第45話:再会
「ジュラール様——!!」皇都ネクラナルで七英雄の一人女神官ジアは絶望に叫んだ。皇都の目抜き通りにあるデュバル家のタウンハウス、想い人の姿を見たと思った瞬間の事だった。声が宙に消える。
〝これを最後にお前の声は彼に届かない。未来永劫〟冷たく邪悪で美しい女の声がジアの脳内に響いた。
「アリオーシュ!?」宙に舞いあげられながらジアは叫ぶ。認識阻害の魔法がかかっていて、通りを歩く者に彼女に気付いた者はいない。ただジュラールはジアを認めていた。
ジュラールの表情が驚愕から苦悶のそれに変わる——。
——ジアの視界が歪む。最後まで視線を合わせていたジュラールの姿も渦巻く視界に消えた——
* * *
「君の恋人が拐われた。そういう事か?」ジュラールの友人、オーギュストは尋ねてきた同僚に問うた。
「恋人と言う訳では——いや、そうとは——」
「歯切れが悪いな」
「彼女は最後に何かを叫んだのだが——聞き取れなかった」
「それが分からなければ、何者が彼女を拐ったかは判然としない——何かないのか」
「彼女の姿は私も見ました。オーギュスト殿。それに女性の声も」同席していたジュラールの弟が言った。
「ジア殿の声ではないのか?」
「いえ、あれは人の声じゃない。悪魔か、神の様な——とにかく冷たく美しい声だった。それに邪悪さも」
「私にはジア以外の声は聞こえなかった——本当なのか、ジャン」
「間違いありません。女性の声——冷たさが際立つ声だった」
「冷たい女の声——まさか」
「思い当たる節でも有るのか、オーギュスト」
「君もあの女の声は聞いたはずだ——レドパインが死んだあの時に」
「アリオーシュ……か」ジュラールは思い至った。忘れもしない。前の戦役で自分もあの女神の声を聞いた——もっと早くに気付けなかったことをジュラールは恥じた。
「かの女神は現世を掌握しようと暗躍しているとの噂だ。レドパインと関係の深かった相手と言えばヤルマドゥだ。奴もアリオーシュと手を結んでいるのなら、君を呼び寄せようと脅したのは奴かも知れん。陛下や勇者が関わっているとまでは断言できないが」自らの主君が混沌の女神と手を結ぶなどという事は近衛の騎士として信じられない、信じたくない事だった。
「だとしても私は一族を放って逃げるわけにはいかない。ジアをさらったのがアリオーシュなら正義を遂行するため女神を討つ」
「現実問題として、暇を貰えるのか?」
「それは——」
「私が兄の代わりを務めると言えば——ジュラール兄さんが出征していた戦役中、陛下の警護を務めた事もあります。前例のある事なら通りやすいはず」
「そうだといいが」
「陛下は私事の為に剣を抜く事は許さないかもしれない。しかし邪神アリオーシュの脅威を除くという事なら話は別になると思う。試してみる価値はある」
「そうだな。その名目なら通るやもしれん。やってみる価値はあるだろう」
* * *
「——ならぬ。卿は余の護衛から長い間離れていた。アリオーシュなる邪神がそなたの情人を拐ったからと言って自由に動いて良いという事にはならん。アリオーシュ討伐は冒険者たちに任せよ」
「ですが——」主君エレオナアルの余りに非情な物言いに流石にジュラールは抗弁しようとした。
「聞けばジアなる女は世界に名を知られた冒険者パーティの一員だそうではないか。お前が助けに行くまでも無い」エレオナアルの友人、勇者の末裔ショウもジュラールに反対した。
「私にも騎士としての誇りがあります。目の前で女性を拐われて助けにも行かなかったとあれば、先祖に対して申し訳が立ちません。皇国の民からも何を言われる事か。何卒——」ジュラールは食い下がった。
「くどい。卿は余に対する責任を果たせ。余が命じて卿が女の救助に向かう事が出来なかったと言えば民どもにも先祖にも言い分は立とう。それとも余が信じられないのか」
「そんな事は」
「ならば何が不満だ」
「私は陛下を信じます。しかし、陛下は私を信じておられるのですか?」ジュラールは冷や汗をかきながら質問した。不敬罪で処罰されるかも知れない——それ以上に主君を疑う事が彼の肝を冷やした。
「当然だ。卿は余がアリオーシュに加担しているのかを疑っているのだろう。余も騎士位を持つ者だ——その名誉にかけてアリオーシュなどとは一切関連を持っていない。グランサールの名に懸けて誓おう」エレオナアルの蒼い瞳に嘘の色は無かった。
「出過ぎた真似をして申し訳ありません、陛下。何卒お赦しを」
