第41話:近衛騎士と死神の騎士と
「アトゥーム様」思春期の少女にしか見えない、褐色の肌、ブルーイッシュダークの直毛を切り揃えた、緑の瞳の少女神は死神の騎士、アトゥーム=オレステスに迫っていた。
少女神の名はアストレイア。調和を司る、神々が天上に去った時最後まで人間のもとにとどまった古き女神だった。
「抱いてとは言いません。せめて、キスを——出来れば抱いて欲しいけど」アストレイアはくるくると笑った。
「何故、今? 何故それに俺なんだ? 女神アストレイア。タネローンで会った時は大人の姿だったのに」
「この姿が私の最初の人の姿にして最も清い姿だから。愛する人に逢う時はこの姿って決めてたの」
「古き女神なんだろう——」アトゥームは続く質問をぶつける勇気が無かった。しかしアストレイアにはアトゥームが言いたい事など丸わかりだった。
「私は乙女よ——穢れ無き処女。今まで身体を許した相手は神にも人にも魔族にも居ないわ」
「なら何故俺などに構う——たかが人間一匹に」
「惚れたから。貴方に。そして貴方が私に惚れる事も分かっているから」
「俺は少しも君に欲情してはいない」
「今は、ね」アストレイアは少女とは思えない妖艶な笑みを浮かべて言った。アトゥームは微かにだが、息を飲んだ――自分の心が僅かに揺らぐのを感じる。
「良いでしょ、少しくらい——」愛する男の胸に、頬を擦りつける。
「抱きたいと思わない。義理も無い」
「グラドノルグやホークウィンドは抱いたのに」アストレイアは不満を全身で表わす。
「子供を抱く趣味は無い」にべもなくアトゥームは言った。
「貴方はこの姿の私を抱くわ。今じゃなくてもいずれ」確信に満ちた静かな声。
「…………」
「隙あり」沈黙したアトゥームの唇をアストレイアは奪った。舌を入れようとして、拒まれる。
「…堅物」そう言ったアストレイアだったが、目には満足の色が有った――この男は私のモノ。それを確信した女の目だった。
アトゥームに身体を擦りつけるとアストレイアは霊体化した。背骨が引き抜かれる様な冷たさがアトゥームを襲う。
「また逢う時まで、あなた」アストレイアの声が響く。鈴を鳴らしたようなその声が残響しながら消えていく。アトゥームは夢を見ているような心地とそれに反した生々しさを同時に味わい、神と愛し合う事への恐怖と快感に怯えた。
「アトゥーム君」扉の外から響いた声に、アトゥームは救われる。現実に戻れる。そう思ったが、心の底には信じ難い今の体験が潮騒のように消えずに残っているのだった――
* * *
「黒の塔発見、大儀であった。ジュラール=ド=デュバル卿」グランサール皇国戦皇エレオナアルは内心疎ましく思っている部下に、表面上は穏やかに声を掛けた。
「は」一方、ジュラールも忠誠を尽くす気持ちは変わらないものの、主君に疑問を感じるようになっていた。
〝陛下は私を逮捕せよと命を下したのですか?〟そう聞きたい気持ちを何とか抑える。良い騎士は仕える主を疑わないものだ。そう信じて、今までエレオナアルに仕えてきた。だが、恋人を失ってからその思いにヒビが入ったことは否めない。
エレオナアルは黒の塔を見つけた意義を回りくどく説明した。そしてそれを果たしたジュラールは英雄だとも。だがジュラールにはその言葉は空しく響いた。戦争指揮に失敗しつつあるヤルマドゥが不興を買いそうな事がジュラールには救いとなったが、他人が没落する事に喜びを覚える自分に嫌悪感も覚えた。
黒の塔を見つけた後にディスティ=ティール公爵に塔の主を殺すよう命令したのも陛下なのか。塔の主フリージアはエルフを助けてくれとジュラールに懇願した。自分としても叶うならその思いに応えたい。しかし――ジュラールは相反する思いと信念に引き裂かれていた。
フリージアを謀ったティール公爵——魔都の邪悪な魔法使い——について調べたジュラールは驚愕した。魔都の権力者、三十六魔導士の一人にして、魔導専制君主国現帝の伯父という立場についていたのだ。
最初ジュラールはティール公爵が秩序機構の総帥だと公開すれば彼を失脚させられるのではと考えた——しかし、魔都では公爵は正体を巧みに隠していた——名乗るのは魔導専制君主国の外、いかようにでも言い訳の効く場所だけだ。
