第13話:原宿竹下通り
放課後。原宿駅の木造駅舎を抜けると、そこは色の洪水だった。
竹下通りの入り口にある巨大なアーチの下を、制服姿の修学旅行生、極彩色の髪をしたパンクス、ヘッドドレスをつけたゴシック・ロリータ、そしてダボダボのジーンズを腰で履いたB系の少年たちが、濁流のように行き交っている。
街中に溢れる巨大な広告ボードには、ヒョウ柄の衣装を纏った浜崎あゆみや、ショートカットの宇多田ヒカルが、時代のアイコンとして君臨していた。
スピーカーからは、パラパラのユーロビートとJ-POPが混ざり合い、鼓膜を揺らすようなノイズとなって降り注いでいる。
「マジで人多すぎ! でもテンション上がるわー!」
隣で声を弾ませるのは、親友のリナだ。
彼女は限界まで短く詰めたチェックのスカートに、E.G.スミスのスーパールーズソックス、そして厚底のローファー。髪は明るい茶髪に巻き髪で、まさにこの時代の「女子高生」を体現している。
「……そうだね。ちょっと、酔いそうかも」
深澄カナは、人混みに押されないようにリナの腕を掴んだ。
弱音を吐いているが、その姿はリナに負けず劣らず、この街に溶け込んでいた。
普段もそれなりのおしゃれだが。今日の彼女は一味違う。
制服のスカートはウエストで三回折り返し、更に太ももを大胆に露出させている。
足元はもちろん、たるませたルーズソックス。上にはラルフローレンのベージュのカーディガンを羽織り、少し大きめのサイズで指先だけを出す「萌え袖」スタイルだ。
トレードマークの無骨なヘッドホンさえも、この街では最新のファッションアイテムのように見える。
黒髪のクールな美少女が、流行りの着こなしでアンニュイな表情を浮かべている。
そのギャップは強烈で、すれ違う男子学生たちが「今のこ、超可愛くない?」「モデルかな」と囁きながら振り返るほどだった。
「もー、カナってば体力ないんだから。でも今日のカナ、なんか『Cawaii!』のモデルみたいで超イケてるよ! 自信持ちな!」
リナに背中をバンと叩かれ、カナは苦笑いした。
「……ありがとう。リナのコーディネートのおかげだよ」
「でしょー? さ、糖分補給しよ!」
リナに引っ張られ、二人は『マリオンクレープ』の行列に並んだ。
数分後、甘いバニラの香りが漂うクレープを手にする。
リナは「チョコバナナ生クリーム」、カナは「ツナピザチーズ」。
リナのツッコミも今は上手に答えられる。
「いっただっきまーす! んー、やっぱ原宿来たらこれだよね!」
リナが口の端にクリームをつけながら満面の笑みを浮かべる。
「……うん、美味しい」
カナも小さく口を開けてクレープを齧る。
その横顔は、戦うエージェントの険しさが消え、年相応の17歳の少女の可愛らしさに満ちていた。
クレープを食べ終えた二人は、古着屋『シカゴ』へと向かった。
地下へと続く階段を降りると、そこにはお香の匂いと、膨大な量の古着が山積みになっていた。
「ねえカナ、あんた私服どうすんの? こないだの日曜もジャージだったじゃん」
服を物色しながら、リナが唐突に言った。
「えっ……」カナは言葉に詰まった。
制服のアレンジはリナの見様見真似で完璧にこなせる。
でも、「私服」という概念が、最近の彼女の中から抜け落ちていた。
学校では制服。任務では動きやすいパーカーやジャージ。「普通の女の子」として誰かと会う時間など、この数ヶ月間、一度もなかったことに気づく。
「……んー、何がいいか分かんなくて」
「だめだって! いつももだけど。今日の制服こんなに可愛いのに、私服がジャージとかじゃもったいないよ! 高校生活は短いんだから、おしゃれしなきゃ損じゃん!」
リナはハンガーラックを高速でスライドさせながら、次々と服を選び出した。
「カナは素材がいいんだからさー。ほら、これとか絶対似合う! 裏原系のちょっとボーイッシュなやつ」
押し付けられたのは、X-girlのロゴが入ったTシャツと、少し色あせたデニムのオーバーオールだった。鏡の前で当ててみる。
鏡の中の自分は、少しだけ照れくさそうで、でも年相応の少女に見えた。
「……どうかな?」
「超かわいい! いいじゃんいいじゃん! それ買いなよ!」
リナが自分のことのように喜んでくれる。
その姿を見て、カナは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
私は、この日常を守るために戦っている。
でも、戦えば戦うほど、私はこの「日常」から乖離していく。
いつか、リナと同じ服を着て、同じ話題で笑うことができなくなる日が来るのではないか。自分の体が、心ごと「バグ」に飲み込まれてしまったら——。
「カナ? どうしたの?」リナが不思議そうに顔を覗き込む。
「ううん、なんでもない。……これ、買うね」カナは無理やり笑顔を作った。
レジで支払いを済ませ、真新しいショッパーを受け取る。
その紙袋の重さが、今のカナにとっては「人間としての証」のように感じられた。
「じゃあ最後、プリ撮って帰ろ!」
日も暮れかけた頃、二人は竹下通りのゲームセンターに入った。
1階のプリクラコーナーは、女子高生たちの熱気で蒸し風呂のようになっていた。
最新機種の『花鳥風月』には行列ができている。
「これ、写りがめっちゃ綺麗なんだって。肌とか陶器みたいになるらしいよ」
「へぇ……すごいね」
順番が回ってきた。
