第46話:憧憬と脅威と
「アリオーシュはジアの自我を破壊しなかったのか」アリオーシュ四天王グレイデンは感心したように言った。アリオーシュの支配する世界の、彼女の城の一角、荒野を望む露台に彼は居た。蒼い肌にくすんだ金髪を刈り上げている、金の瞳に白目の部分は黒色だった。
「アリオーシュ様を呼び捨てなんていい度胸ね。ま、いつもの事か」四天王の一人、女淫魔リリスが彼をとがめる。見た目は少女にしか見えない。ボディスーツの様な薄い、動きやすい服装に腰からコウモリ様の翼が覗いている。
「女神がジアを弄んだのは気に入らん。お前も一枚嚙んだだろう」
「あなたにお前呼ばわりされる謂れはないわ」リリスは頭を振った。短い髪が揺れる。
「色仕掛けしか能の無い女はお前呼ばわりされても仕方ない」
「頭にくる物言いは止めて」自分を睨むその眼にグレイデンは鼻を鳴らした。リリスは色仕掛けだけではなく、戦いでもグレイデンに匹敵する実力の持ち主だった。
「ジュラールをアリオーシュ女神に捧げる。女神様が私以外の情人を持つのは嫌だけど」
「ジュラールには興味を惹かれないか」
「顔は良いけど堅物すぎるわ。詰まらない男よ」
「お前は男全体を嫌っていたろう」
「そんな事も無いわ。よほどいい男じゃないと本気の相手はしたくないけど」
「ジアの精神を壊さなかったのはどう考える?」
「悪いとは思わないわ。またあの男の恋人に収まってくれれば私としては言う事は無い。アリオーシュ様が諦めてくれれば更に良い」
「お前は自分の都合しか考えないのだな。ま、それも一つの信念か。自分の利益しか考えないというのもな」グレイデンは苦笑する。
「混沌に仕える者が利己的なのは当たり前よ」
「利己的でないといえばジュラールか。奴が仲間に加わったらやはり利己的になるのかな」
「そうなったら相手をしてあげてもいい」
「利己的かどうかは分からんが、秩序機構の総帥、ティール公爵がアリオーシュを現世に顕現させる準備をしているな。アリオーシュを復活させて奴にどんな利益があるのか。アリオーシュは奴をも手に入れたいのか」
「使える内は使う。それがアリオーシュ様のお考えでしょう。エレオナアルとショウよりは役立つと見ておられるのではないかしら。いくら利己的でも私は好かないけれど」
「あの愚物二人と比べられるのは流石に公爵でも勘弁だろうな」
「愚物かも知れないけど狡猾よ、若いし野心に溢れている。権力者だし、知名度もある。侮れないのよ、そういう特性は」
「妾はあの二人は好かぬがな」二人の背後から声が響いた。
「アリオーシュ様」リリスは振り向くと笑顔になった。アリオーシュの胸元に飛び込むと頬をその胸に埋める。一方グレイデンは顔こそアリオーシュに向けたがそれ以上の事はしなかった。
「相変わらずだな。戦士グレイデン」グレイデンは無言だったが、何を考えているかはアリオーシュに丸分かりだった。
夕焼けの最後の輝きを掻き消す様に陽が沈む。暗闇に包まれた露台を涼やかな風が吹き抜けた。
* * *
「我が師の仇敵! 貴様を殺す事が我が悲願よ!」魔都の国際謀略組織、秩序機構総帥ディスティ=ティール公爵は憎悪に叫んだ。一方、憎悪を向けられた男はどこ吹く風でその激情を受け流した。
「ラルフ=ガレル=ガーザー! いや、元アース神族主神オーディン!」小柄なティール公爵と対照的にガーザーと呼ばれた男は2メートルを超える背丈、長い白髪に白髭、左目に眼帯を掛けた偉丈夫だった。
「ゲルグは仇敵だった。そなたはそうではない。儂がそなたを敵とする理由は無い」
「そんな屁理屈が通ると思うか。俺と勝負しろ、駄神!」
「儂がアリオーシュに与していると知ってか」
「戯言を誰が信じるか——」ティール公爵は魔法を詠唱し始める。魔術杖から闇赤色の雷が飛び出し、ガーザーを襲う。ガーザーは動けない。公爵は気付かれないよう根絡み、タングルルートの魔法で敵を足止めしていたのだ。仕留めた——ティール公爵は確信した。
雷はガーザーを直撃しなかった。当たる直前で影様の物体が飛び込み、雷をあらぬ方向に逸らした。
「〝盾の守り〟か、小賢しい」公爵は別の魔法を唱えだした。大地が尖り、鋭い槍と化す——五本の槍がガーザーを貫く。
