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白い紙の入口

書く人は私でもあります。

# 白い紙の入口


町のはずれに、看板のない店があった。


通りからは半分だけ見える。残りの半分は、いつも薄い布のような夕暮れに隠れていた。昼でもそこだけ日が低く、戸口に吊られた鈴は風がないのに時おり鳴った。誰もその店の名を口にしなかったが、町で物語を書く者なら、一度はその前を通ることになっていた。


店の棚には仮面が並んでいた。


木でできたもの、紙でできたもの、骨のように白いもの、焼けた土のように赤いもの。笑っている仮面の奥には古い怒りが沈み、泣いている仮面の縁には乾いた金粉が残っていた。目の穴はどれも暗く、こちらを見ているのか、こちらを通り越して別の場所を見ているのかわからなかった。


書く人は、その日、店の戸を押した。


長いあいだ、自分の机の前で何も始められずにいた。紙を置き、筆を持ち、墨をすり、背筋を伸ばす。そこまではできた。けれど最初の一文だけが、いつも舌の奥で崩れた。ようやく書きつけても、朝になればそれは乾いた草のように軽く見えた。誰の足も止められず、どこへも続かなかった。


店主は奥に座っていた。年を取っているようにも、まだ若いようにも見えた。顔の下半分は影で、声だけが棚のあいだから出てきた。


「どの声で始めますか」


書く人は、声を選ぶとはどういうことか尋ねようとした。けれど店主は答えを待たず、低い卓の上に白い紙を一枚置いた。紙は厚く、表面に細かな繊維が浮いていた。まだ何も書かれていないのに、そこにはすでに誰かが息をひそめているような気配があった。


「仮面をひとつ」


言われて、書く人は棚の前に立った。


最初に手に取ったのは、老人の仮面だった。額に深い皺が刻まれ、頬は痩せていた。唇の端だけがわずかに上がっている。笑っているのではない。笑う力を惜しんでいるようだった。


仮面を顔に当てると、木の匂いがした。雨に濡れた床板と、古い箱にしまわれた衣の匂い。その瞬間、卓の上の白い紙に、墨を含んだ水がにじむように文字が浮かんだ。


――わしが最後に嘘をついたのは、村の井戸が涸れた朝だった。


書く人は息を止めた。


その一文は、自分が考えたものではなかった。けれどそこから先が見えた。涸れた井戸。集まる村人。嘘をつく老人の手。井戸底に隠されたもの。書く人は筆を取り、浮かび上がった文字をゆっくりなぞった。なぞると文字は紙に沈み、沈んだ場所から次の言葉が湧いた。


老人は知っていた。井戸が涸れたのではなく、誰かが夜ごと水を汲み尽くしているのだと。けれど彼は真実を告げなかった。村に残されたただ一人の子どもが、その水を山の上の病人へ運んでいるのを見ていたからだ。


書く人は書いた。書けた。筆が遅れるほど、言葉が先へ進んだ。紙の上で老人は歩き、ため息をつき、嘘を抱えたまま村人たちの前に立った。書く人は夜が明けるまで筆を置かなかった。


書き終えたとき、指はしびれ、肩は石のようになっていた。それでも胸の中には、長く閉まっていた戸が開いたような風があった。


店主は何も褒めなかった。ただ老人の仮面を受け取り、柔らかい布で目の穴を拭いた。


「次に来るときは、別の声もあります」


書く人は紙束を抱えて店を出た。朝の町はまだ薄く、石畳の継ぎ目に夜の水が残っていた。腕の中の物語はあたたかかった。自分でない声から始まったものなのに、自分の手でここまで運んだのだと思えた。


その思いは、しばらく続いた。


老人の物語を読んだ町の人々は、よく書けていると言った。井戸の冷たさがわかる、嘘の苦さが舌に残る、老人が本当にいたようだ、と。書く人は礼を言い、顔を伏せた。褒め言葉はくすぐったく、しかし嫌ではなかった。


数日後、書く人はまた仮面屋へ行った。


今度は少女の仮面を選んだ。頬は丸く、目の縁には薄い青が差していた。紙に浮かんだ最初の一文は、老人のときより軽く、少し跳ねていた。


――わたしは王さまの冠を、庭の柘榴の木に隠しました。


書く人は笑いそうになった。まだ何も始まっていないのに、庭の赤い実と、枝に引っかかった金の冠と、逃げる少女の靴音が聞こえた。筆はよく走った。王宮の廊下は長く、女官たちは小鳥のように騒ぎ、王さまは冠を失ったまま朝議に出た。少女はただのいたずらのつもりだったが、冠の内側に刻まれた小さな文字を見つけ、国の古い約束を知る。


