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MADE IN 東京  作者: 水色蛍
0番目の修理屋編
14/19

第14話:侵食

 翌日の放課後。秋葉原、ラジオセンターの地下深くにある第零技術局本部。

 紫煙と排熱の混ざり合う薄暗い開発室で、深澄カナはモニターを見つめたまま、凍りついていた。


「……結論から言うぞ。お前の友達の目にあったコードは、ただのノイズじゃねえ」


 椚蓮治が、咥えタバコのままキーボードを叩く。一瞬視界がぐらつく。

 CRTモニターに表示されているのは、昨日カナが送ったプリクラの拡大画像だ。

 リナの明るい茶色の瞳。その虹彩の奥に、不気味な16進数の羅列が焼き付いている。


「これは『マーキング』のタグだ。……奴らは、この少女を『観察』している」


「観察……?」カナの声が震える。


「ああ。奴らがこちらの世界に『擬態』するためには、サンプルのデータが必要だ。奴らはこの少女を、人間という生物の構造、思考、感情をコピーするための『生きた辞書』として選んだんだろう」


 椚は煙を吐き出し、残酷な推測を続けた。


「現時点ではまだ『観察』の段階だ。だが、侵食が進めば、奴らは彼女の中身を食い破って、完璧なコピーへと成り代わる気だ」


「そ、そんな……! じゃあ、リナはもう助からないんですか!?」

 カナが机に身を乗り出す。


「落ち着け。まだ『境界』は破られていない」椚がカナの肩を叩いて制する。


「だが、一つだけ絶対的な条件がある。……いいか、深澄。彼女に決して『気づかせるな』」


「気づかせるな……?」


「彼女が違和感に気づき、自分の周りに起きている現象が『異常』だと認識した瞬間、彼女の脳(CPU)は処理落ちを起こす。……つまり、上位者の存在を視認してしまう」


 カナの脳裏に、3年前の記憶がフラッシュバックした。

 地下鉄のトンネル。逃げ惑う人々が、何かを見て、絶叫と共に肉塊へと変わっていったあの地獄絵図。一般人の脳は、上位者の「真の姿」を処理できない。

 認識した瞬間に発狂死するか、あるいは——細胞レベルで崩壊し、あのような異形の怪物へと変貌してしまう。


「もし彼女が『あっち側』を覗いちまったら、もう手遅れだ。……お前たちの家族と同じ末路を辿るぞ」


 椚の言葉は、重い鉛のようにカナの胸に突き刺さった。

 リナを守るためには、敵を倒すだけでは足りない。

 彼女を「無知な一般人」のままにしておかなければならないのだ。

 たとえ世界が狂い始めていても、彼女だけには「平和な日常」を演じ続けさせなければならない。


「……私が、守ります」カナは拳を握りしめた。

「リナには何も知らせない。……私の手で、全部終わらせます」


 翌日。

 カナの通う高校の教室は、いつものように平和な喧騒に包まれていた。

 5時限目、現代文の授業。

 窓から差し込む午後の日差しが、チョークの粉をキラキラと照らしている。


「——ここでの主人公の心情は、孤独ではなく孤高であると……」


 国語教師の眠くなるような声が響く中、カナは前の席の背中を凝視していた。

 松浦リナ。ギャルメイクに、限界まで短くしたスカート。一見すると遊んでばかりに見える彼女だが、実は成績は優秀だ。授業中は真面目にノートを取り、テスト前にはカナに勉強を教えてくれるほど要領が良い。


(……普通だ)


 カナは息を潜めて観察する。リナの背中は、いつも通りだ。

 茶色く染めた緩いパーマの髪から、シャンプーの良い匂いがする。

 彼女は机に向かい、右手でサラサラとシャーペンを走らせている。


「……ッ」


 その時、カナの視覚が一瞬だけ歪んだ。

 左肩の痣が微かに熱を持つ。


「……あれ?」


 カナの位置からは、前の席のリナの手元がよく見える。

 黒板の文字を書き写しているリナの手が、止まっている。

 いや、止まっているのではない。シャーペンを握る指先が、微細に痙攣していた。


『カチ、カチ、カチ、カチ……』


 小刻みに震えているのではない。

 まるで映像の編集ミスのように、数ミリ単位で指の位置が瞬時に戻っている。

「書く」という動作が、コンマ数秒の世界で「ループ」している。


 シャーペンの芯がノートの一点に押し当てられ続け、紙が黒く抉れていく。

 それでもリナは気づかない。彼女の背中は微動だにせず、黒板とノートを交互に見ているような素振りを続けている。しかし、彼女の時間だけが、指先だけが、壊れたレコードのように同じ溝を回り続けている。


(気づいてない……本人は、書いているつもりなんだ)


