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MADE IN 東京  作者: 水色蛍
0番目の修理屋編
5/22

第5話:沢良木莉子

 午後16時。授業終了のチャイムが鳴っても、世界は崩壊しなかった。

 窓の外の焼却炉の煙はいつの間にか消え、校庭では野球部が元気な掛け声を上げている。


「——よし! 行くよカナ! 今日は歌って撮って語り明かすの!」

「ちょ、ちょっとリナ、引っ張らないでってば」


 カナはリナに腕を引かれ、両国駅の改札を抜けた。

 ホームに滑り込んできたのは、銀色のボディに黄色い帯を巻いた209系電車。


 ドアが開くと、ムワッとした車内の暖房の匂いと共に、二人は「千葉方面」とは逆の「新宿・三鷹方面」行きの電車に乗り込んだ。


『次は〜、浅草橋〜、浅草橋〜』


 車内アナウンスが流れる。

 カナは吊革に掴まりながら、ポケットの中のガラケーをそっと撫でた。


(……何も、起きなかった)


 朝の予感はなんだったのだろうか。肩透かしを食らったような安堵と、どこか拭いきれない不安。だが、隣でファッション誌『Cawaii!』を広げ、「この厚底超かわいくない!?」とはしゃぐリナの笑顔を見ていると、警戒心が徐々に溶けていくのを感じた。


「ねえカナ、まずセンター街行ってプリ撮ろうよ。最新機種、美白機能がすごいらしいよ」


「うん、いいね。そのあとタワレコ? それともHMV?」


「どっちも! あゆの新譜、初回限定盤残ってるといいなぁ」


 電車が秋葉原駅に差し掛かる。

 窓の外に見える電気街の看板たち。

 本来なら、カナはここで降りて「仕事(任務)」に向かうはずだ。


 だが、電車はスピードを上げ、彼女の戦場を通り過ぎていく。


 カナは携帯を取り出し、サブディスプレイを確認した。

 アンテナ3本。着信なし。


 彼女はリナの横顔を見る。


 数秒迷った後、サイドボタンを長押しして「マナーモード」に設定し、カバンの奥底へとしまい込んだ。


 今日だけ。

 数時間だけ、私は普通の女子高生になる。


 その頃。

 カナたちが通り過ぎた秋葉原からほど近い、浅草橋のセーフハウス。


 302号室は、分厚い遮光カーテンで閉ざされ、真夜中のような闇に包まれていた。


 赤いライト(セーフライト)だけがぼんやりと灯る室内。

 酢酸のツンとする酸っぱい匂いが充満している。


 沢良木 莉子は、現像液の入ったバットをゆっくりと揺らしていた。

 液の中で、モノクロの印画紙に像が浮かび上がってくる。


 写っているのは、廃墟の鉄骨と、野良猫の死骸。

 彼女の写真はいつだって、死の匂いがする。


「……いい黒が出ない」


 ふと顔を上げた莉子の容貌は、どこか病的なほどに白かった。

 黒髪のショートボブ。あえて切り揃えられた前髪と、鋭角的なサイドの髪が、彼女の顔を額縁のように縁取っている。薄い唇には、血のような真紅のルージュ。


 その佇まいは、まるで医療器具のように冷たく、そして鋭利な美しさを放っていた。


 静寂を切り裂くように、机の上の端末が震えた。

 ガラケーではない。第零技術局から支給された、業務用のPDAだ。


 着信音は、セックス・ピストルズの『Anarchy in the U.K.』。


「チッ……」


 莉子は濡れた手をタオルで雑に拭い、端末を掴んだ。

 黒いキャミソールから覗くデコルテには、幾何学模様の「痣」のような回路痕が走っている。


「はい、沢良木です。……今、現像中なのですが」


『緊急よ、リコ』スピーカーから、九条院紗夜の冷静な声が響く。

『空間震発生。座標、墨田区横網一丁目。都立高校の裏手、首都高速7号線の高架下』


「……は?」


 莉子は不機嫌そうに眉をひそめた。

 敬語であっても、その声音には隠しきれない棘がある。


「そこは深澄の学校の裏手では? 彼女に行かせれば済む話でしょう」


『深澄は今、総武線で御茶ノ水付近を移動中よ。GPSによると、友人と一緒のようね』


『連絡を入れたけれど、応答がないわ。地下区間か、あるいは……』


「……居留守、ですか」莉子は鼻で笑った。


「呑気なものですね。自分の縄張りが燃えかかっているというのに」


『現在位置から、あなたが一番近い。現場へ急行して。今回は「視線」が多いわよ』


「視線?」


『時刻は16時30分。帰宅ラッシュの始まりよ。一般人に悟られることなく、処理しなさい』


「……了解。ですが局長、特別手当の方は期待していますよ」


 通話を切ると、莉子は黒いライダースジャケットを羽織り、Vivienne Westwoodのアーマーリングを中指にはめた。銀色の鎧が、カチリと音を立てて関節を覆う。


