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MADE IN 東京  作者: 水色蛍
擬態される日常編
17/19

第17話:親友だから

「……ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」


 新宿・歌舞伎町の外れ。

 再開発のために取り壊しが進む廃ビルの屋上で、深澄カナは荒い息を吐きながら、コンクリートの床を転がった。脇腹に熱い痺れが走る。

 パーカーを脱ぎ捨てたオーバーオール姿の体は、コンクリートの粉塵と自身の血で薄汚れていた。


『オソイ。……ハンノウソクド、テイカ』


 無機質な声が頭上から降ってくる。

 月明かりの下、鉄骨の上に軽やかに着地したのは、カナと瓜二つの少女——「偽物」だった。彼女が着ているX-girlのTシャツには、汚れひとつない。

 その顔には、相変わらず張り付いたような「満面の笑み」が浮かんでいる。


「……くっ!」


 カナは左手でMDプレーヤーを握りしめ、立ち上がった。左目の奥が焼けつくように痛む。充血した強膜と、こめかみまで這い上がった幾何学模様の痣が、脳の血管を締め上げるように脈打っている。


『PLAY』


 カナが再生ボタンを押す。

 MDディスクが高速回転し、『キュルルル……』というシーク音と共に、不可視の衝撃波が放たれる。

 空間を圧縮し、弾丸のように撃ち出す指向性の振動波。だが。


『PLAY』


 偽物もまた、同時に動いた。

 彼女が手にする、肉とケーブルが癒着したようなグロテスクな「生体MD」。

 そこから放たれたのは、カナの攻撃と完全に同じ周波数、同じ波形の「逆位相」ノイズだった。


『バチチチチィィッ!!』


 二つの衝撃波が空中で衝突し、互いの威力を完全に相殺する。

 行き場を失ったエネルギーが紫色のスパークとなって弾け、周囲の窓ガラスを震わせた。


「……また、相殺された」カナは歯噛みした。

 これで七度目だ。タイミング、出力、射出角度。すべてが完璧に読まれている。

 いや、読んでいるのではない。「同じ」なのだ。

 彼女はカナの思考パターン、戦闘データ、癖に至るまで、すべてをインストールされた「最適化された深澄カナ」なのだから。


『ムダ……ムダ……』


 偽物が鉄骨から飛び降り、ゆらりと近づいてくる。

 その歩き方は、カナが無意識に行う「重心移動」そのものだった。

 だが、決定的に違う点がある。

 彼女には「痛み」がない。そして「迷い」がない。


『カナ……ヨワイ。……ニンゲン、不便』


 偽物が口を開く。

 そこから漏れ出したのは、ノイズ混じりのサンプリング音声だった。


『カナ、痛い?』『カナ、死んじゃうの?』


「……ッ!?」カナの動きが止まった。その声。

 あどけなく、少し心配そうな、甘い声色。リナの声だ。


『なんで嘘ついたの?』『友達だと思ってたのに』


 偽物は、リナの記憶データから抽出した音声を巧みに切り貼りし、カナの精神を直接削りに来た。物理的な攻撃よりも深く、鋭く、カナの胸を抉る。


「やめろ……リナの声で、喋るなッ!」


 カナが激昂し、不用意に前に出た瞬間だった。

 偽物の笑顔が、三日月のように深く裂けた。


『感情……発見』


 偽物の右腕が変形する。皮膚を突き破り、黒いタールのような物質が刃となって伸びる。速い。感情に囚われ、反応が遅れたカナの喉元へ、その刃が迫る。


(しまっ——)