 カナは寒気を感じた。これが「侵食」だ。

 本人の意識の外側で、現実との整合性が失われ始めている。


「おい、松浦。……松浦?」教師の声が飛んだ。


「……は、はい!」


 リナが弾かれたように顔を上げる。その瞬間、ループが途切れた。

 シャーペンの芯がポキリと折れ、破片が机の上に転がったのが見えた。


「手が止まってるぞ。……ちゃんと聞いてるか?」

「あ、すいませーん! ちょっとボーッとしてました!」


 リナはテヘへと舌を出して笑った。クラス中から笑いが起きる。

 誰も気づいていない。今、彼女の指先で起きていた「異常」に。背後で見つめるカナ以外は。


 昼休み。カナとリナは、いつものように机を向かい合わせにしてお弁当を広げていた。


「マジ焦ったー。先生いきなり当ててくるんだもん」

 リナは卵焼きを口に放り込みながら愚痴をこぼす。


「……リナ、大丈夫? 疲れてるんじゃない?」


 カナが探るように聞くと、リナはキョトンとした顔をした。


「え? 全然平気だよ。……あ、もしかして昨日のプリクラのこと気にしてる? あの変な写り方」「ッ!?」


 カナの心臓が跳ね上がる。昨日のアレを、リナは覚えているのか?


「あれさー、機械の故障だよね絶対。……なんか私の目が変になってたし、気持ち悪くて捨てちゃった。ごめんね、また撮りに行こうね」


「……あ、うん。そうだね。機械の故障だよ、きっと」


 捨てた。リナは気づいていない。あれが自分の身に起きていることだとは。

 カナは胸を撫で下ろすと同時に、強烈な不安に襲われた。

 彼女の認識は正常だ。だからこそ、危うい。


「てかさー、なんか今日、視線感じない?」


 リナが足を組み替える。

 短いスカートから、健康的な太ももが露わになる。

 ルーズソックスとローファーが揺れるたびに、教室の男子たちの視線がチラチラと集まっていた。


「……え?」カナは周囲を見渡した。

 確かに、男子生徒たちがチラチラとこちらを見ている。


(まさか……みんな、気づいてるの?)

(リナの動きがおかしいことに? あの「ループ」が見えているの?)


 カナの思考が悪い方へと暴走する。

 もし、周りの人間がリナを「異物」として認識し始めたら?