その物語は、老人の物語とはまるで違っていた。息が短く、色が明るく、しかし影は庭木の根元に沈んでいた。書く人は自分がこんなふうに書けるとは知らなかった。


次に王の仮面を選んだ。


――すべての地図から、海を消せ。


その一文が浮かんだとき、紙の白さが広い国土に見えた。王は海を恐れていた。海の向こうから来るものではなく、海へ出ていく者たちを恐れていた。書く人は王の命令を書き、地図師たちの沈黙を書き、海を知らずに育つ子どもたちを書いた。最後に、城の最も高い窓から王が夜の潮騒を聞く場面を書いた。地図から消しても、音だけは消えなかった。


怪物の仮面は重かった。


――最初にわたしを怖がったのは、わたし自身だった。


その声で書くと、筆先が紙を押し破りそうになった。書く人は洞窟の湿り気、爪の下の土、火を見たときの痛みを書いた。怪物は村を襲わなかった。ただ村の者が置いていった鏡を拾い、その中の姿から逃げようとして山を越えた。行く先々で悲鳴が起こった。怪物は悲鳴を集める袋を背負っているように曲がっていった。


旅人の仮面は薄く、顔に当てたことを忘れるほどだった。


――どの町にも、わたしが置いてきた靴音がある。


罪人の仮面は冷たかった。


――赦しを乞うためではなく、名を忘れないために、わたしは門を叩いた。


母の仮面、兵士の仮面、商人の仮面、鳥の仮面、まだ生まれていない子どもの仮面。書く人は次々に選び、白い紙に浮かぶ一文をなぞった。一文が浮かぶたびに、世界は別の角度から開いた。高い塔の上からも、溝の底からも、玉座からも、檻の中からも、物語は始まった。


町の人々は待つようになった。


市場の果物売りは、新しい紙束を見つけると手を拭いて寄ってきた。橋のたもとの靴直しは、読み終えるまで針を止めた。学校帰りの子どもたちは、怪物の物語を聞きたがった。老人たちは老人の物語にうなずき、若者たちは旅人の物語を好んだ。誰もが、自分に近い声をそこに見つけた。


「あなたは何にでもなれるのですね」


そう言ったのは、井戸端で水を汲んでいた女だった。書く人は、いいえ、と言いかけた。何にでもなれるのは仮面で、自分ではない。けれどその言葉は水桶の底へ落ち、口からは別の言葉が出た。


「まだ、少しだけです」


女は笑った。その笑いは祝福のようで、書く人はしばらく胸を張って歩いた。


実際、書くことは以前よりずっと自由になった。机の前で固まる夜は減った。白い紙はもう敵ではなかった。仮面を選びさえすれば、紙は必ず入口を開いた。そこから先は道になり、橋になり、森になった。書く人はその道を進めばよかった。


はじめのうち、仮面は杖のようなものだった。


歩き出すために必要で、歩き始めれば自分の足も使っていると思えた。老人の手つきも、少女の息づかいも、王の命令も、怪物の怯えも、書く人の中を通って紙に出ている。そう思えば、仮面は遠い部屋の窓であり、自分はその窓を開ける者だった。


けれど紙束が増えるにつれ、机の上は少しずつ知らない家のようになっていった。


ある夜、書く人は昔に書いた老人の物語を読み返した。井戸の場面で、村人たちが水の匂いを嗅ぐところがあった。よく書けている、と自分でも思った。老人が嘘をつく前に、舌で奥歯を押す癖も、よく見えていた。けれどその癖を自分がいつ見つけたのか、思い出せなかった。


少女の物語では、冠を隠した柘榴の枝が折れる音がした。その音は確かに紙の上にあった。だが、書く人の耳には残っていなかった。王の物語では潮騒が遠く鳴っていた。怪物の物語では鏡の銀が冷えていた。どれも鮮やかだった。鮮やかであるほど、書く人はそれらをどこかの落とし物のように感じた。


誰かが置いていった手袋。誰かが忘れた鍵。名前の書かれていない手紙。


それを拾い、丁寧に包み、皆に見せた。褒められた。けれど持ち主を尋ねられたら、自分は何と答えるのだろう。


次に褒められたとき、書く人はうまく笑えなかった。


「王の孤独が見事でした」


靴直しが言った。


「怪物の悲しみが、自分のことのようでした」


果物売りが言った。


「少女の勇気が好きです」


子どもが言った。


書く人はそれぞれに礼を言った。礼の言葉は正しく出た。だが胸の中に、受け取るための皿がなかった。褒め言葉は落ちて、音もなく消えた。


そのころから、仮面屋へ行く道が少し長くなった。


町のはずれは同じ場所にあるはずなのに、角を曲がる数が増えた気がした。店の戸口の鈴は相変わらず風もないのに鳴った。棚の仮面は以前より多く見えた。書く人の顔を覚えている仮面もあった。老人の仮面は目尻を深くし、少女の仮面は唇を尖らせていた。王の仮面は高い棚から見下ろし、怪物の仮面は床近くで暗く光っていた。


