第二十二話 第三の選択肢
桔梗の心臓が止まってから半日が経つ。
真夜中、睡蓮は恐る恐る月を見上げた。
桔梗と共に肩を寄せ合い見た月を思い出し、辛くて目を背ける。
鮮やかな桃色の瞳から流れる涙が止まることはなく、長いまつ毛もまた乾くことを知らなかった。
気が付けば、桔梗の墓には多くの花が供えられていた。
睡蓮の食事も用意されていたが、すっかり乾いていた。
睡蓮は盛り土の上で伏せたままだ。
この下に桔梗が眠っていると思うと、少しでも安心できた。
どうしても許せない男がいた。ウリ坊を抱えて逃げてきた髭面の男、ラシェザールだ。
アーレは気持ちを理解できた。
だから許せた。
だが、あの男の行動や気持ちは、どうしても理解できなかった。
睡蓮は怒りに目を吊り上げ、ゆっくりと立ち上がった。
ラシェザールの家に乗り込むと、テーブルの上には無残に殺された二匹のウリ坊が横たわっていた。
睡蓮がたてた物音に遺族の頭蓋骨を磨いていたラシェザールは振り返り、腰を抜かした。
「こ、こ、殺しに来たのか」男の声は震えていた。
「大声を出すぞ」
睡蓮は特大の円錐形をした石を生成すると、ラシェザールに向けた。
眉間にシワを寄せると石から幾つもの棘が飛びだした。
その形は睡蓮の心を現しているようだ。
「止めろ、止めてくれ。俺は家族を殺されたんだ。被害者なんだ。お前も仲間を失ったんなら、分かるだろ――被害者の気持ち」
――一緒にするでねえ――
睡蓮は腹筋に力を込めた。あとは腹の底から息を吐くだけだ。
ここで殺してしまえば、この男と同じだべ――桔梗の声が聞こえた。
睡蓮は涙を流しながら、ラシェザールの頭上の棚に石岩行を放った。
棚は頭蓋骨もろとも砕け散った。
――おめさんはもう一度失えばええ。それだけのことをやってきただ――
「ああ、俺の家族が、俺の家族が、何で俺だけこんな目に遭わなけりゃあならないんだ。みんな不幸になっちまえばいいのに」
ラシェザールは睡蓮を睨み付けた。
「俺にこんなことしたんだ。村中の人間を不幸にしろ!」
睡蓮は細く長く鋭利な石を生成しラシェザールに向けた。
「ああ、嘘だ、嘘に決まってるだろ。だから止めてくれ」
ラシェザールは頭を抱え小さくなった。
石岩行を解くと睡蓮は、複雑な涙を湛えながらラシェザールの家を後にした。
桔梗の眠る土の上で丸くなる。
横に置いてあった食事と酒に気付き口にするが、まるで美味しくなかった。
両手両足を伸ばして、一匹でポンコロリをする。
再び涙が溢れてきた。
ここは睡蓮にとってあまりに辛い場所だ。
立ち去る覚悟のできた睡蓮は目に焼き付けるように、盛り土を見つめた。
自分の椀と桔梗の椀を取り替えると、盛り土に背を向けた。
数歩歩いたところで睡蓮は立ち止まった。
盛り土からごそりという音が聞こえたからだ。
ゆっくり振り返ると、小さな子狐の手の先が、一つ土から飛びだしていた。
睡蓮の桃眼が大きくなった。
ごそりという音と共に、もう一つ手の先が飛びだし、小さな子狐の上半身が起き上がった。
「ぷはーっ、苦しかったべさ」
桔梗の声だった。
瞼を開くと土まみれの顔に紫眼が輝いていた。
桔梗は土の中から這いだしてきた。
ゆっくりと歩み寄ってきた桔梗に睡蓮が訊いた。
「キキョだべか」
「んだ」
「物の怪じゃねえべか」
「違うべ。ちゃんとキキョウだべさ」
睡蓮は駆け寄り抱きついた。
「何やってただ、何でもっと早く起きなかっただ。見捨てないって約束したべさ」
「んだ、だから見捨てなかったべさ」
桔梗もまたその存在を確かめるように、睡蓮を抱きしめた。
「どれだけ辛かったと思ってるだ」
「悪かったべ」
二匹は涙しながら抱き合った。
「早く泥落とすベ」
睡蓮は身を引いて泥だらけの桔梗を見た。
「無理だべさ。神通力が使えんようになったべ」
「何でだべ」
桔梗は後ろを向いた。
「尻尾が一本になったべ。生き返るには光るしとに、尻尾を一本捧げなくちゃいけないべ」
桔梗は一本になった尻尾を振った。
「最後の一本は捧げられないから、注意するように言われたべ」
「尻尾が一本」
睡蓮は自分の二本の尻尾を振ってみた。
すると突然、鋭利な石を生成して、それで自分の胸を刺した。
「何するべ」