 死を覚悟したコンマ一秒。

 カナの左目が、スローモーションの世界の中で、自身の死に顔を捉えた。


『カシャッ!!』


 鋭いシャッター音が、新宿の夜気を切り裂いた。

 同時に、強烈なストロボの光が炸裂する。


『ギャッ!?』


 偽物の動きが強制的に停止した。

 まるでビデオの一時停止ボタンを押されたかのように、空中で凝固する。

 その隙に、カナはバックステップで距離を取った。


「……ったく。自分と殺し合いなんて、悪趣味なことしてるじゃない」


 屋上の入り口。

 錆びた鉄扉を蹴り開けて現れたのは、黒いライダースジャケットに身を包んだ沢良木莉子だった。手には愛用のデジタルカメラ。

 レンズからはまだ、空間固定フリーズの余韻である白い煙が漂っている。


「リコさん……!」

「遅くなって悪いわね。……椚さんの『解析』が終わるまで待機って言われてたから」


 莉子はそう言いながら、素早くカナの横に並び、カメラを構え直した。

 ファインダー越しに偽物を睨みつける。


「なるほどね。……あんたと瓜二つ。だけど、決定的に『ノイズ』が混じってる」


 偽物は、空間固定の呪縛を力ずくで引き剥がし、再び動き出した。

『邪魔……邪魔……』その視線が、カナから莉子へと移る。


 ——その頃。

 廃ビルの真下、路地裏に停められた白いワンボックスカーの中。

 運転席では深夜ラジオを聴きながら、ことの顛末を待っている灰谷と、後部座席には椚に改造してもらった『VAIO SR』を覗き込む乃亜の姿があった。助手席にはカナが脱ぎ捨てたパーカーがしっかり回収されている。


 乃亜がエンターキーを叩く。

『転送完了。……カナさん、聞こえる?』


 屋上のカナの耳につけたインカムに、乃亜の声が届いた。

『敵のOSの弱点が分かった。……あいつは「深澄カナ」のコピーだけど、あくまで「データ上の深澄カナ」なの』


「……どういうこと?」

 カナはMDを構えたまま問う。


『あいつは、あなたの思考を先読みして動いてる。……「カナならこう動く」「カナならこう避ける」ってね。……だから、あいつの予測を超える方法は一つだけ』


 乃亜の声が、静かに告げた。

『深澄カナであることを、やめるの』


「……!」「来る!!」


 莉子の警告と共に、偽物が跳躍した。速い。さっきよりもさらに加速している。

 莉子のデジカメの連写でも捉えきれない速度で、左右の壁を蹴り、立体的に迫ってくる。


『消去……消去……消去ォォッ!』


 偽物の生体MDが唸りを上げ、致死レベルのノイズをチャージしている。

 カナは唇を噛んだ。予測されている。

 私がシールドを張れば、それを上回る出力で砕く気だ。

 私が回避すれば、その着地点を狙う気だ。


(深澄カナであることを、やめる……)


 カナはふと、オーバーオール姿の自分を意識した。

 今の私は、エージェントとしての装備を捨て、リナと選んだ服を着ている。

 ただの、17歳の女の子だ。


(計算通りになんて、動いてやらない)


