第十四話 野生と家畜
朝食を済ませると桔梗と睡蓮は散策にでた。
森の調査が目的だった。
母に会えるのではないかという期待も、心のどこかにあった。
森に行く途中を流れる小川で、二匹は椀をクルリと脱いで水を掬うと、わざわざ小川から離れたところに運び、並んで水を飲んだ。
「これで飲む水は格別だべ」
桔梗は満足そうに舌を動かした。
「お椀って言うべこれ。女のしとがそう呼んでたべ」
睡蓮は桔梗を見た。
「お椀で飲む水は格別だべ」
桔梗は言い直した。
「いるべかな、おかさんたち」
「……あまり期待しないほうがいいべ」
桔梗は寂しそうに答えた。
「大丈夫だ。わだすにはキキョがいるべ」
「おらにはスイがいるだ」
互いにその存在を確認するかのように見つめ合った。
水を飲み終えた二匹は椀を被り森に足を運んだ。
ここヤクタラ村の森はカンナン村の森とはやや雰囲気が違っていた。
自生する植物の違いが雰囲気の差を作り出しているようだった。
始めての森に二匹は慎重にならずにはいられなかった。
特に他のキツネの縄張りに入らぬよう気を配る必要がある。
しばらく散策して分かったことは、森にいる動物や獣たちはカンナン村の森にいたそれと、大して変わらないということだ。
「始めて見る森は面白いだ」
「なんかわくわくするべさ」
好奇心旺盛な睡蓮は辺りを見回しながら、桔梗に答えた。
「また縄張りだべ」
木の匂いを嗅ぎながら桔梗は辺りを警戒した。
この森にはキツネの成獣がオスとメスそれぞれが複数頭いて、子狐も沢山いることが分かった。
収穫としては充分だ。
日も傾き始めたため二匹は帰ることにした。
長老の家に戻るとサシャが笑顔で出迎え二匹を抱き上げた。
「おかえりなさい。どこへ行ってたんですか? もうそろそろ夕飯ですよ」
夕食のテーブルにはサシャが加わり賑やかさが増した。
二匹がクルリと椀を脱ぐとそこに酒が注がれる。
酒を呑み料理をたらふく食べると、桔梗と睡蓮はポンコロリを始めた。
みんな楽しそうにそれを眺めた。
桔梗が小石を避ける際、力んで尻尾が一瞬二つに割れた。
――しまった物の怪だと思われるべ――
変に思われないように、尻尾は二つ同時に動かして大きな尻尾にを装っていた。
いち早く気付いたのはサシャだった。
「尻尾が二本あるのね。さすがは御狐様」
その言葉に救われた。
家族たちは口々に、さすがは御狐様、と口にした。
皆の表情を見て二匹は安堵し気兼ねなく二本の尻尾を振った。
ポンコロリを続けたあと酒を二、三杯呑み直し、二匹は桶で丸くなった。
桔梗と睡蓮は家族が寝静まるとこっそり抜け出し、ヒツジの柵の前でポンコロリをしてキツネがくるのを待った。
夜半、キツネの匂いがした。オスギツネであった。
大きなオスギツネが鼻を鳴らしながら家と家の間から姿を現した。
「昼、森で嗅いだ匂いはお前らか」
オスギツネは低い声で言ってきた。
「何しにきただ」
紫眼が吊り上がる。
「何しに? ヒツジを喰いにきたに決まってるだろ」
「どうして森で狩りをしないだ」
桃眼も吊り上がった。
「面倒くさいからだ」
「人間の育てたヒツジを食べるのはよくねえべさ」
桔梗が諭すように言った。
「森の獣を狩るのはいいことなのか」
「んだ、わだすたちのおかさんは身体が悪くても、人間の育てたもんには手を出さなかったべさ」
睡蓮はオスギツネを睨む。
「それはお前の親たちが臆病だから、人間の村に行けなかっただけだ」
オスギツネは吐き捨てた。
桔梗と睡蓮は威嚇姿勢を取り、奥歯を鳴らした。
「それに森の獣にも親がいれば子もいる。かわいそうだと思わんのか」
「生きるために仕方のないことだべ」
オスギツネの問いに桔梗は答えた。
「ヒツジを喰うのも生きるためだ」
「森で狩りをしろ」
「黙れ小娘が」
オスギツネが桔梗に飛びかかった。
飛び退きざますかさず首を狙って地面を蹴ったが、桔梗は横腹を払われオスギツネの鋭い爪で傷を負わされた。
