第43話:アリオーシュ四天王グレイデン
「皇国も帝国もそう変わらないのかと思っていたが、そんな事も無いのだな」グランサール皇国戦皇付き近衛騎士ジュラール=ド=デュバル卿は独りごちた。ガルム帝国皇帝領ガラムベルクにある城の一室、贅を尽くした部屋にジュラールは居た。
皇国はこんなに捕虜を厚遇しない。貴族ならともかく、騎士位ならこの扱いは破格だ。
皇国軍は国境付近まで後退し、軍師ラウル率いる第三軍は指揮官含めて休暇に入っていた。国境鎮護の兵を残し、今は実質的な休戦状態にある。今回の紛争を仕組んだ聖騎士ヤルマドゥは自らの責任回避に汲々(きゅうきゅう)としていた。その様を隣国から見物を決め込める位置にジュラールはいた。
戦皇エレオナアルはヤルマドゥを処断するか宥恕するか決めかねている。
ヤルマドゥが必死に処断を回避しようとあがく様をジュラールはラウルを通して聞いていた。
恋人を殺したレドパインの親友がヤルマドゥだ——二人は悪行三昧で知られた皇国の奸臣であり、その悪行ぶりがエレオナアルに気に入られていた。エレオナアルは権力者は悪事を働いて私腹を肥やすことこそ正義だとの考えの持ち主だった。
捕虜生活を送っていたジュラールだったが待遇は良かった。城に一室を与えられ、外出も目付け役は付くがほぼ自由だった。同じくこの城に捕虜として囚われている者に高名な冒険者パーティ、凍星の七英雄の生き残り女神官ジアがいた。彼女が迫ってくる事がジュラールの目下の頭痛の種だった。
扉がノックされる。ジアだろう。ジュラールは苦笑すると椅子から立ち上がる。
「ジュラールさま!」返事を待たずに扉が開けられる。目付け役の侍女が小走りに駆けるジアの後に続く。ジアは胸元が大きく開いた派手な赤色のドレスを着ていた。ただのドレスではなく、外出にも使える戦闘礼服だ。ジュラールの元まで来ると裾を両手で摘まんで一礼する。
「今日はいいお天気ですわね。遠乗りにでも出かけませんこと?」
「いや、私は——ところで気になっていたのですがジア殿はお幾つなのですか?」ジュラールは余りに不器用に何とか話を逸らそうとする、しかしジアの方が一枚上手だった。
「18歳です——今日が誕生日ですの。だから一緒に——」断る事が出来ない言い分だった。普通ならば。
「三週前に遠乗りに誘われた時も誕生日だったでしょう」ジュラールは指摘する。
「そうでした? そうだとしてもジアはジュラール様の心を射止める為なら毎日を誕生日にしても後悔しません」ジアは連弩の様に言葉を続ける。
「もしかしてジュラール様は私がお嫌いなのですか?」伏し目がちに、神妙な面持ちで、乙女の声でジアは切々とジュラールの情に訴えかける。
「そんな事はありませんよ」
「だったら——」ジアの顔がパッと明るくなる。ジュラールはそれを突き放すほど冷酷にはなれなかった。
「出かけますか。準備するので少し待って頂けますか。軍師ラウルにも言伝しておかなければ」
「ここでお着替えになっても——」
「遠慮します」淑女の望みとは言っても、叶えられないものはあった。
——ジアとジュラール、そして目付け役は近くの森まで遠出する事にしたのだった。
* * *
「良い風——」ジアは髪を靡かせながら言う。ジュラールも長髪を風に遊ばせていた。ジュラールは甲冑姿ではなく、皮の鎧に愛剣を、ジアは戦闘礼服に得物の長剣を吊るし、小盾を持っている。目付け役の二人は弓矢と短剣を持っていた。四人は馬を駆け足から並足に落として森と草原の境目に付ける。森の奥にある泉まで四人は足を延ばすつもりだった。泉の側には休憩用の小屋が有る。
中秋の風が心地良かった。馬に乗ったまま森の中に入る。四半刻程進むと樹々が開けた泉に着く。
落ち葉が舞う木漏れ日の中、ジアは真っ先に馬から降りると泉に酒杯を浸して水を飲んだ。
「ジュラール様も」愛馬を降りて杯を受け取ったジュラールは一気に杯を干した。
ジュラールはジアが妙に嬉しそうな顔をしているのに気が付いた。