「今日はどの声で始めますか」


店主はいつも同じことを言った。


書く人は答える前に、少しだけ自分の手を見た。筆を持つ指には墨が残っていた。紙を押さえる左手の小指には、小さな紙の傷がいくつもあった。この手で書いたのだ、と言い聞かせた。仮面が一文をくれても、その先を夜明けまで運んだのはこの手だ。


そう思って、今度は盲目の楽師の仮面を選んだ。


――見えないものは、いつも音を立てて先に来る。


また書けた。


よく書けた。


楽師の物語は町中で評判になった。目の見えない男が、まだ起きていない災いの音だけを聞き取り、誰にも信じられないまま祭りの太鼓を止めようとする話だった。人々はその結末を語り合い、広場では子どもたちが耳を澄ます遊びを始めた。


書く人は喜んだ。喜びは本物だった。書けることの快さは、何度味わっても薄れなかった。最初の一文が紙に浮かぶ瞬間、胸のどこかで小さな錠が外れる。そこから風が入り、言葉が動き出す。自分の中にはこんなに多くの部屋があったのかと思う。扉を開ければ、知らない家具、知らない窓、知らない匂いが待っている。


だが、夜が深くなると、その部屋のどれにも自分の寝床がないことに気づいた。


書く人は一度、仮面を使わずに書こうとした。


机を拭き、白い紙を置き、墨をすった。窓を少し開けた。外では雨上がりの石畳を馬車が通り、車輪が水を切った。書く人はその音を書こうと思った。雨上がりの町。馬車。窓。自分の部屋。何も借りていない一文。


筆を下ろそうとした。


紙は白かった。


白いだけだった。


仮面屋の紙とは違い、そこには息をひそめる誰もいなかった。繊維の凹凸が淡く光り、墨を待っている。待っているだけで、何も差し出さない。書く人は筆先を紙の上に止めた。墨がふくらみ、落ちそうになった。だが一字目がわからなかった。


雨、ではなかった。馬車、でもなかった。私、と書こうとして、手が止まった。私とは誰のことか。老人ではない。少女ではない。王でも怪物でも旅人でも罪人でもない。では、その仮面を外したあとに残る声は、どこに座っているのか。


墨が一滴落ちた。


それは字にならず、ただ黒い丸になった。書く人は紙を裏返した。裏も白かった。もう一度筆を持ち直したが、手首が硬くなっていた。肩が上がり、息が浅くなった。かつて毎晩味わっていた、あの始まらない苦しさが戻ってきた。しかも以前より重かった。今は始まる方法を知っているからだ。知っているのに、それを使わなければ始められない。


翌日、書く人はまた仮面屋へ行った。


「今日はどの声で始めますか」


店主は言った。


書く人は棚を見上げた。仮面はどれも静かに待っていた。選ばれれば、白い紙に一文を浮かべるだろう。そこから物語が始まるだろう。町の人々はまた読むだろう。褒めるだろう。書く人も、書いている間は生きていると感じるだろう。


それは嘘ではなかった。


嘘ではないから、余計に難しかった。


書く人は老人の仮面に手を伸ばし、途中で止めた。少女の仮面の前に立ち、指を引いた。王、怪物、旅人、罪人、楽師。どの仮面も、すでにどこかへ続く入口だった。選べば進める。進めることはわかっていた。


「どれも、よく書かせてくれました」


書く人は言った。


店主はうなずかなかった。否定もしなかった。


「それなら」


「今日は、選びません」


店の奥で、鈴が鳴ったような音がした。戸口の鈴は動いていなかった。


店主はしばらく書く人を見ていた。影の中にある顔は読めなかった。やがて店主は棚へ手を伸ばさず、低い卓の引き出しを開けた。そこから白い紙を一枚取り出し、書く人の前に置いた。


