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MADE IN 東京  作者: 水色蛍
擬態される日常編
16/19

第16話:新宿歌舞伎町の夜

 昼休みの教室は、購買のパンを争奪する男子生徒の叫び声と、机を寄せて弁当を広げる女子たちの笑い声で満ちていた。

 窓の外は薄曇り。湿度を含んだ風が、カーテンを頼りなく揺らしている。


「……でさー、昨日の『ワンナイ』見た? ゴリエがさー」


 松浦リナは、いつものように机に頬杖をつき、卵焼きを口に運びながらテレビの話に花を咲かせていた。その瞳はクリアだ。

 先日、彼女の部屋で起きた「影の侵食」の後遺症は見られない。

 睡眠学習のように、無意識下で彼女の日常は修復されている。カナが命がけで守った結果だ。


「……うん、見たよ。面白かったね」


 カナは紙パックのミルクティーを飲みながら、穏やかに相槌を打つ。


(よかった。リナは何も覚えていない)


 左目の奥が少し疼くが、それは心地よい痛みだった。

 この平和なランチタイムこそが、カナにとっての報酬そのものだ。


「ねえ、深澄さん」


 不意に、斜め前の席の女子生徒——クラス内でも派手なグループに属するミキが、身を乗り出してきた。「あんたさ、昨日新宿にいたでしょ?」


「……え?」カナの手が止まる。

「新宿? ……ううん、行ってないよ。昨日は放課後、すぐにバイト(任務)だったし」


「えー、嘘だぁ。私見たよ? アルタ前の待ち合わせ場所んとこ」


 ミキは疑うような目でカナをジロジロと見た。


「なんかさ、すっごいイケメンの男の人と一緒に歩いてたじゃん。腕とか組んじゃってさー。意外とやるねぇ」


 教室の空気が、一瞬で変わった。

 リナが箸を止め、真顔でカナを見る。


「……は? カナ、昨日はバイトって言ってたじゃん」

「だ、だからバイトだよ! 新宿なんて行ってないって!」


 カナは必死に否定する。実際、昨夜は秋葉原の拠点で椚と機材のメンテナンスをしていたのだ。

 アリバイはある。だが、それを証明する手段はこの場にはない。


「えー、でも私絶対見たもん」ミキは譲らない。


「だって深澄さん、あの服着てたじゃん。X-girlのロゴTに、オーバーオール」


「ッ!?」


 カナの心臓が早鐘を打った。

 その服は、確かにリナに選んでもらい、買ったばかりのものだ。

 まだ一度も袖を通していない。家のクローゼットの中に、大切にしまってあるはずだ。


 なぜ、ミキがその服を知っている?


「……リナ、あの服のこと、誰かに話した?」

「話してないよ! ……てか、なによ。デートだったの?」


 リナの声のトーンが落ちる。


「もし彼氏できたなら、言ってくれればよかったのに。……私に嘘ついてまで、隠したかったわけ?」


「違う! 誤解だよリナ! 本当に私じゃないの!」


「……ふーん。じゃあ、カナの『そっくりさん』が、カナと全く同じ服を着て、新宿を歩いてたってこと? そんな偶然あるわけないじゃん」


 リナはプイと顔を背け、弁当箱を乱暴に閉じた。


「……ごちそうさま。私、トイレ行ってくる」


「あ、リナ!」


 呼び止める声も虚しく、リナは教室を出て行ってしまった。

 残されたカナに、ミキが「あーあ、怒らせちゃった」と無責任に笑う。


 カナは震える手で携帯を取り出し、トイレに駆け込んだ。

 個室に入り、鍵をかける。鏡に映る自分の顔は蒼白だ。


(私の偽物……?)