「やったか?」公爵はガーザーの表情を窺う——死んでいるかどうか、確かめようとした。顔を見ようとして目が有った瞬間、恐怖に公爵はひざまずいた。身体に力が入らない——精神は乱れに乱れ無詠唱魔法すら唱えられない。
〝まだ、やるか?〟公爵の脳裏に声が響いた。
「何、やってやるとも——」公爵は憎悪だけを頼りに喚いた。その瞬間、声は耐え難いほどの大きさになり、更に頭蓋が締め付けられた。激痛に公爵は呻く。心が折れるまでこの攻撃は続く——それを悟った。
「分かった——」声を絞り出す。このままでは自我が破壊される。公爵は魔術神に屈した。
「良かろう」ガーザーが応えた。頭痛が嘘のように消え、恐怖も一瞬にして消える。公爵は激しく息をしていたが、全面降伏した訳では無かった。痛みが消えた事で、公爵は安堵した。ガーザーを睨む。
「アリオーシュに味方しているという証拠を見せろ。それを見るまでは信じぬぞ」
「かの女神に直接聞いてみるがいい。上位存在との接触はそなたの得意技だろう」
「気軽に言ってくれる。あの手の存在との接触には手間も時間も精神的な負荷もかかるのだぞ」公爵は唸った。それを聞いたガーザーは掌を上に向ける。小さな光が集まり、映像を結んだ。
「そなたはアリオーシュが欲する異世界の女二人を知りたいのだろう。かの女どもを食らえばアリオーシュは現世に長時間顕現できる様になるからな。名前は教えられぬが、外見を見せてやろう」
映像に肩に掛かるか掛からないかといった金髪の小柄な少女と、長い黒髪を伸ばした背の高い東方人の少女が映る。
「この世界の人間ではないな。服装から分かる」公爵が屈辱を忘れた様に言った。
「彼女らはこの世、ディーヴェルトの鏡像として存在するもう一つの地球にいる。そなたなら突き止められよう。アリオーシュが女二人を手に入れるまでは、儂は味方だ」
「良いだろう。一時的に休戦だ」公爵は息をついて改めてガーザーを見た。敵ではあっても認める事は出来る男だと、認識を改めて。
* * *
「何故やり直そうとしない。彼女を一人で放っておくつもりなのか?」
「これ以上ジアに関わればアリオーシュは彼女を殺しかねない——苦渋の選択なんだ。分かってくれとは言わん。だが――」
「君は彼女を憎からず思っているはずだ。彼女も記憶を失ったと言っても、君の様な立派な騎士の恋人になれれば本望だろうに」
戦皇付き近衛騎士ジュラールは首を横に振った。親友のオーギュストの言いたい事も分かる。オーギュストは言葉を続けた。
「彼女にエルフの血が混じっているから躊躇しているのか? 君がそんなことを気にするとは——」
「違う。皇国はエルフを劣等種族と言ってはばからないが、私はそうは思わない——敵にすればかなりの脅威ではあろうが」
「ならば何故」
「私はエレオナアル陛下の直属だ。エルフの女性を恋人にすることは出来ない。建前の問題さ。陛下はエルフを嫌っておられる——そんな事をすればアリオーシュの脅威がなくとも、彼女は危険な橋を渡る事になる」
「彼女を祖国に帰す。そうする腹積もりなのだな」
「そうだ」ジュラールは肯定したが、表情には苦しさが滲んでいた。オーギュストは慰めの言葉をかけようとして、止めた。何を言ってもジュラールの心を軽くすることは出来まい。上辺だけの同情は却って彼の気持ちを傷つける。それが分からぬほどオーギュストは鈍くは無かった。
「君にヴアルスの加護が有りますように――僕はヴアルスの全ては信じてはいないが」
「神は信じずに済むならそれに越した事は無い——亡くなった父はそう言っていた」ジュラールは微笑んだ。ジュラール一家はジアを匿っていたが人の口に戸は立てられない。エルフを助けている等と評判が広がれば一族郎党揃って魔狩人に火刑に処されかねない。
オーギュストがジアを護るべき貴婦人にすべきだと言うのも、騎士としては正しい態度だ。ジュラールも叶うならばそうしたいと思っている。しかし、状況がそれを許さない。
死神の騎士や賢者ラウルならどうするだろう。ジュラールは考えて、己を笑った。彼らだったらどうするかなどと考えるのは無駄だ。自分は自分で考えるしかない。ジアを帰すのは間違っていないのだ。自分で決めた事だ——どんな結果になろうとも自分はそれを受け入れる——
——余りに真っ当すぎる判断だった。




