第0話 キノコ狩りの少女
紫眼の子ギツネの母は脚に深い傷を負っており、桃眼の子ギツネの母は病気がちで、子育てをしながら満足に餌を捕ってくることができず、栄養不良で乳の出も悪かった。
授乳期が過ぎ子ギツネたちのため懸命に獲物を捕ってこようとするのだが、小さな動物や木の実、虫の類いがせいぜいといったところだった。
紫眼の子ギツネは朝一番の狩りに母に付いて行くのが大好きだった。
今朝は水辺の小さな水鳥を狙っていた。母は浅瀬で顔の半分だけ出して、そっと忍び寄る。
紫眼の子ギツネは音を立てないように、母の顔の横を泳いでいく。
獲物まで半メートルの所で水鳥は突然翼を広げた。
紫眼の子ギツネは咄嗟に水中に潜り四本の脚をがむしゃらに動かすと、眼前にせまった水鳥の足に噛みついた。
子ギツネごと飛び去ろうとする小さな水鳥を、母は前脚で掴み首根っこに噛みついた。
暴れる水鳥に振り回されても、紫眼の子ギツネは決して咥えた足を放さなかった。
やがて水鳥は事切れて母と紫眼の子ギツネは巣に戻ることにした。
道中、紫眼の子ギツネは水鳥を咥えて歩く母の横を小走りで付いて行きながら、その脚を舐め続けた。
巣に戻ると母は水鳥の羽を乱暴にむしって、待っていた子ギツネたちに与え、再び狩りに出掛けた。
紫眼の子ギツネは兄弟たちに交じって餌に飛びつく。
皆、栄養価の高い内臓から食べていくのだ。
紫眼の子ギツネもはらわた目がけて飛びつくが、兄弟たちに払われ押しのけられ、そしていつものように群れから押し出されてしまう。
ようやく餌にありつく頃には、内臓は勿論まともな肉すら残っていない。
――はらわた、食べてみてぇな――
紫眼の子ギツネは骨にこびり付いたわずかな肉を、前歯でこそぎ取りながら少しずつ腹に収めていく。
巣の外で楽しそうにじゃれ合う兄姉たちを、時折見ては骨にこびり付いた肉をこそぎ取った。
桃眼の子ギツネもまた、朝一番の狩りに母と出かけるのが好きだった。
母の横を小走り付いて行きながらも、辺りを警戒する。
母が突然姿勢を低くした。桃眼の子ギツネもすぐさま姿勢を低くする。目を凝らすと前方に子ウサギがいた。母はゆっくりと子ウサギに近づく。
桃眼の子ギツネは反対側に駆け出し、子ウサギに気付かれないように遠回りしながら近づく。
母はゆっくりと必要以上に子ウサギとの距離を詰める。自分の体力では取り逃がしてしまう恐れがあるからだ。
桃眼の子ギツネは子ウサギの前方の草むらに身を潜めた。
母が子ウサギに飛びかかる。
一瞬早く子ウサギが逃げ出した。
桃眼の子ギツネはタイミングを見計らって、自分より大きな子ウサギの前に飛びだした。
すかさず可愛らしい威嚇音を出して、高らかとお尻を上げて自分を大きく見せた。
躊躇する子ウサギを背後から母が仕留めた。
――やったべ、子ウサギめ、わだすに怯えまくってたべさ――
巣へ戻るとお腹を空かせていた子ギツネたちに餌を投げ、母はすぐに次の狩りに出掛けた。
桃眼の子ギツネは子ウサギに群がる兄弟たちの間に入ろうとするが、その隙がなくオロオロしている間にウサギの肉はほとんどなくなった。
ウサギの残骸からようやく剥ぎ取った肉は、スジ張ってとても硬かった。
それを何度も噛みしめながら、巣の外で楽しそうに遊ぶ兄姉を眺めた。
噛んで尚も固い肉を細い喉に押し込むには、痛みに耐え涙を堪えるしかない。
再び硬い肉を剥ぎ取り噛みしめながら、巣の外に顔を向け楽しそうな兄姉を見ながら何度も咀嚼した。
紫眼の子ギツネは骨に肉がなくなると、兄姉の間を抜け森の奥へ消えた。
ある匂いを探しながら森を歩き続けるのが、最近の日課であった。
数刻歩き続けると目的のものを発見した。
獣だ。
草むらに隠れてじっと観察する。
体毛は頭部にしかなく、二本脚で歩き、前脚で様々のことをする。
見た目が他の獣と違うことに、紫眼の子ギツネは親近感を覚えていた。
例えそれが母の言う最も危険な獣――人間――だとしても。
桃眼の子ギツネもまた餌を食べ終えると、無邪気に遊ぶ兄姉の間をするり、するりと抜け、ある匂いを探して森に入って行った。
しばらく歩き続けて匂いの主を発見した。
小さな子ギツネである。額に変な模様があり目の色も他のキツネと違う。
そんな子ギツネが人間の側にいる。