「良い。アリオーシュ討伐には最高の冒険者を派遣しよう。下がってよい」
「は」ジュラールは豪奢な戦皇の居室を退席した——疑う気持ちの全てが晴れた訳では無いが、少なくとも主君は主君なりに誠意を示してくれたのだと思いながら。
* * *
「うまくいったな、エル」
「ああ。——御女神の御力を借りれたのはとても大きかったですぞ、アリオーシュ女神よ」
〝冒険者どもと出来試合をやる。ジアは返すが記憶は失わせる。または自我を破壊する。あるいはその両方かそれ以上の報いを。そなたに我が力を貸し与えて間違いはなかった〟ショウとエレオナアルの二人の頭に声が響く。
「あのジュラールを騙し切る事が出来るとは流石は神の御業」アリオーシュはエレオナアルに半ば乗り移って芝居を打っていた。エレオナアル達だけなら露見したであろう裏事情を隠し通す為だった。
アリオーシュは二人の精神に語り掛け、ある程度乗り移る程度の干渉にとどめていた。これでもアリオーシュには結構な負担なのだが、世界征服の為には欠かせない投資だった。
〝冒険者どもの選抜は任せる。ジュラールを我に捧げよ。そうすればエルフ共を殲滅するという望みへ大きく繋がろう。急ぐのだ〟それを最後に女神の声は聞こえなくなった。
「女神は――」ショウは女神がいなくなったのかそうでないのか状況を測りかねていた。
「いや、あのメス犬がいなくなると酒が美味いな。——何を慌てている、ショウよ」エレオナアルが杯に注いだ葡萄酒をあおる。ショウが必死に口に指を当てるのを見てエレオナアルは自らの失敗に気が付いた。
「いや、御女神、メス犬とは——その、我が双子、の姉、アレクサンドラの事でござる。決して——」
〝気を遣わずともよい〟女神の言い方には抑えてはいるが怒りがあった。エレオナアル達に鞭を入れる頃合いだとアリオーシュは思っていた。わざと失策を犯させるつもりだったのだ。不機嫌である事を示して二人の肝を冷やす算段だった。
〝さらばだ。良い働きを期待しておるぞ〟
エレオナアルとショウはその声を聞いてからも三日以上に渡って女神を揶揄するようなことは一切言わなかった。正に羹に懲りて膾を吹く状態だった。
* * *
「偉大なる戦皇エレオナアル=ド=エリトヘイム=イワース=アークヒル=エイリトラー=ユーディシウス=グランサール252世陛下の指揮の元〝皇国の盾〟は混沌の邪女神アリオーシュを撃破し、かの邪神に囚われていた人質を助け出すことに成功した——」皇都ネクラナルの目抜き通りに面する広場でエレオナアルの庇護を受けている扇動者が大音声で宣言した。
広場に溢れた皇国民たちはその声を歓声を上げて聞いた。一方戦皇付き近衛騎士ジュラールは渋い思いで扇動者を眺めていた。彼は扇動者の大半を嫌っていた。皇国への忠誠心を高める為にこうした劇場型の政治をやらなければいけない事は分かる。しかし、それに好感を持てるかどうかは別の話なのだ。
ジアは戻ってきた。今ジュラールの目の前にいた。しかし——
「私が貴方を愛していた。それは納得がいきますわ。貴方はとても好ましい。でも、私は貴方の事を覚えていないのです。アリオーシュに囚われていた事も。愛と美の女神の女神官ジアだった事は覚えていますし、死神の騎士が敵だった事もそうですわ。貴方がやり直して欲しいと仰るなら、それも考えなくもない」ジアは屈託ない表情だった。
「いや、弱みに付け込んで貴女を手に入れようとは思いません」
「私は魅力的には見えません?」
「そんな事は——」
「冗談にするには貴方は勿体ない騎士ですわ」
「からかわないで下さい」
「実際、戦皇陛下や勇者の末裔より遥かに貴方の方が好ましい。あの二人は私に言い寄ってきましたから。貴方が彼らに仕えるのは能力と忠誠心の無駄遣いです」
「はっきり言いますね。それでも私は陛下に従う。主君を疑うのは騎士道に反すると思うからです」
「私の為に主君を捨てて、ジュラール」ジアはジュラールの瞳を見つめて言った。
「それは――」
「分かっていますわ。アリオーシュは貴方に懸想した私が拒まれるのを見て留飲を下げたいのでしょう。私の自我を破壊しなかったのもそれを見たかったから。これ以上貴方に近づけば私は今度こそ自我を破壊されるかもしれない。本当はそんな脅しに屈したくはないけど」ジアは寂しげに微笑んだ。
ジュラールは言葉が出なかった。自分の信じる騎士道は彼女を救うことは出来ない。それを思い知らされたのだった——