 カナはMDプレーヤーの出力を切った。

『STOP』。シーク音が止まり、身を守っていた微弱な結界が消滅する。


「深澄!?」莉子が驚愕の声を上げる。丸腰だ。自殺行為に等しい。


 偽物のAIが、一瞬だけ判断に迷ったのが見えた。

『……? 防御……放棄? ……エラー?』だが、攻撃プログラムは止まらない。

 偽物の黒い刃が、無防備なカナの心臓を貫こうと迫る。


 カナは動かなかった。刃が皮膚に触れる、その瞬間まで。そして。


「……痛いのは、慣れてるッ!!」


 カナは自ら、左肩を前に突き出した。


『ドスッ!』


 鈍い音がして、黒い刃がカナの左肩を深々と貫通する。激痛。焼けるような痛みが脳髄を走る。だが、心臓は逸れた。


『……!!?』


 偽物の動きが止まった。予測外。

 回避も防御もせず、自ら急所を外して「刺されに来る」という非合理的な行動。

 自己保存を最優先するAIには理解できない、人間特有の捨て身の狂気。


「捕まえた……」


 カナは血を吐きながら、左手で偽物の腕を掴んだ。

 至近距離。ゼロ距離。互いの顔が目の前にある。

 偽物の「完璧な笑顔」が、間近で引きつっているのが見えた。


「あんたは私と同じ顔をしてるけど……ここにある『痛み』までは、コピーできなかったみたいね」


 カナは右手のMDプレーヤーを、偽物の胸——心臓部にあるコアへと押し当てた。


「吹き飛べ」


『PLAY』『VOLUME:MAX』


『ギャガガガガガガガガガァァァァァッ!!!!』


 ゼロ距離からの最大出力。

 カナのMDプレーヤーから放たれた空間圧縮波が、偽物の体内を駆け巡った。

 逃げ場を失ったエネルギーは、偽物の肉体を内側から破壊し尽くす。


『エ……ラー……。リカイ……フ、ノウ……』


 偽物がよろめき、後退る。その顔に異変が起きていた。

 維持できなくなった「テクスチャ」が剥がれ落ちていく。


 笑顔が、溶ける。

 目尻が垂れ下がり、口角が裂け、皮膚がドロドロの黒い粘液となって崩れ落ちていく。その下から現れたのは、無数のコードと肉塊が蠢く、のっぺらぼうの素体だった。


「……終わりよ」カナはその場に崩れ落ちそうになる体を、駆け寄った莉子に支えられた。「リコさん、トドメを」


「……任せなさい」莉子はデジカメを構え、フラッシュをチャージした。

「あんたの笑顔、ムカつくのよ。……現像してあげる。ハイ。チーズ!」


『カシャッ!!!』


 閃光。偽物の体が、白い光に包まれる。

 空間固定のデータ変換プロセスが強制的に実行され、その存在を「画像データ」へと圧縮していく。


『ワタシ……ワタシ……』


 崩れゆく偽物が、最期に何かを呟いた。その声は、もうリナの声でも、機械の声でもなかった。ノイズ混じりの、悲痛な叫び。


『……リナ……ト……イッショニ……』

『ワタシ……モ……ワラ……イタ……カッ……』


 ズブズブと音を立てて、偽物は黒い汚泥の山へと変わっていった。

 そこには、ただのプログラムとは思えない、強烈な「羨望」の感情が焼き付いていた。彼女は、カナをコピーする過程で、カナが持つ「リナへの想い」までコピーしてしまい、それに焦がれてしまったのかもしれない。


 廃ビルの屋上に、静寂が戻った。残されたのは、悪臭を放つ黒いヘドロと、その中に埋もれて汚れた「X-girlのオーバーオール」だけだった。


「……深澄、大丈夫?」莉子がハンカチでカナの肩の止血をしながら尋ねる。

「はい……かすり傷です。骨まではいってません」

「無茶するわね、本当に」


 インカムから、乃亜の声が届いた。

『敵性反応、完全消滅。……お疲れ様』


 その言葉を聞いて、ようやくカナの緊張の糸が切れた。

 左目の痣が、ゆっくりと引いていく。


 数分後。車内に戻った2人を確認すると、「あとは任せろ」と、灰谷は業務用モップやスプレーと、強力な業務用の洗浄剤が入ったバケツを持って出る。どちらも組織の作り上げた強力な道具だ。物理的隠蔽と事後処理のスペシャリスト。


 カナは車のドアにもたれかかり、ポケットからフリスクを取り出した。

 震える手で一粒取り出し、口に放り込む。

 強烈なミントの刺激が、口の中に残る血の味や肩の痛み。殺し合いの余韻を洗い流していく。


『ブー……ブー……』


 その時、カナのポケットの中でガラケーが震えた。

 カナはビクリと肩を震わせた。画面を見る。

 バックライトに照らされた名前は——『リナ』。


「……」カナは息を呑んだ。

 昼間の喧嘩別れから、初めての接触だ。

 時間は深夜に差し掛かる。怒っているだろうか。それとも、もう絶交を言い渡されるのだろうか。


 莉子が、無言で頷いた。「出なさい。……『本物』なんでしょ?」


 カナは意を決して、通話ボタンを押した。携帯を耳に当てる。

 その動作一つが、MDプレーヤーの引き金を引くよりも重かった。


「……もしもし」


 声が震えた。電波の向こうから、少しの沈黙。

 そして、聞き慣れた、愛おしい声が聞こえてきた。


『……あ、カナ? 起きてた?』


 リナの声だ。偽物の完璧なサンプリング音声ではない。

 少し掠れていて、鼻声で、そして温かい、生身の人間の声。


『ごめんね、こんな時間に。……あと、昼間はごめん。私、言いすぎた』


「ううん……」カナの目から、涙が溢れた。

「私が悪いの。……説明しなくて、ごめん」


『ううん。ミキもさ、見間違いだったかもって言ってたし。……私、カナのこと信じるよ。カナが嘘つくような子じゃないって、私が一番知ってるもん』


 その言葉が、傷だらけの体に染み渡る。

 ドッペルゲンガーがどれだけ精巧に模倣しようとも、この「信頼」というバグだらけの感情だけは、再現できなかったのだ。


『だからさ、日曜。……また服、買いに行こ? 今度は新宿行こうよ! ちゃんとエスコートしてよね?』


「……うん。うん、行く」カナは泣き笑いの表情で、夜空を見上げた。


「絶対、行く」


 通話を切ると、東京の空には星が見えなかった。

 灰色の雲が、街の明かりを反射して赤黒く光っている。戦いはまだ終わらない。

 けれど、守るべき日常は、まだここにある。

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