第二十一話 心の傷
村はにぎやかだった。
広場では行商が少ない商品について、頭を下げている。
小間使いたちは化け猫がどれほど恐ろしかったかを、集まった人々に話して聞かせていた。
村の外れには山の麓に面して花畑があった。
ヤクタラ村のサシャが見せてくれた花畑程広くはないが、それでも二匹の心を癒やしてくれるには充分だった。
花畑では多くの子供たちが遊んでおり、その中にはアーレの姿もあった。
越してきたばかりのアーレにはまだ友達が居ないのか、一人で花畑に座り込み摘んだ花を編んで、頭に被れそうな花かんむりを作っていた。
子供の母親たちは村の入り口で、子供を気に掛けながら談笑をしている。
桔梗と睡蓮は村によってこうも違うものかと、感心しながら散策を楽しんだ。
今夜の夕食を狩らねばと山へ向かおうとした時、髭面の男が斜面を転がるように駆け下りてきた。
両腕にはウリ坊を抱えていた。
「助けてくれー、誰か助けてくれー」
「また! ラシェザールよ」
花畑で遊ぶ、子供たちの母親の一人が腹立たしげに言った。
「みんなこっちへいらっしゃい」
母親たちの声掛けに、子供たちはつまらなそうに花畑をあとにした。
ウリ坊を二匹抱えた男、ラシェザールは狙ったように、花畑へと駆けていく。
母親たちが焦りを見せたのは、直ぐ背後に猛り狂った四頭の大きなイノシシを見つけてからだ。
子供たちは母親たちの元へ走り出した。
すると、アーレは腰を抜かしたのか座り込んだまま、その場を動けずにいた。
アーレの母親も初めての経験に、どうしていいか分からず動揺するばかりだった。
ラシェザールはここぞとばかりにアーレに向かう。
「危ないベ」
「キキョ何やってるだ」
飛びだす桔梗を睡蓮は止めようとした。
桔梗はイノシシとアーレの間に割って入ると、石礫の雨を浴びせた。
イノシシの注意を引き誘導しようというのだ。
思惑通り、イノシシは桔梗に目標を定めた。
桔梗はアーレから距離をとるため、走り出した。
アーレの母親はすかさず花を踏み荒らし、アーレを抱きかかえると村へと逃げて行った。
桔梗は全力で走ったが、猛り狂うイノシシの速さに勝てるわけもなく、その巨体に踏まれ蹴られ、空高く蹴り上げられた。
「キキョ!」
睡蓮は石礫の雨をイノシシ背後に浴びせた。
桔梗はボロ布のように地面に叩き付けられる。
足を止めたイノシシは睡蓮めがけて走り出した。
四頭のイノシシとの距離は二、三メートル。
眉を吊り上げた睡蓮は両手で地面を叩いた。
地面に大きな穴が開き、イノシシたちは次々とその中に落ちていった。
深さは四メートル程、イノシシは上がって来られそうにない。
睡蓮はすぐさま迂回して、桔梗の元へ駆けた。
桔梗の手足はあらぬ方向に曲がり、胸はつぶれて口の周りは血だらけだった。
背後で歓喜しながら、竹槍でイノシシを突く村人たちの声を聞きながら、睡蓮は桔梗の身体をそっと揺すった。
「キキョ、キキョ、目を覚ますだ。そしたら癒やしの術でなんとかなるだ」
心臓の止まった桔梗の身体を揺らし続けた。
癒やしの術は自分には効かない。そのことは睡蓮も分かっていた。
睡蓮は泣いていない。
泣くと、桔梗の死を受け入れたことになりそうだからだ。
桔梗を揺らしながら、穴を掘るという大きな天誅五行を一匹で行ったことで、霊力を消耗し桔梗の上に倒れた。
閉じた瞼から一筋の涙が流れた。
目を覚ますとベッドの上で寝ていた。
人間のベッドだ。
足下には豪華な食事と、被っていた椀に酒が注がてていた。
辺りを見回す。
何が起こったか受け止められずにいた。
――キキョ、キキョだべ、キキョはどこ行ったベ――
ベッドを探るが誰もいない。
酒を捨てると椀を被り、桔梗を探して家の中を徘徊した。
「目を覚まされましたか」
村の長らしき人物が声を掛けてきた。
「お連れ様はこちらです」
その言葉を聞いた睡蓮は安堵した。
村の長に付いて行くと、外に出て広場の外れにある小さな畑に着いた。
「この中に眠っておられます」
村の長はこんもりと盛り上がった土の山を指した。
睡蓮は震える足で近づく。
「また石碑でも立てさせて頂きます」
睡蓮は土の山に乗った。
――この下に眠るってどういうことだべ、寝るなら土の上だべ、これじゃあ息ができないべ、食事も食べられないべ、酒も呑めないべ――
とうとう睡蓮の桃眼から涙が溢れた。
止めどなくカンナン村の森に流れる川のように、とうとうと……
――見捨てないって言ったべさ。何があっても見捨てないって約束したべさ。アーレなんか助けるから、こんなことになったんだべ――
長老はいつの間にか姿を消していた。
夜であった。
月を見上げる気もしない。
カンナン村の森に戻りたい。戻って何もかもやり直したい。睡蓮の心は締め付けられた。
足音がした。匂いでアーレだと分かった。
「コンコンちゃん大丈夫」
――わだすは睡蓮で今眠っているのは桔梗だ。コンコンじゃないだ――
睡蓮はアーレが許せなかった。
他の子供たちみたいにさっさと逃げていれば、こんなことにはならなかった、そう思っていた。
憎いとさえ思える。
「コンコンちゃん、元気出して」
アーレは花束を睡蓮の前に置いた。
睡蓮はそれを蹴散らしてやりたいと思った。
いや、蹴散らしてやろうとした。
立ち上がり手を花束に掛けた時、ふと桔梗の手がそれを止めたような気がした。
――キキョはこんなことして喜ぶだべか、キキョならこんな時どうするだべか。今、わだすが何をすればキキョは喜ぶべか――
睡蓮は花束を見て考えた。
アーレの方を振り向く。
「どうしたのコンコンちゃん」
アーレはしゃがんで睡蓮に目線を合わせた。
睡蓮はアーレの肩に手を掛け、頬を舐めた。
アーレの瞳から涙がこぼれ、叫ぶように大声で泣き始めた。
「コンコンちゃんごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。あの時私が直ぐ逃げていれば、私が臆病だからこんなことになっちゃって、私のせいでもう一匹のコンコンちゃんが死んじゃって――」
アーレは涙を流しながら睡蓮を抱きしめた。
睡蓮もアーレを抱きしめた。
アーレの声を聞いた母親が、彼女を連れにきた。
睡蓮に会釈すると、泣きじゃくるアーレを連れて行った。
アーレもまた、心に深く大きな傷を負っていたのだ。
睡蓮は花畑に足を運んだ。
匂いを頼りにアーレの家を見つけると、玄関先に彼女が作りかけていた花かんむりを完成させて、置いていった。