魔都には公爵が悪事を働いてるとは露にも思わない人々が多数いた。権力者は悪事を働かない、魔術の才に恵まれた者は人格も同様だ——その感覚——正に感覚だった、は君主国で広く共有された、絶対的な空気感と言っても良い信念だった。滅多な事では破れない、自己責任の甲殻。
皇国に人類優位の人種観が根を張っているのと同様、君主国にも魔術優位の人生観が根を張っている。ジュラールはそれを知った。
結局何処まで行っても偏見から逃れられる人はいない。それは自分も同じだ。だからといって偏見に塗れたままでいいという事ではなく、少しでも自分の偏見を正していかなければならない。それがジュラールの思いだった。
自分が主君に裏切られても、自分は主君を裏切らない。ジュラールは覚悟を固め直すと、日々の任務に戻る事にしたのだった。
* * *
ジュラールは志願して前線に出向くことになった。親友オーギュストに強く勧められての事だった。指揮官ではなく、騎士団の一人としてだ。ヤルマドゥの稚拙な作戦指揮により壊滅の危機に立たされたグランサール中央軍行きを志願していた。中央軍は三方から囲まれ、袋叩きの目にあっていた。
ヤルマドゥは前線からくる報告を捌き切る事が出来ず、前線に指揮を丸投げする羽目になった——当然戦皇エレオナアルの不興を買ったが、前線の兵士たちにとってはそれが救いになった。軍は辛うじて体勢を保ちながら退却しつつある。しかしあと一押しが有れば潰走は間違いなかった。
ジュラールは前線へ急行する騎士団に同道する。可能な限り早く着かなければいけなかった。騎士団は前線に近い間原地帯で防御陣地を敷き、帝国軍を待ち受ける態勢に入った。戦力の逐次投入を避ける為と、僅かでも地の利を稼いで敵を痛撃する為だ。
皇国騎士団は中央軍が潰走しても壊滅はさせない態勢を取った。
それを見て取った帝国の軍師ラウルは力攻めは避ける様、追撃軍に指示を出した。だが、前線はラウルの思い通りには展開しなかったのだった。
* * *
「第四軍と第五軍が敵陣に攻めかかりました。ラウル様、いかがいたしましょうか」偵察兵の魔導通信用のペンダントから通信が入った。
ラウルは慌てなかった。この二軍は度々先走って敵軍を追いかける事があった。それでも、防御陣に真っ向からぶつかっていけば損害は桁違いに跳ね上がる。両軍の指揮官もそれは分かっていたのだが、陣地に逃げ込もうとする敵兵士を黙って見過ごすことは出来なかったのだ。
皇国軍は防御陣地でこちらの兵力を削った後、温存していた騎士団をぶつけて徹底的に帝国軍を蹂躙するつもりだ。ラウルは温存していた死神の騎士、義兄アトゥームの騎兵隊を使う事にする。
〝義兄さん〟
〝分かっている〟
帝国軍師の祖父に一緒に育てられただけあって阿吽の呼吸だった。
第四軍と第五軍の攻撃の直後に死神の騎士の軍勢が襲い掛かるように指揮する。力攻めにはなるが敵陣を破れれば一気に勝敗が決着する。アトゥームの騎兵は戦場を駆け出した。
* * *
「騎士団に突進の下知を」一方ジュラールは敵が波状攻撃をかけてくるのを見て皇国軍指揮官に上申した。敵陣の旗を見る——敵軍の後詰めとしてこちらを襲おうとしているのは死神の騎士だ。
その旗印に皇国軍は半ば恐慌状態に陥った——今食い止めなければ軍は壊滅も有り得る。
皇国軍指揮官はジュラールの上申に二つ返事で飛びついた。どの道他に取り得る手段が無い。騎士団の団長はジュラールの旧知の友だった。横一列に騎兵槍を構えた騎士団が突撃を開始する。
騎兵と騎兵が激突した。
死神の騎士の騎兵団は突進の勢いを砕かれた。皇国軍の反応の速さに乱戦に持ち込むのが精一杯だった。死神の騎士アトゥームは舌打ちする。有利な状況が一瞬にして互角以下になってしまった。
陰性症状も吹き飛び、アトゥームは斬りまくった。その見覚えのある目立つ動きに、ジュラールは気づく。
「死神の騎士! いざ尋常に勝負!」黒い鎧の死神の騎士に深紫の鎧の皇国騎士ジュラールが襲い掛かる。最初の突撃で騎兵槍を捨てたジュラールは馬に吊るしていた愛用の盾と片手半剣を握っていた。
——近衛騎士と死神の騎士の戦いが始まった——




