った布の包みを取り上げた。
「これっぽっちか」
「バディータ、もっと稼げるようになれよ。俺みたいにな」
兄と思われる少年は自慢そうに言う。
「俺たちももう少ししたら働いて、バディータ姉さんより稼ぐから」
三人の弟たちだ。
「そのへんにして食事にしましょう」
母親が料理を運んできた。
「バディータより稼げないヤツなんか、いるもんか」
父親はバディータの頭を叩いた。
その拍子に胸元に入れておいた硬貨が床に落ちた。
バディータは這いつくばりそれを拾った。
父親は怒鳴った。
「それをどうした! そんな高額硬貨どうした」
「貰ったんです。大切な方々から」
父親はバディータの髪を引っ張った。
「さっさと渡せ」
兄や弟も参戦した。
「普段稼がないんだ。稼いだ分は全部出せ」
バディータは両手に包んだ硬貨を持ってうずくまった。
「バディータにとって大切なものなのでしょうから、止めてあげて下さい」
「うちにとってはもっと大切なもんだ」
父親はバディータの髪を強く引っ張る。
「もっと稼ぎますから、これだけは許してください」
バディータは泣きながら懇願した。
そんなやり取りが一刻程続き、ボロボロになりながらもバディータは桔梗と睡蓮から貰った硬貨を、守り切ることが出来た。
その様子を見ていた二匹は、自分たちにはどうしようもないことだと、そう理解していた。
ボロボロのバディータが瞼を閉じて食事を取る様を、胸を痛めながら桔梗と睡蓮は見つめた。