 首から下げたのは、一眼レフのような巨大なレンズを持つ改造デジタルカメラ。


「めんどくさいなあ」


 そう呟きながらも、彼女の三白眼には、獲物を狩る捕食者の冷たい光が宿っていた。


 両国駅から徒歩数分。

 隅田川沿いを走る首都高速道路の高架下は、昼間でも薄暗い。

 川からの湿った風が吹き抜け、コンクリートの橋脚には緑色の苔がへばりついている。


 莉子がバイク(黒のヤマハ・TW200)を止め、ヘルメットを脱いで髪を払うと、そこには異様な光景が広がっていた。


「……なるほど。これは深澄じゃ荷が重いわ」


 高架下の公園。ブランコや滑り台の影が、夕日を受けて不自然に長く伸びていた。


 いや、長いだけではない。


 影が「立体的」に盛り上がり、黒いタールのような不定形の怪物となって、公園の遊具を飲み込み始めているのだ。


「シャドー・クリーパー(影を這うもの)……。厄介なのが出たわね」


 周囲には、家路を急ぐサラリーマンや、犬の散歩をする主婦の姿がある。

 だが、彼らは気づいていない。


 自分たちの足元の影が、少しずつ怪物の方へ引っ張られていることに。


 認識阻害ジャミングが働いているのだ。

 だが、誰かが悲鳴を上げれば、その瞬間に認識が固定され、パニックになる。


「一般人を巻き込んだら減給……。やってらんないわ」


 莉子は舌打ちをし、デジカメの電源を入れた。

『ウィィィン……』絞り羽根が開く微かな音がする。


「ワンちゃん。ちょっと道借りるわよ」


 莉子は散歩中の主婦の死角に滑り込むと、素早くフェンスを飛び越え、影の怪物の背後へと回った。正面から撃てば、フラッシュの光で騒ぎになる。


 狙うのは、高架下のコンクリート柱の影。


「——固定フィックス


 シャッターを切る。

 バシュッ!


 強烈なストロボが焚かれるが、それは現実の光ではない。

 対象の時間を切り取る「データ凍結」の光だ。


 光を受けた影の一部が、カシャッという音と共に空間から切り取られ、静止画となって空中に固定される。


『ギ……ギギ……!?』


 影の怪物が振り返る。

 その顔には目も鼻もなく、ただ巨大なレンズのような空洞が開いていた。


「遅い」


 莉子は走り出した。

 彼女の戦い方は、例えばカナのような「防御と修復」ではない。


「制圧と封印」。


 カナとは異なる攻撃スタイルだ。


 怪物が影の触手を伸ばしてくる。

 莉子はそれを避けず、アーマーリングをつけた拳で殴りつけた。物理攻撃ではない。彼女の拳には、カメラのバッテリーからバイパスした電撃が流れている。


『ギャアッ!』

 触手が弾け飛ぶ。


「あんたみたいなジメジメしたのは、私の趣味じゃないのよ」


 莉子は至近距離まで肉薄し、デジカメのレンズを怪物の「核」——影の奥底で明滅する赤い光——に押し当てた。


 ボブカットの髪が、衝撃波の予兆でふわりと舞い上がる。


「ハイ、チーズ」


 ドォン!!


 フラッシュと共に、衝撃波が走る。


 怪物は断末魔を上げる間もなく、一瞬にして粒子分解され、カメラのメモリの中へと吸い込まれていった。


『処理完了。データ回収を確認』インカムから紗夜の声が聞こえる。


「……ふぅ」


 莉子は前髪をかき上げ、周囲を見渡した。

 通行人たちは、何事もなかったかのように歩き続けている。


 一瞬の閃光を「カメラのフラッシュか?」と怪しむ者はいたが、怪物の存在に気づいた者はいない。


「完璧です。……で? 深澄はどうなったんです?」


『彼女は現在、渋谷駅に到着した模様よ。GPS反応あり』


「渋谷……?」


 莉子は呆れて空を見上げた。

 頭上には、総武線の黄色い電車がガタンゴトンと音を立てて通過していく。


「……ま、いいわ。貸しにしとく」


 莉子はデジカメの再生画面を確認した。

 そこには、影の怪物が消滅する寸前の、美しい幾何学模様が記録されていた。


「……悪くない構図ね」


 彼女は口角を歪めて笑い、タバコ(バージニア・スリム)を取り出して火をつけた。

 紫煙をくゆらせながら、バイクに跨る。


 夕闇が迫る東京の空。カナの知らない場所で、一つの危機が去った。


 だが、莉子は気づいていなかった。

 消滅した怪物の足元から、小さな「種」のような黒い粒がこぼれ落ち、排水溝の中へと転がり込んでいったことを。

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