狭いブースの中に二人で入り込み、荷物を置く。
コインを投入すると、軽快な電子音と共にアナウンスが流れた。
『フレームを選んでね!』
『ハイ、チーズ! カシャッ!』
フラッシュが焚かれるたびに、視界が白く染まる。
リナは慣れた様子で次々とポーズを変える。ピース、虫歯ポーズ、変顔。
カナも必死についていく。今日の「可愛い自分」を、記録に残すために。
『次は落書きタイムだよ!』
二人はタッチペンを握り、画面に向かった。
制限時間は90秒。リナの手が高速で動く。
『ズッ友』『LOVE』『我等友情永久不滅』。
「カナも何か書きなよー」「え、えっと……」
カナは震える手で『今日はありがとう』と書いた。
なんて不器用なんだろう。でも、それが精一杯の真実だった。
これでも17歳の女子高生としてそれなりに可愛いを勉強しているのに、咄嗟になるとまだまだだ。
『プリントアウトするよ! 待っててね!』
ブースを出て、排出口の前で待つ。
ガシャン、という音と共に、鮮やかなシールが出てきた。
「わー! 超盛れてる! やっぱこの機種すごいわ」
リナがハサミを取り出し、慣れた手つきでシールを半分に切り分ける。
「はい、これカナの分。手帳に貼ってよね」
「うん、ありがとう」
カナは渡されたシールを受け取り、光にかざして見た。
そこには、満面の笑みのリナと、少しはにかんだ笑顔の自分が写っている。
背景にはハイビスカスのフレーム。完璧な、女子高生の思い出の欠片。
——はずだった。
「……え?」
カナの指が止まった。
違和感があった。
一番大きく写っている、アップのカット。
リナの顔。その瞳。
最新機種の高画質プリントゆえだろうか。
リナの大きな瞳の、黒目の部分。
そこに、光の反射とは違う、微細なノイズが走っているように見えた。
カナは思わず、シールを目に近づけた。
心臓が嫌な音を立てる。
左目の奥が疼き、無意識に「解析モード」へと視覚が切り替わる。
ただの印刷ミスではない。インクの滲みでもない。
リナの瞳の虹彩の中に、整然と並んだ微小な文字列。
『4D 69 6D 69 63 72 79 2E 2E 2E』
16進数コード。
文字化けしたデータのような配列が、彼女の瞳の奥底に焼き付いている。
まるで、彼女という存在そのものが、デジタルデータで構成された作り物であるかのように。
「カナ? 行くよー?」
リナの声に、カナは弾かれたように顔を上げた。目の前には、いつものリナがいる。
血色の良い肌、柔らかい髪、そして——
カナは恐る恐る、リナの実際の目を見た。
茶色い瞳。そこには、何も映っていない。
自分の顔が反射しているだけだ。
「……リナ」
「ん?」
「……ううん。なんでもない」
カナはシールを慌てて手帳に挟み込んだ。この寒気はなんだ。
リナは本物だ。間違いない。
でも、あの写真に写った「コード」は何だ?
機械だけが捉えた、彼女の内部情報の漏洩?
それとも、この原宿という街全体が、既に——?
すっかり日が落ち、夜の帳が下りた原宿駅前。
駅舎の明かりが灯り、帰宅ラッシュのピークを迎えていた。
「じゃあねカナ! 今日は付き合ってくれてサンキュ! また明日、学校でね!」
リナは笑顔で手を振り、山手線の新宿方面ホームへと消えていった。
彼女は何も気づいていない。
自分が「被写体」として、世界のエラーを写し出してしまったことに。
無自覚な一般人。それが彼女の幸福であり、同時にカナにとっての恐怖でもあった。
カナは一人、わざと品川方面の電車に乗った。秋葉原へ向かうには遠回りだが、今は少しでも長く、一人で考え事をする時間が欲しかった。
車内は混雑していたが、奇妙なほど静かだった。
サラリーマンが広げる新聞の音と、若者のヘッドホンから漏れるシャカシャカという音だけが響く。
カナはドア横のスペースに身を滑り込ませ、震える手でガラケーを取り出した。
手帳から、さっきのプリクラシールを取り出す。
薄暗い車内で見ると、リナの瞳の中のコードは、先ほどよりも鮮明に見える気がした。
(……気のせいじゃない。これは、予兆だ)
椚さんの言っていた「擬態」。
その侵食は、もうここまで来ているのかもしれない。
自分の一番大切な親友の、その瞳の奥まで。
カナは震える指でメールを作成した。
【宛先:椚 蓮治】
【件名:緊急解析依頼】
【本文:原宿にて異常データを確認。画像を送ります。……ただのバグであってほしい】
ガラケーのカメラでプリクラを接写し、画像を添付して送信する。
『送信完了』の文字が表示された瞬間、電車が動き出した。
原宿駅を出ると、車窓の外には代々木公園と明治神宮の深い森が広がっている。
街灯のない漆黒の闇が、車内の明るい蛍光灯とのコントラストで、窓ガラスを完全な「鏡」に変えていた。
そこに映った自分の顔。
青白く、疲れ切った表情。
その瞳の奥にも、もし同じような「コード」が刻まれていたら?
私たちが「人間」だと思っているこの意識さえも、精巧に作られたプログラムの一部だとしたら?
「……嫌だ」
カナは小さく呟き、自分の体を抱きしめた。
ショッパーの中の新しい服が、カサリと音を立てる。
その音だけが、今の彼女をかろうじて現実に繋ぎ止めていた。
電車は森を抜け、渋谷のネオンの海へと滑り込んでいく。
巨大なビルの明かりが、鏡に映ったカナの顔の上を、ノイズのように次々と流れていった。