「キキョ!」
睡蓮の叫びに桔梗は答える余裕がなかった。
「半端な子ギツネが粋がるからだ」
桔梗は横腹をかばいながら、それでも言い切った。
「おらたちはちゃんとしたキツネだ。狩りだって出来る。おかたちをバカにしたこと後悔させてやるべ、スイこいつは神通力も天誅五行も使わずに倒すべ」
睡蓮は桔梗の深い傷を見ながらも、しっかりとした声で返事をした。
「んだ」
そしてオスギツネを睨んだ。
「わだすたちがおめさんを狩る」
睡蓮は身を低くして尻を上げ、尻尾を逆立てた。
オスギツネは傷を負った桔梗に狙い飛びかかる。
鋭く大きな牙が逃げ遅れた桔梗の首をとらえた。
「卑怯だべ」
睡蓮がオスギツネに向かって駆け出す。
オスギツネは逃げながら咥えた桔梗を振り回し、家の壁に叩き付けた。
桔梗は全身から血を流しグッタリと倒れ込んだ。
次の標的にされた睡蓮は、桔梗を気に掛けながらもオスギツネの前脚と口を避け続けた。
「逃げるだけか。俺を狩るんじゃなかったのか」
オスギツネは口角を上げた。
キツネの狩りは基本的に待ち伏せか奇襲である。正面切っての戦いでこの体格差はとても不利であった。
睡蓮は天誅五行を使うか迷った。
そのわずかな迷いが失敗だった。
オス狐の前脚が鋭い爪と共に振り下ろされた。
頭部に直撃だったが、椀が守ってくれた。しかしすかさず大きな口で胴体を噛まれ深々と犬歯が刺さり、投げ飛ばされ椀は放り出され、身体はこっぴどく家の壁に叩き付けられた。
よろめきながら立ち上がる睡蓮に、オスギツネは口角を上げて容赦なく歩みよる。
桔梗はフラフラと家と家の間に歩いていった。
「スイ……頼むべさ……」
「お仲間は逃げていったぜ。まあ、あとで仕留めるがな」
「キキョは逃げてねえだ。体力を回復しに行っただけだ」
「あいつの体力が回復するまで、おまえが持つかなっ!」
言い終わるや否やオスギツネは睡蓮に飛びかかった。
逃げるのもままならず睡蓮の身体を爪がかすめ、傷つける。
ついにオス狐の鋭い牙が睡蓮の首根っこを捉え、地面に押さえつけられた。
「口に力を入れればお前は終わりだ」
これまでか、と涙を流す睡蓮を咥えたままオスギツネはイヤらしく笑みを湛えた。
――キキョが側にいてくれさえすれば、それでいいべ――
睡蓮の心残りはそれだけだった。
オスギツネの牙が頸動脈を正確に狙って首に食い込んでいく。
「狩りも出来ない臆病者! こっちだべ!」
オスギツネが睡蓮を咥えたまま声の方を振り向くと、明るく光る月の中にムササビのように手足を広げて、二本の尻尾をはためかせながら飛んでくる桔梗がいた。
オスギツネは唖然として睡蓮を落とした。睡蓮はぼろ布のように地面に転がった。
ハシゴで屋根に登り、もどかしく思いながらも飛びつく機会を伺っていたのだ。
桔梗は飛びつきざま、オス狐の首にしっかりと噛みつき、犬歯を突き立てた。
オス狐は身体を振り桔梗を振り払おうとするが、当然食らい付いた彼女が放すわけもない。
桔梗の両手両足はオスギツネの首に爪を立てた。頸動脈を探す余裕もなく、体重を預けオス狐の首に負担を掛ける。
キャン! オスギツネはついに悲鳴を上げた。
「まだだべさ」
立ち上がった睡蓮は鼻に噛みついた。
再びオスギツネの口から悲鳴が上がった。
頭を身体を狂ったように揺さぶるオスギツネは、逃げだそうとする。
睡蓮が鼻をグイと噛むとオスギツネの鼻から出血した。
桔梗が体重を掛け思い切り頭を横に振ると、オスギツネの首の肉がちぎれて彼女の身体はそのまま地面を転がった。
睡蓮に鼻をかまれたままオスギツネは逃走しようとしたので、桔梗は口の中の肉片を吐き捨て声を掛けた。
「スイもういいべ!」
睡蓮は鼻から飛び退き桔梗のもとへ向かった。桔梗もまた睡蓮の傷を舐めてやろうと歩みよった。あと一歩のところで二匹は倒れ、手と手を合わせるのが精一杯だった。
二匹は血まみれで意識を失った。