紙は、これまでの紙と同じ厚さだった。表面には細かな繊維が浮き、端はまっすぐで、まだ一度も折られていない。書く人は息を詰めた。


何も浮かばなかった。


老人の嘘も、少女のいたずらも、王の命令も、怪物の告白も、旅人の靴音も、罪人の門も、楽師の予兆も、どれも来なかった。紙は白く、ただ白く、そこにあった。


店主は何も言わなかった。


沈黙は叱責に似ていなかった。慰めにも似ていなかった。店の中では、棚に並んだ仮面たちが目の穴を暗くしていた。選ばれなかった仮面は怒っていないように見えた。笑ってもいなかった。ただ、それぞれの顔で待っていた。


書く人は筆を取った。


手が震えた。今まで何度も文字をなぞってきた手だった。浮かび上がった一文の上を、慎重に、間違えないように、はみ出さないように進んできた手だった。その手は多くの老人を歩かせ、少女を走らせ、王に命じさせ、怪物に鏡を拾わせた。夜明けの冷えも、祭りの太鼓も、涸れた井戸の底も知っている手だった。


けれど今、その手の前には、なぞる線がなかった。


書く人は紙に顔を近づけた。どこかに薄い字が隠れているのではないかと思った。光の角度を変えれば、繊維のあいだに一語くらい見えるのではないかと思った。だが白さはどこまでも白かった。紙は何も拒んでいない。何も与えてもいない。


店の外で、誰かが通り過ぎた。足音は戸口の前で少し遅くなり、また遠ざかった。町では市場が開き、井戸の滑車が鳴り、子どもたちが橋の上を走っているだろう。書く人の机には、すでに書かれた物語が積まれている。どれも消えない。どれも確かに紙の上にある。


書く人は、筆先を紙の上に置かなかった。


置けなかったのではない、とも言い切れなかった。置かなかった、と言えば強すぎる気がした。置けなかった、と言えば弱すぎる気がした。そのどちらでもない場所で、手は止まっていた。


「紙は持って帰ってもいいのですか」


ようやく書く人は尋ねた。


店主は初めて、ほんの少しだけ首を傾けた。


「入口は、持ち運べます」


それだけだった。


書く人は白い紙を折らずに抱え、仮面屋を出た。外は夕方だった。来たときも夕方だったのか、それとも店の中で一日が過ぎたのか、わからなかった。町の屋根は鈍く光り、煙突から細い煙が上がっていた。道の向こうで、果物売りが店じまいをしている。靴直しは灯りの下で最後の針を通している。子どもたちは誰かの物語の続きを言い合いながら走っていた。


書く人は誰にも声をかけられないように、紙を胸に抱いた。


家に戻ると、机の上の紙束を端へ寄せた。老人、少女、王、怪物、旅人、罪人、楽師。ひとつひとつに触れると、それぞれの仮面の匂いがかすかに戻った。木、青い絵具、金属、湿った土、遠い道、冷たい石、祭りの皮太鼓。書く人はそれらを捨てなかった。隠しもしなかった。ただ、机の端へ寄せた。


中央に、仮面屋から持ち帰った白い紙を置いた。


夜が来た。


窓の外で、町の音が薄くなっていった。雨は降っていなかった。馬車も通らなかった。特別なことは何も起きなかった。書く人は灯りを小さくし、筆を持った。墨は新しくすった。黒い水面に灯りが揺れた。


白い紙は、まだ白かった。


書く人は自分の手を見た。


爪の際に残った墨。指の腹の硬くなったところ。紙で切った小さな跡。仮面を顔に押し当てていたときの、頬の記憶。なぞるときに覚えた速さ。はみ出さないようにする慎重さ。浮かんだ言葉を失わないようにする焦り。


手は、何も知らないわけではなかった。


けれど、知っていることがそのまま一語になるわけでもなかった。


書く人は筆を紙の近くまで下ろした。まだ触れない。白さの上に、筆の影だけが落ちた。その影は細く、少し曲がっていた。まるで、まだ書かれていない文字の一部のようにも見えた。


最初の一語は来なかった。


どこからも降りてこなかった。紙の奥から浮かびもしなかった。仮面の目の穴から差し出されもしなかった。


書く人は待った。


待ちながら、初めて、待っている自分の息の音を聞いた。短く、長く、また短く。胸の奥で何かが動いている。言葉ではない。物語でもない。けれど完全な空白とも違った。


灯りが小さく鳴った。


書く人は、まだ書かなかった。


白い紙は、机の上で暗闇を少しずつ受け取りながら、白いままだった。筆を持つ手は、その前で止まっていた。止まったまま、逃げずにいた。


やがて夜の底で、書く人はほんのわずかに身を乗り出した。


一語を探すために。

これを支援としてできないかなと考えています。

自分は否定的にこの物語をみていません。

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