「…間接キス」ジアがポッと呟く。ジュラールは半ば呆れて彼女を見た。目付け役が笑う。
「ジュラール卿も罪深い御方だ」
「ジア殿、私には心に決めた人が——」
「ユリア様はお亡くなりになっているでしょう。死者に操を立てるのは健全とは言えませんわ」
ジュラールは馬に水を飲ませると、ジアを見る。彼女は美人だ、少々風変わりなところも有るが性格も悪くない。惹かれる気持ちが全く無い訳ではない。だが――
「すみません、ジア殿。私は貴女を愛する事は——」
「今すぐにとは言いませんわ。いつかユリア様の事を吹っ切れた時で構いませんから。時間がかかるのは承知しています。愛と美の女神に仕える者として正面から貴方の愛を勝ち取って見せます」
「私には貴女にそこまで慕われる価値などありません——買い被り過ぎですよ」
「経験が浅いとおっしゃるなら私は確かに若輩ですわ。でもジュラール様は騎士の中の騎士でいらっしゃる。それを見間違う事はありませんわ」
「——熱いな。見ているこちらが赤面してしまう——しかし色恋に目が眩まないのは流石我が主の見込んだ騎士だ」男の声が宙から響いた。コウモリの様な翼を生やした巨躯の男がいた。赤黒い肌の、赤い目の偉丈夫だ。
「魔族!?」ジアが剣に手を伸ばして身構える。
「そう身構えるな。一応今日は顔見せだ。我が名はグレイデン、最強の混沌女神アリオーシュ様の四天王」
「その四天王が何の用だ?」ジュラールも片手半剣に手をかけて構える。
「我が主がお前の魂を望んでいる」グレイデンは口の端に笑みを浮かべて言った。
「ふさわしいかどうかを試させてもらう——それもいいな——では行くぞ!」大悪魔は宙から突進してくる。虚空から鉄塊と呼ぶのがふさわしい大剣を抜き出してジュラールに襲い掛かった。
ジュラールはグレイデンの突進を盾で真っ向から受け止めた。グレイデンの笑みが消える。
「やるな」真剣な表情になったグレイデンは唸る。彼は長身のジュラールより更に頭二つ分は背が高い、筋骨たくましく鬼を超える肉体の持ち主だ。体重でも倍近い差がある。一撃で相手を吹き飛ばせると侮っていたグレイデンにはジュラールの戦闘能力は信じられないものだった。
ジュラールが仕掛ける——盾を振ってグレイデンの大剣を弾くと、剣を突き出した。心臓めがけて凄まじい勢いで片手半剣が伸びる。グレイデンはその剣を当たるに任せた。鎧にぶつかった剣の衝撃にグレイデンは感心する。その時後ろからの殺気を捉えた。
「覚悟!」ジアが長剣で突きかかってくる。その攻撃をいなすと単音詠唱で影撃の魔法を発射する。暗黒のエネルギーがジアとジュラールを襲った。たたらを踏んだジアは際どい所で魔法を躱す。ジュラールは襲ってくる三本の影撃をユリアからの婚約指輪、魔法の力場を発生させる効力が有る——で止めた。力場を盾に固着させ、盾で強引に魔法を振り払ったのだ。
ジュラールは間髪入れずに剣をグレイデンに振るう。必殺の一撃だった。グレイデンは躱せない。
「ぐっ!」剣が首筋から袈裟懸けにグレイデンを切り裂き食い込む。続けてジアと目付け役の二人の攻撃が大悪魔に突き刺さった——グレイデンの目から光が消える。
「やった!」ジアが勝利の叫びを上げた。
「まだだ!」立ち尽くすグレイデンの身体が震えた——グレイデンを中心に暗黒の光線が無数に発射された——咄嗟の事で四人は反応できなかった。ジアは死を覚悟する——激痛が襲ってくるのを覚悟したが、何も感じなかった。
致命傷を受けた?——薄目を開けて周りを確かめる。
白い鳥が翼を広げてグレイデンを覆っていた——巨大な、余りにも大きいカラスだ。翼の幅がロック鳥並みだ。このカラスが暗黒光線を止めたのだ。
「死神の使いか」グレイデンは苦々しげに呟く。その時、駆けてくる人影があった。
「——そこまでだよ。グレイデン」
「ラウル殿。それにアトゥーム殿」ジュラールが驚く。
「もしやと思っていたけど、死の王が警告してくれてね」