こともあろうか日に日に近づいているのだ。
草むらに隠れながら、草むらに隠れている紫眼の子ギツネをじっと見つめる。
――あれは人間ではねが。あんなに近づいたら危ないベ。教えてあげるベ――
桃眼の子ギツネは右の前脚をだしてそこで固まった。いつもそうだ。
――もしかしたら、とんでもなく強くて獲物として狙ってんのかもすれね――
前脚が下がった。
紫眼の子ギツネが観察していると、大木の前にしゃがみ肩から提げた麻袋に何かを採っては入れている。
――やっぱす、これは狩りか採取だべ――
人間が何を採っているのか気になって仕方なかった。
堪えきれず、狩りをするように姿勢を低くして、ついに草むらから出て行った。
桃眼の子ギツネは目を疑った。
――あんな小さな子ウサギより小さい、わだすくらいの小さな身体で人間を狩るつもりか? 正気ではないべ――
紫眼の子ギツネはそっと人間に近寄ると麻袋の縁に前脚をかけ、その中に頭を突っ込み匂いと形を確かめた。中には薬草とキノコが入っていた。
次の瞬間。
「きゃっ。取るんじゃない」
人間の少女が紫眼の子ギツネを追い払った。
子ギツネは咄嗟に後方に飛び退いたが、威嚇行動は取らなかった。
少し間を置いて少女が驚いたような声を出した。
十歳前後の少女だ。
「あなたはキツネ? なんて小さくて可愛いの」
紫眼の子ギツネは少女が何を言っているのかさっぱり分からなかった。
――変な鳴き声だべ――
少女は麻袋からキノコを一つ取り出すとキツネに差しだす。
「さあ、お食べ」
紫眼の子ギツネはゆっくり近づきキノコに鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。
しばらく匂いを嗅いでから森へ消えていった。
「あーあ。行っちゃった」少女は残念そうにキノコを袋に投げ入れた。
桃眼の子ギツネは胸を撫で下ろした。
――一歩間違えたら食べられるところだべ――
草むらから随分出ていたことに気づき、慌てて草むらに隠れた。
桃眼の子ギツネは紫眼の子ギツネに何かあったら、少女に飛びかかっていたかもしれない。
なぜか紫眼の子ギツネが気になって仕方ないのだ。
桃眼の子ギツネは、勇気を出してもう少し人間に近づいてみることにした。そうすれば紫眼の子ギツネを助けることができるかもしれない、と考えたからだ。
少し離れた木陰から少女の様子を覗い、食べさせようとしたキノコの匂いと色、形をしっかり観察した。
紫眼の子ギツネが帰ってきた。口にはキノコが一本加えられていた。
それを少女に見せると麻袋に入れた。
「採ってきてくれたの?」
少女は驚き、思わず両脇を持って高らかと抱き上げた。
桃眼の子ギツネはドキリとしたが、何故かうらやましく感じた。
「賢いのねあなた。名前を付けましょう……そうね、その額の模様に美しい瞳の色。桔梗はどう?
少女は紫眼の子ギツネに顔を近づけて呼びかけた。
「あなたは桔梗。キ・キョ・ウ」
少女は桔梗と名付けた紫眼の子ギツネを木の根の間に下ろすと、小さな胸を三回叩きながら名前を繰り返した。
「あなたは、キ・キョ・ウ。キ・キョ・ウよ。キ・キョ・ウ」
小さな小さな胸を指先で軽く三回叩く。
子ギツネには少女が何を言っているのか、全くわからなかった。だからとりあえず、コンと鳴いてキノコを採りに行こうとした。
「いってらっしゃいキキョウ」
紫眼の子ギツネは立ち止まり少女の顔を見つめ、森に駆け出した。
キノコを咥えて戻ってくると、少女は紫眼の子ギツネに声を掛けた。
「おかえり、キキョウ」
麻袋にキノコを入れると少女は紫眼の子ギツネに笑顔を向けた。
「ありがとう、キキョウ」
何度か繰り返すうちに自分がキキョウと呼ばれていることが分かった。
そんな光景を桃眼の子ギツネは、憧れを感じ羨み、一緒にキノコを採りたいと思った。ただ時折、胸に細い骨でも刺さったようなチクリとした痛みを感じていた。
桔梗は名前を呼ばれるたびに、コン、と返事をした。
それを喜んだ少女は、キキョウというのが紫眼の子ギツネの名前であることを、教えてくれた。
――おらの名前はキキョウだ――
桔梗は自分が誇らしく、強く、そして勇敢に生まれ変わった気がした。
キツネではないが、友達ができたみたいで身体が羽のように軽くなった。