「あいつ、なんか変じゃね?」「人間じゃないみたい」


 そんな噂が立てば、リナ自身が自分の異常を自覚してしまうかもしれない。


「カナ、顔怖いよ」リナが笑いながらカナの頬をつついた。


「男子の視線なんて、どうせ私のパンツ見えるか見えないか期待してるだけでしょ。バッカみたい」「……え」


「見えないギリギリだから良いのにねー。男ってホント単純」

 リナは余裕たっぷりに笑い、わざとらしく足を組み替えて見せた。

 男子たちが慌てて視線を逸らす。

 そうだ、別にこの光景は今日に限った話じゃない。

 ただ昨日の今日で過剰に意識し過ぎてしまっているだけだ。


「……全く。でもカナも短いし人のこと言えないと思うよ? 今日も可愛いんだから」「そ、そうかな……」


 カナは力が抜けたように息を吐いた。そうだ。ここは学校だ。

 男子が見ているのは「バグ」じゃない。ただの女子高生の太ももだ。

 自分の神経が過敏になりすぎている。

 この「平和な勘違い」が、今のカナにとっては救いだった。


 放課後。カナはリナと別れると、すぐに秋葉原の本部へと向かった。

 開発室には、椚と、珍しく自室から出てきたノアがいた。


「……報告します」


 カナは制服のまま、椚とノアに向き合った。


「今日、授業中に異変がありました。……リナの指が、ループしていました」


「ループ?」ノアが携帯ゲーム機から顔を上げる。


「はい。シャーペンを握る指が、数ミリ単位で痙攣するように……時間はコンマ数秒だと思います。本人は無自覚でした」


「……チッ。思ったより進行が早いな」

 椚が舌打ちをし、新しいタバコに火をつけた。


「指先の運動野にバグが出てるってことは、脳の信号伝達にノイズが混じり始めてる証拠だ」


「どうすれば……」


「まずは監視だ。奴らがいつ『実体化』して彼女を取り込みに来るか分からない。……そのためには、彼女の居場所を24時間把握する必要がある」


 椚はカナを見た。


「その子の名前は?」「松浦リナです」


「……へえ。あやや(松浦亜弥)と同じだな」

 椚が軽口を叩くが、目は笑っていない。「で、どこに住んでる?」


「えっと……確か、中央線沿いだったはずです。吉祥寺か、三鷹あたり……」

 カナは言葉に詰まった。

「……あれ?」


「おいおい。親友なんだろ? 家に行ったことないのか?」


「……ない、です。いつも遊ぶのは渋谷か原宿だし……学校で会えるから」


 カナは愕然とした。親友だと思っていた。一番大切な友達だと。

 でも、私は彼女の「家」さえ知らない。

 エージェントとしての生活に追われ、踏み込んだ付き合いを無意識に避けていたのかもしれない。


「写真は? プリクラ以外にあるか?」「いえ、プリクラしか……」


「……やれやれ。現代っ子の友情ってのは希薄だな」


 椚は呆れたように煙を吐き、隣の少女に合図を送った。


「よし、ノア。……『探偵ごっこ』をお願いしていいか?」


「……え」ノアが嫌そうに顔をしかめ、パーカーのフードを深く被った。


「出かけるの? ……やだ。外、怖い」


「違う違う。お前の得意分野だ。……ここから一歩も出なくていい」


 椚はニヤリと笑った。


機械ネットいじりで頑張ってみようぜ。これからの時代はパソコンをいかに操れるかだ。このプリクラの画像データと、学校の裏サイト、それに『魔法のiらんど』や『mixi』あたりのプロフから、松浦リナの個人情報を引っこ抜くんだ」


「……個人情報保護法、まだ施行前だけど……いいの?」

「世界を救うためだ。神様も許してくれるさ」


「……ん。分かった」ノアは少しだけやる気を見せ、キーボードに向き直った。


「……『松浦リナ』……検索開始。……」


「頼んだよ、ノアちゃん。……俺もバックアップする」


 カナはその光景を見ながら、祈るような気持ちで立っていた。

 私たちがこうしている間にも、リナの時間は削られているかもしれない。


 夜22時。浅草橋のセーフハウス。

 カナはベッドの上で、リナと交換している『交換ノート』を開いていた。


『今日の放課後、超ウケたんだけど! マジ先生キモくない?』

『カナへ。今度の日曜、また服買いに行こうよ!』


 丸っこい文字。カラフルなペンで書かれたイラスト。

 ページに貼られたプリクラの中の二人は、本当に楽しそうだ。

 この笑顔を守りたい。たとえ、私が世界中から忘れられたとしても、この子の日常だけは。


 テレビからは、音楽番組が流れている。

 モーニング娘。の曲『恋愛レボリューション21』。既に何回耳にしたか分からない。

 明るいダンスナンバーが、静まり返った部屋に空虚に響く。


「……絶対に、守るから」


 カナはノートを胸に抱きしめ、強く誓った。

 リナが、ただの「松浦リナ」でいられるように。


 ——その頃。

 東京の西、三鷹市の住宅街。2階建ての一軒家にある、リナの部屋。


「……んー、ここ分かんないなぁ」


 リナは勉強机に向かい、数学の宿題と格闘していた。

 部屋はまさに「今どきの女子高生」そのものだ。

 壁には浜崎あゆみの巨大なポスターと、雑誌から切り抜いた滝沢秀明タッキーのピンナップ。カレンダーは、昨年のドラマ『IWGP』でキングを演じて大ブレイク中の窪塚洋介だ。鋭い眼光が、部屋の主を見下ろしている。


 机の上にはMDコンポがあり、スピーカーの横には『aiko』や『CHEMISTRY』のCDが無造作に積まれている。平和で、流行に敏感で、少し散らかった17歳の聖域。


「……あーあ、カナに聞けばよかった」


 リナは独り言を呟き、シャーペンを回そうとした。その時。


『…………』


 ふと、視界の隅に違和感を感じた。机の上のスタンドライトに照らされた、自分の手元。ノートの上に落ちている「影」。


 シャーペンを握る自分の手の影が、動いていなかった。


「……え?」


 リナは手を動かした。指を開いたり、閉じたり。

 目の前の自分の手は、確かに動いている。

 骨があり、皮膚があり、血管が通っている自分の手だ。


 けれど、ノートの上に落ちている黒い影は、ペンを握ったままピクリとも動かない。

 まるで、そこだけ時間が止まった写真のように、影だけが「固定」されている。


「……何これ」


 リナの背筋に、冷たいものが走った。影がおかしい? そんなことあるわけない。

 見間違いだ。疲れてるんだ。最近ちょっと夜更かしが過ぎた。自覚はある。リナは目をこすり、もう一度影を見た。今度は、影も動いた。ちゃんと自分の手の動きに合わせて、影も揺れている。


「……なんだ。ビックリしたぁ」


 リナは安堵の息を吐き、再びノートに向かった。「もう寝よっかな……」


 彼女は気づかなかった。彼女が視線をノートに戻したその背後。

 部屋の壁に映る、彼女自身の巨大な影が、ゆっくりと、音もなく「首を傾げていた」ことに。

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