 三鷹の夜、リナの部屋の窓から覗いていた「眼」。

 そして、テープの最後に映り込んだ、血まみれで笑う自分自身。


 奴らは学習したのだ。リナをコピーするよりも、この世界に干渉する力を持つ「深澄カナ」をコピーし、彼女の居場所を奪う方が効率的だと。

 服のデータまで原宿での記憶から抽出して、完璧な「日常のカナ」を演じている。


 カナは携帯を握りしめ、短縮ダイヤルを押した。

『プルルルル……』

 電子音が、恐怖を煽るように狭い個室に響いた。


 放課後。秋葉原ラジオセンターの地下、第零技術局本部。

 紫煙が充満する開発室の空気は、かつてないほど重苦しかった。


「……なるほど。学校で『目撃情報』が出たか」


 椚蓮治が、灰皿に吸い殻を押し付けながら言った。

 モニターには、三鷹で回収したMiniDVテープの映像——ラスト数秒の「ドッペルゲンガー」のコマ送り画像が表示されている。


「奴らの狙いは明白だ。お前の社会的抹殺、そして『入れ替わり』だ」


 椚がキーボードを叩く。


「この映像を解析したが、こいつは単なる光学迷彩やホログラムじゃねえ。……質量を持ってる」


「質量……?」


 カナがパイプ椅子に座り込み、うなだれる。


「ああ。奴らはバグ領域の物質を使って、お前と全く同じDNA、同じ骨格、同じ声帯を持つ肉体を生成した。……言わば、お前の『バックアップデータ』を勝手に復元して、悪意あるOSをインストールした状態だ」


「そんな……。じゃあ、あいつは私の記憶も?」

「おそらく共有している。お前がリナちゃんと買った服、お前の口癖、思考パターン……すべてな」


 だからこそ、厄介なのだ。

 偽物は、カナ以上に「カナらしく」振る舞い、周囲の人間を騙すことができる。

 そして本物のカナを「頭のおかしい偽物」として孤立させ、最終的に始末するつもりだ。


「……これは、現場の判断だけで処理できる案件ではありませんね」


 重厚な防音扉が開き、局長の九条院紗夜が入ってきた。

 今日はいつものスーツではなく、喪服のような漆黒のドレスに身を包んでいる。その纏う空気は、氷のように冷徹だ。


「局長……」


「新宿で目撃されたということは、奴らは人混みを利用して『認知』を広げようとしています。……大勢の人間が『深澄カナ』を目撃すればするほど、偽物の存在強度は増し、本物であるあなたが世界から弾き出される」


 紗夜は優雅に歩み寄り、カナの肩に手を置いた。


「厄介なことになりそうね。……今の新宿は、ただでさえ『火種』がくすぶっていますから」


 2001年、新宿。歌舞伎町ビデオ店爆破事件、外国人犯罪組織の抗争、そして警察の浄化作戦前夜。

 あの街は今、暴力と欲望、そして死の匂いが濃厚に漂う「魔窟」と化していた。

 警察でさえ、深夜の路地裏には容易に踏み込めない。


「警察上層部には、私から手を回しておきます。……今夜、新宿の一部エリアで『通信障害』と『監視カメラの不具合』が発生する……ということにして」


 紗夜は妖艶に微笑んだ。それは、法の番人ではなく、この国を裏から操るフィクサーとしての顔だった。


「カナ、行きなさい。……あなたの『顔』を盗んだ泥棒に、教育的指導をしてあげて」


「……はい」カナは顔を上げた。


「私の居場所も、リナとの日常も、誰にも渡さない。……たとえ、相手が私自身でも」


 夜22時。新宿。

 靖国通りの信号が変わると、巨大な人の波が動き出す。

 ネオンの光がアスファルトの水たまりに反射し、毒々しい極彩色を描いていた。


 深澄カナは、人混みに紛れて歩いていた。

 着ているのは、例の「X-girlのTシャツとオーバーオール」。

 あえて偽物と同じ服を着ることで、奴を誘き出すおとりとなる作戦だ。

 その上から大きめのパーカーを羽織り、フードを目深に被っている。


(……空気が、悪い。)


 路地裏からは生ゴミと腐った酒の匂い。

 客引きの男たちの怒声。中国語や韓国語のマイク放送。

 どこからかパトカーのサイレンが聞こえるが、誰も気に留めていない。

 2001年の歌舞伎町は、欲望が剥き出しになった、ある種の戦場だった。


「お、そこのお姉ちゃん。ひとり? 遊ばない?」


 スカジャンを着た金髪の男が声をかけてくる。カナは無視して歩を進める。

 ポケットの中のMDプレーヤーを握りしめ、左目の感覚を研ぎ澄ませる。


(どこ……? 私の偽物は、どこにいる?)