「<死>が? 皇国では邪悪とされる闇の第一神が? かの神は自分の利益になる者だけを助けると皇国では幼年の時から叩き込まれるのですが」
「世界の平衡を保つためなら、人界に介入することもある。皇国の為にしか力を使わないとされる皇祖神ヴアルスより遥かに真っ当な方だ」カラスが喋った。
「その真っ当な神が何の用だ?」グレイデンは戦いを邪魔された事に腹を立てていた。そもそも神が現世に干渉する事は許されていない筈だった。
「何事にも例外はある。ここでジュラール卿の魂を奪うのも現世への干渉だろう。そこの白カラスも死の王本人では無い」黙っていたアトゥームが指摘する。
「納得はできないが、理解はした。ジュラール卿、そなたは確かに我が主に相応しい。いずれ俺と肩を並べて戦う事になるだろう。その日を楽しみにしている」言いしなにグレイデンは翼を震わせた——身体に刺さった剣が抜け落ちる。傷口が見る間に塞がった。
「さらばだ」グレイデンは舞い上がると一気に上昇した——みるみるうちに見えなくなる。
「危なかった——あのまま攻撃されていれば僕たち総がかりでも全滅していたよ。〝神殺し〟の刀でもない限りあの悪魔に勝つのは難しい」ラウルがほっと息をついた。
「デスブリンガーでも勝てないか?」
「勝ち目が無い訳じゃないけど、厳しい。グレイデンはグラドノルグに匹敵するか、それより強いかも知れない——単騎での戦闘力は現世でも最強クラスの存在だ」
「だが、死神の騎士アトゥームよ、我が主はそを超える邪神を討つ事を望まれている——今すぐではないが、世界の行方にかかわる話だ」
「神殺しも無しにか?」
「そうだ」
「余り重い運命は背負いたくないんだがな。身の回りの事だけで精一杯だ——俺は単なる統合失調症の患者さ」
「私の仲間を殺しておいて、自分だけ良い目を見ようなんて甘えてるわ」ジアはアトゥームを軽く睨んだ。
「ジュラール様に会わせてくれた事には感謝するけど」
「そちらに好かれたいとは思ってない。俺にとっても君はグラドノルグを殺した敵だ」
沈黙が落ちた——それを破ったのは<死>の使いだった。
「ジュラール卿、我が主ウールムもそなたの事を買っている。ヴアルスは元からあった皇国守護神に太陽神と法の守護神、創造神の神性を混ぜ合わせた、言わば虚構の神だ。信じたくは無いだろうが。貴方はそんな神の為に命を懸けるのか?」白カラスは翼をたたむとジュラールに話しかけた。
「そうではないかと疑ってはいました、はっきり言われるとショックですが」ジュラールは最期の質問には答えなかった。
「太陽神なら皇国の民以外も照らす。国家守護神ならそんな事はしない——矛盾だよ。ヴアルスは唯一神という事になってる。三世代前にはそんな事は無かった——歴史を知ってるなら常識だよ——狂王トレボーに皇国が占領されたことがヴアルス原理主義派の暴走のきっかけを作ったんだ。もっとも狂王のせいで帝国も国父、建国帝ズィドガーを神として崇めるようになったけど」
「皇国も帝国もそう変わらない部分もあるという事か——どちらがいいという話では無いのですね。それでも亜人種迫害は皇国の方が酷い——相対的に帝国が少しマシといった程度か」ジュラールは溜め息をついた。
「五十歩百歩とは言えないと思うよ——それでも帝国に亡命するとは言わないのかい」ラウルが尋ねる。
「デュバル家は代々戦皇家に仕えてきた——私の代でそれを台無しには出来ません。それに私が逃げ出せば残された一族が縊り殺されかねない——」
「人生思う様にはいかないか——神の御心は測りがたし、だな」
「私は唯一神など信じませんわ——ジュラール様、行きましょ。混沌だの唯一神だの死神の使いだのと縁起でもない。ただ愛と美の女神の教えに従えば全ての人は幸せなのに」ジアはジュラールの手を取ると戦いから離れていた馬のほうに歩きだす。
ジュラールはその手を拒めなかった。祖国を裏切る覚悟も固められず、彼女を護ると誓いもせずに縋るのは卑怯だと自分を責めながら。