桔梗は慌てて睡蓮の石を抜こうとするが、神通力の使えない前脚ではそれはできない。
神通力のこもった強い力で、睡蓮は桔梗を突き飛ばした。
「やめれ!」
そう言うとその場に崩れるように倒れ込んだ。
目を覚ますと、平らな雲の上に睡蓮は横たわっていた。
手には尻尾を持っていた。
立ち上がり直立していても霊力を消費している気がしない。
「やっぱりヒツジは住んでいなかっただ」
辺りを見回して、一面に広がる雲を見て睡蓮は呟いた。
前から光る人が歩いてきた。
睡蓮もその方向へ歩く。
適当な距離で、光る人が話し掛けてきた。
「あなたは面白いキツネですね」
「わだすは死んだだか」
「ええそうです」
「死んだだか」
睡蓮は嬉しそうに尻尾を見つめた。
「生き返りたいのでしょう。さあ、尻尾を貰いましょうか」
「訊きたいことがあるだ」
「何でしょうか」
「人間は餌でもない獣をなんで殺すべ」
「理由は色々です。傲慢さや快楽……でも、あなたはそんなことを考える必要はありません。以前話したようにただ、楽しく生きればいいのです」
「楽しく……でも、そう言う人間がいたら楽しくないだ」
「なんでも思い通りにはなりませんよ。時には我慢も必要です」
「だけど、あの男は殺さないと、またイノシシの子供をさらい無意味に殺して、親イノシシを悲しませるだ」
「無意味かどうかはその男にしか分かりませんよ」
「だけど、もう止めさせたいだ」
「殺す、生かす。あなたにはその二つしか選択肢がありませんか」
「どうすればいいべ」
「考えるのです。そして恐れず実行しなさい。ある少年は猫に酷いことをしましたね。だけど、彼にもやり直す機会は訪れました」
光る人は膝を折った。
「あなたにもやり直す機会はあります。そのための尻尾です。それにあなたには、何があっても見捨てない、親友がいるではないですか。恐れることはありません」
「親友?」
「キキョウのことです」
「キキョは友達だべ」
「いいえ、あなたたちは親友です」
「友達じゃなくなるべか」
睡蓮は心配そうに光る人を見た。
「親友とは、岩よりも硬く海よりも深い絆で結ばれた、特別な友達のことです」
「岩より硬いだか、海より深いだか」
「あなたたちは最強の友情で結ばれた、親友です」
「最強の友情……親友……」
睡蓮の顔がほころぶ。
光る人はそれを微笑ましく眺めた。
「そろそろ時間ですね。キキョウが心配しますよ」
「んだ」
睡蓮が尻尾を手渡すと、意識が遠のいた。
目を開けると号泣する桔梗がいた。
「何やってるだ」
「どうせ生き返るべさ」
「そう言う問題じゃないべ、何であんなことした」
睡蓮は後ろを向いて尻尾を振った。
「わだすも一本だべ、これでお揃いだべさ」
「お揃いにするために死んだベか」
「んだ。それより光るしとにいいこと聞いたべ。わだすたちは親友だべ」
「親友って何だ」
「岩よりも硬く海よりも深い絆で結ばれた、特別な友達だべ。最強の友情で結ばれた友達だべ」
桔梗はしばらく考えて訊いた。
「海って何だべ」
「……どこかにある、深い穴でねえのかな」
「その穴よりも深い友情で結ばれてるだか」
「んだ」
二匹は抱き合い、桔梗は鼻水を睡蓮の肩で拭いた。
「止めてけろ。浄化の術を使えないべ」
「もう二度とあんなことはせんでけろ」
「んだ」
二匹はしばらく、互いの命と己の命の大切さを味わった。
「この村さ出るべ」
桔梗は椀を被ったが、脱いで匂いを確かめた。
「これ、おめさんのだべ」
「気にするな。それよりここはいい思い出がないべさ。ただ、出る前に一カ所だけよりてえとこがあるべ」
桔梗と睡蓮はラシェザールの家の前にいた。
「キキョここで待っててくれ」
「おらたち親友だべ一緒に行くだ」
「これからやることは、間違ったことかもしれん」
「じゃあ、おらも一緒にやるだ」
二匹が家に入るとラシェザールは驚いて立ちすくんだ。
死んだはずの桔梗がいるからだ。
「おまえら妖怪かー」
二匹は一斉にアキレス腱に噛みつき牙を立てた。
頭を振りしだくと、アキレス腱はみりみりと音を立てて伸びた。
ラシェザールはアキレス腱を押さえて転がり回った。
桔梗と睡蓮はウリ坊の死骸や骨に黙祷だけ捧げ、ラシェザールの家を後にした。
そのまま人目に付かぬよう、静かに村を出て行った。