 その時だった。「おい、君。ちょっといいかな」

 背後から、低い声で呼び止められた。振り返ると、制服警官が二人、訝しげな顔で立っていた。


「こんな時間に、未成年だろ? 補導対象だよ。身分証見せて」

「……いえ、私は」


 カナは舌打ちをこらえた。


 局長が手を回しているとはいえ、末端の警官まですべて制御できるわけではない。

 しかも、今の自分は「家出少女」のような格好だ。怪しまれて当然だった。


「ちょっと署まで来てもらおうか。親御さんに連絡するから」


 警官がカナの腕を掴もうとする。


「離して! 急いでるの!」

「暴れるな! ……おい、応援呼べ!」


 その瞬間。

 カナの視界の端——雑居ビルの隙間の暗がりに、「それ」はいた。


 パーカーのフードを被っていない、ショートカットの少女。

 X-girlのTシャツ。カナと全く同じ顔。

 しかし、その表情は、カナが決して見せないような、底知れぬほど明るく、そして虚ろな「満面の笑み」だった。


『…………』


 偽物は、警官に取り押さえられそうになっているカナを見て、音もなく口を動かした。


 ——『ザ・マ・ア・ミ・ロ』——


「ッ……!!」


 カナの全身の血が沸騰した。

 あいつだ。あいつが、私の日常を壊そうとしている。


「どいて!!」


 カナは警官の腕を振りほどき——いや、人間離れした力で突き飛ばした。


「うわっ!?」警官が尻餅をつく。


「待て! ……クソッ、逃げたぞ!」


 背後で笛が鳴り響く中、カナは雑居ビルの隙間へと飛び込んだ。

 偽物は、猫のような身軽さで路地裏の奥へと消えていく。


「逃がさない……絶対に!」


 カナはパーカーを脱ぎ捨て、オーバーオール姿で夜の闇を駆けた。

 ラブホテルの看板、風俗店の裏口、ネズミが走るゴミ捨て場。

 新宿の血管のような入り組んだ路地を、二人の「深澄カナ」が疾走する。


 人気のない場所へ。

 偽物は、まるでカナを誘導するかのように、歌舞伎町の外れにある建設途中のビルへと逃げ込んだ。

 再開発のために取り壊しが進む、廃墟同然のコンクリートの塊。

 周囲は工事用の白いフェンスで囲まれ、街の喧騒が遠くにくぐもって聞こえる。


 カナはフェンスを飛び越え、剥き出しの鉄骨が並ぶ広場へと着地した。

 月明かりだけが頼りの薄暗い空間。

 その中央に、偽物は立っていた。


「……なんで、私の顔をしてるの」


 カナがMDプレーヤーを構え、問いかける。偽物はゆっくりと振り返った。

 その顔には、相変わらず「張り付いたような笑顔」が浮かんでいる。


『……ナンデ? ……ナンデ?』


 偽物が口を開いた。しかし、そこから聞こえてきたのは、人間の声ではなかった。

 リナの声、学校の先生の声、テレビの音声、そしてカナ自身の声を細切れにして繋ぎ合わせた、不気味なサンプリング音声。


『ワタシ……カナ。……ホンモノノ、カナ』

『オマエ……イラナイ。……バグ。……ショウキョ』


「ふざけるな!」カナは再生ボタンを押した。

『PLAY』。空間が歪み、不可視の衝撃波が偽物を襲う。


 だが。偽物は動じない。彼女もまた、ポケットから「何か」を取り出した。

 それは、カナのMDプレーヤーと酷似しているが、有機的な肉とコードで構成された「生体MD」だった。


『PLAY』偽物の口から、機械音声が漏れる。


『ギャァァァァァッ!!』


 偽物のMDから放たれたのは、カナの衝撃波と完全に「逆位相」のノイズだった。

 二つの波が衝突し、空中で激しいスパークが発生する。


『バチチチチッ!!』


「くっ……!」カナは爆風に煽られ、後退った。

 相殺された。こちらの出力、周波数、タイミング。すべてを完全にコピーし、計算している。


『オナジ……オナジ……』偽物が、首を90度傾げて笑った。

『ワタシノホウガ……ツヨイ。……ワタシノホウガ……ウマク、ワラエル』


 偽物は、不意に表情を変えた。リナに見せていたような、愛想の良い、完璧な「親友」の顔に。そして、その顔のまま、右腕を異形へと変形させた。

 皮膚が裂け、中から黒い刃のような骨が飛び出す。


「……私の居場所を、返せッ!!」

 深紅の瞳が闇に輝く。痣がこめかみを侵食する。


「ここには、誰もいない。……警察も来ない」


 カナはMDのボリュームを最大まで上げた。


「あんたをスクラップにするには、お誂え向きの場所だよ」


 廃ビルの屋上で、二人の「深澄カナ」が激突する。

 一方は、日常を守るために戦う、傷だらけのオリジナル。

 もう一方は、日常を奪うために生まれた、完璧なコピー。


 鉄骨が軋み、コンクリートが砕ける音が、新宿の夜に吸い込まれていく。

 それは、誰にも知られることのない、自分自身との殺し合いの始まりだった。

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